閑話 僧院について
混み合った昼食の場で僕らに話しかけてきたスザンナというご婦人は、この世界の住人らしからぬ、とても大人しく地味で清潔な印象を持った人だった。なんでも彼女はデザイナーとしてデカダンス組にいるわけではないらしく、僧院という組織から派遣されてきた外部の人間らしい。
今、僕の周りにいるのはそのスザンナとフーフー、それにフーフーの親友であるというオカマのキューだけだった。スザンナはフーフーではなく、僕に会いに来た。僧院という組織の一員として、この世界にまつわる、皆が知っていなきゃいけない大事な話をしに来てくれたらしい。それにかこつけてキューが、半ば強引に僕らを個室に引っ張り込んで人払いしてくれた形である。
「僧院なんていうと堅苦しいですが、実際はただのボランティア団体ですね」シワは目立つが柔らかい笑顔を浮かべながら、スザンナはお茶をすする。「アルバイトの斡旋だったり、報酬になる公共瓦斯の管理が主な仕事です。
「なるほど」
普通に納得する。快適で健康な社会を持続させるためには想像するよりもずっと多くの労力が必要だ。それはハードとしての肉体の数というよりも、人間の数……つまり、機械では判断の難しい「当たり前」を判断できる思考が必要な数という意味である。創作活動がダイレクトに経済活動に繋がるこの世界だからこそ、そういった芸術以外の調整を誰が担っているかが疑問だったのだ。ただ、そんな大事なものを全部ボランティアに任せてるっていうのは随分と豪快だと思うけれど……。
「本当はそれが主な役割じゃないけどね」と、キュー。ストローで紫色のドリンクを吸っている。「多分、今イサミが想像してるよりもずっと、この世界に必要な人手って少ないのよ。なにせ、使い魔がある。そっちと比べる言い方をするなら、同じ頭数で使えるパワーが倍はあるって感じかしら」
「その気になれば……使い魔に任せきりでも社会は維持可能って説もあるくらいだっけ」フーフーは静かにコーヒーを飲んでいる。デカダンス組の若者たちに散々絡まれて疲れたのだろう。
「流石にそこまで行くにはあと100年はかかるわね」キューはねぎらうようにフーフーの背中を撫でる。「僧院は僧院っていうだけあって、本来は修行の場よ。ボランティアだっていわば精神修養の一環として行ってるわけだし」
「修行?」
「修行って聞くとなんか急に怪しく感じちゃうよね」フーフーが僕の思考を先読みする。「でもそういうのと違って割とマトモな意味の……なんて言っちゃうと余計に胡散臭いか。うーん、ニュアンスが伝えがたい」
「早い話が、ドロップアウトした集団ってことですよ」意外にざっくばらんとスザンナは笑う。「僧院に所属しているって大半が、自分の作品作りに疲れた人たちなんです。才能の壁にぶつかってしまっても人生に絶望しないように、僧院という組織は生まれたんだと聞いています」
「へえ……」
「この世界では、あらゆる成果が点数で評価されるでしょう?」スザンナはすっと両手を膝に置く。「点数は確かに人の才能を
「フーちゃんだと嫌味っぽくなって説明したくないだろうからアタシが言うけど」今度はキュー。「芸術至上主義なこんな世界だからこそ、人の価値は点数じゃないって考え方は大事でしょ? 瓦斯は作者に還元されど、点数がついているのは作品そのものであって、作者じゃないわ。そういう思想があって、それを子どもたちに説明できる集団がいてはじめて、芸術の追求と切磋琢磨は健全であれるのよ」
点数か。
結構真面目な話題だったので、僕もついつい考え込む。
この楽園はどうしようもないほどの天国で、そして残酷だ。自分の才能が具体的な数字で表れてしまうし、それを他人と比較することすらできてしまう。思春期ぐらいの歳だったら採点が怖くなってものが作れなくなっても不思議じゃない。
だからこそ、焦る必要はないだとか点数で人は決まらないだとかという道徳教育は僕らの世界にもまして重要なのだろう。センスが無ければ生きていけないわけじゃない。人生を豊かに生きる方法はたくさんある。そういう考え方は大切だ。
きっと僕だって、前世のどこかで挫折して、それを乗り越えて今、ここにいる。
「つまり、こういうことかな」話を締めるようにフーフーがピンっと人差し指を伸ばした。「必要以上に点数を意識して焦っちゃったら、咲くはずの花も枯れちゃうってこと」
「うん……ん? そういう話だっけ?」クスッと、キューが笑う。
「結局はそういうことでしょ」
「まあ、結論はそうね。嫌んなったら逃げ込める場所もあるって安心感が重要なのよね」キューはフンっと鼻から息を吐いて腕を組む。「アタシはまだまだ僧院のお世話にはならないわよー。アーティストになれたらこんなマッチョから一転、世界一可愛い女の子に生まれ変われるのよ? 誰が諦めるもんですか。いつかフーちゃんと二人で写真集出してやるんだから。ねえイサミ?」
ぐわっと、キューが顔を寄せてきた。目の下のハートのペイントが毒々しくきらめく。
「はい?」
「ちょっとキュー……」フーフーがキューの腕を控えめに引いた。
「この子ったら体アイドルに変えるかどうか本気で悩んでたのよ? 信じらんないでしょ。あたしがひと晩かけて説き伏せたんだからね」
「その話はいいって……」
「イサミが今こんな可愛い女の子と二人でデートできるのはあたしのおかげなんだからね? ちゃんと感謝なさいよホントに」
「キュー……」フーフーは困ったように僕を見て、照れ隠ししようとしたのだろう、すかしたウィンクに失敗した泣いてるみたいな表情で舌を出した。
頬が、淡く美しい桃色に染まっている。
キュー。
確かに間違いなく、彼は僕を含めた世界中のあらゆる男たちにとっての恩人だろう。
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