第16話 遠くの、コバコ

__聞かれなかったから、だそうです。

 ……コバコ長年の友人、ソーラ談



 正直かなりグラつきかけた意志を、心の金槌で叩き潰す。

 ……が、僕は、ジョーカーの手にあるその下品なオモチャを受け取ることにした。いや、決して使うとかじゃなくて、この人たちに負けたという意思表示で……。

「どうだ、バキュームだったろう」ジョーカーはニヤニヤとパレードみたいに笑っている。「イヴの作品の中では唯一、明確に大人の性を前提に造られているのがレベッカの体だ。彼女が俺の脇毛布教活動の一番の障害と言えるだろうな」

「でしょうね」僕は正直にそう答えた。

 色々と、驚異的だった。あの人で物足りないなんて言える男が存在するとは思えないくらいに何もかもが飛び抜けていた。あの肌の滑らかさったらない。アイドルのスペックを性に振り分けてしまわれては、男はもう抗いようがないと思う。

「俺だってレベッカは大好きさ。イヴの作品の中では二番目に誘惑的だよ」

「二番目?」

「一番はイヴ本人だ。あんなにキスしたくなる少年はいない」

 あぁ……うん。

 女と少年はイケるというタイプの男が、この世で最もスケベな人種だ。

「まあイヴは自分の作品以外には触れもしないがね。俺も体を変えれば味わえるのだろうが、それだけでは流石に釣り合わないな」ジョーカーは余裕の表情で笑っている。「レベッカとのセックスはとても刺激的だ。そしてさっきも言ったようにレベッカは大らかだから、結構な人数の男がそれを経験している。おかげで俺の啓蒙は一向に進まないというわけだ」

 ……。

「ただ、本当に嘆かわしいのはきっと、レベッカのあの性の魅力が、彼女自身の持つ優れた創作家としての才能を忘れさせてしまうことだろうな。君も今、レベッカをエロい人としか認識していないだろう?」

「そんなことは……」

「いやいや、否定する必要ないよ。そもそも生まれたての君はレベッカの作品を知らないわけだし、アーティストというのが如何いかなる存在か、キチンと理解できていないんじゃないかい?」

 それは、たしかにその通りだろう。

「例えば、あの人が見えるかな? この空間で最も背の低い、あの少女だ」

 彼が指差しているのは、素朴な茶色い髪をした、とても幼い印象のアイドルだった。明らかに小学校の低学年に近い年齢がモデルである。

「ソーラの隣で、ゴブリンと遊んでる人ですか?」

「おや、その二人は知っているのか。うん、その通り。あの人はコバコといって、ソーラと並ぶ古株なアーティストだ。日常の情景を切り取って詰め込んだような、小さな箱を作品としている」

「箱ってことは……」

「そう、この街の元ネタだ。といっても直接の関係はないがね。ただ単に、コバコのファンがインスピレーションを受けてこの街をデザインしたというだけだ。あの人が作る本物の箱は、こんな感じだ」

 そう言ってジョーカーはまた使い魔を出して、ダンボールっぽい素材の小さな箱を受け取った。

「これはコピー品だが、まあ見てみな。タイトルは”おひっこし”だ」

 彼に促されるままに、上から中を覗く。そこは荷造りが進んでいる子供部屋で、かつてタンスがあったであろう場所にぽっかりとスペースが空いているのが印象的だった。青い小さな幻の子どもが、空いたスペースを物珍しがってはしゃいでいる、そんな風景。

 なんだかとても心が和んだ。ベルゼブブ、イヴ、マカ、ジョーカーと、今までろくなアーティストの印象がなかったけれど、これは誰もが好きになれる、気分のいい作品だ。

「素敵だろう? こういう心温まる箱をたくさん作って、コバコはアーティストとなったわけだ」ジョーカーは箱をしまって、指を立てる。「が、しかし、この作品には謎があった。採点結果が不自然に高すぎたのさ。クオリティが高いのはもちろんわかるが、一つ一つが優れた短編小説以上に高いというのは、どうもおかしい」

「へえ」

「謎が解けたのは、コバコが活動を始めてから実に十年近く経ってからだよ。ファンの一人が気がついたんだ。この箱、全部繋がっているとね」

「繋がってる?」

「無論、箱が想像上の一つの街を舞台にしてるのはみんな知っていた。だが、それが同じ街の、ある数秒間の共有であるなどと、誰が想像する? よしんば登場人物のすべてにそれぞれの血縁があるなどと……そしてそんな全ての設定が、最初の一つの箱が採点された時点で、完全に完成されていたなどと」

 少し、ゾクッときた。

「それは……え、ウソでしょ?」

「ウソではない。点数の一定性が全てを物語っている。新しい設定がその都度足されているならば、点数の動きでそれがわかるからね……。コバコは本当に世捨て人に近い人で、放っておくと、採点も忘れてしまう根っからの芸術家アーティストだ。そんなだから、あの人は誰にも箱の真実を伝えていなかった。人に認めてもらうことに興味がないんだろう」

 ゴブリンと一緒にあやとりみたいな遊びをしている、幼いアイドルを眺める。確かに自分の体をあそこまで幼く変えられるのは、世捨て人くらいしかいないかもしれない。

「しかし、それにしても恐ろしいのは、これが発覚するまでに実に十年……箱の数が五百を超えるまでかかったということだね」ジョーカーは続ける。「それは巨大すぎるパノラマを断片的に見せられることに似ている。コバコの頭の中には一つの架空の街の全てが詰まっていたんだ。誰と誰が親戚で、この家で調理されている野菜はどこの農場のもので、この外壁の落書きはどの家のお父さんが幼い日に描いたものなのか……。切り取られた、ある街の最も素晴らしかった一瞬。幸せの中にいる住人たちでは知るよしもない、奇跡の時間。それがコバコの、数が三千に迫りつつありながら、未だにミッシングリンクまみれな”箱”という作品群だ」

 素直に、すさまじいなと思った。興味も湧いた。

「どうだ、あの幼い見た目からは想像もつかない驚異の才能だろう?」

 三千個も箱を作れる情報が、最初から頭の中にある……そんなこと、人間に可能なのか。可能なら、それはもう、脳みそが人間と違うのではないか。想像力とか、そういう範疇はんちゅうを超えている。

「が、実のところ、隣のソーラだって似たようなものなんだよ」

「ソーラも……」

「あの人ほど、控えめな人格に真っ向から反抗するギフトを持つ人間を俺は知らない。ソーラは本物の女神だ。園芸家が鉢に植えられた花を見て健康状態を知るようなノリで、彼女はなんヘクタールもの森を見る。畑を作るような気分で、街より大きな保護森林をこさえる。あの人の才能は本当に特殊だ。植物の声が明らかに聴こえているし、魔法を使わずとも、撫でるだけで葉っぱが元気を取り戻す精霊体質だ。ある意味ではコバコ以上に真似のしようがないアーティストと言える」

「はあ……」

 あの人、そんなすごい人だったのか……。

「さて、これで少しは想像をしてもらえたかな?」ジョーカーは壁にもたれて、二本目のタバコを取り出した。「アーティストと呼ばれている人間の才能、その水準というやつを」

 彼の言葉に、正直、あっ、と思った。

 というか、頭痛がドンドンひどくなってきた。

「俺の総合点はね、コバコにだって決して引けを取らない。キャリア差を差し引けば十分に挑めるラインだ。そしてレベッカは、俺よりも魔力が高い」

 …………。

「ではもう一度聞こうか、ミズノ。君はさっきまでレベッカを、この俺を、舐めていただろう?」

 否定する言葉も意思も、全く持ち合わせていなかった。

「……返す言葉もございません」

「ふむ、俺がどれだけエロいのかわかってもらえたようで何よりだ。レベッカとのセックスで足りないなんて唸ってるのは実際俺くらいのものだからなぁ」

「ははははは……」

 笑ってる僕らの視界の先、このホールの入口に、ひょいっと顔を出すアイドル。

 料理人、タオシェンだ。

 キョロキョロとホールを見回して、僕に気がついて、ニコニコと笑いながらこちらへ歩いてくる。

 僕は姿勢を正した。

「やあやあこんなところに……って、なんてものを持ってるんだ君は」

「……あ」

 忘れてた。

「そうだミズノ、いくら広まっているからって、公共の場で見せびらかすものでは流石にない。しまえしまえ」

「しまえって、どこに……」

 一瞬だけ、ジョーカーは怪訝けげんそうに僕を見た。

 そしてふいに、ハッとしたように手を叩く。

「ああ! そうか君、まだ使い魔を出していないのか! クローンはすぐには使い魔が出ないんだったな。俺としたことが、すっかり失念していた」

「うん、ワタシはそいうことも説明しに来たんだよ」タオシェンは相変わらず朗らかに笑っている。「ミズノ、君、頭痛は大丈夫?」

「あ、はい。ちょっと酔い過ぎちゃって……」

「そうじゃなくてさ」タオシェンは首を振る。「そろそろ脳みそ、吐きそうなんじゃないかって」

「……え?」

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