第13話 悶える、ゴブリン

__舐め回したい。

 ……ゴブリンについて、保護者様からのコメント



 なぜか吐き出しそうになった謝罪の言葉を、僕は無理やり飲み込んだ。

 イヴは目尻を吊り上げ明らかに苛立った表情で、両手を口に当て顔も真っ赤にプルプルと震えているあの子と、中途半端な形で指を浮かせたままの僕を見比べた。そして事態を把握したように「あぁ……」とかすかな声を漏らして、アイドルの彼女を背中から抱き寄せて、落ち着かせる。

「これはこれは、ゴブリンが失礼をした」

「い、いえ、別にそんな……」

 ゴブリン……? それは彼女の名前、なのか?

 謝罪しているとは到底思えない威圧的な態度で僕を見下ろしながら、イヴはどこからかハンカチのような白い布を取り出した。そのまま僕に渡すと思ったそれを、ゴブリンと呼ばれたあの子の口に突っ込む。

「へあ……っ!?」

 後ろから頭を抱いて、丁寧に、舌先や歯を拭っていく。

「ふ……ふぁ……あ……いあ……」

 と、あえぐ声が小さな喉からかすかに漏れ出してきた。

「子供のしたことだ、どうか許してくれ」きれいな女の子の口を指でかき回しながら、イヴはそう言った。

 光のない目を、僕に向けたまま。

 ……いや、違うな。これは多分、睨まれてすらいない。漠然と僕の方を見ているだけで、焦点はきっとどこにも合っちゃいない。

 まるで、汚いゴキブリでも叩く前みたいに。

「おーい、ゴブリンがとろけてんぞ?」笑いをこらえてるみたいな、パレードの声。

 そのゴブリンちゃんは、口の中をいじり倒されて、涙をにじませた瞳でボーッとしたように空を向いていた。

「あっ……ふぁ……ぇ……」

 なんか、やばい絵面だった。

 イヴは返事もせずにハンカチを口から取り出て、宙に投げ捨てる。

 ぱちりとカメラのフラッシュのように何かが光った。多分、ゴブリンちゃんの手だったと思う。同時にハンカチに火が点いて、白い布は跡形もなく消え去った。

「消毒とは恐れ入る」一人我関せずで食事をむざぼっていたベルゼブブが、こってりと渋い笑い声を響かせる。「可哀想なクローン少年の手はぬぐってやらないのかね?」

「黙れ糞虫。イデア式の口が人の指より汚いわけがないだろう」いきどおりを隠さない声調でイヴは吐き捨てる。「けがされたのはゴブリンだけだ。こいつの指はむしろ洗われたじゃないか」

 えぇ……。

「僕は同意も説明もなかったことを謝罪したに過ぎない」イヴは続ける。「それよりも拭われるべきはお前だベルゼブブ。なぜ便所の虫が食卓にいる?」

「悪いかね?」

「悪いとも、下品なハエめ。お前がこの場にいることは便所がテーブルに付属しているよりまだ悪い。全てが台無しだ。飯も腐る。死ねばいい」

「その料理を味わいもせずにこんな所で油を売っている君よりかは賓客ひんかくとしての礼儀を果たしているように思えるが、如何いかがかな? 美しき人よ」

 イヴは目を細めて、ベルゼブブを睨みつけた。

 見比べれば、火花がバチバチと鳴っていそうな、二人の狭間はざま

 強烈に不気味な便所の化物と、あやしいまでに美しい少年。

 なんだかすごいコントラストだ。

 そして僕のことはもう完全に忘れ去られているらしい。

「……僕は醜いよ。君と同じでね」イヴはそう吐き捨てて、おびえてるみたいに目を見開いままのあの子の手を引いた。「男とは醜さと同意義だ……行くよ、ゴブリン」

「あっ……」と、細い声。

 強く手を引かれて、ゴブリンと呼ばれた彼女はバランスを崩しながら引っ張られていく。一瞬だけ僕を振り返って頭を下げた気が気がしたけど、気のせいかも。

 パレードはその彼女に「あとでな、ゴブリン」と手を振っていた。

 …………。

 肩にポンと手がかかる。マカだった。なんだか優しい目をしていた。

「まぁ……気にすんなって。イヴはああいう人なんだよ」

「僕、なんか悪いことしました?」

「いや、イヴがバカなだけだ」と、パレード。「まあ、ちょっとだけイヴを擁護ようごしてやるならだ……体の全部が人工のアイドルは、口から何から全身清潔なのは本当だよ。舐められたところいでみな」

 言われるがまま、こっそりと香りを吸う。

 うわぁ……。

「な? 味もうまいぜ?」

 僕はそれを確かめることはせずにおしぼりで指を拭った。それをやっちゃうと自分がみじめになる気がしたからだ。

「リンちゃん、人の指舐めるクセ取れてないんだね」と、マカ。

「あのゴブリンって人は、アーティストじゃないんですか?」僕は聞いた。

「あの子はイヴの使い魔さ」パレードが答える。

「使い魔?」

「中身はちゃんと人間だけどね。てか、元クローン」

「え?」

 パレードはお酒をクッと飲み込んでから、首をかく。顔がほんのりとあかかった。「うーん……この説明、後でいい? 使い魔がよくわかってないお前に話しても理解できないと思う」

「確かに、彼女にまつわる事情は多少なりとも立て込んでいる」ベルゼブブが横から同意した。「ただ一つ言えるのは、彼女の内面は見た目通り……否、見た目以上に幼い少女そのものだ、ということだね。唯一本物のアイドル、という見方もある。それよりミズノ、君の前で悲しく冷めつつある烤乳猪カオルウジュウに構ってやった方が良いのではないか? 幼女の口淫の余韻が刺激的なのは理解するが」

「こういん? あぁ……」僕はそこで反応を切り上げて、子豚の丸焼き(当然切り分けられた部分)に取り掛かった。

 その後しばらくは、平和に食を楽しむ時間が続いた。

 ホント、すごい美味しい。特にこの炒め野菜の中に入っていたコリッコリの肉は病みつきになりそうだ。なんの肉だろう、これ。

「な、変態だったろ、イヴ」食べながらパレードが話す。「あんなでもホントに世界一のアーティストなんだぜ?」

「ただ者じゃないのはよくわかりました」

「美の追求にいて誰もイヴに敵う者など存在しない」ベルゼブブがまた口を挟んできた。「イヴは私の知る全人類の中で最も才能のある人間だ。才能とは、即ち妄執。自分の中にしか存在しなかった美しさの理想イデアを肉体ごと一から創ろうなどと発想した紙一重の狂人、それがイヴだ。物心が付いた時分からノート一冊につき一人の少女を描き込み続けていた妄執の塊を誰か越えられる?」

「そうそう、一ページごとにサイズ、アングル、服装別で書き分けたり、手足から爪からヘソから性器までの詳細な設定画作ってたりな」

「うわー……」

「ガキのやることじゃねえよな。でも、そのノート一冊の点数がこれまた凄まじいんだぜ? 全部ペン画なのに、デッサン狂いどころか、全ての絵でサイズ比がズレてないの」

「それ、ヤバくないですか?」

「ああ、世界一だ。楽園の神様だよ」

「でも……あれですよね?」僕は箸を置いて、お酒をすする。

「ん?」

「パレードも、イヴと同じくらいスゴい人なんですよね?」

 一瞬だけ、パレードは目を丸くした。だがすぐに鼻から息を漏らして肩をすくめる。

「いやぁ、年が近いってだけさ。ベルゼブブと同じでな」

 そんな話をしながら僕は食事を楽しみ、お酒を飲み、最終的にはかなり酔っ払ってしまった。後から考えたら、ちょっと恥ずかしくなるくらいにマカに絡んでしまった気がする。ちなみに今日のメインであったタオシェンの新作というのはあのお酒と、デザートの杏仁豆腐だった。杏仁豆腐がこの世界に今まで存在しなかったことがびっくりだが、杏子あんずが無かったというのだから仕方がない。それに、僕の知っている杏仁豆腐を超越した美味しさだったし。

 ともかく、食事が終わり、すっかり気分良く酔っ払ってしまった僕の耳に、タオシェンの館内放送がまた響いてきた。


『はいはい、本日はどうもどうも……で、この後こちらの方で、そのままアレの発表会があるそうなので……まぁ、見ない人は第三ホールの方へ移動してくださいな……お茶とお酒を用意して待っていますから……』


 見ない人? おかしな話だと思った。別にここに用意してくれればいいのに……。

 ガタガタと、椅子が鳴る音。

 振り返ると、席についていたほとんどのアーティストが、開け放たれたドアから退出していく。

 照明が徐々に落とされ、いつしか舞台の上にだけ、明かりがスポットされていく。酔いというのは厄介なもので、ちゃんと気を張っていないと、時間がドンドン早く過ぎ去ってしまう。気がつけば、この場に残っている人は僕以外ではざっと五人だけだった。ベルゼブブとパレード、イヴ、他にはアーティストが二人。隣のテーブルにいた派手なドレスのあの人と、もう一人だけ。知らない間にマカもいなくなっていた。

「おいミズノ、ホントにいいのか?」パレードが、僕の顔を覗き込む。その口ぶりから、自分が大事な話を聴き逃していたことを察した。

「はい?」

「まあいいや……いいか、逃げたくなったら、すぐに向こうから出ろ。ドアは開いてるからさ。第三ホールは見りゃわかるよ」

「ええと……」

「タイトル、”カルマの椅子”。製作者、マカブル。追加ギミック披露会」よく通る太い、ベルゼブブの声。「さあ、始めてくれ。私はこれを見に来たんだ」

 舞台の上に、きれいな脚の女の人が立っている。

 あれは……マカ? 

 マカブル?

 マカは気まずそうにため息をついて、片手を上げた。

 背後に、おどろおどろしい何かが浮かび上がる。

 包帯でぐるぐる巻きになったゾンビみたいなやつが、逆さになったもの。

 そいつが呻くように手をかざした先に、溶け出すみたいに一つの椅子が現れた。黒い金属でガチガチに補強された、シンプルな木製の椅子……背後には赤茶けたゴチャゴチャの機械の塊が亀のように無愛想に備え付けられ、虫を思わせるレーザーメスのようなたくさんの機械の腕やおびただしい量の点滴、用途のわからないタンク、歯車などが複雑に絡み合っている。

 僕は不覚にも、手術台にも工業機械のエンジンにも見えるそれを、カッコいいと思ってしまった。

 スチームパンクから飛び出したような、どことなく退廃的なシルエット。

 これが、マカの椅子か。

 その椅子には、何処どこからか現れた女の子のマネキンが座らされていた。手足や首をベルトで拘束されている、生々しい、のっぺらぼうの人形。

「それじゃあ……新しいところまでショートカットしますね……」

 マカが頭をかきながら呟くと同時に、椅子の後ろのカマキリのような機械の腕たちが、一斉にうごめき出した。

 先端に、鈍い光が反射する。

 誰がどう見ても、刃物の輝き。

 死体そのものな女の子に振り落とされ。

 ノイズのような悲鳴。

 一瞬にして、花開くように剥き身となった、残虐の情景。

 バーナーが火を吹くような音。

 砕ける骨。

 歯ぎしり。

 噛み合い。

 おぞましく。

 赤。

 認識できたのは、そこまで。

 僕は一目散に、出口に向かって駆け出していた。

「……おいおい、ちゃんと説明しなかったのか?」誰かの笑い声。

「したさ。あいつが聞いてなかったんだよ」

「え、ミズノいたの?」最後に聞こえたのは、マカの声。「ちょっとパレードぉ……また俺嫌われるじゃん……」

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