第12話 傲れる、イヴ

__神は随分と不細工だったんだな。

 ……イヴ、創世記1章26節に一言



 振り返った僕の視線の先にいたのは、月の王子だった。

 鷹のように鋭い目だった。

 雪のように白い肌だった。

 同じくらい、白い髪だった。

 とても美しかった。

 そして、怖かった。

 背後に付き人のようにキレイな女の子アイドルを伴ってたたずむ彼の顔を認めたとき、僕は酔いも忘れて、思わず腰を浮かしかけてしまった。ホラー作品にありがちな恐ろしい少女というシンボルは間違いであると、そんな風に思わせるくらい、恐ろしい何かを漂わせた美少年だった。

 あぁ、そうか……。

 この人が、イヴか。

 世界一のアーティストにして、パレードたちの体の生みの親。

 尊敬や畏怖より前に、思わず漏れらしかけた引きつった笑いを、なんとか飲み込む。

 この人……自分の体だけは男にしやがったのか……。

 そう、男。

 容易に少女と見違えうるシルエットなのに、明らかに少年とわかる。男とわかる。そんな、よくわからない色気がある。

 美しすぎる少女人形アイドルの造り主の体は、おおよそ少年と言える存在が持つ美の、一つの完成形だった。

 ちょっと感動した。

 パレードやマカのように、触れたくなるほど美しい、というわけではない。ソーラのような触れ難くも柔和な麗しささえ毛ほどもない。

 とにかく、他人を全て突き離し、見下すような冷たい圧力。

 ポケットに手を突っ込んだ不良っぽい姿勢で突っ立っているのに、ラインアートのように無駄なく、単純に、澄み切っている。見ているとなんだか不安になるのに、目が離せない。

 彼は学ランか、それこそ中華服っぽい黒のコートをフォーマルに着こなしていた。下は白いズボンで、全体的にとても細長い印象だ。意外と背も高い。マカよりやや低いくらいか。髪は闇夜のように銀色に輝いていて、癖はなく、短くしっとりと纏められている。

「遅刻か……あぁ、そうだな。全く僕も礼節を欠いた人間だった。すまない、タオシェン」彼は芝居がかった身振りで、タオシェンに頭を下げた。

「いやいやいや、大丈夫、楽園料理の熱源は冷め知らず、ってね。それじゃあ、ワタシはこの辺で」

 タオシェンが軽く手を振って隣のテーブルに行くのを見届けてから、少年イヴは、またパレードをキッと睨んだ。

 うーん……。

 やっぱり、生半可じゃない顔してるなぁ。女の子じゃない分、こっちも変な欲が出ないからか、異常なクオリティだけがまざまざと伝わってくる。

 少年というものは、こんなにも美しくあれるものだったか。

 まさに、月の王子。

 だけど太陽の姫パレードは、全くもって余裕の表情を保ったまま、淡々と肉饅頭を口に放り込んで、もぐもぐと口を動かし続けている。「なんだお前、私に行儀よくして欲しかったのか?」

 少しだけ、イヴは眉を吊り上げた。

 パレードはうろたえない。

「姿勢を正してソーラみたいに一口一口小さく食べて、美味しゅうございますと微笑めって? 私に?」

 二人の視線が、ぶつかった。

 変な空気のせめぎあい。

 クチャクチャと、ベルゼブブの咀嚼そしゃく音だけが場違いに響く。

 最初、怒鳴りだすかと思ったイヴの口元が、目に見えないくらいにゆっくりと緩んでいく。

 周りの雰囲気ごと巻き込んで、弛緩しかんして。

 彼の小さな顎に、真っ白な手が添えられた。

 柔らかく、傲慢な微笑みがおもてに浮かぶ。

「うん、そうだね……僕が間違えていたようだ」

 パレードは鼻から息を漏らしてから、酒をクイッと飲み込み、ニヤッと笑う。

 その首筋に、イヴの手がかかった。

「パレード……君は、君の体は、それでこそだ。愛しているよ」

 パレードは目を閉じて。

 頬に手が這う。

 顔と顔が、ゆっくりと近づく。

 イヴはパレードの体を抱き寄せた。

 額が触れ合い。

 唇が、重なる。

 瞬間、イヴの目が少しだけ見開いたが、すぐに穏やかな光を宿して。

 膝をつく。

 パレードが上に回り。

 イヴの喉が跳ねる。

 多分……さっきのお酒を、口移している。

 姫と従者のように。

 しっとりと、赤と桃色の唇が離れる。舌と舌の糸引く絡みが、少しだけ目に入った。

 また、口づけ。

 今度は、イヴが上に。

 王子と幼き花嫁のように。

 うなじに指を這わせ、背中に手を回し、きつく抱き合って、絡まるように、キスをする、そんな少年と少女のシルエット。

 首筋の毛が逆立つくらいに背徳的だった。

 ぎょっとしたまま、マカと顔を見合わせる。

 マカは細くきれいな眉を力いっぱいに八の字にして、寄り目のまま盛大に口を歪めた。

 多分僕も、似たような表情をしていたと思う。

 つまりは、絶句というやつだ。

 なるほど……。

 これがイヴか。

 僕は、ビビってるんだが呆れてるんだかわからない中途半端な気分で、持て余した時間を埋めるみたいに、イヴの後ろに控えている天使のような女の子に目を向けていた。アイドルなのは間違いようがない顔だ。したがって、アーティストであることもまた確定なのだが……。

 そうやって自分に念を押したくなるくらいに、顔つきの幼い人形アイドルだった。とにかくあどけないというか、色々とすきがある。Yシャツの下に、花があしらわれた黒いミニスカートをあわせたみたいな可愛いコーディネート、自信のなさそうな内股に、体の前で不器用に合わせられた手、不安げな視線……全部引っくるめて、かなり童顔の中学一年生、そんな印象。

 当然、反則的に愛らしい。これが実は男か女かもわからないっていうんだから、この世界って油断できない。この人、イヴから離れる気がないみたいだけど……イヴの心酔者か、アシスタント的な人なのかな。それとも、もしかしたら、奥さん? 娘?

 いや、息子?

 それとも、愛人?

 あぁ、ややこしいな、人形っていうのは。

「って、いつまでがっついてんだよ!」パレードの半笑いが聞こえてくる。「さっさとテーブル行けよ、飯が冷めるだろ?」

「あぁ……すまない」なんて言いながら、イヴは妙に恐ろしくも和やかな笑みを口に浮かべ、今度はマカの肩に手をかけた。

「おわっ!? や、やめてくださいよちょっとぉ!」

「マカ……」耳に息がかかるほど、顔を寄せる。

「ちょ、ちがっ、まだ俺は受け入れてない!! これは罰ゲーム!!」

「とてもキレイだよ……本当に……」

「いやーーっ!!?」

 僕は身を引いた。イヴが僕の椅子を、邪魔だと言わんばかりに軽く蹴ったからだ。度々聞いてきた変態という評価は思いのほか直接的な意味合いだったらしい。

 椅子を引き、二人から少しだけ遠のいた僕の手に、温かかな指先が触れる。

 ちょっとだけ驚いて、振り返った。

 イヴの後ろに控えていたあのアイドルが、僕の指先を握っていた。

 改めてその顔を見つめる。

 不安げに揺れる大きな瞳、広めのおでこ、薄い灰色の髪。

 形の良い唇と、初雪よりも求心力の高い頬。自然な赤み。

 明らかに、趣味の完成形。

 この子……じゃなくてこの人は、僕の手を触っているのに、なぜか僕の方を見ていない。ただ、爪のあたりを撫でるだけ。僕もどうしていいかわからず、ただ見てるだけ。

 僕に、なんの用だろう。

 ゆっくりと、彼女(とりあえずこう呼ぼう)は僕の手を持ち上げていく。

 人差し指が、小さく、柔らかな口元に運ばれて。

 ドキッとした。

 小さな歯が、奥ゆかしく光っている。

 かすかな吐息を、指先に感じて。

 唇が触れた。

 指を、くわえられた。

 甘く、優しく。

 う、うああああああ……っ。

 が、ほんのりと舌先が、僕の肌に触れた途端。

 ピクリと彼女の全身が震えて、キュッと大きな黒い瞳が、僕を見つめた。

 心を吸い込む目。

 天使みたいに、鏡のように、光を映して。

 一瞬、変な間。

 ポカンと。

 可憐な悲鳴が、天使の口から飛び出した。

 同時に彼女は僕から柔らかな手を離して、二三歩後ずさる。

 ガタリと、鈍い音。

 瞳孔の開いたイヴの目が、僕を睨んでいた。

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