第11話 傑れる、タオシェン

__中華の懐に謝謝しぇいしぇい。ワタシは世界一ラッキーだった。

 ……タオシェン、自著より



 アーティストという特権階級の晩餐、豪華なホール、演奏を続ける楽団、きらびやかなドレス……漂うセレブリティな雰囲気から、僕は無意識にフレンチのように優雅なコース料理が出ることを想像していたのだろう。だから、給仕の人や使い魔らしきキャラクターたちが運んできた料理の量、そして種類を見たとき、間違いを察した僕は思わず笑ってしまった。

 餃子、天津飯、ホイコーロー、小籠包しょうろんぽうや何かの饅頭、色とりどりの炒め野菜、点心色々……そんな料理たちが空気が歪むような湯気を立てて、回る台ごと運ばれてきた。

「うわー、中華だぁ……」我知らず、僕は呟いた。

「そゆこと」と、パレード。「タオシェンはクローン出身の料理人なのさ。三十年くらい前にこっちに生まれて、中華料理でアーティストになったってわけ」

 喋りながらパレードは、小皿に餃子と肉饅頭を取り分けて、そのまま迷うことなくがっつき始めた。

 マカも当然のように天津飯に手を伸ばす。ベルゼブブは腕をクレーンのようにしならせて、僕には名前のわからない肉の塊みたいなものを掴んで口に運んでいた。北京ダックではないように見えるけど……。

「いただきますとか、ないんですね」僕は呟いた。

「いいから食え食え」口にものを入れたまま、パレードは笑っている。「こんなチャンス滅多に無いぞ?」

 周りのテーブルでも、カタカタと食器を鳴らす音。楽園は作法とかには疎いらしい。安心と同時に、なんだか拍子抜け。マナーはアートじゃないってことなのか。

 肩をすくめた僕は、頭の中で「いただきます」と唱えつつ、とりあえず一番近くに置かれていた皿からあんかけ焼きそばみたいなものを取り分け、空腹に任せ箸でつまみ上げた。

 が、口に運ぶ前に、ニチニチと嫌な音。

 左を見れば、化物が尖った歯で、肉の塊を丹念にすり潰している。

 長い舌が伸びて、顔の周りを舐める様が昆虫のように生々しかった。

 うわ……。

 なんだかゲンナリした。せっかく美味しそうな料理が並んでいるし、右手には花なんてものじゃないのに。なんとか席を移れな……。

「あ、うまっ……」

 びっくりして、二口目。

 香ばしさの極みのような風味が、舌の上で焼け踊る。

「え、なんすかこれ? 死ぬほどうまいんすけど」

「当たり前だろ。タオシェンは世界一の料理人だぞ」驚く僕を、パレードは鼻で笑った。「ここより美味い飯食えるとこなんかねえんだから」

「え、世界一!?」思わず大きい声が出てしまった。「そういうことは先に言ってくださいよ、全然覚悟してなかった……」

「覚悟したかったの?」

「そりゃあ世界一なんて言われたら……うわ、全然心の準備できてなかった。あ、そうですか世界一ですか」

「タオシェンはそっちの世界でもかなり腕のいい料理人だったらしい」小動物のように餃子を頬張りながら、パレードは解説してくれる。「天才肌だったんだろうね。こっちの世界の魔法を使った調理にも簡単に順応できちゃったわけ。で、故郷の味を再現するついでにこっちの世界に色々と技術開発するわ飲茶やむちゃやら点心やらと片っ端から食にまつわる文化を流入しまくるわで魔力荒稼ぎよ。しかもいちいち美味いもんだからみんなマネする。今やタオシェンの影響を受けてない食事どころはほとんど無いって話だ」

「あれは静かながらも大規模な文化革命だった」ベルゼブブが横から口を挟んできた。相変わらずエグいほどに良い声だ。「君たちの世界……中華の食文化というやつは生半可ではないよ。我々の世界は魔法の力に胡座あぐらをかく余りに、繊細な食の追求をおこたっていたのだろう」

「うちの世界は素材がいいし、品種改良も盛んだからなあ」今度はパレード。片膝の上に肘を置いた姿勢ではしを操っていて、行儀が悪いったらない。「点数稼ぎも珍味作りが基本だったしね。調理技術ってのはあれだな、やっぱ素材がマズくて食えるものが限られてる方が育つんだな。で、タオシェンがまた知識量の半端ない奴で、調理法だけじゃなくて素材方面にまで詳しいってんだからたまらない。クローン史上最高傑作の呼び名は伊達じゃないよ」

「お褒めに与り、感謝感謝」女の子の声。

 名前も材料もよくわからないけど、美味いことだけは確かな野菜料理を慌てて飲み込んで、振り返った。

「新しいクローンの人だね」のほほんと笑いながら、その人はペコリと頭を下げてきた。「中国から来ました、タオシェンです。どうぞよろしく」

 まずわかるのは、この人も当然のようにイデア式アイドルだということ。

 でも、うわぁ……。

 チャイナだ。

「あ、どうも、日本から来ました、ミズノと申します」僕はペコペコ頭を下げた。

 タオシェンの顔は、他のアイドルたちと同じ引くほどの美しさを保ちながら、方向性が明確にアジアだった。髪も、いかにも中国らしいシニョン・スタイル。桃色だけど。イメージ的にはパレードと同じか、やや年上の印象の人形からだだった。笑ってなくてもいつも笑って見えるような、自然におっとりとした笑顔が印象的。服装はチャイナ系……と言っても、スリットの入ったクラブ系のチャイナドレスではなくて、袖に余裕がある上着にロングスカートを合わせた、ちゃんとした韓服だった。色は淡いオレンジと赤で、シンプルに染められている。

 うーん。

 やっぱり僕自身がアジア系の人間だからだろうか。今まで会ったアイドルたちの中でも、一番ストレートに可愛いと思えた。そしてその分だけ、中にスゴい人が入っているという印象を持つのも難しかった。だって、なんか、普通に可愛い女の子にしか見えないんだもの。

 この人はアーティスト世界一の料理人、少なくとも三十歳近くは年上……。

 へりくだる準備を整えて、顔を見据えた。

 タオシェンはお酒らしきビンを抱えて、ニッコリと笑っている。

「うん、ようこそようこそ。本当ならクローンの先輩として、クローン組合のこととか、色々と話しておくべきこととかあるんだけど、今はちょっとごめんね。他のテーブルも回らなくちゃいけないんだ」

「組合、ちゃんとあるんですね」

「こいつが理事長」と、パレード。

「へえ」

「まあ、また後で時間があるから、そのときに」

「はい、お願いします。それと、あの、本当に美味しいです」

「それはよかった! ついでにお酒は飲めるかな?」そう言ってタオシェンはビンを掲げてみせた。「強いけど、高級品だよ? どれくらいかって、今この世界にこれ一本しかないくらい」

 飲めるかどうかには若干自信がなかったが、せっかくだし、取りあえず頷いた。

「へえ、そんなの飲めるんですか」マカが嬉しそうに微笑んだ。

「ドレス着てきた甲斐かいがあったな?」パレードがひやかす。

「……もうなんでもいいっすよ」

 タオシェンが、一人ひとりに渡された小さい湯呑ゆのみみたいなものにお酒を注いでいく。色は透明で、クラクラするくらいにいい匂いがした。

 ベルゼブブの前で、タオシェンは一瞬固まる。「あんたもやっぱり飲むの?」

「無論だとも。黄酒ホアンチュウの方が好みだがね」

「あんたそれは……」タオシェンはそこまで言いかけてから口をつぐんだ。僕は深く考えないことにした。

 軽く乾杯のように器を持ち上げてから、がれたお酒を僕は飲んだ。

 鼻から火が噴き出したかと思った。

「相変わらずよくわからん味だな」と、パレード。

「香りがいいでしょ? これ造るの大変なんだから、ちゃんと味わって」タオシェンの声。

「実に芳醇だ。良い水を使っている」ベルゼブブが、深く息を吐いた。

茅台マオタイ酒を真似ようと頑張ったんだけど、まあ、わからないよね」

「うわ強いなぁ」今度は、マカ。「この体アイドルじゃなかったら飲めなかったかも。ミズノ大丈夫か?」

「ダメかも」僕はよろめくようにマカに寄りかかった。

「おいコラやめろっ、魂胆は見えてんだよ! 何回同じことやられてると思ってんだ!」

「クラクラする……」いい匂いがする。

「一口でそんなに酔うわけねえだろ! って、ぐあーっ!? ちょ、あ、耳はしゃれに……ひっ、や、やめてぇ!!」

 予定より五秒くらい遅れて、僕はマカから体を離した。酔っているのは本当だ。

「なんか、景色が回ってる……」半分無意識に僕はつぶやきながら、二口目をこっそりとすする。

「お前とは絶対に飲みに行かんからな!」まだ若干もたれかかったままの僕を押しのけながら、マカが叫ぶ。「というかなんで二口目飲んでるの?」

「せっかくだし……」

「はは、細かい話は明日にした方がいいかな」と、タオシェン。「おやおや、これはこれは、遅かったね、イヴ」

 イヴ?

 ええと、確かその名前は……。

「パレード……椅子から脚を下ろせ、みっともない」

 深く、低く、しかし大人の男のものではない、独特で耳をくすぐるような声音が、背筋を木枯らしのようにゾクリと撫でた。

 意味もなく、慌てて姿勢を正す。

「これだけの料理を前にして、どうして君はそんなに行儀が悪いんだ」

 また、同じ声。

 名前を呼ばれたパレードは、子どものように首を後ろにそらして、にやりと笑った。

「遅刻するやつに言われたかないよ、イヴ」

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