第9話 罪深き、マカ

__人生って、ままならないよ。

 ……マカ、心の叫び



 街を抜けて案内されたのは、この街の中で多分、一番でかいであろう箱の御殿だった。リボンのついた巨大なプレゼントボックスの積み重ねで、ちょっとしたお城くらいのサイズがありそうだ。開放された入り口から入城した僕らは、赤い絨毯の上を道なりに歩いて行く。箱の中身は内部では繋がっていたようで、一番広い一階はもう何角形なのかよくわからない。中は花壇や図書らしきもの、小さな噴水にソファ・ベンチ、自動販売機的なものまで設置されていて、ある種のサロンのようなおもむきだった。

 まっすぐレッドカーペットを進み、警備員的な人二人(私服だったけど、バッチでわかった)をパレードが顔パスして、僕らはエレベーターに乗り込んだ。そう、エレベーター。まあ、これくらいは予想していた。昇降機は生活の質が上がればどんな世界でも必要になるだろう。

 で、僕らがエレベーターを出たら、変な二人組が待ち構えていた。一人は口元にハートがペイントされたサングラスの女で、髪が短い。もう一人は顎の大きな丸坊主の男。フェイスペイントはマスクみたいな蝶々と、妙に個性的。二人揃って半袖にスウェットみたいなズボンと、なんだかアッサリとした格好だ。

「おわー、パレードと新クローンだ! あたりぃ!」と、女のほうが声を上げて近寄ってきた。「どうもどうも、ジャジャ馬誌ってちんけなもの書いてるトバッキーと申すものです!」

「ジョナサンです」

此度こたびの晩餐会、なんやかんやでアーティストのみの食事会になっちゃいましたね!」トバッキーがパレードの横に押しかける。「うらやましいなぁ。きっと美味しいんでしょうね!」

「アーティスト特権はいつものことでしょ」パレードは足を止めないまま適当に答えて僕を振り返った。「今回の試食会はね、タオシェンって料理人の新作料理が食えるって話なんだよ」

 話しかけられてるのが僕であることを確認してから、頷く。「……なるほど」

「こういうときアーティストってのは得なもんで、先行で枠作っておいてもらえるのさ。新生児のミズノは私が無理やりその枠にねじ込んだってわけ」

「へえ、それじゃあ……」

「そうですよこのラッキーボーイめ!」トバッキーと名乗った彼女がグリグリと小突いていくる。「死、ぬ、ほ、ど! うらやましいわ! 今日集まっていらっしゃる皆さんが誰なのか知らないのはもったいないですよ!」

 彼女はおかしくなったテンションで天井を見上げて、恍惚と名前を叫ぶ。

「神を超えた手、ゴッド・オブ・アーティスト、イヴ!

 箱猫コバコ!

 森の顕現ソーラ!

 大監督デカダンス!

 世界の恋人レベッカ!

 幻画家フー・フー!

 破壊神カカリン!

 他にも猛毒ココルに、シャレにならない最悪の……」

「トッバキー」岩みたいなジョナサンが、咳払いしつつ彼女につぶやく。

「あ、そうだ、そんなことよりですよパレード! この試食会、明らかにそれだけじゃないでしょ? 噂では何か別の作品の披露も……」

 と、彼女が言葉をまくし立てようとした折に、どこかのスピーカー越しに気の抜けた女の子の声が響いてくる。

『館内放送、館内放送、仕事をサボってるトバッキー及びジョナサン、戻ってこないと給与抜きにして追い出しますよー。繰り返す、トバッキーとジョナサーン……』

「げっ」ジョナサンが唸る。

「ほらほら、タオシェンが怒ってるぞ」パレードはニヤニヤしながら、二人に手を振る。「抜け駆けしないでお仕事してな。どうせ明日には発表があるって」

「ぐぅ……ああ、もう!」と、歯がゆそうにジタバタしながらも、二人は駆け足で去っていった。

「トバッキーが余計な話するからぁ」

「あんたほとんど喋ってないじゃない!」

 なんて喧嘩する声が、反響しながら遠ざかっていく。

「パレード、あの二人は?」

「雑誌屋。大した点数にもならんファン雑誌をせくせく書いてるよくわからない人種だよ」と、パレード。「この世界は作品と呼べるものの総量が半端ないからね。センスの合う人が書いてる雑誌かカタログってのはメチャクチャ重宝するんだ。この世界をカタログ・カルチャーと称したクローンもいるくらいだ」

 なるほど、と頷く。紹介されたアーティストたちのことは少し気になる。あの人たち、パレードのことはどう表現するんだろうか。

 彼らを追い払って少しもしないうちに、僕らは大きな扉の前にたどり着いた。パレードが戸を押し開けて、僕がそれを支え、中に入る。

 想像より、少し狭い空間。

 想像より、ずっと高い天井。

 ずっと豪華なシャンデリア。

 ずっと巨大な龍の天井画。

 浮かんでいる泡の照明。

 黄色と赤の、きらめく会食会場。 

 うわぁ。

 すっげー。

 今更自分が場違いなところにいることに気がついて、キュッと背筋が引き締まる思いだった。

 会場には、半円形の小さな舞台を等距離で見られる四つのテーブルがあって、それぞれに席が四つ、計十六人分の座席が用意されている。すでに人が埋まっているのは七席ほど。右から二番目のテーブルから、小さな女の子(アイドルだけど)と隣同士で喋っていたソーラが手を振ってきたので、僕はペコペコと頭を下げた。

 どこからかジャズみたいな軽い音楽が流れている。

 僕はパレードに導かれるまま、少し下を向いて左端のテーブルにオズオズと向かっていったのだが、途中でパレードが立ち止まったのに合わせて前を見た。

「お? おぉ!?」とパレードが、人を小馬鹿にするような、わざとらしく上ずった声を上げる。「マカお前……」

「……なんすか」弱々しい声が答えた。「着てこいって言ったのはパレードでしょ?」

 その人がアーティストなのはもちろん、顔でわかった。パレードやソーラのように完璧な目鼻立ちだったから。でもその人は、周囲にいる、男子が妄想する女子中学校みたいな有様のイデア式アイドルたちより頭一つ以上頭身が高かった。160センチ周辺か、もしかしたら超えているかもしれない。髪は金色で、やや癖とボリュームのあるショートヘア。全体的にボーイッシュな印象だけど、頬のラインや唇、まつげが、明確に美女として華を彩っている、そんな感じ。どちらかと言えば素朴で優しそうな顔だ。

「……これで満足っすか?」その人は黄色くて短いパーティ・ドレスの裾を押さえ、股を閉じ、気まずそうに、恥ずかしそうに目を泳がせている。

 パレードは声も上げられないといった有様で、お腹を抱えてヒィヒィ笑っている。

「すごい可愛いよね。こういうのもありじゃない?」と、横のテーブルに座っているボブヘアのアイドルが、ニヤニヤと煽りをいれる。

「絶対無い! もう二度と着ないからなちくしょー……」多分マカって名前であろうアーティストは、顔を真っ赤にしながらブツブツと文句を言っている。「おかしいってこれ……変態だろこんなの……」

 パレードが痙攣けいれんするように笑ったまま全然しゃべらないので、僕らは黙って左端のテーブルへ。パレードは一番近くの席に座る。マカがその隣に足早に腰掛けたので、僕は流れでその隣へ。

 パレードは、まだ笑ってる。

 僕は、テーブルに肘をつけた。

 足を組んで、また組み替えた。

 顔をおさえた。

 目の前のグラスから、水を一口飲んだ。

 カゴの中からさくらんぼみたいな果物を取り出して、食べた。

 甘酸っぱかった。

 飲み込んだ。

 水を二口目。

 バレないように深呼吸をした。

 やばいな……。

 どストライクだ。

 まいったなぁ……というか、これはちょっと話が違うんじゃないか? イヴは子どもの人形しか作らないって聞いてたのに。少なくとも、他のアイドル人形はみんな幼い。下は小学生以下、上でも高校生には見えない。

 だけどこの、今も顔を真っ赤にして奥歯を噛んでいるマカって人は……もしかしたら高校生くらいの歳がモデルなのかもしれないけど、中に入ってる魂のせいか、少なくとも大学生くらいには見える。

 つまり、大人だ。

 イデア式は完璧な人形。

 それをこの年頃をモデルに作られたらそりゃアウトだって……。

 ん?

 いや、セーフか。そうだ、セーフなのか。

 まずい、なんだかいきなり取り乱してきた。落ち着け、こんなことじゃいけない。焦るな。惚れるな。

 だってきっと、この人……。

「あー、いやいや悪い、笑いすぎたわ」涙を拭きながら、パレードはようやく顔を上げた。「いいねえマカ、いい感じにアイドルとして仕上がってきてるよ」

「俺は男を捨てる気はないんすよ!!」

 グサリと、心臓に何かが突き刺さった、気がした。表情は変わらないように努めながら、細く、深く、息を吐く。

 男かぁ……。

 ですよねー。

 あれ? これって、失恋?

「ドレス、初めて着たんですか?」捨てられない未練を自覚しつつ、隣のに話しかける。

「タメ語でいいよ、多分、歳変わんないくらいだから」マカは首をかきながら笑う。誰の耳にもさわらない、素敵な声だった。

「僕ゼロ歳ですよ?」

「そういうのクローンは関係ないでしょ?」気さくに笑って、組んでいた足を解いた。「この服は罰ゲームだよ、麻雀でタコにされた……」

「麻雀あるんだ」僕は驚いた。

「クローンの作品の一つだからね」と、パレード。「マカ、お前ってやっぱセクシーだわ。下手に子どもの体は勘弁なんてごねるから……」

「でも子どもは無いですって。だいたい、女ってだけでもクラクラもんなのに」

「生えてないってのは面白いよな。最初はちょー興奮したよ」

「死ぬほど落ち着かないです」

「胸、小さめでよかったな」

「これでも大きいっすよ」

「じゃあ、なんで体変えたの?」僕は半分の作り笑いを浮かべつつ、タメ語で聞いた。

「変えたくなかったんだけど、体壊しちゃってさぁ」マカはトホホを絵に描いたような表情でため息をつく。「治すより体変えるほうが手っ取り早かったんだよ」首にかけていたロケットペンダントを開いて写真を見せる。「これが懐かしき元の俺。戻れるものなら戻りてぇよ」

 写真に写っていたのは、メガネを掛けた、金髪の優しそうな男だった。ものすごくというわけではないが、普通にイケメンである。この写真では、確かに同い年くらいか、マカの方がやや上の感じだ。

「まあ、似てるっちゃ似てるのかな?」そう言って写真を顔の横に掲げて照れた笑顔を浮かべるマカに、また心臓を揺さぶられた。

 アイドルの笑顔って、つまりは笑顔の理想形。

 この年齢でそれをやられちゃうと、当然、男と女な気持ちになるわけで……。

 あぁ。

 なんか、すごいむなしい。

「あれ、そういえば名前は?」マカが写真をしまって僕に聞いてきた。

「ミズノ」

「ミズノね。いやミズノもね、一回このスカートってやつ履いてみたらいいよ。正気じゃないから。絶対おかしい。こんなの履くの変態しかいないって」

 少しだけ視線を下ろせば、白くなまめかしい脚が、照明に照らされ肌色に光っている。

 ……男か。

「スースーするってやつ?」

「ていうかもう、丸出しな気がしてならない」マカは口を尖らせて苦笑い。「基本見せちゃいけないものが下からスカスカって、構造的に何かが間違ってると思うんだよなぁ」

 魅惑的な首筋のラインに、美しい指先が添えられる。

 男……だろうさ。

「でも、めちゃくちゃ可愛いよ?」正直に僕は言った。

「そりゃ俺もそう思ったもん」マカは鼻で笑う。「だけど、可愛い対象ってのは惚れるものであって、なるもんじゃないって」そう言って手をうちわにして顔をあおいで、グラスから水を飲んだ。

 色艶のよい唇が、しっとりと形を変える。それを、見つめる。

 男……でもさぁ。

「マカは、どういうアーティストなの?」

椅子いす職人」

「イス?」

「もちろん、ただの椅子じゃないよ」と、パレード。「座り心地を追求した魔法の椅子さ。あぁ、そう言えばマカ、スカートの下はどうしてるの? モロパンツ?」

 と、パレードが質問した。

 そして答えを待たずに、マカのスカートをめくり上げた。

 あまりにも自然な動作だったせいで、僕はドキッとすることも忘れてしまったくらいだ。

「ひゃあっ!!?」マカの口から、甲高い悲鳴が上がる。

 僕がドキッとしたのは、この声にだった。

 慌ててスカートを押さえつけたマカは、ぎゅっと脚を内股にして、一瞬だけパレードを睨みつけたのだが、すぐに何かに気がついたみたいに「あっ……」と声を上げて、背筋を強張こわばらせたままゆっくりと僕を流し見た。

 トイレを我慢してるみたいに、罪深い表情だった。

 パレードは天を仰いで、ピクピクと震えている。

 やがてマカは、がっくりとテーブルに肘をつけて頭を抱え込んだ。

「女子っすね」僕は呟いた。

 マカは不明瞭に、「違う……」と呟いただけだった。

 あぁ……。

 うん。

 男だから、なんだってんだ?

 僕は自分の心が折れたのを自覚した。

 これだけ可愛い人間に、男も女もクソない。

 アイドル最高。

 周りを眺めれば、目につく顔のどれもが、半端ない。例えばあの、いつの間にか隣のテーブルに座っていた、ぬいぐるみを抱えた赤いドレスのアーティスト。ゴスロリを三倍近くに膨らませたようなフリル付きスカートに、緑色のグルグルツインテールと、やりすぎなくらいにド派手に飾られているのに、服に全く飲まれていない。あの冷めきった視線の鋭さや、ありえないくらいの肌の白さは、人間の生得の範疇はんちゅうを超えているだろう。

 しかも、中身はアーティスト。きっと半端じゃない大天才。僕らの世界にはなかった、新しいカリスマの形だ。

 さっきのアーティストファンクラブの二人の気持ちがわかってきた。

 しばらくうなだれっぱなしだったマカは、だけど、ふと僕の熱視線に気がついたのか、急に咳払いをして姿勢を正す。

「……なんだよ、ジロジロと」

「マカは今、彼氏とかいるの?」僕は聞いた。

「かれ……え、なに?」

「いや、うん、まあ、あれだよね。体を変えられるこの世界で、性別なんて些細な問題なんだよね、きっと」

「些細じゃねえよっ!」マカは力の抜けたように吹き出して、肩を落とす。「おお、ミズノ、やっぱりお前もなのか……この体に変えてからというものホント男たちの目が痛いのなんの……頼むから、お前はこっそりスキンシップ求めてくるなよ? 触られた側からしたら全然こっそりじゃねえから」

「こっそりじゃなきゃいいの?」

「そういうことじゃねえ! ああもう、めんどくせえな、美人って!」

 二人で笑いながら、僕は思う。この完全な男言葉が、逆に周囲を惑わせているんだろうな、と。

「アイドルってのは罪作りだね」パレードはご機嫌に水を飲んでいる。「てかミズノお前、あれか。隠れ肉食系とか、そういうやつなの?」

「パレードもホント可愛いですね」

「うん、お前もだいぶこの世界に馴染んできたじゃねえか」と、朗らかにパレードは笑う。「そうかそうか、お硬いミズノもマカの色気を前にようやくイデア式の良さがわかったってわけだ……おや?」後ろを振り返って、口笛を吹いた。

「お前、来たんだ。来ないと思ってたよ」

 アイドルたちを眺めてすっかり眼福気分に酔っていた僕は、当然、とてもキレイな人がいるんだろうと思って、期待を込めて振り返った。

 そこに立っていたのは、文字通り、クソみたいな化物だった。

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