二章 アーティスト・パーティ
第8話 箱の街
これは確信したことだが、僕は空を飛ぶのが好きじゃない。地に足がついていないのが不安過ぎて、頭から変な緊急信号が流れる。何もできなくなる。体が空っぽになってしまったみたいに落ち着かなくて、呼吸がもどかしくて、意味もなくハラハラとしてる間に時間が過ぎ去っていく。ソーラが僕の後ろに寄り添うように座ってることさえどうでもよかった……否、それは強がりすぎか。正直に言えば、彼女の温もりが死ぬほどありがたかった。もしかしたら、気を遣って抱いてくれていたのかもしれない。
飛んでる途中、パレードが空を指差して何か叫んでいたが、全然覚えていない。指差された先に何かドラゴンみたいなものが飛んでいた気がしなくもないけど、気のせいと言われても納得するくらいには印象が希薄だ。
パレードの竜が降り立ったのは、小高い緑の丘。地に足がついたことで久しぶりにマトモな呼吸が再開されて、僕はホッとした。
「なんだ、まだまだ時間あるじゃん」ゼェハァと息をする僕の背を撫でながら、パレードがつぶやいた。
「パレードの使い魔って思ったよりもずっと早いのね」余裕のあるソーラの笑い声。
「昔は竜の巣探して世界中飛び回ってたからねー」パレードはそう答える。やっぱり竜もいるのか、この世界。
見上げれば、夕日のオレンジが青空を侵食して、雲の上に領土を拡大していた。空は明るいが、地面の周りは飛ぶ前よりも多少暗くなっているようで、靴に描かれた魚の模様が判別しにくい。
「じゃあ折角だし、この街見物してこうかな。ソーラは?」
「私はコバコを見つけてくるわ」
「じゃ、また後でだな」
「ええ」
ソーラの背後に使い魔の鹿が出現する。その背中に、彼女はベンチに座ってるみたいに軽く腰掛けた。みるみる鹿は大きくなって、ちょっとした象みたいなサイズになる。
「歩かないの?」パレードが聞いた。
「最近歩くとぼーっとして、行く場所を忘れちゃうのよ。これも歳なのかしら」内容にそぐわない若く美しい声音が、頭上から降り落ちてくる。「パレードはいつまで経っても元気よね。それじゃあ、ミズノ、また後でね」
「はぁ……あの、はい」呼吸を整えて、ようやく僕は立ち上がった。
その頃には、ソーラと鹿は軽やかに街の屋根を跳ねとんで、チラホラと明かりの灯った街の中の影となって遠のいていった。通行人が何人か、指をさしてその背を追っている。ホント、精霊みたいな人だったな。
それにしても……。
「面白いですね、この街」ボソリと僕は呟いた。
「でしょ? 新しい区画だけど、なかなか人気だよ、ここ」
僕らの立つ丘の正面に広がるカラフルな景色。話を聞いていなければ、僕はここを街だとは思わなかったかもしれない。
街はたくさんの巨大な箱で構成されていた。
フーっと、ため息。
これはすごい。
質素な木箱に、ダンボールみたいな四角、リボンの付いたプレゼントボックス、縦長の筆入れらしきものや、オルゴールまで……全て巨大で、デザインは様々だが、全部が建物なのはちゃんとわかる。窓や扉があるからだ。箱の形をした家々は、あるところでは整然と並んでいて、あるところでは雑多に重ねられ、まるでメルヘンと倉庫が合体したみたいにカオスな雰囲気を醸し出している。耐震設計とかどうなってるんだろう。魔法でなんとかしてるんだろうか。
「この丘って、この街を見るために作られたんですよね?」
「ご明察。ここがアートの世界って説明するにはピッタリな街だね。そんじゃレッツゴー!」
パレードが元気よく坂道を駆け下りていったのを慌てて追いかける。涼しい風と野の匂いが鼻の奥に香った。急に走ったせいで頭が少し痛かったけど、今日が生誕日という割にはマトモに動けてる方ではないだろうか。
あと、この靴はいい靴だな。
パレードに追いつき、巨大な植木鉢と、テーブルライトを模したらしき巨大なランプの間を抜けて街へと入っていく。街の中は外からじゃわからなかった広い通りが箱の合間を縫うように巡らされていて、街灯やオブジェクト、ベンチらしき小物もすべて、家具を模して作られている。道の素材だって、一見絨毯かと見間違うくらいに柔らかそうだ。実際はキチンと硬いけど。
通りに面した箱の家々は、どれも思い思いの形で口を開いていて、中には露天のように様々なものが置かれている。大きな砂時計みたいなものに、ボトルシップ、家具の類……他にも、僕には用法がわからないものまでたくさんある。
「ここは、商店街ですか?」
「見本市さ。自分の作品は自分のショールームに飾りたいだろ?」先導しながらパレードは答える。「話がつけば譲ってもらうこともできるよ。点数が高いものの場合、取得税に瓦斯持ってかれるけど」
「あ、税金はあるんですね」
「そりゃ公共施設の動力も瓦斯だもん。街灯とか下水道とか」
「でも、税金だけなんですね?」
「そ」
「見返りは本当に、作った時点で完結してるんだ」
「まあ、作品を貰う場合には、お礼に酒の一本でも持っていくと喜ばれるんじゃない?」
なんて話をしながら僕らが歩いていく姿を、誰もが振り返る。それどころか、ちょっとした騒ぎになったり、追いかけてくる人もいたくらいだ。だいたいの人はパレードに手を振って、パレードもそれに答えて踊るように手をクルクルさせていた。やっぱりこの人は大スターなんだな。
街の人々に見送られながら、ちょっぴり恥ずかしい気持ちになる。有名人の後ろが居心地悪いとか、見られるのに慣れていないとか、そういうことが理由じゃない。
問題なのは、パレード本人。
その、服装。
僕はこの街を歩く間、それとなく道行く人々を観察してみた。この世界の住人の服装は大抵、
だけどやっぱり、パレードくらいに扇情的な服を着ている人間は一人もいない。
明らかに浮いている。
誰にもバレないようにこっそり舌打ちをした。別に怒っているわけではないが……。
パレードの着ているワンピースドレスは、そもそも生地がめちゃくちゃ薄い。風が吹き抜けたりすると、お尻や胸の形がぎょっとするほどハッキリと浮かび上がる。シルエットが常に透けてるから、振り向いて後ろ歩きするたびに、股の間から光が透けるし……なんというか……履いてないように見えるし……。
まあ、流石に履いてないってことはないだろう。多分、魔法のパンツかなんかだ。服の上に裸が映ってるという意味では、レオタードとかボディスーツよりもずっとタチが悪い。スカート丈だって長い方では決してない。
あと、パレードの体のシルエットを意識することで、一つわかったことがある。
風が吹き、体が透ける。
透けてわかる、腰の位置。ウエストの細さ。
脚の長さ。
胸の形。
この体、子どもじゃない。
だけど、大人でもない。
まるっきり都合のいい妄想の具現化だ。
なんだかなぁ……まだ会ったことのないけど、イヴって人が変態と称されていた理由が少しずつわかってきた。でも、そのことについてあんまり深く考えたくなかったので、僕は早々にこのテーマから離脱した。深入りするとやばいかもしれない。
「……パレード、これはなんですか」雑念を振り払うように、僕は編みカゴ型のショールームの前で立ち止まって質問する。
軒先の植木に、大きな白いトカゲが巻き付いた妙にリアルな像みたいなものが飾られている。そいつがたまに目を開けて、口から瓦斯らしきものをゆっくりと吐き出すのだが……。
「ああ、魔法生物ね」パレードも立ち止まって、巨大なカゴの中に入っていく。僕もついていく。
動物のいる家に特有の酸味を帯びた臭いが、モワッと香った。
ということは……。
「こいつ、生きてるんですか?」
「え? うん。当たり前じゃん」
「当たり前、ですか」
「生き物もね、この世界ではデザインできるんだよ。卵生に限るけど」
店の中を見回す。右手には小魚が泳ぎ回る大きな水槽があって、底の白砂の中からタコかイカらしき触手が水草に混じって唱うように揺れていた。正面には卵の置かれたカゴがパン屋のように二段に重ね置きされていて、左手側は、通りに面した手前がトカゲのいる植木、奥側の窓のない壁には動物の絵が描かれた紙やカレンダーらしきものなどが雑多に貼られている。
見上げれば、甲羅がオレンジに光るカニのような生き物が三匹、天井に巡らされた人工っぽい
「こいつらは魔法生物。文字通り肉体を瓦斯で変異させた生き物のことさ」パレードが説明する。「卵の中の遺伝子を
「……それ、やばくないですか?」
「だから、敷居はメチャクチャ高い。作るのに瓦斯むっちゃ使うし、禁止事項もちょー多い。世界でもトップレベルに不自由なジャンルってわけ。でも、命を扱うんだから、それくらい当然だろ?」
「まあ、そうですけど……でも、生き物の命にまで手を出しちゃえるって、色々と不安になるなぁ」
「そんなこと言ったらお前らクローンってなんだよ」
それもそうかと思って、僕は笑った。
「ちなみにミズノが見込んだそこのトカゲは、口からいい匂いの煙を吐き出せるみたいだよ」
「へえ」僕は恐る恐る、左手の植木で休んでいる白トカゲに顔を近づけてみた。なるほど確かに、柑橘系の甘い香りがする。
「多分、餌から香りを抽出できるんだろう」パレードはウロウロと、カゴの中の卵を見比べている。「ドラゴン研究で発達した分野だからね、爬虫類のデザインが一番簡単なんだな。ああ、そういえばクリンパんとこでさ、魚目線で水槽の中を見れるって言ったじゃん? あれもそういう魔法に対応した魚を中で泳がせるよってことなのさ。だから、あのときは見せられなかった」
「へえ……」
僕が別の質問をしようとした時、ふいに「あっ」とか細い声が、奥にある棚の影でさえずった。声に釣られて顔を上げれば、小柄でエプロンをつけた赤毛の女性が、茶色い扉からこっそりと顔を出していた。口元を覆うマスクを付けてるので、歳は全然わからない。高校生にも見えるし、実は三十近いと言われても不思議じゃない。ただ……いや、人と
「わ!? ぱ、パレード……こ、こんばんわ……」キョドっていると表現して差し支えない有様で、彼女は慌ててエプロンで手を拭いた。「あの、な、なんでここ、こんなところに……」
「晩餐会までのあいだ、新人クローンと街巡り」パレードはそちらを見向きもせずに、カゴの中なら青い卵を一つ取り出す。「ねえ、水棲生物で、
「さ……サード……あ、はい! あの、そ、それと、緑のやつもそうです! それで、ええと、ええと……」
焦ったまま彼女は、左手の壁の天井からホワイトスクリーンみたいなものを引っ張り出した。そして背後に、トカゲなのかタツノオトシゴなのかわからない、突起だらけのノッペリとした使い魔を出現させる。
フッと、蟹の照明が消えて、辺りが一気に暗くなった。同時に彼女の使い魔の目が淡いオレンジに光り、左の壁に生き物と卵の二枚の図柄が映写される。どうやらホントにホワイトスクリーンだったようだ。
「多分、こんな感じになる……かと……それに、あっちの水槽のタコちゃんは、触手の先がサードアイになってる子で……あの、はい……」
見せられた図は、多分、トカゲかサンショウウオのもの。動物図鑑のように複数の角度から描かれているが、一見したところでは普通の生き物と形が変わらなかった。卵の図の方は僕には判別不能である。矢印と一緒に色んな記号と数式が入り乱れていて、あぁ、これは専門家向けだなとひと目でわかる。パレードもそちらの図を見ている様子はほとんどなかった。
「うん、良さげな気がする」パレードは言う。「ほら、ソーラとロッキー組が今、水凛園っての造ってるの、知ってる?」
「はい、はい、知ってます」緊張の伝わる声で、彼女は頷く。なんだか僕は
「あそこさ、ロッキーが調子こいて水槽増やしちゃったもんだから、サードアイ付きの魚足りなくなってんだよねー。で、どうせだから魚じゃくて別の生き物にしようかとか考えてたからさ……」
「え? あの、それって……」
「えっと、お姉さんお名前は?」
「あ、アズと申しますっ!」
「アズのこれ、ロッキーに紹介しといていい?」
「ほ、ホントですか!?」ほとんど叫びと言っていい声だった。「ぜ、ぜぜぜぜ、是非お願いします!」
「オッケー、そんじゃデザイン案とかいくつか用意しといてくれ……と、洒落男ロッキーなら言うだろう。私らはもうご飯の時間だ」
ぐっと、パレードに腕を引かれた。
「じゃあね、アズ。すっごくいい腕だと思うよ、自信もって」
一瞬ポケッとしていた彼女は、マスクの上からでもわかるくらいに顔を紅潮させてた。
「は、はいっ! ありがとうございます!」
深々と頭を下げる彼女を見送りながら、僕らはショールームから出た。その時初めて、入口付近にちょっとした人だかりができていたことに気がつく。
……。
やや足早に先を急ぐパレードの背中を、長い黒髪を、見つめる。
「パレードって、もしかしなくてもすごい人なんですね」
「当たり前だ、アーティストだぞ」振り向いて、ニカッと笑う。「アーティストってのはでかいプロジェクトで監督やらされることも多いから、見込まれるってだけでも栄誉なのだ」
「僕ももっとありがたがった方がいいですか?」
「そういうのに飽き飽きしてるからクローン介抱してるんだっつうの」パレードはそう言うと、プイッと前を向いてしまった。
空を見上げれば、夕焼けの空が暗く染まりつつある時間だった。
「……パレードって、何を作った人なんですか?」ものすごく今更な質問を、僕は投げかけた。
「内緒」パレードは振り向かず、そう答える。「でもまあ、私の名前は作品由来、とだけ言っておこう」
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