第6話 麗しき、ソーラ

__いつか大木になる新芽が、一番輝いていると思います。

 ……ソーラ、インタビューより



「ソーラ! おはよう、探してたよ!」

 パレードは本当に嬉しそうな声でそう叫ぶと、精霊のような少女……多分、ソーラという名前の彼女に駆け寄って、姉妹のように軽く抱き合った。

「いつまで経っても元気なんだから」と、ソーラはパレードの背をゆっくりと撫でる。「こちらは、新しいクローンの方?」

 そう言って僕を見つめた緑の瞳に、僕は身も心もたじろいでしまった。

 真っ直ぐな瞳だった。

 恐ろしいほど鋭くて、とんでもないほど力強い。

 そして、優しい。

「あ、は、はい」と、しどろもどろに僕は、首を掻く。「あの、はじめまして、ミズノと申します……」

「はじめましてミズノ、私はソーラ」つぼみのような唇が、深みのある高音を紡いだ。「どうぞよろしくお願いします」

 スカートを片手で軽く持ち上げて会釈した彼女にどう答えたらいいのかわからず、僕は再びみっともなく首を掻いた。「いや、ええっと……はい」

「ソーラは園芸家だ。自然な森を”造る”ことができる無二のアーティストだよ」上ずったパレードの声。明らかに僕の醜態を見て、笑っている。「この分野では神様みたいな存在さ」

 神様……。

 あぁ、思い出した。目覚めたときの、パレードの言葉。

 体を人形に変えられるのはアーティストだけだと言っていた。

 うん、間違いない。

 この人の体は、人形だ。

 こんな美しい人間が、この地上にいるものか。

 高貴。そんな言葉が思い浮かぶ。

 軽くウェーブした金色の髪は女神のようで、木の枝を模した髪飾りが上品に精彩を彩っている。ドレスは青く、動物の描かれた金色の刺繍が縫い込まれているが、デザインは至って質素なもの。それがむしろ、乱れることのないあるじの美をこれ以上ないほど引き立てる額縁となっている。

 何よりも神々しいのは、その目鼻立ち。

 ……背中に変な汗が流れているのを感じた。

 なんだ、この人?

 彼女の丸みを帯びた顔は、間違いなく、幼い少女のものである。それなのに、全身から発っせられるオーラは明らかに落ち着いた貴婦人のそれだった。もちろん、貴婦人などという人種に会った覚えはないが……でも、とにかくそう思った。身長はパレードよりも低いし、モデルは明らかに小学生くらいの幼い子どもなのに……温かみのある頬に、整った鼻、品の良い眉毛と美しいまつげ、アゴにできた小さなくぼみと、顔のパーツはどこを取っても柔らかく優しげな雰囲気を保ち続け、シルエットが主張する幼さを鮮やかに裏切り続けている。

 最も矛盾するのは、深く鋭い、あの瞳。

 くっきりとした二重のまぶたの奥に光る緑の輝きは、優しげなのに、はかなげなのに、人を射竦いすくめるような眼力で持って、僕を見据えている。

 まぶたのわずかな動きだけで、優しさと厳しさが、目まぐるしく入れ替わる。

 あまりにも次元の違う美しさに、彼女は僕らとは違う存在だと、そう感じた。

 そして……。

 ソーラの隣で微笑んでいる、白いドレスのパレードだけが、この場では明らかに彼女と釣り合っているのだった。

 あれ?

 おかしいな。

 パレードって、こんなにキレイだったっけ?

 つばを飲む。

 思えば、パレードの容姿をちゃんと見たのは、まだ頭が眠たかった、目覚めの間だけの話だった。そこから先は意図的に顔を意識しないようにしていた。中身が男ってわかっていたせいで、可愛いって感覚を抱くのに抵抗を感じたからだろう。それでもパレードがキレイなことは、無邪気な仕草を視線の端で捉えるたびにジワジワと感じていた。からかわれるのも嫌なので、考えないようにしていただけ。

 そして今、この場所で僕は、カッコよくも可愛くもない、親しみの持てる顔を持つ普通の人を見た。平凡で、当たり障りのない、当たり前の顔。僕も含めみんなに共通する、足りない華と、余計な個性。

 対して、向かい合うパレードたちの持つもの。

 あふれる華と、惹かれる個性。

 桁外れに愛らしいパレードと、人知を超えて麗しきソーラ。

 僕は、理解した。

 ……異常だ。

 この二人、おかしい。

「どうした、ミズノ?」僕が焦っていること完全にわかってるくせに、パレードは意地悪くニヤついている。「あれか、もしかしてムラムラしてんの?」

「そうではないですけど……」

 僕は口に手を当てて、少しだけ慎重に頭を使った結果、もう、この場は何もかも正直にぶちまけてしまった方がいいと判断した。

「お二方……その……本当にキレイですね」

 こらえきれないとでも言うみたいに、パレードが爆笑した。口を大きく開けて、お腹を抱えて、膝を叩いて、それでも、少しもブレない美しさで。

 最初にパレードの体が人形だと聞いたとき、僕は、だからキレイなのかと安心したのを思い出す。我ながら寝ぼけたことを考えていたものだ。

 この世界は、こんなキレイな人間を、んだ。

 そっちのほうがよっぽどヤバいじゃないか。

「ハッハッハッハッ、なんだ? 私一人じゃ気がつくのに足りなかったか?」と、パレード。

「今までちゃんと見てませんでした」

「なんでだよ?」

「男って言うからです」

 これには周りのみんなが吹き出した。

「そらそう思うさね。なーんで大の男がこんなちっちゃい女の子に体変えてんだってなぁ」ヒッヒッヒと、クリンパも笑っている。

「そんなことを言ったら、私だってもうお婆さんですよ」頬に片手を添えて、ソーラが微笑む。「最近どうもボーっとしちゃって、物忘れも多くてねぇ」

 そうなんだ……。

「んなことどうでもいいんだって、どうせ見た目はそのままなんだからさ」ニヤニヤしながら、パレードがまた近づいてきた。「なあ、ミズノもそう思うだろ? 私らもうずっとこの体で生きてんだ。中身なんて気にする必要がどこにある?」

「うーん……」

「いや、言い方を変えよう」パッと、パレードは指で僕の口を塞ぐ。「私は確かに中身は男で、ソーラも婆ちゃんだ。だけどそれがどう私たちの見た目に影響するってんだ? 今の私が、ジジイに見えるか?」そう言って、襟を引っ張って、顔をぐっと寄せてきた。

 死ぬほど近くに、パレードの顔。

 輝く瞳。

 光る唇。

 また、ドキリとした。

 というか、正直、鳥肌が立った。

「どうだ、すごいだろ?」ゾッとするほど、甘い声。吐く息とともに、ミントのような心地よい香りがした。「普通人間の顔は、こんだけ寄ったらどっかしら欠点が見えるもんだ。無駄に目立つ毛穴やら、わずかなシミやら、隠せない汚れやら……化粧でごまかした肌なんて、なおさら注視にはえられない」

「……」

「でも、私たちの体は完璧だ。どこまでも美しい。当然だ、そういう風に作られてんだから。人間の顔なんてのは所詮、生きるためにから形成された実用品の外観だ。その重なりが偶然キレイになっても、絶対どこかしらズレができる。体調によって落ち窪むし、ストレスでむくむ。ケアしないと簡単にクサれていくし、老いと共にどうしたって劣化していく。しょーがねえさ。人間の体はあくまでも生きるために作られたもので、見るためにあるものじゃない」

「う、うん……」

「私たちの体は、そこが違うのさ。こいつは作り物アート……美しくあるために、から作られた人の形ドールだ。人間がこうあって欲しいと思う全てを、完全に叶えた嗜好品ってわけ。実用品ごときには決して越えられない壁がある。ましてやこれは、世界一のアーティストの作品だ」

「世界一?」

「人形の中での世界一じゃないよ。この世界、全てのジャンルをひっくるめた上でのベスト・ビューティだ。意味、わかる?」

「えっと……」何も答えられず、口元を微妙に笑った形に変えることしかできなかた。

「いや、実際お前はちゃんとしたセンス持ってるよ、実に偉い」顔真っ赤の僕をやっと開放したパレードは、クルクルとその場で三回転ほど回ってから、また僕に向き直る。「さっき瓦斯の説明をしたよな? あの仕組みを考えれば、ジャンルをまたいでさえアートを比べられるってことには気がつくだろ」

 僕は頷く。瓦斯の量でクオリティが可視化されているのだから、当然、そういう価値観がこの世界にあるだろうな、というのは想像した。

「音楽と絵画でコンペができるこの世界。だからこそ、みんな知っている。誰が世界一のアーティストなのか……そして、何がこの世界で最も美しいのか」

 パレードはスカートを両手で少し持ち上げて、スレンダーな体の曲線をドレスに映す。

「これが、それだ。”イデア式少女人形”。通称、”アイドル”」

「アイドル……」

 微笑むパレードは、ソーラを抱き寄せて、おでこに軽くキスをしてから、僕を見つめた。

「作者はイヴ。人類史上、最も美しい作品を作り上げた、世界一の天才だ」

 イヴ。

 シンプルで、素敵な名前だ。

「世界一のド変態とも言うけどね」クリンパがボソッと呟いて、ソーラがくすっと吹き出した。

「うん、それも間違いない。あんな変態は他にいねえな」もったいぶった表情をやめて、パレードも朗らかに笑ってみせる。「さて、なんだか話が固くなっちまったけど、ようは単純さ」

 すっかりおちゃらけたノリに戻ったパレードは、ソーラの背中に抱きついたまま楽しげに語りだす。「この体は世界一のアーティストが作った世界一点数の高い作品で、しかも、この体で生きるためには、アーティスト相当の高い魔力がいるってこと。そりゃあみんな憧れるだろ?」

 そう言ってニッコリと笑っているパレードと、顔を並べて微笑んでいるソーラ。

 何はともあれ、説得力に満ちた絵なのは間違いない。

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