第3話 空と水族館
「着いたぞミズノ。立てる?」
「まま……なんとか……」
足腰がまだブルブルと震えてるのを感じながら、僕はパレードに手を引かれ、使い魔だという竜の背から飛び降りた。
……凄い体験だった……。
遅い朝食を食べ終え、歯を磨き、用意されていた服に着替えた僕は、そのままパレードに手を引かれ、窓から竜の背に乗って大空へと飛び出した。竜の背中には座りやすい鞍があったし、透明な球体のコクピットも展開されていたから、風に晒されることはなかったのだけれど……。
もう、見下ろした街の景色さえほとんど思い出せなかった。速すぎたんだ。「街ってのはでっけえアートだからなぁ! 地域や区画によって、コンセプトが変わんのさ!」って、飛びながらパレードが叫んでいたけど、それならもっとゆっくり見せてくれればいいのに。
空に浮かぶことの不安定さに不慣れというか、そんな経験が一切なかった僕には、景色を楽しむ余裕なんて少しもなかった。呼吸をしていた気すらしない。加速度が波のように頭を揺らして、浮遊感と締め付けが不安定に内臓をかき乱して、まったく、とんでもなかった。何度もツバを飲んだ。僕は戦闘機のパイロットとか絶対無理なんだろうな。
で、どれくらい飛んでいたのかわからないけど……とにかく、飛行を終えて僕らが降り立ったのは、壊れかけた大きな遺跡をテーマにしたような遊覧施設の入り口だった。苔むしたアーチの上に小さな鳥が二羽ほどとまっていて、小さな瞳でこちらを見下ろしている。竜が降りてきたってのに、呑気なものだ。もしかしたら作り物なのかもしれない。
辺りは市民公園の広間みたいな場所で、おとなしい林に囲まれた静かな空間だった。真ん中には水のない噴水みたいなオブジェがあって、年配の女性が二人、反対側からこちらを眺めている。空間的には十分に広いと言えるけれど、僕らが乗ってきたドラゴンが離発着するには、ちょっと狭い。つまりあの竜は、僕の気がつかない間に、着陸の直前で小さくなっていたということ。
すごいなぁ。
この竜の使い魔とかいう乗り物は、ヘリコプターよりもスペースを取らず、並の飛行機よりも早い速度で移動できて、収納自由ということだ。便利なんてレベルじゃない。
しゃがみこみはぁはぁと息を吐く僕の横で、見る間に使い魔ドラゴンが小さくなって、そのままスッと音もなくいなくなってしまった。
やっぱどう考えても魔法である。
それに、あんなに早く空を飛んでいたのにも関わらず、耳とか目とか、それにきっと三半規管とかに大したダメージがないのもよく考えたら普通じゃない。すごいことだ。
「うっはあパレードだ、こんな時間に珍しいッスね」と、アーチをくぐった先のドアの前にもたれかかっていた男が、ゆるやかに手を振りながら近づいてきた。沼のように低い声だ。「あ、その人もしかして、新しいクローン?」
「そゆこと。今この世界のガイダンス中。”採点”を見せてやろうと思って」
「そのためにここまで? 相変わらずっすなあ」
男が近寄ってきて、僕に手を差し伸べてきた。イケメンではないけれど、気の良さそうな顔だった。右目の周りにイルカのような黒いフェイスペイントをつけている。年齢は、三十前後かな。「大丈夫? 吐きそう?」
「いや……そこまでキツくはないです」生暖かい手を取って、僕は立ち上がった。うん、酔ってはいない。大丈夫だ。「ミズノっていいます。よろしくどうぞ」
「よろしく。俺はロッキー」フランクに僕の肩を抱きながら、彼は笑う。「ここで全体のレイアウトを担当しているよ」
「レイアウト……ですか」
「おう」
ロッキーは、ダブついたベージュのズボンの上に緑と青で植物っぽい模様が描かれたシャツを着た背の高い男だった。頭にたくさんのバッジを貼り付けたニット帽を子供のように被っている。
ようするに、なんだか現代的な服装だった。この点が僕にはすこぶる意外だった。でも、少し考えて納得する。衣服の質というのは、技術とともに進化するものだ。魔法が現実的に使用されているのなら、それはもう魔法というよりも科学であって。デザインは結局似てくるものなのかもしれない。魔法があるといっても、ここはファンタジーの世界じゃないってことだ。目の前のテーマパークみたいな施設や、今朝遊んだ氷のおもちゃだって、考え方が現代的じゃないか。ちなみに今の僕は、軽い素材の黒いズボンと服の上に青いはっぴみたいなものを羽織っている。鏡を見たときには家電屋のセール中っぽいかなって思った。サイズはややルーズだけど、着心地はいい。靴ももらった。見た目革靴っぽい茶色の靴で、魚のマークが描かれている。紐の類はついていない。寝ている間に足のサイズは測られていたのか、ビックリするくらいフィットした。
「ほら、さっさと中入ろうぜ」いつの間にかゲートをくぐって、赤レンガ造りの建物の内側に入っていたパレードが、無邪気に叫んでいる。「親交は歩きながら深めよう!」
「せっかちだなぁパレードは」
気さくに笑うロッキーに釣られて僕も笑いながら、子供のように落ち着きのない仕草のパレードの背中を追い始めた。
……なんか、ホントに可愛いな、パレード。
中身はおっさんなのに。
施設の中の、石畳で作られた道を三人で歩く。ところどころ床にガラスが張られた変わった通路で、その下には水が川のように流れている。左右には森や田舎の田園を模したような水場が、ブースとして入り組んだ道に分けられていた。
「水族館と植物園を合わせたみたいな感じなんですね」
「おう、それだ、スイゾクカン。お前らはみんなこういうとこ来るとそう言うな」パレードがハハハと笑う。「まだ未完成だけど、シンプルに綺麗だろ?」
「はい、ホントに」
この施設のコンセプトデザインは、すごくわかりやすい。人里からさほど離れていない自然の水場を再現して、その間を歩いて回れるようにした展示施設だ。僕の知っているような動物園とか違って、テーマが絞られている分、施設全体のレイアウトがそれ専用に特化されていてとても雰囲気がいい。通路の作りも凝ってるし、橋から川を見下ろすようなところもあるし……一言で言えば、センスあふれる空間だ、ということ。ただ、まだどこも作りかけのようだ。水が満たされている池や川は全体の半分くらいだし、魚が泳いでたのは三箇所程度。レイアウトの決まっていない植物の植木もところどころ置かれてるし、照明か音響機材か、鉄とは違うもので作られた機械が地面から露出してるところもあったりと、いかにも工事中といった
僕には逆にそれが新鮮だった。制作の裏側を覗いてるような気分で普通に面白い。
「ここは下にも道が通っててな。そっちからは水槽の中が見えるようになってるってわけだ」ロッキーが説明をしてくれる。「下は魚を見るのが中心だけど、デザインも結構凝ってるんだぜ?」
「へえ、じゃあ本当に水族館だ」僕は答える。「ここの設計、ロッキーさんなんですか? すごいですね」
「サン、とかつけないでくれよ、なんだか尻がムズムズするぞ」ロッキーが笑う。
「そうだ、それな」と、パレードが振り返って、僕のお腹に指を突き立てる。「この世界にはな、その、サンだのラオだのミスターだのって名前の前後に尻尾つける習慣はない。あるのは”ちゃん”だけだな。今後も色んなヤツに指摘されるだろうから、今のうちに直しとけ」
「わかりました……パレード」
「いいね、そんな感じそんな感じ」
この時ふと、この世界で僕の言葉が通じていることに対する疑問が生まれた。正確に言えば、はじめっからそのことが気になっていたのを、意識し直した。だけど、前を歩いていたパレードが「お、ここだここ」と言って立ち止まったので、疑問はまたも棚上げに。
ニッコリと笑うパレードの後ろにあるのは、背の高い草に囲まれた小さな池。僕とロッキーも立ち止まる。奥には通路とは別の、木でできたボロい橋が掛かっている。古びた看板の残骸が半分水に浸かっているのが印象的なブースだった。
「うん、よし、ほとんど完成してるな。ここがいい」
ブースの草の中から、気だるげにハチマキを頭に巻いた女の人が立ち上がった。多分四十代くらいで、わりと太っている。
「あれ、パレード? 何してんですか?」
「クローンだよ。ここでこの世界の仕組みを説明しようと思ってさ」若々しいパレードの声。「作者はみんな集まってる?」
「いるよー」と、後ろから高い声。女性の声かと思ったけれど、振り返った先にいたのは背の低い、モジャモジャ髪で肌が浅黒い小男だった。黄色を基調としたファンキーな
「んじゃ、その間にこのパークの説明をしようか」パレードが僕の手を引いて話し始める。びっくりするくらいに柔らかい手で、少しドキッとした。
「ここのコンセプト自体は説明する必要ないと思うが、ここはお前が思っているより面白い場所だ。コビー!」
パレードの合図に、さっきの小男が片手を上げる。
大きなぬいぐるみくらいのサイズの、アフロヘアーの黄色いカエルが、彼の手の上に浮かび上がった。この唐突な現れ方には見覚えがある。使い魔だっけ。
その蛙がゲコっと鳴いて、霧吹きを吹きかけたみたいに、あたりに空色の煙をばら撒いた。
キラキラと
フワーン……と、スズみたいな音がした。
同時に、レンゲソウに似た白い花が、草むらの中からいくつもニョキッと顔を出す。
薄っすらと霧が立ち込めて、心地よく湿気った空気が鼻を洗う。
青みがかった二人の子供のおぼろげな影が、ブースの中に、霧をスクリーンにして映し出された。
橋の上で、一人は水面を見つめて、もう一人はどこか空を見つめている。
どこからか、虫の鳴き声。
大きな鳥が空からまっすぐに、水面で跳ねる。もちろん、幻。
だけど、水は本当に波立って、魚を掴んだ鳥が、空へと舞い上がった。
子供たちがそれを指差して、笑いながら追いかけていく。
蛙が鳴く。
風が吹く。
とてもキレイな景色だった。
見覚えないのに、郷愁を感じたくなるくらい爽やかだった。
そうか……ここは、こういう施設なのか。
「はいはい、音響問題無し、全部オッケイ」しゃがんでいた太ったおばさんが、額を拭いながらノソノソとブースから退出する。「あれだろ、この坊やの前で採点してくれってことなんでしょ?」
「そゆこと。じゃあ始めよう。ミズノ、ちょっと下がんな」
パレードにお腹を抱き寄せられるままに、二歩ほど下がる。
「今から、”採点”を始める。死ぬほど集中して見ておけよ」
「え?」
「この世界で、一番大事な話だから」
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