イルミストリアによるやさしいハーレムのつくり方
冬空
第1話 修羅場
夜の酒場には喧騒と熱気、調理された肉や魚から立ち上る香ばしい匂いが満ちている。
光源は丸テーブル上にある植物油を燃料としたランプのみ。照明としては十分とは言えない柔らかい光が照らすのは屈強な体格の男たちだ。手にはビールの入ったグラスや肉を突き刺したフォークを持ち、豪快な笑い声や怒鳴り声を上げながら陽気に会話を交わしている。
ここは鉱工業の町として名高い町ティアルク。住人の多くは、鉱山での採掘や工房での金属の精錬や加工などの力仕事に日々携わっている。
その証に、厚手の作業着には洗っても落ちないほどに染み込んだ油の黒い斑点があちこちにあり、まくり上げた袖から覗く腕は逞しい筋肉で覆われている。
そんな一日の労働の疲れを癒す男たちの怒声と活気に包まれた酒場の一角に、向かい合って座る一組の男女がいた。
一人は青年だ。
胸や裾にポケットのついた紺色の厚手の上着に、下は砂色のズボン、頑丈な造りの革靴を履き、腰には一般的なものよりも短い剣を差している。
周囲の男たちに比べれば細身であり、無精ひげなどを綺麗に手入れしたその顔立ちは、どちらかといえば端正な風貌だ。日々の労働の証である日焼けがなければ、どこぞの貴族の子弟と言われても納得することだろう。
だが貧弱な印象は全くない。
決して鋭くはないものの、その眼光にはほのかな緊張が漂い、腕まくりした前腕は引き締まっているものの筋肉質で太く、全身が同じように鍛えられていると思わせるに十分な力強さに漲っている。
その容貌と相まって、青年からは野蛮さと優雅さという相反した要素が同居する奇妙な雰囲気が放たれていた。
「それじゃあ、カエトス。今日もおつかれさんっ」
「おう。シグネもご苦労さん」
対面に座る女が掲げたグラスに、青年──カエトスは右手に持った自分のグラスを軽く当てた。
シグネと呼ばれた女は、カエトスと同じく日焼けした顔に勝ち気な笑みを浮かべると、グラスの中のビールを一気に飲み干した。上を向いた拍子に癖のある赤い髪がふわりと形を変える。
「っはぁーーーっ! やっぱ、仕事終わりの一杯は最高だね。おねーさん、おかわりっ!」
空になったグラスを掲げて、テーブルの合間を駆けまわる給仕の女に催促する。
そんなシグネの仕草や言動は堂々としていて、服装もカエトスと同じように厚手の上着にズボンと、まるで男と見紛うばかりだ。だがよく見ればすぐに女と気付くだろう。
柔らかい丸みを帯びた下半身や胸元の肌着を押し上げる膨らみは、女としての魅力に満ちていて、赤髪に差した花を模した銀細工は可憐さを醸し出している。正面に回れば紅を引いた唇に、逞しさと上品さを兼ね備えた女豹を思わせる容貌が目に止まる。
多くの男が、彼女を目にして一瞬息を呑むのをカエトスは何度も目撃していた。それだけ彼女の魅力は男装していても抑えられないほどに男の目を引くというわけだ。
艶のあるふっくらとした唇を笑みの形にしたシグネは、皿に盛られた腸の肉詰めにフォークを突き立てて豪快に口に運んだ。
「うん、美味い。ほらカエトスも食いなって。今日はあたしの驕りだよ。無事に仕事が終わったお祝いだからさ」
テーブルの上には腸の肉詰め以外にも、焼き立てのパン、野菜と魚のごった煮、魚の塩焼き、鶏肉のから揚げなど、二人で食べるには多めの料理が並んでいる。
シグネに促されて、カエトスはフォークを鶏肉に突き刺した。一口で頬張り、口中に広がる肉の旨みを堪能しながら答える。
「いつもこうだといいんだけどな」
「きっとあれだよ。カエトスの名前が知られてきたから、顔を見ただけで野盗も引き返すようになったんでしょ。試しに今回あんた一人だけ雇ってみたけど、大成功ね。これからは人件費が浮いてウハウハよっ」
「そのために、きっちりあいつらを叩きのめしてたからな」
シグネはこの酒場に来る前から終始ご機嫌だった。
彼女はこのティアルクの街を拠点とする行商人の一人だ。近隣の町や村などで、そこにしかない織物や工芸品、薬の材料となる草木や動物の骨や昆虫などを仕入れて売りさばくという仕事をしている。
そんな彼女にとって商品を力で奪い取っていく盗賊は天敵だ。
ここ半年ほどで、彼女がよく利用する街道に野盗が頻繁に出没するようになり、ティアルクの行商人組合もその対応に苦慮していた。
シグネも危うく品物ごと捕まりそうになったことがあるという。もし現実のものになっていたら、彼女は今頃大勢の男たちの慰み者になった挙句にどこぞに売り飛ばされるか殺されていただろう。
そこでシグネは同じティアルクにある人材派遣組合に護衛の依頼をした。そうしてカエトスがその担当となったのが、今から四か月ほど前のことだ。
彼女と組んでの仕事は、今回でかれこれ十回ほどになる。これまでは、カエトス以外にも数人の護衛が雇われたのだが、今回はカエトスだけだった。にもかかわらず、野盗が現れることはなかった。
手を出せば痛い目に遭う。カエトスは過去、襲撃してきた野盗に対し報いを与えてきた。具体的には利き腕を切り落としたり、片足を満足に動かせないほどに砕いたりといった具合だ。
残酷なようだが、本来ならば問答無用で殺されるところを命を奪わずに済ませてやったのだ。やり直す最後の機会を与えるために。そして次に出会ったら命はないとの警告のために。
今回の護衛で野盗の襲撃がなかったのは、これが大きな効果をあげたのは確かだ。
「これで真面目に働く気になってくれりゃいいんだけどな」
「そいつは無理でしょ。一度楽すること覚えちゃった人間は、二度と働かないよ。死んでもね」
シグネの笑みに侮蔑の色がほのかに混じる。彼女はカエトスの目から見ても働き者だ。労働することの尊さや苦労を身に染みて知っている。だからこそ、何も生み出さず奪うことしかしない輩が許せないのだ。
シグネは気を取り直すように再び快活に笑うと、カエトスにフォークを向けながらせっつく。
「そんなことより食いなって。美味しいよ、この魚。ほらほら、男なんだからもっとがつがついっちゃえ」
「おう。今日は食うぞ」
カエトスはグラスのビールを一気にあおると、テーブル上の料理に手を伸ばした。
ひとしきりビールを飲み、肉や野菜を次々に平らげていく。ただその間も頭の片隅には、今日ここでやらなければならない大切なことが存在を主張していた。客がこれだけ喜んでいたとか、次はここの町に行ってみたいなどと笑顔で語るシグネに相槌を打ちつつ、切り出す機会を窺う。
シグネが一通り料理を胃の腑に収めて、満足げに椅子の背もたれに体を預けた。
好機到来。
カエトスはそう判断すると、上着のポケットに手を突っ込んだ。そこに忍ばせていたものを取り出し、おもむろにシグネに差し出す。
「シグネ、実は今日は、君に渡したいものがあるんだ」
「何?」
ほんのり頬を赤くしたシグネが上機嫌な様子でそれを受け取る。手の中のものを引っ張り上げて、そして目を丸くした。
「これって……首飾り?」
シグネの細い指がつまみ上げたのは細い銀製の鎖だ。先端にはまった血のように真っ赤な楕円形の宝石が、ランプの光を反射して怪しく輝いている。
「この前、紅玉が好きって言っていただろう? それで、ちょうど原石を持ってたから研磨と装飾をしてもらったんだ」
「こ、こんなおっきな原石持ってたって、それどこで手に入れた──じゃなくって。これって軽く家一軒は買えるでしょ? こんな高価なものもらえないよ」
動揺しつつも返そうとするシグネの手をカエトスはやんわりと押し戻した。
「もうすぐ誕生日って言ってたじゃないか。シグネが生まれた日なんだから、できる限り祝ってやろうと思ってたら、原石のことを思い出したんだ。あとそれだけじゃなくて、いつも俺を指名してくれた礼でもあるし、そいつも原石のまましまわれてるよりも、宝石として身に付けられた方が嬉しいと思う。だからもらってくれ」
シグネが眉を寄せてじっとカエトスを見つめる。その瞳は戸惑いなのか拒絶なのか、どうにも推し量れない感情に揺れていた。
カエトスの内に不安がこみ上げる。
「その……もし気に入らなかったら商品として売ってもいいぞ。あげたのを返されても扱いに困るし」
「……馬鹿。あんたにもらったのを売るわけないじゃない」
カエトスがシグネから目を逸らしつつ伝えると、シグネが呟くように言った。そして一言付け加える。
「……嬉しい。ありがとう……」
シグネはいつもの男勝りの態度とは打って変わったしおらしい仕草で、受け取った首飾りを両手で胸に抱いた。
どうやら気に入ってもらえたようだ。
カエトスは無事に渡せたことにほっと息をつきながら、グラスに手を伸ばした。
「……実はさ、私も話があったんだ」
思わぬシグネの言葉にカエトスは手を止めた。
「話?」
「うん。あのさ……カエトスがよければの話なんだけど、私と専属で契約しない? できれば、この先もずっと……」
シグネが酒場の喧騒に呑まれそうなか細い声で言いながら、カエトスを上目遣いに見つめた。恥ずかしそうに視線を逸らして、様子を窺うように恐る恐ると戻す。
シグネが何を言わんとしているか、カエトスにはよくわかった。彼女はつまり結婚して欲しいと言っているのだ。そしてそれはカエトスがこれまでにシグネに対して行ってきた様々なことが結実した証でもあった。
歓喜の感情が湧き起こる反面、緊張と不安に襲われる。
シグネは外見もそうだが内面も魅力的で、一緒に仕事をしていても話をしていても楽しい。働き者でよく気が付いて、儲けを重視するものの、それと同じくらい情にも厚いいい女だ。彼女のような人物を生涯の伴侶に迎えられたなら、きっと充実した人生を送ることができるだろう。
まともな目を持つ人間ならば、二つ返事でシグネの申し出を受けるはずだ。カエトスもそうしたかった。しかしカエトスにはそれを安易に受け入れられない事情があるのだった。
カエトスは自分に落ち着くように言い聞かせながら、こういった状況を想定して用意していた言葉を頭の中から引っ張り出す。シグネを傷つけずに答えを保留する言葉を。
シグネは不安げに視線を泳がせながら、カエトスの返答を待っていた。
意を決してカエトスが口を開こうとしたそのとき、酒場の入口から大きな音が聞こえた。そのあまりの大きさに喧騒が一瞬で静まり、屈強な男たちの視線が一斉に入り口に向けられる。
音は扉が凄まじい勢いで開けられたために発生したものだった。
カエトスは、全身から一瞬で血の気が引くのを感じた。
入口には二人の女が立っていた。そのどちらもが異様な気配を放っている。
一人は細身で、腰まである黒髪を無造作に下ろした長身の女だ。彼女は一目でわかる異様な格好をしていた。身に付けている分厚い革製のエプロンが血塗れなのだ。さらにだらりと下げた右手に持つものは、刃の重量で肉塊を切断する分厚い包丁。これも血糊がべったりとついている。まるでたったいま人を殺したばかりの殺人鬼のような風体だ。
もう一人は黒髪を短く切りそろえた小柄な少女だ。酒場に入ろうとしても絶対に制止されるであろう、子供のような外見をしているが、今は誰も彼女を止めようとしない。彼女の周囲の空気が、まるで燃え盛る火炎を纏っているかのようにゆらゆらと揺らめいているからだ。しかも裁縫道具が似合いそうな華奢な手には、自分の身長よりも柄の長い鉄槌を持ち、それを軽々と保持している。いまの彼女に触れようものなら、それで殴り殺されそうだった。
二人に共通している点が一つだけある。それは彼女たちが見ているもの。
二対の視線はカエトスへと向けられていた。
二人の女は、鬼気迫る気配を放ちながら、まっすぐにカエトスのテーブルへと歩き出した。
屈強な男たちが慌てて椅子やテーブルを抱えて進路を譲る様には目もくれずに突き進み、カエトスの座る椅子の前で立ち止まった。抑えきれない怒りに爛々と輝く瞳でカエトスを睨み付ける。
「カエトス、この人たちは?」
ただならぬ気配にシグネが戸惑った口調で尋ねる。視線は血塗れの包丁とエプロン、そして巨大な鉄槌とを行き来している。
カエトスはつばを飲み込もうとして失敗した。この一瞬で口の中がからからに乾いていた。
「こ、こっちの背の高いほうが猟師と肉屋を兼業してるジェシカで、小柄なほうが鍛冶師のマイニ。俺の……友人だ」
「そう。と、て、も、親しい友人。よろしくね」
ジェシカは一音ずつ強調するように言った。病弱そうな白い肌の上で、血のように赤い唇がにっこりと笑みを形作る。しかし切れ長の目は欠片も笑っていなかった。
隣りのマイニもシグネに目礼したが、すぐに愛らしい童顔には似つかわしくない険しい眼差しをカエトスに向ける。
「ふ、二人とも、まずその包丁と槌を置かないか? 大事な商売道具だろう?」
カエトスが何とか落ち着かせようと声をかけた次の瞬間、鈍い音を立ててテーブルに包丁が突き立てられた。
「これでいいかしら」
「あ、ああ。問題ない」
カエトスを傲然と見下ろすジェシカ。その目はまるで命を刈り取る死神のような凄惨な気配を放っていた。
カエトスの背中に冷や汗が噴き出す。目にも止まらぬ速さで振り下ろされた血塗れの刃は、テーブルの上に置いていたカエトスの左手指の間に突き刺さっていた。あと少しでもずれていたら指がなくなるか、手が真っ二つになっていた。
「それでね、今日はカエトスに聞きたいことがあって、こんなところまでわざわざやって来たの。私、あなたと結婚を前提に付き合っていたつもりだったんだけど、この私の友人マイニにも贈り物をしていたそうね」
ジェシカが左手を持ち上げてカエトスの眼前に突きつけ、眉間にしわを寄せたマイニが左腕を掲げた。
ジェシカの左薬指には翠玉のはまった金の指輪が、マイニの細い手首には青玉をしつらえた銀の腕輪がある。
カエトスはこの上ないほどに動揺するのが自分でもわかった。まさかこの二人が友人関係だったとは。衝撃の事実だった。
「そして、どうやらその彼女にも」
ジェシカの刃物のように鋭い視線が、シグネの手の中にある首飾りを射抜く。
「これはいったいどういうことなのか、説明してもらえる?」
ジェシカの声に詰問するような調子はなく、明日の天気を尋ねているかのように穏やかだった。だがそれが逆に怖い。火山が鳴動しているかのような不気味な気配がひしひしと伝わってきて、生きた心地がしない。
酒場の喧騒は完全に鳴りを潜め、これまでの騒ぎが嘘のように静まり返っていた。
カエトスは自分にいくつもの視線が突き刺さっているのを実感していた。客たちが固唾を呑んで成り行きを見守っているのだ。
いつかこの時がくると覚悟はしていたし、避けられないことも承知していた。
ここに至ってもはや言い逃れは不可能だ。言い訳は非礼にあたるし、そもそもカエトスは三人の女たちと交流を持ち始めたときから、嘘だけはつかないと決めていた。
予定よりも早く、心の準備もできていなかったが、もうやるしかない。
カエトスは腹をくくると、居住まいを正した。
「わかった。正直に話そう」
誰かがごくりと喉を鳴らす音が聞こえた。一言一句聞き漏らすまいとの気迫と戸惑い、憤りに漲った三人の女がじっと見つめる。
カエトスは彼女たちを順番に見渡した。
「マイニ、ジェシカ、そしてシグネ。俺は……三人とも同じくらい好きなんだ。だからみんなで仲良く暮らすわけには──うおっ!」
「寝言は寝て言ってもらいましょうかっ! 私は本気で聞いている!」
カエトスは咄嗟に立ち上がり飛び退いた。直前まで座っていた椅子が真っ二つになって床に転がる。目にも止まらぬ速さで包丁を手に取ったジェシカがカエトスを両断しようとしたのだ。
「ま、待てジェシカっ! お、俺も本気だっ。その指輪も腕輪も首飾りも、全部世界に一つしかない一点もので何一つ妥協はしてない。他にも──」
「うるさいっ! あなたがそんな男だとは……ハーレム願望を持っていたなんて思わなかったっ! 私は本気だったのに……!」
必死に弁明するカエトスを遮り、血塗れの包丁を手にしたジェシカがじりっと間合いを詰める。瞳に覗くのはとめどない殺意と深い悲しみ。
「は、話を聞いてく──熱っ!」
皮膚が焼けるような感覚がカエトスを襲った。
目を向けると、鉄槌を持つ少女の瞳が微かに赤い光を放っていた。周囲の大気が一層激しく揺らめいている。
マイニの職業は鍛冶師。それも〝自分の力〟で鉄を溶かし鍛造することのできる職人なのだ。つまり彼女の周囲で陽炎が発生しているのは、実際に彼女が高熱を放っているため。いつもは物言わぬ鉄に向けられるその力がいま、カエトスを襲おうとしていた。
「カエトスさん。わたしのこと好きっていうのは……本当ですか?」
荒ぶる気配とは打って変わった静かな口調でマイニが尋ねる。
「ほ、本当だ。断じて嘘じゃない」
「じゃあ、私をぎゅってしてください……!」
マイニがずいっとカエトスに近づく。熱気がより強くなった。冷や汗ではなく、本当の汗が全身に滲んでくる。真夏の昼間どころではない暑さだ。
ふと焦げ臭い匂いがカエトスの鼻孔をついた。視線を転じると、マイニの近くのテーブルや椅子から白煙が立ち上っていた。ランプの明かりに照らされ橙色に染まった煙が、酒場を覆い始める。
彼女の放つ熱量が、木材の発火点を超え始めているのだ。いやそれどころか、見る間に床板やテーブルの脚が赤熱し、火種が発生しだした。
この状態でマイニを抱き締めればカエトスは大火傷をする。だがそんなことよりも、彼女を一刻も早くこの酒場から連れ出さなければ火事になってしまう。
「マイニ、その男にはもう何も期待してはならない。ここで殺して区切りをつけましょう……!」
ジェシカが素早く踏み込んで、斬りつけてきた。彼女は飛び道具を使わず剣のみで獲物を仕留める特殊な猟師だ。その剣の腕前は達人級。ただの肉屋ではないのだ。
これ以上、ここには留まれない。
カエトスは次々と斬撃を放つジェシカの手を逃れながら酒場の入口へと駆けた。
外に出る前に立ち止まって店内を振り返る。
「俺は本気だった! それだけは信じて──」
カエトスの顔面の横で、破砕音が響いた。客の投げつけたグラスが扉に当たって砕け散ったのだ。
「うるさい、女の敵っ!」
「とっとと失せろ、三股野郎っ!」
給仕の女たちがカエトスに向けてお盆やグラスを投げつけ、客の男たちも次々と皿や椅子を投擲してきていた。
酒場の中の人間全てが敵に回っていた。
ジェシカが血塗れの包丁を手にカエトスに迫る。
カエトスは腰に剣を差している。しかし愛したことに間違いない女と刃を交えることなどできない。
カエトスはもう一度だけ酒場内に目を向けた。立ち込める白煙の向こうに、シグネの悲しそうな眼差しと、今にも泣きだしそうに顔を歪めたマイニの姿が飛び込んでくる。
胸がずきんと痛む。
カエトスは彼女たちの視線を振り払うように夜の街へと飛び出した。
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