切り取られる世界
たぶんそこを通り抜けたら、二度と元には戻れない。
そこは無人だった。
いつもなら、この時間帯はもっと人であふれているはずだった。田舎だから無人駅ではある。それでも、都会とは比べものにならないとはいえ、通勤通学の人々でそれなりに賑わっているはずだった。
しかし、誰もいない。
一瞬、時間を間違えたのかと思う。手元の時計に目をやるが、いつもと全く同じ時刻を指している。念のため駅の時計も見てみたが、やはり同じ時刻を指していた。自分の時計が間違っているということではないようだ。
ぴん、と張りつめた空気。
見えない結界が張り巡らされていて、その向こうは現実から切り離されているような、そんな錯覚を覚える。
この先には、進まない方がいい気がする。
家へと引き返して、急に体調悪くなったとでも言って、学校を休んでしまえばよいと思う。
だが――そういう「ずる休み」をするには、根が真面目すぎた。
「行かなきゃ」
もうすぐ電車が来る。乗らなければ、遅刻してしまう。
「……行かなく、ちゃ」
一歩を踏み出すのが、怖い。
行かなければならないのは、分かっている。それでも、行ってはならないと本能が告げる。
行ってはならない。
行かなければ。
行ってはならない。
――行かな、けれ、ば。
そうして、ようやく重い一歩を踏み出す。
相変わらず、誰もいない。改札の手前にも、その向こうにも、やはり人影ひとつない。あと数分で電車が来るはずなのに、前の電車からもう数十分は経っているはずなのに、やはり誰一人いないのだ。
駅の周りにも。
ホームにも。
あまりにも、生活感がなさすぎる。
あまりにも、現実味がなさすぎる。
在るべき世界であり、在らざる世界。
そこに足を踏み入れることが、何を意味するのか。
世界の境界を、越えるのか。それとも、狭間に堕ちるのか。
本能では分かっている。しかし、理性は否定する。
そんなことは、あるはずがないと。
かくして、少女の理性はわずかに本能を上回った。
意を決して、改札へと足を踏み入れる。
きぃん、と空気が根こそぎ差し替えられたような音がした。結界を越えた瞬間だった。
頭が締め付けられるような痛み。改札を抜けると、それはすぐに収まった。
そこは、いつもの駅のホームだった。
やはり、誰もいない。そこに誰かが立つのを待っていたかのように、電車が滑り込んできた。
扉が開いて、少女を迎え入れる。
どういうわけか、あるいは当然のことなのか、電車の中には人っ子一人いなかった。いつもなら、少なからず乗客がいるはずなのに。
今更のように不安が押し寄せる。
この電車は、どこに向かうのだろう。
私は、どこへ行ってしまうのだろう。
少女が座り、手にした荷物を抱え込むように俯き、扉が閉まる。
少女ただ一人を乗せて、電車は出発する。
見慣れた景色は、しかし今までと同じ世界ではない。
切り取られた世界。
戻ることのない世界。
ほどなく微睡みに落ちた少女だけを、どこかへと連れ去って。
「お姉ちゃん……」
――その日、ひとりの少女が、この世から姿を消した。
ほんのわずかな残滓だけを、姉と呼ばれた少女に遺して。
その存在そのものを、世界から喪失させた。
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