第10話 異臭

 その区画一体がみな古い建物である。

 町割りも古く、家同士が肩を寄せ合うように立っていて、道幅は狭い。

 彼は奥まった家の解体を依頼されたが「ここじゃ重機が入らないから、まあ人工にんくを揃えて手作業か」中々大変そうだと考えた。

 もう五年ほど空き家になっているそうだ。

 昨今、空き家対策特別措置法が施行されたが、所有者は空き家を中々解体できない事情がある。一つは更地にすると税金が増える。一つは解体する金がない。さらに古い家は建物としての価値が非常に低いので売るにも貸すにも難しい。百万からの金を工面することができない場合は放置する以外にどうしようもなくなってしまう。

 この空き家もそうで、五年前に先住の老人が死亡し、その息子が持ち主になっているが、彼も既に還暦を越えて解体費用は中々出せない。それを某大手不動産が解体して買い取るという。この区画一体を買い取る計画らしい。噂ではタワーマンションを立てるのだとか。

 さて、実際解体を始めてみると予想以上に腐っているところが多い。カビ臭いし五十年分のホコリやネズミの糞、虫の死骸が屋根裏から落ちてくる。

 と、すいませーん、と声が上がった。

「なんか屋根裏から出てきたんですけど」

 作業員の一人が顔を背けながら一つの箱をおろしてきた。 

 ウッ、と吐き気がこみ上げる。

 異様に臭い箱だった。

「やめろやめろ、近寄せるな」

「ヤバい臭いですよ、これ」

「なんだ……あっ……」

「どうしましょうか?」

「どうするって、どうしよう?」

 板を釘で合わせた蓋のない箱だった。

 濃い墨で文字が書いてある。


   死体

   良二


「これ、人の名前ですかねえ」

「そうだろうよ。優良可の良で、二はなんだ、数字か? そりゃおまえ……違うだろ」

「どうします、警察すかね」

「いや、でも中身見ないとなぁ……ただのネズミの死体とかさ、ああ、猫の名前かもしれないぞ」

「開けるんすか」

「開けないと」

「俺絶対イヤですよ」

「俺だってイヤだよ」

 結局その日はやめにした。明日防毒マスク持ってくるから、それからにしようということになった。

 でも、開けることはなかった。

 箱が無くなっていたのである。かわりにビールの空き缶が転がっている。

「参ったな……」

 盗難届として出すべきか、廃棄するつもりではあるが中身は確認してないし……。とりあえず空き家の所有者に連絡したが、なにも知らないということだった。すべて廃棄してかまわないし、誰かが持ってったとしても困らないから気にしなくていい、とは言ってくれたのだが、さて「死体」と書かれたものを放っておいて良いものか。

「まあ、しょうがねえよ」と急遽都合をつけてくれたベテランの職人が言った。

「どんなのだったか知らねえけど、無くなったらそりゃそういう運命だったんだよ。さっさと始めようぜ」

 ああ、そうですね。と仕事を始めた。

 昨日は自分と箱を見つけた男、その男の伝手つてで十九の若いのが二人入った。今日は大学があるとかで来ないが、明日明後日は手伝ってもらえる。

 あの二人は地元だし、ちょっと探りまわってもらうか……。


 翌日、二人の若者を前にして彼は驚いた。

 疲れ切って真っ青な顔をしている。冷や汗が浮いている。

「どうしたんだ」

 ちょっと三人だけでいいですか、と言うので現場は任せてカフェに入った。

「実は、あの箱なんですけど」

「まさかお前らが持ってったのか」

「すいません。地元の奴らと飲んでて、つい……」

「ついじゃねえよ。もうでもやっちまったことはいいから。それでアレはどうしたんだよ」

「あの、一昨日公園でボヤ騒ぎがあったじゃないですか」

「知らねえよ。お前ら、燃やしたのか」

「いや俺じゃないです。もう一人一緒にいて、そいつが無理矢理開けて」

「中見たのか」

「そいつだけ」

「で」

「やべーよこれ、っつって、なんか紙に火つけて中に投げ込んだら燃えちゃって……」

「そりゃ燃えるに決まってんだろ。燃してんだから。いいよ、もう。ようするにもう燃えちゃって無いんだな」

 正直、ホッとした。

 開ける必要もなくなったことだし。

「で、そいつ死んじゃったんですよ」

「え?」

「死んだんです」

「おう……」

「昨日。脳溢血だったらしいです」

「ふうん……」

「なんか、俺達もすげー体調悪くて……正直、死ぬかもと思ってて」

「医者行けよ」

「行きますけど、あの……つまり……あの箱ってなんだったんですか?」

「わからん」

「そうですか……お祓いとか、そういうの……そういうことする人って誰か知ってますか」

「まあ、一応。地鎮祭とかやるからな。その伝手で誰か探せるだろうけど」

「あの……」

「お前らさぁ、なんでそんな話になるわけ?」

「えっと」

「本当は見ただろう、中。中身」

「それは……」

 と黙った。十分ほど睨み合うような沈黙が続く。長い。ようやく

「……その、神主さんとかに言いますから」


 結局、両方とも緊急で入院することになった。が、一人は亡くなってしまった。

 原因不明の多臓器不全だったそうで、過労や作業中の事故の話にまでなった。勿論、問題はなかった。もう一人は肝機能障害で長く入院することになった。事件の経緯から何らかの毒を吸引したのではないかということにさえなった。

 だが、最終的にはよくわからなかった。

 後味の悪い話だけど、と彼は私に言った。

「結局のところ、何もわからなかった。箱の中に何が入ってたか、とか。何が起こったのか、とか。どうして燃やそうと思ったのか、とか。あと、どうして発見されるまであの異常な悪臭がわからなかったのか、とか」

「気づかなかったんですか」

「どういうわけだかな。すげぇ臭いんだけど気付かなかったよ。とにかくなんにもわかんねぇ。入院してたやつとももう連絡とれねぇし。別に前に住んでて人が呪術的なことをするような人だってこともなかったしな。じゃあ、住人がまったくあの箱と無関係かって言うと……」

「そんなことはありえないでしょうね」

「だろう?」

「でも、関係性を示す証拠はない」

「だから後味が悪いんだよ。何一つわからないけど、なんだか人が死んじまってさ」

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