第6話 火

「こっちじゃあ土葬いうんがのうなったのは四十年前後やなあ」

 四十年、というのは昭和四十年のことである。西暦にすれば1965年頃、東京オリンピックの翌年、大阪万博の少し前、高度経済成長期のど真ん中。

「戦後には減ったちうけどね。四国全部がそうだったか知らんけど、香川でもこっちの方じゃまだ土葬はあったわ。丸亀や観音寺はどうやろ、さかえとったからなあ、でもやってたんちゃうかな」

 川の向こうに土手がある。土手の向こうに墓石の頭が並んで見える。

「あれも僕らがガキんころは幾らかは土葬やったなぁ。僕は団塊世代よりちょっと下だけど、よう見たで。火の玉」

 鬼火、狐火、人魂……怪火現象、あるいは発光現象の記録は多い。一説には、土中の死体から発生したガスやリンが原因だといい、またプラズマを理由とする説もある。

 彼によれば父や祖母はもっと「普通に」見ていたそうで「梅雨のあたりになるとよう見たそうや」とのことである。

「やっぱり全部が火葬になってから無くなったね」

 思えば、現代の人があまりにも人魂を見ないのである。


 彼の爺さんがまだ若い時分のこと。

 その年は7月の中頃でも降ったりやんだり、梅雨がぐずぐず居座っていた。陰気でならない。日が落ちると大分涼しく、うとうとと寝やすいのだが、どうもその日は寝付かれない。しばらく布団の上で胡座をかいて煙草をんで、ふらりと表へ出た。夜の雲が星月を朧に隠し暗い。歩きなれた道だからわずかの明かりでも危なげなく、とっ、とっ、と散歩を続ける。

 川の向こうを見ると「おっ」と足を止める。墓地に鬼火が出ている。

 別に恐れることはない。出ておるなぁ、と思うだけだ。ふよふよと立ち上る怪しい火をしばらく見ていると、別の火が横からすぅーっと流れてきた。火は墓の中へ消えていった。おや、珍しいものだな、と見ていると陰火は全て消えてしまった。しばらく待っていたが、もう何もなかったので家に戻って、ごろりと転がると寝てしまった。

 翌朝、朝餉の最中に隣家の子供がきた。七軒隣りの老婆が亡くなったそうである。寝ている間に息を引き取ったそうな。もう八十を越えていたから大往生の部類だろう、そうかそうか、お前メシは食ったか、と子供に汁かけメシを出しながら、そういえば昨日こんなことがあった、と鬼火の話をした。奥さんが「それはおばあさんかもしれんねえ」と言う。「せやなあ」と腕を組む。子供は食い終わると、まだ伝令の役があるからと飛び出していった。

 通夜の晩に、彼は改めて「変わった鬼火を見た」という話をした。「人魂ちうんは初めてや」

「わしのおとうも昔見た言うとったで。なんでも隣の家の周りをぐーるりぐーるり回っとるそうでな、ほいで、不意に消えよる。ああ、これはなんやあるかもしれんと思うとったら、やっぱり次の日に死人が出たそうや」

「ああ、そないな話はわしもよう聞かされたで」

 亡魂というのを見たのは後にも先にもその一回だそうである。


……つい去年聞いた話だ。普段私は方言は廃して書くことにしているが(それは民俗学のほうでは大いに批判が提出されていることではあるが)、彼の声がまだ耳に残っているから方言を使ってみた。が、生粋の関東者だからおかしなところはあるかもしれない。

 まあ、そんな言い訳はいい。私がこの話を選んだ理由を説明したい。

 こういった話は、比較的「実話怪談」で採用されることが少ない。というのも、まず怖くない。次にありふれている。最後に証拠がない。

 怖くないのは一読頂いてわかろう、ありふれているのも感じられると思う。とくに驚きもしなかったはずだ。では最後は?

 この話は、ようするに「変わった鬼火を見た。」と「年寄りが亡くなった」という二つの出来事が起きただけにすぎない。この二つの関連性は示すものはなにもない。時間が同じだ、と思うかもしれないが、死亡時刻と鬼火の出現が完全に同期していると証明できるものはどこにもない。そもそも、その二つの出来事を結びつける合理的理由はないのである。せめて証拠がないと話としてはあまりに弱い。

 つまり、この話は退屈なうえに怪異を証明する力の弱い話なのだ。

 だから、私はあえて採用した。この話の登場人物たちは、この事実を怪異として受け取って、納得している。彼らにとっての現実では、怪奇現象が起こっているのだ。そのことによって誰かが迷惑したり、おかしな騒動に発展したりはしない。少しばかり驚いて「そんなこともあった」というだけ。やがて忘れられるだろう。忘れられていった話も数多くあることだろう。

 たしかにこれは正真の怪異ではないかもしれない、だが彼らの現実の中に存在した幻ーー人が怪異をよく作り出すということの一例として記しておきたかった。

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