第3話 稲
当時はもう八十は越えていたはずだから、大正か明治末に生まれた人であろう。私は昔から変わった話が好きで――ざっくばらんに言えば、怖がりの怪談好きで、よくそういう話をせがんでいたのだが、友人の隣家の老女が私たちを相手によくそんな話をしてくれた。
普段はなんとなしいかめしい婆さんなのだが、遊びに行くと玄関先でよく話してくれた。その人の話である。
彼女にとって最も奇妙な話は何か、と聞いたことがある。
それは「理不尽な幸福」だという。まあ、当時、幼少の私たちにそんな言い方をしてはいないが、ただそんな意味のことを言った。私たちは不思議に思って問うた。
「しあわせならなんだっていいじゃないの」
「そんなことはないよ。悪いものだってある」
ある年の夏。
村の外に辻があり、そこになにやらの芽が生えた。往来も寂しく日々踏まれることもなかったから村の誰も気にしないまま生えるに任せていた。それから三月して秋になる。
辻にはいっぱいの稲穂が生えていた。
およそ稲というのは水田に植えてものになる非常に手のかかる代物で、固く踏みしめられた道に勝手に生えるものではない。こんな異常な稲は駆除してしまわないと恐ろしいという人と、これはなにか賜りものだから大事にしたらよかろうという人達で言い合いになった。
言い合いになったところで、どちらも確証があって言ってるわけではないので話の落ち着き先はない。
「そんなに結構なものだと思うなら食べたいものは取って食べたらよかろう」というところで手を打つことになったが、いざ穂が頭を垂れても誰一人食べずにいた。ある夜、だれかが根から引き抜き焼き捨てた。
「食べる食べると言っていたのに結局焼いてしまったぞ」と笑うものたちがいれば「せっかくの天与の米を食べるつもりだったのにお前たちが焼いたのだろう」と怒る人達も出てくる。
それが元で騒擾が起こり、血を見る事態に発展し、半数に近い家が村を離れてしまったそうである。
これは江戸時代の話で、彼女も子供の頃に聞かされたものだそうだ。
ここには明確な怪異が起こってはいるが、それを恐ろしいものに変貌させたのは人間たちである、という変化球の変化球で一つ載せてみた。
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