第5話 汗と、生まれて初めての味

 それからというものの、開店の準備は時を忘れるくらいに早く進んでいった。

 テーブルの番号から、料理の運び方、時間いっぱいに詰め込めるだけ詰め込んだ。

 簡単に言えば、注文を取り、料理を運び、食べ終えた皿を下げる。

 これが私の仕事になる。

 

 出来る限りの事は覚えたが、もちろん、こんな短時間で店の全ての仕事を把握できる訳ではない。

 唯一の救いは、会計は入口の勘定場でクレアが椅子に座りながらやってくれることだろうか。

 

 それにしても、王宮を出た初日にこんなことになるとは思いもしなかった。

 つい先日まで王宮で王子だった私が、街で仕事をしている。

 客席の机を綺麗に拭きながら、自分の境遇の変わりようにどこか笑えてきた。

 

 客席全ての机を拭き終えると、広場の時計台から12時を示す鐘の音が聞こえてきた。

 12時の鐘の音が聞こえるとこの店は開店になる。

 

 私は一度外に出て、店の扉に掛かっている看板を「CLOSE」から「OPEN」へと裏返した。

 店の前には既に開店を待っていたお客さんが何人か居て、開店と同時に店へと入っていく。

 

 客席に座ったおじさんに水を運ぶ。私の顔を見ると、

「おうフェヴィル。新入りかい?」

 厨房にいるフェヴィルに聞こえるようにそう叫んだ。

「ああ、クレアがケガしちまってね。手伝ってもらってんだ」

 フェヴィルも厨房からおじさんの問いに答えた。

 

 お店は、開店から休まることがなくお客さんが入ってきた。

 注文を聞き、フェヴィルに伝え、出来た料理を運ぶ。お客さんが帰ったら皿を片付け、水が欲しいと言われれば注ぎに行く。

 仕事の様は立派とは言えないが、大したミスを起こすこともなく、お昼時のラッシュの時間を乗り切った。

 

「はぁー今日も忙しかったな!」

 フェヴィルはそういうと厨房から出て客席に腰かけた。

 15時を過ぎたあたりにお客さんが居なくなったので、夜まで少し店を閉店し休憩する。

 クレアは少し休むために、店の奥にある居住スペースへと入っていった。


「メイル。どうだ、大変だったろ。座って休みな」

 フェヴィルに誘われ私も座る。

「はい。忙しかったですね」

「夜は少しメニューや価格が変わるんだ。あと……」

 フェヴィルから夜の説明を受ける。

 仕事をしている人が多いお昼の時間帯も忙しいのだが、フェヴィル曰く、家族連れが来る夜はもっと忙しくなるらしい。


「まぁ、今の調子で夜も頼むよ。俺は夜の食材の買い出しに行ってくるから、メイルはゆっくりしといてくれ」

 そういうとフェヴィルは立ち上がった。

「私も付いていきますよ。荷物もあるでしょうし」

「いいのか?」

「ええ。もちろん」

「それなら助かるよ」

 

「フェヴィルさんって、ずっとここでお店をやっていたんですか?」

 買い出しに行く道すがら、フェヴィルに聞いた。

「いや。実は俺は数年前までハルシュ軍に居たんだ。こう見えても剣の名手として王宮の武道大会で優勝したこともあるんだぜ」


 ああ。なるほど――。

 出会った時に顔と名前に見覚えがあると思ったら。

 私は王宮に居る時にフェヴィルと出会っている。

 

 もう5年も前の事だろうか――。

 王宮の中では毎年武道大会が開かれる。

 軍から選抜された数名が王の前で模擬剣を使い技を競い合う。

 私は、公に姿は出せなかったがこっそりと見に行っていた。

 その時に、優勝していたのがこのフェヴィルである。

 後にも先にも、武道大会を見たのがこの1回だからはっきりと覚えている。

 

「そうなんですね。でも、剣の名手だったのになぜ料理人に?」

 純粋な疑問をぶつける。

「あの店は、俺の親父がやっていたんだけど病気をしちまってな。店じまいしようって話だったんだが、常連の多い店だったから、どうしても閉めたくなくてな。その頃の俺はもう35歳を超えて、軍人として体力的にも辛くなってきたから思い切って軍を辞めて、後を継いだんた」

「なるほど」

「親父は後を継いでしばらくして死んじまったけど、今では継いで良かったと思うよ。それに、今は得意の剣技を活かして、街のイルガードっていう義勇団に入って、団員に剣を教えててな。毎日が充実しているよ」

「なんか素敵な話ですね」

「ありがとよ。そういや、メイルはこの街で何してるんだ?」

「私はリッシュから、スプリンに仕事を求めてきたんです」

 リッシュとは、ハルシュの国土半分以上を占める街の名前で、ハルシュは、王宮のある街で都会のスプリンと、広大な田園地帯の広がる田舎町リッシュで構成されている。

 リッシュからスプリンへと仕事を求めてやってくる人は多いので、王子だと言えない私もそういう事にしておいた。

「出稼ぎか。立派だな」

「ありがとうございます」


 2人であれこれと話をしながら買い出しを終え、店に戻る。

 皿洗いや仕込みの手伝いをしていると、あっという間に夜の営業時間になった。

 

 夜のお客さんは常連も多く、和やかな雰囲気で時間は過ぎていった。

 確かに、夜は昼より忙しかったが、昼と仕事の内容は変わらなかったので、大したミスもなく閉店を迎えることができた。

 

 最後のお客さんを見送り、扉の看板を「OPEN」から「CLOSE」へと裏返す。


「今日も終わったー」

 伸びをしながらフェヴィルは叫ぶ。

「メイル。お疲れ様。ありがとね」

 クレアは笑顔で労ってくれた。


「メイル、お腹空いたろ。今作ってやるからな」

 フェヴィルはそういうと、厨房に入ってさっそく料理を作り出した。

 しばらくして、美味しそうな料理が机に運ばれてくる。

 クレアは1日休んで少し動けるようになったのか、勘定場から1人で歩いて席へと着いた。

 フェヴィルも席に着き、3人で料理を食べる。

 

 昨日まで、王宮に居て働くということを知らなかった。

 汗をかいて仕事をするなんて経験したことがなかった。

 でも、今は、なぜか心地よい疲れと、充実感で体が満ちている。

 

 その日食べた料理は、今まで、王宮で食べたどの高級料理よりも美味しかった――。

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