毛糸に繋がれたローズマリー

八坂ハジメ

圭人が繋ぐ麻里

 神様がもしいるのだとすれば、私は心の底から感謝しなければならない。土下座までするかもしれない。

 私――神崎真里は、それほどまでにあの夏の日の事を神様に感謝している。

 照れくさい話だけど、ここまで前振りしてしまったのだから語ろう。

 私と彼の、ある夏の一日を。



 その日は同じ高校に通う一人の男子と映画に行く約束をしていた。

 名は平谷圭人。

 彼とはいわゆる友達以上恋人未満の関係なのだが、私は彼に一定の好意は持っていた。


 そんな彼と映画に行くのだから当然準備は念入りにしたのだが、当日の朝は寝坊してしまい、家を出るのが遅くなった。

 間に合わないだろうな、と思いながら走っていた私はその後もいくつかのトラブルに見舞われ、待ち合わせ場所に着いたのは予定より数時間も後だった。

 我ながら恐ろしい運の悪さ。

 しかし余程暇だったのか。彼はその場所で私を待ち続けていた。

「ごめん!遅くなっちゃった!」

 数時間の遅れを軽い言葉で済ませながら、私は走って彼の元へ向かった。

「…………」

 怒っているというよりはむしろ呆れているような様子で、彼は私を見た。

「いや、昨日のうちに準備は済ませていたんだけど、何故か、ね?」

 聞かれてもいないのに、私はペラペラと言い訳をする。

「こっちは炎天下の中、何時間も待ったんだぞ。せめて連絡してくれればよかったのに」

 そう言って彼は、さっきも救急車のサイレンが鳴ってたし、熱中症で倒れてる人も多いんだからこんなに待たせるなよ――と愚痴を溢す。

「今ちょっとスマホが使えない状態でさ。許して!」

「まったく、どうするんだ。予約してた映画の時間、とっくに過ぎてるぞ」

 そう。当然の事なのだが、待ち合わせに数時間も遅れることを予想してこの日のスケジュールを組んでいたはずもなく、目的の映画のチケットは今から間に合う時間の分も既に完売だった。

 どうしたものかと考えた結果、私たちは今から気軽に行けて尚且つ入場料が無料という理由で、近場の動物園に行くことにした。



 本当は電車で行けば早く着けるのだが、どうしても電車には乗りたくない、という私の主張により、徒歩で向かうことになった。

「このクソ暑い中で数時間も待った上、更に歩くとかありえない」

 彼はもちろん不満タラタラだ。近場とはいえ電車で二つほど先の駅の近くなのだし当然か。

「ど、どうせ夏休みだし満員で乗れないよ!」

 必死に言い訳をするが、どう考えても満員電車の方がまだマシだった気がする。

「で、どうして電車に乗りたくなかったんだよ」

 彼が私に聞いた。

 そりゃあ、気になるだろう。別段電車嫌いというわけでもないのだから。

 だけど。

「まだ秘密」



そして数キロの徒歩ののち、動物園到着。

「で、まずは何から見るんだ?」

 彼に言われて私は入口近くに設置してある園内の地図に目を向ける。

 市が運営する入場無料の動物園なので、そこまで目新しい動物はいない。

「うーん」

私が決めかねていると、しびれを切らしたように彼が

「じゃあ、ふれあいコーナー。どうせ可愛い動物とか好きだろ?」と、ぶっきらぼうに告げた。

 彼が独断と偏見で私の好みを断定した件は置いておくとして、特に断る理由もないので私たちはふれあいコーナーに行くことにした。


 そこには案の定、ウサギやモルモットなどが沢山いて自由に触れていい、ということだった。

 なので手ごろなウサギに手を伸ばしてみたはいいものの。


「……全然寄ってこないな。心なしか怯えられてないか?」

 どうやら動物には好かれない体質のようだ。今までは特にそうだと感じたことはなかったのだが、仕方あるまい。

 強引に抱きかかえるのも嫌なので、私は結局ドヤ顔で彼が抱えたウサギを見ることしかできなかった。

   


 私たちは、その後も園内中を回った。

 レッサーパンダやペンギンなど、人懐っこい動物も勿論多かったが、どの動物も私の方へ来ることはなく、逆に隣の彼にばかり懐いた。結局、私は一度も動物に振り向いてもらうことなく動物園を出た。

 既に時刻は十五時近くになっており、丁度おやつの時間ということで私たちはドーナツ屋に行くことにした。



「僕はもう決めたけど、お前はどうするんだ?」

「これとこれ」

 私たちはレジの下に並べられた多くのドーナツを眺めながら注文していた。

「じゃあこの二つも追加でお願いします」

「……かしこまりました」

 店員さんが少し引きつったような顔をしていたようにも感じたが、気にせず私はドーナツを受け取った。

「何だったんだ今の人。俺の顔に何かついてるのか?」

「私が顔に落書きしたからじゃない?」

「何してんのお前!?」

「冗談だって」

 面白い反応なのはいいが、少し考えれば落書きする時間などないことくらいわかるものだが。

「本当そういうとこ鈍いよね」

「うるさい」

 彼が鈍くて良かった。

 まだバレていない。

 せめて、今日帰るまで――どうか。


   

「さて、次はどうしようか」

 ドーナツ屋を後にした私たちは、特にすることもなく、行き場に困っていた。

「私は適当に買い物とかでも大丈夫だよ」

「じゃあそうするか―――っと」

 行き先が決定すると彼の携帯に着信が入った。

「もしもし?何だ姉ちゃん、急に電話なんか――――は?」

 どうやら相手は彼の姉らしい。

 彼は何やら驚いた様子で、こちらをチラチラ見た後、近くのお店に目を向けながら電話している。

 私も目を凝らしてその中を覗くと、大学生くらいの女性がこちらを見ながら電話していた。

 おそらくあの人が彼の姉だ。

 もう、電話の内容がわかってしまった。

「いや、ここにいるだろ!?」

 ――本当は、もう少しこの時間を満喫したったのだけれど、仕方ない。

「だから、俺一人だけじゃねぇよ!もう一人一緒に―――――」

 私は彼の携帯を取り上げて、伝えようとする。

「あのね」

 だけど

「やめろ!何も言うな!」

 彼は拒む。

 あぁ、察してしまったんだろうなぁ、と悲しくなった。

 だけど言わないと。

「私、今朝かなり遅れたでしょう?」

「黙れ」

「黙らないよ。私、家を出て待ち合わせ場所まで急いで行こうとしたんだけど」

「いいから口を閉じろ」

「周りもよく見ずに走っていったのが悪かったのかな。急に曲がって来た車が、私の目の前に現れてさ」

すぅ、と息を吸い込む。既に呼吸も必要ないけれど。


「それで私、死んじゃったんだ。」



「どういうことだよ、真里」

 彼が、こちらを睨みながら言う。

「……そう怒らないでよ、圭人」

 すんなり受け入れられるわけがないとはわかっていた。

 私だって逆の立場なら悪い冗談だと思う。

「現に目の前に真里がいる。何だよ、死んだって。意味不明だ」

「でもね。私の姿、圭人以外には見えてないんだ」

「そんなの信じられるか。じゃあお前は幽霊だってのか?」

「正解」

「……もう、非現実的すぎてわけわかんねぇよ」

「……ごめんね」

 私たちの間には重い空気が流れていた。

 彼はまだ信じたくない、という様子で私に問いかける。

「真里が幽霊だ、っていう証拠。何かあるのかよ」

 非現実的、非科学的な存在に証拠を求めるのもおかしな話だと思ったが、このままでは納得してくれないだろう。

「お金が払えないから電車に乗れなかったとか、動物たちに怯えられていたとか、あとは……」

 私は少し考えて、一つ思いついた。

「じゃあ圭人。私に触れてみて」

 そう言って私は手を差し出す。

 彼は諦めたように手を伸ばし、私の手に触れようとした。

 いや、本来なら触れている位置だ。

 彼の手は、まるでそこに何もないかのように、私の身体を通り抜けた。


「……わかってもらえたみたいだね」

「…………」

「本当はね、私も死んだらあの世行きなんだけど、強い未練があったおかげで残れたみたい」

「強い未練?」

「だって、圭人と遊ぶ約束していたんだよ?破るわけにいかないよ」

 そう言って私は、力いっぱい笑った。

 一生分の笑顔を使った。

 悲しいまま終わりたくないから、必死に元気に装った。

「だけど、もう十分一緒に過ごせたと思うし、そろそろ逝かなくちゃ」

「………成仏、ってことか」

「うん。圭人のことだから、しばらくは私のことも引きずっちゃうのかもしれないけど、たまに思い出してもらえれば私はそれだけで幸せだから」

 本当は泣きたい気持ちを抑える。

 これできっと、永遠のお別れなんだろう。

 だけど、思い出の中の私には笑顔でいて欲しいから、私は泣かない。

「ちょっと待てよ、早すぎるだろ。真里、お前は十分って言ったけど、俺はまだ全然――――」

「いいんだよこれで。あのね。ローズマリーって花があるんだけど、花言葉が『思い出』なんだ。きっといつかこうなる運命だったの」

 ――少しだけ、希望を残す。

 私の名前も入っている、ローズマリー。

 実はもう一つ花言葉があるけれど――圭人じゃ、きっとわからないか。

「…………そん、な」

 相変わらず圭人は、悲しく、寂しい表情をしていた。

「笑って。そうすれば私も気が晴れるから、さ」

 私がそう言うと、もう諦めて現状を理解したのだろう。圭人は、涙目になりながらも私に笑顔を向けた。

「それで良し!―――じゃあね」

「……ああ」

 タイミングを見計らったかのように次の瞬間、私の身体は光に包まれ、消えた。



 私が死んだ日から数年。

 この日はお盆ということもあり、私は自分のお墓の周辺にいた。勿論、誰かに見えるような状態ではないのだが。

 毎年この時期に圭人は墓参りに来るので、そろそろだろうかと入り口の方に目を向けると、こちらへ真っ直ぐ向かってくる男の姿が見えた。

 圭人だ。

 彼はお墓の前に立つと、線香を焚きお花を供える。そして目を閉じて手を合わせながら喋りだした。

「長い間待たせてごめん。ようやくわかった」


 圭人はどうやら私に話しかけているつもりのようだ。一体どうしたのだろう。


「ローズマリーの花言葉。『思い出』だけじゃなかったんだな」


「苦労したよ。色々調べて何かないかってさ」


「『あなたは私を蘇らせる』」


「これが、もう一つの花言葉だ」


「―――真里」


 圭人は目を開け、見えないはずの私を見る。



「久しぶり。」

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毛糸に繋がれたローズマリー 八坂ハジメ @spart819

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