第26話「瑞夏」(5)優しく残酷な扉
目を覚ますと、視線の先に佑の靴があった。佐倉康昭邸のリビング、カーペットの上にわたしは転がされていた。手を動かすと、痛みとともに手首の自由が妨げられた。どうやら後ろ手に手錠をはめられているらしい。
わたしは目線だけを上に向けた。佑が見たことのない冷酷な表情をうかべて立っていた。
「なぜ……」
喉の奥からやっとのことでそう絞り出すと、佑は嘲りともとれるような笑みを浮かべた。
「なぜ、ですか。そうですね、あなたが不自然な生物……この世に存在してはいけない怪物だから、でしょうか」
怪物!まさか佑にそんなことを言われようとは。わたしは屈辱で全身ががわなわなと震えるのを感じた。なぜ、佑が?わたしを助けに来たのではなかったのか?
混乱する思考の中でわたしはふと、あることに気づいた。そういえば、あの厳重なセキュリティを佑はどうやって解除したのだろう?
「このまま死んでもらってもいいんですが、あなたも真実を知らされないままでは、浮かばれないでしょう。何か聞きたいことがあったら、今のうちに聞いてください」
佑は地の底から響いてくるような声で言った。わたしは悔しさで涙が出そうになるのをこらえ、もっとも知りたかった疑問を口にした。
「あなたが、バイロンなの?」
わたしは佑が「そうだ」と言うのを期待した。だが、その反応はわたしの予想を裏切るものだった。
「いや……僕はバイロンじゃない。そこに倒れている男も、バイロンではない」
佑は冷笑めいた表情を浮かべながら、かぶりを振った。
「じゃあ、いったい誰が『バイロン』なの?彼はどこにいるの?」
わたしは佑に噛みついた。もうこれ以上、勿体をつけられるのはご免だ。
「会いたいですか」
「もちろんよ」
「会わないままの方がいいと僕は思いますがね……どうしてもというなら『バイロン』をここへ連れてきましょう」
「つれてきて。すぐに」
わたしの勢いに気圧されたのか、佑は「やれやれ」というように肩をすくめた。
「わかりました。……少々、お待ちを」
佑はそう言い置くと、リビングから姿を消した。わたしは手錠をはめられたまま、燃え盛る暖炉の火を眺めていた。しばらく待っていると、奥の部屋に消えた佑が、異様な物体とともに再び姿を現した。
「それは……なに?」
佑は金属製のワゴンを押していた。ワゴン上には、計器のついた機械と、ジュラルミンのような光沢を放つケースが載っていた。
ケースの周囲からはなぜか白い湯気のような気体が立ち上っていた。佑は無言で分厚い手袋をはめると、おもむろにケースの蓋を開けた。
白い煙とともにケースから出された手には、円筒形のガラスケースがつかまれていた。
わたしはケースの中に収まっている物体を見て、悲鳴を上げた。
――わたしは……あれを見たことがある!
記憶の底から古い映像の断片が次々と立ち現れ、わたしはパニックを起こした。
「これが、あなたが会いたがっていた『バイロン』です」
佑はどこか面白がるような口調で言った。あれが……バイロンですって?
「それは、一体なんなの?」
――白い部屋、機械……いくつかの映像が組み合わさり、形を成し始めた。
「これは、十三年前にあなたの身体から採取された細胞を培養した物です。我々はこの細胞を『バイロン細胞』と呼んでいます。つまりバイロンとはあなたのことであり、あなたこそが爆破事件の『犯人』なのです」
脳天をどやしつけられたような衝撃だった。わたしは理性を保とうと必死になった。
「わたしの……細胞」
「そうです。」
「説明が必要でしょうから、お話しさせていただきます」
なだめるようにそう言うと、佑はガラスケースを金属の箱に戻した。
「そもそも『バイロン』というのは、とある科学者の愛称でした。彼は巨万の富を有する実業家でもあり、この『インペリアル記念病院』の立ち上げメンバーでもありました」
佑は室内をゆっくりと歩き回りながら、話を始めた。
「バイロン氏は十数年前、あることがきっかけで、特殊な細胞を持った人間を秘密裏に探すプロジェクトを立ち上げたのです」
「特殊な細胞?」
「天然の万能細胞とでも言いましょうか、他人の肉体とたやすく融合し、どんな臓器にでも高速で変化する、妖怪のような細胞です」
「わたしが……その細胞を持っていたというの?」
「そうです。事の起こりはこうです。バイロン氏には、幼い息子がいました。その子があるとき、治療法のない難病にかかったのです。このままでは長くは生きられないとの宣告を受けたバイロン氏は、臓器を丸ごと再生できる魔法の細胞を持った人間を探し始めました。
そしてたまたま、死の縁から奇跡的に生還した少女に出会ったのです。少女は大事故に遭い、主要な臓器のいくつかがほぼ壊滅していました。ところが、何の処置もしていないのに、数日のうちに「自分で自分を」再生していたのです」
「それが……わたしだったのね」
「そうです。特殊なルートで少女の情報を得たバイロン氏は、すでに完治していた少女を検査のためと称して自分の研究所に呼び寄せました。そして無断で細胞を採取すると、密かに培養し始めたのです」
わたしはぞっとした。要するに、人体実験だ。
「少女の細胞は日々、目まぐるしく変化しましたが、なかなか希望通りの機能を持つ形態にはなりませんでした。バイロン氏は少女を研究所に滞在させ、あちこちから集めた臓器不全の子供たちに片っ端から少女の細胞を移植したのです。
その結果、失われた機能が奇跡的に再生した子供が現れたのです。ほぼ同時に、三人も」
「まさか、その子供たちは……」
「あなたとほぼ、同年代の女の子達です。バイロン氏は三人の少女たちも研究所に寝泊まりさせました。移植の経過を見るためです。
そんなある日、研究所で原因不明の爆発事故が起きました。そして騒ぎの中で『バイロン細胞』のサンプルと、ホスト細胞の少女を含む四人の少女たちが行方不明になったのです」
わたしの脳裏に、ドアを開けて現れた三人の少女の映像が甦った。あれは、現実の出来事に基づいた夢だったのだ。
「少女たちを連れ去った首謀者は神坂という研究スタッフでした。神坂は研究を手伝う一方で、バイロン氏の行為を人権侵害と考ええていたようでした。貴重な細胞と被験者たちを奪われ、バイロン氏の研究は中断を余儀なくされました。そしてバイロン氏の息子は治療のかいもなく半年後に亡くなったのです」
「それが……わたしのせいだと?」
佑は頷き「……もっともこれはだいぶ後になってから聞いた話ですがね。実験がなされていた当時、僕は何も知らない無関係な子供でしたから」と言った。
わたしは記憶を弄った。フラッシュバックの映像の中に、たしかに佑らしき人物はいなかった。本当に無関係なのだろう。
〈第二十七話に続く〉
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