第25話「瑞夏」(4)待ち受ける真実


 インペリアル記念病院は、地下鉄の終点からバスで二十分ほどの丘陵地にあった。


 周囲は山を切り開いて造成した住宅地で、夜になると人の気配が完全に絶えてしまうような場所だった。インペリアル記念病院は住宅地のほぼ中央にあり、うっそうとした緑と高い塀で囲まれた建物はまるで要塞のようだった。


 理事長宅は広大な敷地の一角にあり、病院とは別に専用の門があるようだった。

 いきなり「あなたがバイロンですか?」と切り出したら、佐倉康昭は何というだろうか。


 ヴィクターの手帳から佐倉の名を見つけ出した直後、わたしは佐倉と会う口実を探し、ネットを検索した。調べているうちに、佐倉に『甦る人体――黄泉への途上からの帰還』という著作があることを発見した。


 ブックレビューによると、全身が焼け焦げるなど、瀕死の重傷を負いながら奇跡的に生還した人々のエピソードを取り上げた本だということだった。レビューには著者の言葉も抜粋されていた。


『彼らがなぜ復活できたのか、それは現代の医学をもってしても解明できない。わたしは今後も、こうした体験を持つ人々との出会いを求め続けるだろう』


 これだ、とわたしは思った。さっそく本を出した出版社に電話し、康昭の本を担当したという編集者を呼び出してもらった。

 わたしが爆破事故で全身がめちゃくちゃになった話をすると、編集者は興味を示したようだった。


 わたしは著者の佐倉康昭とじかに会って話をしたい旨を伝えた。これで返事がなければ、万事休すだ。


 二日後、わたしの携帯に連絡があった。


 ――今週の土曜日、午後八時以降に会ってくれるとの事です。


 電話の向こうでそう告げると、編集者は最後に「でも意外ですね。あの人はマスコミの人間ですら、あまり会いたがらない方なんですが」と疑問を口にした。


 わたしは心の中で、それは彼にとってわたしが危険極まりない人間だからだ、と呟いた。

 

                ※


 佑は門扉から数メートルほど離れた路肩に車を停めた。


「大丈夫?一人で行けます?」


「もちろんです。無理を言ってすみません」


「用件が済んだら、電話してください。またここに来ますから」


「わかりました」わたしは、礼を述べると、車を降りた。


わたしは門の前に立つと、あらためて周囲を見た。門柱の上にあきらかにそれとわかる防犯カメラが、かすかな音を立てながら動いていた。わたしは門柱に埋め込まれたインターフォンを鳴らした。


「どなたかね?」


 年配の男性らしき声が応じた。佐倉康昭本人だろうか?家族が出ると思いこんでいた私は意外の念に打たれた。


「お会いする約束をしていた能咲瑞夏といいます。佐倉先生はいらっしゃいますか?」


「佐倉は私だ。今、セキュリティを解除するから、入ってきたまえ」


 鉄製の門の真ん中でカチリ、と音がした。門を手で押すと、拍子抜けするほどあっさりと開いた。わたしは広大な理事長宅の敷地に足を踏み入れた。


 門から建物までは十メートルほどの距離があり、うっそうと茂った庭木の間に長いアプローチが伸びていた。

 建物の前に立ったわたしは一枚板の巨大な扉に圧倒されつつ、再度呼び鈴を鳴らした。


 扉の前で待っていると、少し間があってドアロックを解錠する音が聞こえた。


「どうぞドアを開けて入ってきたまえ。今、家に私以外の人間はいない」


 わたしは重厚な作りのドアを手前に引いた。ひんやりとした空気がわたしを包み、年月を経た家特有の臭いが周囲に満ちた。


「ようこそ、能咲さん。リビングはこちらだ。構わず上がってくれたまえ」


 長い廊下の奥に、扉を背に初老の男性が立っていた。あれが佐倉康昭なのだろう。


「お邪魔します」


 わたしは靴を脱ぐと、建物に足を踏み入れた。築五十年くらいは経っているだろうか。今どき珍しい本格的な洋館だった。通されたリビングは驚くほど広く、わたしは思わず室内を眺めまわした。


 アンティークなしつらえのテーブルと椅子に、作りつけの立派な暖炉があった。古めかしい調度品に混じって唯一、壁に埋め込まれた巨大なスピーカーだけが「現代」を感じさせた。佐倉康昭は壁にかけられた油彩画の前に立つと、わたしに鋭い視線を向けた。


「早速だが、あなたの不思議な体験というのは、どのような物かね?」


 康昭は自己紹介もそこそこに、いきなり本題を切り出した。


「いろいろあります。爆破事故に巻き込まれ、不思議な力で命拾いした話ですとか、人間に似た獣に襲われた話ですとか……」


「人に似た獣に不思議な力、か……面白い」


 康昭は特に驚くそぶりも見せなかった。わたしは思い切って賭けに出た。


「あなたが「バイロン」なんですか?」


 わたしは一切の前置きを省略し、いきなりバイロンの名を口にした。


「ふむ……どうしてそう思うね?」


「ヴィクターの持っていた手帳に書いてありました」


「なるほど、ヴィクターね……」


 わたしの不意打ちにも康昭は一切、動じる気配を見せなかった。次の一手を模索していると、康昭が唐突に問いを放った。


「ところで君、ここへは一人で来たのかね?」


「え……わたし一人です」


 わたしは咄嗟に嘘をついた。佑にとばっちりが行くことだけは避けねばならない。


「そうか、それは好都合だ。門のところを見ればわかると思うが、私は用心深くてね。いつ何時、不審な人物が屋敷に近づかないとも限らない。そこでだ」


 康昭はそこでいったん言葉を切ると、油彩画の脇にある小さなボタンを押した。モーターの音とともに絵が上に動き、その下の壁から窪みに収まったライフルが現れた。


「さて、色々と知りたいことはあるだろうが、ここは何も知らずにそのままあの世へ旅立った方が幸せというものだろう」


 康昭は窪みからライフルを取りだすと、銃口を私に向けた。うなじの毛が逆立ち、強い尿意を覚えた。ここでひるんではだめだ、とわたしは自分自身に言い聞かせた。


「わたしを殺す気ですか」


「こう言う成り行きになった以上、いたしかたない。よもやヴィクターまでがやられるとは思っていなかったのでね」


「やはりあなたが「バイロン」なんですね?」


 わたしは先ほどと同じ問いを重ねた。しかし康昭の返答はわたしの予想を裏切るものだった。康昭は一瞬、思案するように小首を傾げた後、ゆっくりとかぶりを振ったのだった。


「あいにく、私はバイロンではない」


「嘘っ。……じゃあ、バイロンは一体、どこにいるの?」


「君がそれを知ることはない。なぜなら、この後すぐ、君は死ぬからだ」


 康昭はライフルの引き金に指をかけた。わたしは思わず唾を飲み込んだ。


「私の所までたどり着いたのは立派だ。褒めてやろう。……だが、ここまでだ。観念して仲間たちの所に行くがいい」


 康昭の口元に残忍な笑みが浮かんだ。わたしは気取られぬよう、片手を腰のあたりにやった。今のわたしなら、相手が引き金を引くより早く、ピックを投げられるかもしれない。


「おっと、動いてはいかん。少しでも動く素振りを見せたら、引き金を引くぞ」


 康昭はそう言うと、銃の狙いをわたしの顔にぴたりと定めた。膠着状態だった。迂闊に動いたら、こちらの負けだ。そう思った時だった。


「やめろ、撃つな!」


 背後から声がした。わたしはピックを手にすると康昭の顔めがけて放った。


「うっ!」


 わたしが投げたピックは康昭の額に命中した。わたしが銃を奪おうと足を踏み出した時、人影が風のように傍らを駆け抜けた。わたしは驚き一瞬、動きを止めた。


 次の瞬間、わたしが目にしたのは、康昭とライフルを奪い合っている佑の姿だった。


「百原さん!」


「離れているんだ、能咲さん」


 一進一退のもみ合いの中で、佑が叫んだ。やがて鈍い打撃音と「うっ」という呻き声が聞こえ、康昭が床に崩れた。佑が鳩尾に一発を見舞ったらしい。


「けがはありませんでしたか?」


 振り返った佑が、両肩を大きくあえがせながら言った。わたしはか細い声で「はい、なんとか」と応じた。佑は康昭が気を失っていることを確かめると、床に転がったライフルを拾いあげ、壁に立てかけた。


「胸騒ぎがしたので、心配になって来てみたのですが……これはどういうことですか?」


「この人が……インペリアル病院の理事長が、たぶん爆破事件の首謀者です」


 わたしが告げると、佑は信じられないというように何度も目をしばたたいた。


「本当ですか?……もしそれが本当なら、このままにしておくのは危険だ。とりあえず、こいつを何かで縛り上げましょう。近くにひも状の物はありませんか」


 佑に言われ、わたしは室内を物色した。ひもこそ見当たらなかったが、ほどなくソファに掃除機が立てかけてあることに気づき、歩み寄った。


「掃除機のコードはどうでしょう」


 屈みこんでコードの場所を探しつつ、わたしは佑に問いかけた。が、なぜか佑からの返答はなかった。不審に思い、立ち上がって背後を振り返った、その時だった。


「うっ!」


 首筋に凄まじい衝撃を覚え、そのままわたしは床に倒れこんだ。意識が闇に呑まれる中、わたしは問いかけた。


 ――スタンガンだ。……いったい、なぜ?


              〈第二十六話に続く〉

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