第22話「瑞夏」(1)闇からの招待状


 わたしはベッドに横たわっていた。


 ベッドの周囲を白衣を着た大人の男女が、忙しなく動き回っている。

 わたしは頭や腕にコードをたくさんつけられ、よくわからない機械に囲まれていた。 


 機械の隙間から室内を眺めていると、私の目は奇妙な物体に吸い寄せられた。

 それはガラスの円筒だった。円筒は液体で満たされているように見え、わたしは 水槽を連想した。円筒の下の方には白っぽい握り拳大の塊が沈んでいた。

それを見た瞬間、私の胸に言いようのない痛みが走った。


 ――助けて!


 声とも信号ともつかない電流のような何かが、わたしの脳内を駆け抜けた。

 わたしは反射的に身じろぎした。同時にガラス容器の中の塊も、震えたように見えた。


「何だ?」


 機械についている画面を見つめていた男性が、振り返った。男性は私と容器を交互に見遣ると、驚愕の表情を浮かべた。その瞬間、わたしの目の前で火花がさく裂し、景色が一変した。


 視界が甦った時、わたしの目はガラス容器を捉えてはいなかった。今、わたしが見つめているのは、ベッドに横たわる幼い少女だった。


 あれはわたしだ――と、直感が告げていた。では、わたしをみているわたしは誰なのか。


 ベッドの上の少女は目を見開き、こわごわとこちらを見ている。わたしとベッドの上の少女との間には、うっすらと曇った何かがあった。ガラスだ。わたしの前に、ガラスがあるのだ。

 

――わたしは……わたしは……


疑問が限界まで膨れ上がった、その時だった。バタン、と大きな音ともに奥の扉が開け放たれた。ドアの向こうの廊下には、三人の少女が立っていた。


「迎えに来たよ、瑞夏」 


 ガラスを挟んだ向こう側の「わたし」が、ゆっくりとベッドから身を起こすのが見えた。


――待って、行かないで!


ベッドから離れて部屋を出ようとする少女の姿が、なぜか揺らめいて見えた。同時に三人の少女たちも、白衣の男たちもビデオ画像が乱れるようにぐにゃりと形を崩した。


――あの子が、わたし……


「……瑞夏、瑞夏ったら!起きてよ、もうっ」


 肩を揺さぶられ、わたしは目を覚ました。


「あ……陽苗」


 わたしは半分寝ぼけた頭で、陽苗とカフェで待ち合わせていたことを思い出した。


「疲れてるんじゃない?結構、大きな声で何度も呼んだんだけど」


「ごめん。このところバイトとか忙しくて……」


 わたしは口から出まかせを言った。忙しいのは事実だったが、それ以上に立て続けに身辺に起こる異常事態に、わたしは消耗しきっていた。


「無理しない方がいいよ。……とかいいつつ、来月の公開放送、よろしく頼むね」


 陽苗はクリアファイルからA四版の紙を取りだした。来月、ミニFM局の番組内で行われる公開ミニライブの詳細だった。


「ヴォーカルは瑞夏ちゃんと私で、ギターはイットモさん。ベースは凛那。いい?」


 わたしは頷いた。ライブなど、とてつもなく久しぶりのように思えた。


「さて、何の曲をやるかなあ。あのさ、『メアリー』の曲とか、やっぱり抵抗ある?」


 ううん、とわたしは考え込んだ。やることに抵抗はないが、感極まって演奏が滞ったら迷惑をかけることになる。


「無理にやることはないけど……いい曲、いっぱいあるからさ」


「そうだね……そろそろ、向き合うべきなのかもしれないね」


 わたしは宙を見つめ、ぼそりと言った。その時、私の携帯の着信音が鳴った。


「あ……杏子さんだ」


 メールの送信者は、事務所のマネージャーである葛城杏子からだった。


「お仕事?」


「何か……わたしに相談事があるみたい。でも……」


「あ、私も事務所に置きっぱなしの荷物があるんだ。一緒に行く?」


「いや……事務所じゃないの」


 わたしはかぶりを振った。あの場所で一体、何の相談をするつもりだろう。


「どこ?……行きづらい場所?」


「ディオダディよ。ステージを新しく作り直すから、アイディアが欲しいんだって」


 わたしは「とりあえず行きます」と返信を打つと、ため息をついた。


 今のわたしに、未来のヴィジョンを求めたって仕方がないのに。


               ※


 押し開いたドアの向こう側は、死の世界だった。


 黒ずみだらけの廊下は、放水の際に押し固められたゴミが岩のようにこびりつき、メインホールに通ずる二つのドアは爆風で吹き飛ばされ、ただの四角い穴と化していた。


 わたしは靴底のざらつきを気にしながら廊下を進み、メインホールに足を踏み入れた。


 ホールの内部は予想を上回る惨状だった。ステージは天井が落ち、炭化した壁材と溶けた照明が一体化していた。


 さすがにもう死体はなかったが、私の脳裏には爆発直後の様子がくっきりと刻まれていた。煙と死者で身動きすらままならなかった地獄が、今は静謐な墓所となっている。わたしはあらためて失った物の大きさをかみしめた。


 杏子さんは、ここで一体どんな相談をしようというのだろう。


 途方に暮れていると、ポケットの携帯が鳴った。


「もしもし?」


 電話に出ると、杏子の声が「瑞夏ちゃん、もう来てる?」と応じた。


「来ましたけど……今、どこにいるんですか?」


「急に呼んじゃってごめんなさい。明日からまた撤去作業が入るらしくて、今のうちに色々なことを相談しておきたかったの」


「色々なことって何です?」


「それなんだけど……実は今、ビルの屋上に来ているの。申し訳ないんだけど、階段で上って来てくれないかしら」


「屋上、ですか。勝手に上がっていいんですか?」


「ええ、大丈夫よ。七階の非常出口を開けてあるから、そこから屋上に出られるはずよ」


「わかりました。行きます」


「エレベーターが動いていればよかったんだけど……ごめんなさいね」


 わたしは通話を終えると、ホールを出た。階段など、一度も使ったことがなかった。


 あちこちうろつきまわった挙句、廊下の突き当りに階段室と表記された扉を見つけ、わたしは七階に向かって移動を始めた。


 杏子が言っていた屋上に通ずるドアは、比較的容易に見つかった。


 重い鉄製の扉を力任せに押し開けると、開いたドアの隙間から日暮れ時の冷たい風が吹き込んできた。わたしはおそるおそる、コンクリートの床に足を踏み出した。


 屋上は鉄製の手すりでぐるりと囲まれていた。わたしは杏子の姿を探し、視線を巡らせた。やがて私の目は一つの人影を捉えた。杏子だった。


「杏子さん」


 杏子は手すりにもたれ、うつろな表情でこちらを見ていた。わたしは杏子に歩み寄った。


 歩き出してすぐ、わたしは杏子の様子がおかしいことに気づいた。顔はこちらに向けられているのに、杏子の目は私を捉えてはいなかった。


「杏子さん、大丈夫ですか?」


 声をかけようとした途端、杏子はいきなり膝から床に崩れ落ちた。わたしは駆け寄り、杏子の身体を抱きかかえた。


「どうしたんですかっ?」


 わたしは杏子の身体を揺さぶった。首ががくりと垂れ、ゆらゆらと揺れた。


 意識がない。……どうして?


「ようこそ、ミス瑞夏。わざわざ足を運んでいただいて、恐縮です」


 背後から太い声が飛んできた。声のしたほうを振り返り、わたしは思わず息を呑んだ。


「ヴィクター……」


 階段室のコンクリート壁を背に、黒づくめの人物が立っていた。


           〈第二十三話に続く〉

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