第21話「姫那」最終回 闇に羽ばたく
着替えを済ませ、ロッカーからバッグを取りだすと、待っていたかのように着信音が鳴り響いた。
『体育館で模擬店の打ち上げをしています。食べ物がたくさん余ったから、来ませんか?他にも残っている子たちがいるので、校門は開いています』
陽苗からのメールだった。わたしは時計を見た。もう九時になるというのに、まだ学校に残っていたのか。わたしはちょっと考えて返事を打った。
『行ってもいいけど、三十分くらいかかるよ』
アルバイト先のカラオケ店からY女学院まで、さほど遠くはない。が、夜に訪れるのは初めてだった。店を出ると、外は小雨がぱらついていた。断っても良かったかな、心のどこかでそう思いながら、わたしは駅への道を駆けた。
地下鉄を降り、しばらく行くと、Y女学院へと続く道に出た。通りはすでに人通りが絶え、闇に沈んでいた。昼間とはまるで異なる風景にいささかひるみつつ、わたしは記憶を頼りに校門を目指した。
まもなくコンクリートの長い塀と、鉄の門が現れた。おそるおそる門を押すと、メールにあった通りあっさりと内側に開いた。
わたしは昼間、陽苗たちの演奏を見た体育館を目指した。校舎の周りをぐるりと回ると、体育館の巨大なシルエットが唐突に出現した。校舎と体育館をつないでいる通路に扉があり、そこから光が漏れていた。
そっと扉を押し開けると校門同様、苦もなく開けることができた。わたしは土足で上がりこむと、体育館の入り口を覗き込んだ。
薄暗い体育館に人気はなく、ステージのあたりだけが弱い光に照らされ、ぼうっと浮かび上がって見えた。
妙だな、とわたしは思った。翌日の準備なら、もう少し賑やかな気配があってもいいのではないか。不審に思いながらも、入り口から中へ足を踏み入れた、その時だった。
「うっ!」
首筋にすさまじい衝撃を感じ、わたしは床の上に倒れこんだ。
電撃だ!ニコラの時に食らったのと同じ……ということは。
「やれやれ。もう少し警戒したほうがよくはないですか?お嬢さん」
床の上に伏したわたしに、頭上から聞き覚えのある声が降ってきた。
「あなた……テスラね?」
「いかにも、その通りです。この間は兄がお世話になりました。今日はわたくしがお相手をいたしましょう」
そういうと、テスラはわたしの首筋に再び棒のような武器を押しあてた。どうやらもう一度、電撃を見舞うつもりらしかった。
「今度は、倒れるくらいではすみませんよ」
なぜ?……なぜ、こいつらはしつこくわたしを殺そうとするの?
敵の執拗さに、恐怖を超えた怒りが沸き上がった。怒りはわたしの全身を覆い尽くし、やがて首筋のあたりにちりちりと燃え上がるような痛みが現れた。
「一度で殺すのはつまらないのですが……あなたの場合、手加減するとこちらがやられかねないのでね。威力を最大にさせてもらいますよ」
テスラは憎悪のこもった声で言うと、棒を持つ手に力を込めた。棒の先端が首の肉にぐいと食いこみ、わたしはひっと悲鳴を上げた。
「お別れです、お嬢さん」
テスラがそう言い放った時だった。後頭部の毛が一斉に逆立ったかと思うと、爆発的な勢いで伸びてゆくのがわかった。
「なっ……なんだっ!」
テスラの恐怖を含んだ叫び声が響いた。テスラの持つ武器に、自分の髪が生き物のように絡みつくのがわかった。
「くそっ、なんだこいつはっ!」
テスラがひるんでいるのが、後ろ向きの体勢でも手に取るようにわかった。わたしの髪は伸び続け、やがてテスラの手首にまで達した。時折、カチッ、カチッと聞こえる小さな音は、どうやらテスラが電撃のスイッチを入れようと躍起になっている音らしかった。
「畜生、どうして動かないっ」
テスラは苛立ったような声を上げた。絡みついた髪の毛が電極を封じているのか、いっこうに電撃の放たれる気配はなかった。わたしは両手と膝を床につけると、思い切って身体を反転させた。
「うわっ!」
思いがけぬ方向に引っ張られたことでテスラはバランスを崩し、床の上に転がった。
武器に絡みついた髪を引き寄せると、武器はテスラの手を離れてわたしの足元に転がった。わたしは武器を拾いあげ、うつ伏せで倒れているテスラの背に押し当てた。
――やらなければ、やられる。
わたしはためらうことなく、武器のスイッチを入れた。
「ぐあっ」
獣のようなうめき声を上げ、テスラが痙攣した。
わたしは武器を手にしたまま、くるりと踵を返すと出口に向かって走りだした。
校庭に飛び出したわたしは足を止めると、周囲を見回した。やがて飲料を冷やす巨大な水槽を見つけると、テスラの武器を投げ込んだ。わたしは校門を視野に収めると、雨にぬかるんだ校庭を一気に駆けて行った。
学校の前は、来た時と同様に人気がなかった。少し走れば交通量の多い通りに出られるだろう。しかし――とわたしは思った。
逃げて、どうなる?逃げても逃げても、結局は奴らに待ち伏せされるに決まっている。
――それでも、逃げるしかない。
わたしははるか先に滲んでいる往来のきらめきをめざして駆け出した。
走り出して間もなく、わたしはどこからともなく聞こえてくる不気味な音に気がついた。
羽音?
そう思った時だった。鋭い爪の感触が、わたしの両肩を捉えた。次の瞬間、私の身体は突然重力から解き放たれ、ふわりと宙に浮かんだ。
「何?」
わたしは頭上を見た。そこには人の形をした禍々しい生き物の姿があった。
「まったく手間をかけさせてくれる……楽に死なせてやるつもりだったが、こうもなめられては、慈悲をかける必要もない」
耳まで裂けた口から、テスラはわたしに向かって呪詛の言葉を吐いた。よく見るとテスラの両腕にはコウモリを思わせる膜状の羽があった。おそらくこの羽を使ってニコラの死体を運び去ったのに違いない。
「死ぬ前に夜景を存分に楽しむがいい。その代わり、十分な高さに達したら、地上にダイブしてもらう」
そう言うとテスラはぐん、と上昇した。わたしは足元に目をやり、思わず声をあげそうになった。わたしのいる高さは電線くらいにまで達していた。真下の往来に、路上駐車の車やごみ箱が、ミニチュアのように小さく見えていた。
わたしは恐怖で思わず、テスラの足首をつかんだ。ズボンから出たテスラの脛には、獣のような固い毛がびっしりと生えていた。
「くくく……この高さでいったい何ができる?私が地上に下ろさない限り、お前は助からない。仮にこの爪から逃れられたとしても、地上に落下するだけだ」
わたしがニコラの時のように『爪』で攻撃すると思ったのか、テスラは機先を制するように脅しの言葉を吐いた。
「心配しなくても、まだ離しはしない。たっぷりと恐怖を味わってからだ」
テスラはそう言うと、わたしを捉えている爪に力を込めた。
「ううっ!」
猛禽類を思わせる鋭い爪が、わたしの両肩の肉にずぶりとめり込むのがわかった。
わたしは再び、頭上のテスラを見上げた。テスラは血走った目をこちらに向け、悪魔の笑みをたたえていた。尖った歯の間からしたたり落ちた涎がわたしの顔に落ち、わたしは思わず顔をしかめた。
「さて、そろそろだな」
テスラが歓喜に声を震わせながら言った。わたしは恐怖で身を固くした。その時だった。
わたしの背中を、またしても燃えるような刺激が駆け抜けた。わたしは本能的に頭を垂れた。同時に後頭部の髪が凄まじい勢いで上に伸びるのがわかった。
「うっ!」
わたしは自分の髪の毛がテスラの首筋に巻き付くのを感じた。
「むうっ!」
ふいに肩に食い込んでいた爪の感触が消えた。わたしは必死でテスラの足首を握った。手の力を緩めたら、あっという間に地面に叩きつけられてしまう。
「ぐ……ああっ」
テスラが苦悶の呻きを漏らした。首に巻き付いたわたしの髪が、テスラの喉を締めあげているのだ。わたしは肩口に強い痛みを感じながら、早く決着をつけなければと思った。
――こうなったら、もろともだ。
わたしは両手を思いきってテスラの足首から離し、自分の後ろ髪をつかんだ。
「ぐえっ!」
くぐもった悲鳴が聞こえ、首から上が強く引かれるのを感じた。わたしとテスラは地面に向けて急降下し、トラックの幌の上に落ちて大きく弾んだ。二つの身体はもつれあうように放り出され、空中で位置が入れ替わった。テスラが先に地面に叩きつけられ、わたしはテスラの上に背中から落ちた。凄まじい衝撃と痛みに、わたしは思わず悲鳴を上げた。
しばらく動けずにいたわたしは、髪の毛が元に戻るのを待って立ち上がった。
わたしの傍らには、頭から血を流して倒れているテスラの姿があった。テスラはぴくりとも動かなかった。頭部から流れ出したテスラの血は、雨に混じって道路を流れ、排水溝の中へと流れ込んでいた。テスラがどうなったかは、確かめるまでもなかった。
――なぜ、わたしの周りには死ばかりが増えてゆくのだろう。
わたしは濡れそぼった自分の両肩をかき抱き、地面にうずくまった。
死ねない。真実にたどり着くまで、わたしは死ねない。
この身体は、爆破事件の謎を解くために仲間たちが与えてくれたものだから。
わたしはふらふらと立ち上がると、雨に滲んでいる街の灯をぼんやりと見つめた。
やがて目を閉じかぶりを振ると、テスラの亡骸に背を向け、闇の中を歩き始めた。
〈第二十二話に続く〉
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