第17話「姫那」(1)遠き呪縛の紋章

 

「あのー、被服科の出しているお店って、どこかわかりますか?」


 賑やかなBGMが鳴り響くキャンパスで、わたしは通りすがりの女の子に尋ねた。


 ポニーテールを高く結った小顔の女の子は、大きな瞳をくりくりと動かすと「あっち」と、校舎に近い一角を指さした。わたしは「どうもありがとう」と礼をのべて歩き出した。


 女子高の学園祭。それは禁断の乙女の園が年に一度、外部の人間に解放される一大イベントだ。わたしは陽苗の誘いを受け、Y女学院のキャンパスにやってきたのだった。


 そわそわとどこか落ち着きのない、他校の男子生徒や、メイド服やらチャイナ服やら、ここぞとばかりに自由な格好で歩き回る女子生徒がそこかしこに見受けられた。


「あ、瑞夏ちゃん、こっちこっち。来てくれてありがとーう」


 大声でわたしを呼んだのは、着物を着て日本髪風にした陽苗だった。


「今年は茶道クラブと合同で、純日本カフェをやってるの。本当は校舎の中に茶室もあるんだけど、今日は野点って言って、まあ、和風のオープンカフェみたいな形でやってるんだ。大きい傘が見えるでしょ。あそこよ」


 陽苗はわたしを、赤い番傘と非毛氈でディスプレイされた空間へと促した。


「それにしても凝ってるわね、今日の格好」


「えへへ。ヘアメイク科の子にやってもらったんだ。日本髪なんて初めてだって、汗かきながらやってくれたんだよ」


 わたしの物珍しげな視線に、陽苗は照れくさそうな笑みを返した。


「いらしゃいませー」


 時代劇の町娘を思わせる店員が、わたしを出迎えた。陽苗からもらったチケットを手渡すと「お好きな席へどうぞ」と、笑顔が返ってきた。腰を落ち着けると、少し離れた場所で茶釜が湯気を立てているのが見えた。本格的なお点前だな、とわたしは思った。


 ぼんやりお茶が来るのを待っていると、紙に乗ったお菓子が運ばれてきた。ピンクとグリーンの練り切りだった。


「お茶菓子は、お茶の前に召し上がっていただいてもいいんですよ」


 運んできた女の子に笑顔で言われ、わたしは練り切りを口に運んだ。ほんのりと優しい甘みが舌の上に広がり、頬がほころんだ。こんな平和な時間もあるんだな、とわたしは久しぶりに心が和むのを覚えた。


 やがて陽苗が淹れたての抹茶を運んできた。表面が泡の滑らかな皮膜で覆われ、茶筅の細やかな動きが思い浮かぶようだった。わたしは両手で茶碗を包み込むと(ええと、どうするんだっけ)と思案した。


「あ、普通に飲んで。作法とか、お客様には関係ないから」


 陽苗にうながされ、わたしは茶碗におずおずと口をつけた。クリーム状の泡が舌の上をとろりと流れ、まろやかな苦みが口の中に広がった。わたしは直感的に(あ、おいしい)と思った。苦みの中にもほのかな甘さがあり、それが「お茶をたしなんだ」という満足感を与えるのだった。


 わたしがうっとりと余韻を味わっていると、突然、横合いから「きゃっ」という声が上がった。見ると、近くにいた幼い子供が、茶碗をひっくり返していた。子供はショックで泣き始め、若い母親はおろおろしながら、しきりに店員に詫びていた。


「大丈夫ですよ。今、お代わりをお持ちしますから」


 店員が母親をなだめ、陽苗が雑巾を手にやってきた。わたしはお茶を飲むのを中断し、騒動が静まるのを待った。陽苗がしゃがんで着物の袖をたくし上げたとき、わたしは一瞬、はっとした。ちらとではあるが、陽苗の二の腕に、タトゥーらしき物が覗いたからだった。


 陽苗……まさか?


 Y女学院は、どちらかというと校則が厳しいことで知られている。芸能活動をしているとはいえ、タトゥーなど入れたら、停学になってもおかしくはない。わたしが呆然としていると、突然、背後から怒気を含んだ声が浴びせられた。


「お前、いったい何を入れてるんだ?」


声のしたほうに目を向けると、サングラスをかけた長身の男性が立っていた。


『デュアルブラッド』の片割れ、石黒智城いしぐろともきだった。


「イットモさん……」


 陽苗の顔面が蒼白になった。一瞬、あたりに沈黙が満ち、場の空気を乱したことに気づいた石黒は、はっと真顔になった。


「すみません……」


 石黒はそのままくるりと背を向け、その場から立ち去った。陽苗はしばしばつが悪そうに動きを止めていたが、やがてこぼれた飲み物を拭き始めた。


 わたしは、気まずさを胸に残しつつ、出されたお茶を飲み終えた。


「じゃあ、陽苗、また後でね」


 わたしの呼びかけに、陽苗はうかない顔で「うん」と返した。着物の袖は元のように下され、先ほど見たものを確かめることはできなかった。


                 ※


「ワン、ツー、スリー!」


 ステージの中央でギターを抱えた少女が叫ぶと、爆発的な勢いで演奏が始まった。


 四人編成のシンプルなビートロック。演奏が始まってわたしが真っ先に感じたのは、


――わたしたちと、近い。


 ということだった。ギターを前面に押し出したサウンド、早いテンポのドラミングは、わたしたちの『メアリー・シェリー』にとてもよく似ていたのだ。


 演奏が進むにつれ、わたしの目はベースを弾いているゴシック・ロリータ風の女の子に吸い寄せられていった。高い位置でツインに結った髪を振り乱し、少女は指弾きで細かいフレーズを奏でていた。その演奏スタイルは、姫那とそっくりだった。


 よく見ると、顔もどこか似ている。よもやと思い、わたしは少女の指に視線を向けた。


 あれは……姫那のリング?


 少女が左右の指にはめているリングは、姫奈がライブの時につけていたリングと同じデザインだった。


 ――あの子、もしかして姫那の妹?


 姫那にはたしか、年子の妹がいると聞いた覚えがある。もしそうなら、姫那のつけていたリングをしていてもおかしくない。演奏がソロに入り、少女はベースを弾きながらステージの袖へと移動を始めた。わたしはより近くで見ようと、少女の真正面へ移動した。


 少女が客席ギリギリまで近づいた時、わたしはあることに気づきはっとした。


 ――あのデザインは……


 少女の左の二の腕に、陽苗の腕にあったのと同じタトゥーがあった。


 ……ということは、あれはシールに違いない。あるいは流行っているのかもしれないが、いくらなんでも本物のタトゥーが学園内に広まるのを学校が見逃すはずはない。


 一曲目の演奏が終わると、ヴォーカルの少女が「次の曲では、サックスとキーボードが入ります。どうぞ!」と言った。ステージの下手からサックスをぶら下げた少女と、ショルダーキーボードを下げた少女が現れた。キーボードの少女は、陽苗だった。


「行くぞ!」


 ドラムがカウントを取り、二曲目の演奏が始まった。よく見ると、やはり陽苗の腕には先ほどのタトゥーがあった。古代の紋章のような凝ったデザインで、やはりシールにちがいないとわたしは思った。


 なるほど、ライブのために貼っていたわけか。でも、石黒さん、早とちりだなあ。


 わたしは陽苗に同情した。陽苗もまさか石黒が訪ねてくるとは思わなかったのだろう。


 バンドはその後も三曲ほどノンストップで演奏し、最後はヴォーカルが客席に投げキッスをして終わった。わたしは出入り口の所に移動すると、陽苗が出てくるのを待った。


 ほどなくして、演奏を終えたバンドのメンバーが姿を現した。


「あっ、……瑞夏……さん?」


 驚いたことに、そう声をかけてきたのは陽苗ではなく、ベースの少女だった。


「私、暮林姫那くればやしひめなの妹です。はじめまして」


「あ……はじめまして。能咲瑞夏です」


「メアリーシェリーのヴォーカルをされてたんですよね?一度、お会いしたいと思ってたんです」


 わたしがどう返してよいかわからず戸惑っていると、一歩遅れて姿を現した陽苗が

「あっちの模擬店に行って話せばいいんじゃない?私はお茶席の手伝いがあるからつきあえないけど」と言った。


 わたしは頷き、わたしたちは連れ立って体育館を後にした。


             〈第十八話に続く〉

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