第15話「明日香」(5)時の魔法使い
「これです、あの日、明日香さんが履いていた靴下は」
理桜が目の前で掲げて見せたのは、明るいイエローのハイソックスだった。
「なるほど、これが『車より早く走れる魔法の靴下』なんですね。ふーむ」
「やっぱり魔法だと思います?」
理桜がカウンターから身を乗り出すようにして聞いた。わたしは
「少なくとも、明日香は魔法を信じたかったんでしょうね」と返した。
「信じたかった、ですか……」
「ええ。魔法を信じたい気持ちと、何か送別会で余興をしなければ、という気持ちが『魔法の靴下』になったんでしょうね。お気に入りのハイソックスを小道具に使ったマジックで、みんなが魔法を信じてくれたらいいな……って」
「じゃあ、やっぱりタネがあったんですね」
わたしは頷くと、ハイソックスにあしらわれたウサギの刺繍に目を落とした。
――ごめんね、明日香。魔法を解いてしまって。
「トリックそのものは単純なものです。時間を操作したんです」
「時間を?」
「つまり、寄せ書きの制作風景を映した動画は、送信した通りの時刻に映したものではなかったんです」
「すみません、お話がいまいちよく、呑み込めないんですが……」
「最後に送られてきた、寄せ書きが完成したという内容の動画は、実は送信時刻の一時間以上前に撮られていたものだったんです」
「あっ……そういうことだったんですか」
理桜の目に、やっと腑に落ちたという色が浮かんだ。
「明日香は、寄せ書きの日に送別会があるとわかった時から、ちょっとした余興をやってやろうと思ったんです。
まず、一緒に作業をする人たちに頼んで、あらかじめ制作風景を段階的に撮影する許可を得ます。そして進行状況を撮影した動画に『今、このくらいの完成度です。あとこれくらいで出発できそうです』と言ったコメントを添えたのです」
「え……じゃあ、あれは全部、嘘の時間だったんだ」
「コメントは撮影した時刻に合わせたものではなく、送信する予定の時刻を想定したコメントにします。たとえば、送信する予定時刻が六時十分ごろであれば、撮影した時刻が三時であっても『今、六時十分です』とコメントします。
撮影した動画は携帯に保存しておき、すべての作業を終えてバスに乗り込んだ後で、予定した時刻に動画を送信するのです」
「じゃあ、明日香がバスに乗ったのは……」
「乗ったと申告した時間よりきっと、一時間は早かったでしょうね。果てしなく退屈な渋滞の中、明日香は今、自分が寄せ書きを制作しているという状況をイメージしながら、定期的に動画を送信していたのだと思います」
「バスの中から……そうだったんだ」
「最後の動画を送信した時はおそらく、バスはもう都心部近くまで来ていたのではないでしょうか。もうそろそろ、送っても大丈夫だと確信した時点で送信したんだと思います」
「それで最後の動画が送られてきたあと、それほど間を置かずにお店に現れることができたんですね」
「ええ。いくら魔法だと言っても、あんまり送ってすぐだと、動画がリアルタイムでないことに気づく人が現れかねない。それでわざと三十分ほど時間をつぶしてから姿を現したんです。お気に入りの『魔法の靴下』を履いてね」
「わかってみれば単純なことだったんですね」
「この程度のトリックでも、聞いた直後は魔法のように思える、そんなつかの間のファンタジーが彼女は好きだったんです」
「……やはり、魔法は魔法のままの方が良かったんでしょうか」
理桜は声を潜め、俯いた。わたしも、同じ気持ちだった。……でも。
「明日香にはわかっていたと思います。魔法はいつか解けるって。お世話になった先輩を、いっときでも楽しい気分にさせられれば、それで十分だって」
「たしかにそうですね。彼女の魔法のおかげで、私たちは楽しい時間を過ごすことができたんですから、大成功ですよね」
「この靴下も、魔法が使えて本望だったと思いますよ」
わたしは、おどけた身振りで、靴下を引っ張って見せた。ウサギの顔が横に伸びて『バラしやがったな」と言っているように見えた。
〈第十六回に続く〉
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