第13話「明日香」(3)柔らかな悪夢
「荻倉さん?今日はもう帰ったけど……」
ストレートの髪を長く伸ばした女性店員は、小首を傾げながらそう言った。せっかく、荻倉理桜に明日香の話を聞こうと思っていたのに、肩透かしを食った気分だった。
「そうなんですか?……この前は、この時間帯にいらっしゃったのに」
「ああ、シフトの変更があって、今日は早番で入ってもらったの。でも、帰りに同じフロアのリラクゼーションルームに寄るって言ってたから、いるかもしれないわ」
「リラクゼーション、ルームですか」
「エスカレーターのそばの『ゆるりん』っていう所です。ここを出たのが二十分くらい前だから、いるとしたら、まだ順番待ちをしてるかも」
わたしは店員に礼を述べて『キューティー・レッグス』を出た。店員の言葉を元にエスカレーターの周囲を探すと、ほどなく『ゆるりん』と記された看板が見つかった。
「いらっしゃいませ。初めてですか?」
ドアを押し開けると、丸顔の女性店員が、顔を見せた。
「はい……あの、荻倉さんっていう方、見えてますか?」
「ええ、見えてますよ。でも、今、入られたばかりなので、ご用件でしたら、五十分ほどお待ちいただくことになるかと思いますが……どうなさいます?」
「あ、待ちます。……あの、ただ、待たせてもらうだけだと、ご迷惑ですか?」
「そんなことないですよ。……あ、でも、もしよろしかったらショートコースのマッサージをご体験なさってはいかがですか?レッグケアとフェイスマッサージのセットなんですが、入会とセットだと、初回二千円でご体験できますよ。所用時間も四十分ほどですから、先に入られたお客様をお待ちいただくのにも、ちょうどよろしいかと」
立て板に水とたたみかけられ、わたしはどぎまぎした。エステやマッサージの経験がないわけではないが、一人で訪れるのは初めてだった。
「あの……じゃ、お願いします」
結局、押し切られる形で、わたしはショートコースを体験する事になった。促されるままTシャツ姿に着替えたわたしは、施術台の上に横たわった。受付の女性と入れ替わりに姿を現したのは、カーリーヘアをターバンでまとめた女性だった。
「あら、お若いわね。高校生かしら?」
女性はわたしを見るなり言った。わたしは年より上に見られることが多いが、さすがに人の身体を見る仕事だなと思った。
「はい、十六歳です」
「全体に少し、固くなっているようね。携帯の見すぎかしら?最近は中学生でもカチカチの人、多いのよね」
そう言うと、女性はわたしの全身をほぐしにかかった。二、三分で強張っていたわたしの全身は、こねられたパン生地のようにやわらかくなっていた。
「ほら、すぐに柔らかくなった。やっぱり、若いわね。……それじゃあ、リンパマッサージからやっていきましょうか」
女性は、わたしのふくらはぎを丁寧に揉みほぐし始めた。思いのほか、強い力だった。わたしのふくらはぎは次第に柔らかくなり、滞っていた体液が溶けて流れだすのが感じられるほどだった。
「少しづつ、上げて行きます。時々『響く』かもしれませんが、効いている証拠ですから」
ふくらはぎをほぐし終えると、女性は膝の両側、太腿の内側と順番に揉みほぐして行った。時折、鈍い痛みが走ったが、太腿の内側はリンパが集中していると言われると「なるほど、そういうものか」と妙に納得させられた。
リラックスした頭の片隅でわたしは「そういえば、この脚は明日香からもらった物だった」と思った。こうしてケアをしてもらっている間、元々の持ち主も少しは喜んでくれているのだろうか?
「はい、脚のリンパマッサージは終了です。上半身も、少しだけやりますね」
そう言うと女性は臍の近くと両腕、鎖骨の周囲をマッサージした。これによって上半身の流れも良くなり、免疫力が高まるのだという。
「次はフェイスマッサージです。まず、肩から上の筋肉をほぐしますね」
女性はわたしの頭の上に移動すると、首周りを両手で包み込むように揉み始めた。その手際にわたしはすぐにうっとりとなり、いつしか浅いまどろみの中へと沈み込んで行った。
――はやく。逃げるんだ!
――この子は、どうするの?
――このまま、台車で運ぼう。ダンボールに入っていれば、わからない。
――逃げられるかしら?
――逃げて見せる。どうせここにいたら、いつか殺されるんだ。サンプルも破壊して、ここでの実験の記憶も封印する。すべてはなかったことになるんだ。
――博士はこの子を『怪物』って言ってた。それも、忘れられる?
――もちろんだ。ここを出たら誰にも『怪物』なんて呼ばせない。さ、早く。
――ねえ、今の、何の音?
―― まずい、警報だ!
「うわあああああっ!」
わたしは、自分の叫び声で施術台からはね起きた。よみがえった視界の中に、マッサージの女性スタッフがいた。女性はスタッフは怯えたような表情でわたしの方を見ていた。
「あの……お客様、大丈夫ですか?」
「すっ、すみません。つい寝ちゃって……」
「いえ、それは全然、構わないんですが……何か怖い夢でも見られたんですか?」
怖い夢……いったい、今のはなんだ?
「あのう、子供の頃、ちょっと事故に遭ったもので……失礼しました」
わたしは咄嗟に言いつくろった。子供の頃……でまかせだが、ひょっとしたら今の夢は、実際の記憶なのか?
「それは辛かったですね。せっかくリラックスしていただこうと思っていたんですが……もうあと少しで終わりますから、どうぞ横になってください」
わたしは再び、施術台の上に仰向けになった。リラックスしたことで、今まで封印されていた扉が開いてしまった、そんな気がした。
〈第十四回に続く〉
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