第12話「明日香」(2)忍び寄る影
「いらっしゃいま……あらっ」
自動ドアの向こうから現れた人影を見て、わたしは思わず声を上げた。
「こんにちは。一人用の部屋って、空いてますか?」
目の前に現れたのは、佑だった。わたしは「あります」と応じつつ、クールな佑が一人で熱唱する様を思い浮かべ、楽しくなった。
「良く来るんですか?一人カラオケ?」
「仕事が夕方からだから、時間合わせに使うんです。……もっとも、僕の場合、洋楽がほとんどだから、友達を誘いづらいっていうのが一番の理由かな」
なるほど、とわたしは思った。カラオケでよくわからない洋楽ばかり歌う友人がいたら、「わからずに聞いてる人間が一緒で、楽しいのかな?」と気を使ってしまうだろう。
「二十五番のお部屋になります。二時間でよろしいですか?」
「能咲さん、バイトは何時まで?よかったら、送っていきますよ」
「えっ……あと二時間ですけど、そんな、悪いからいいです。それにここから駅まで十分くらいですから」
「うん、そうですね。でも、送っていきますよ。バイト仲間に見られて困るなら、外で待ってます。……じゃあ、また後で」
佑は一方的に言い置くと、廊下の奥に去っていった。わたしは呆気にとられながら、もしかすると、そのためにわざわざ来店してくれたのだろうか、と訝った。
二時間後、カウンターに姿を現した佑は「外で待ってますね」と言って店外に姿を消した。わたしは急いで着替えを済ませると、自動ドアをくぐった。
「すみません、お待たせしちゃって」
看板の下で携帯を眺めていた佑はわたしに気づき、「行きましょうか」と表情を崩した。
駅までの道は住宅地の中を突っ切る形で伸びていた。街路灯があるので暗くはなかったが、妙に明るい道路に人気が全くないのが、かえって不気味だった。
「親切の押し売りみたいだと思ったでしょう」
歩きながら、佑が切り出した。
「いえ、たしかに短い距離だからと言って安全とは限らないですよね」
「それもありますが……実はこの前、気になる風景を見かけたんです」
「気になる……?」
「仕事に行く途中、偶然、街角で瑞夏さんを見かけたんです。声をかけようと思ったんですが、その時、瑞夏さんの後ろを黒づくめの二人組が歩いていて、それがどうも、瑞夏さんの後をつけてるように見えたんです」
わたしははっと息を呑んだ。地下鉄に乗っていた二人組に、間違いない。
「ボディガードを買って出る気はないんですが、今日はたまたま、時間が空いたので……」
そうだったのか。わたしは佑の善意に感謝するとともに、あの二人組がもしヴィクターのような凶悪な人間たちだったら、と空恐ろしくなった。
「お気持ちは嬉しいですけど、無理しないで下さい。もし本当に危ない目に遭ったら、かえって迷惑をかけることになりますから」
「まあ、その時はその時です。これでも僕、ボクシングと空手をやっていたんですよ。……小学生の時ですけど」
そう言うと佑は笑った。こういう会話をしていれば、たしかに恐怖は紛れる。やがて、前方に駅ビルの灯りが見え始めた。もう大丈夫だろう。わたしは歩調を速めた。
「ここまで来れば大丈夫ですね」
「そうですね。……あっ、信号が変わっちゃいますよ。ちょっと走りましょう」
そう言って駆け出そうとした、その時だった。
「危ないっ!」
佑が私を羽交い絞めにし、ほとんど同時に私の鼻先を黒い四駆が走り抜けた。
「なんてやつだ、まだ信号が変わってないのに……」
佑はわたしを捕まえていた力を緩めると、「大丈夫でした?」と言った。
「ええ、何でもないです……助かりました」
わたしは礼を述べながら、心の奥で今見たものを反芻していた。ほんの一瞬だったが、わたしの目は運転席の人物を捉えていた。それは、二人組のうちの片割れだった。
「とにかく、無事でよかったです。駅まであと少しですから、あまり急がず行きましょう」
わたしは頷き、安全な位置で信号が再び変わるのを待った。いったん激しくなった鼓動は、当分落ち着きそうになかった。
そっちが攻めてくるなら、わたしも逃げない。受けて立ってやる。
わたしは闇の中に息づく何者かの存在を感じながら、ひそかにそう誓った。
〈第十三回に続く〉
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