第11話「明日香」(1)魔法の靴下
「瑞夏ちゃん、どう?いいでしょ、これ」
陽苗の声に、うっとりと夢心地だったわたしは、我に返った。
「もう、みんなメロメロになるのよ、このフットバス」
わたしは頷いた。わたしのくるぶしから下は、四十二度の湯に使っている。陽苗が通販で購入したものだ。温められた血液が、心臓に向かってじわじわと上がってくるのが感じられて、すこぶる気持ちが良かった。
「足の血行を良くすると、むくみとかも取れて全身がすっきりするんだって。やっぱりさあ、今ぐらいの年から足の健康、考えないとやばいよね」
陽苗はにこにこしながら、わたしの様子を眺めていた。このところ、陽苗は通販の健康グッズにはまっていて、しょっちゅう、モニターをさせられるのだ。
「そろそろ、いいかな。あんまりやりすぎも良くないみたいだから」
陽苗はバッグからスポーツタオルを取りだし、フットバスの横に敷いた。なにかと構ってくれる陽苗は今のわたしに取って、心安らぐ存在だった。
「あのねー、足痩せのサイトとかも、たくさんあるんだよ」
陽苗はタブレットの画面をわたしの方に向けた。慣れているのか、陽苗の指はタップとスクロールを軽快に繰り返し、足つぼ、おすすめブーツなど、フットケアからレッグファッションへと幅広く表示させていった。
「あっ……これ」
ふと、陽苗の指が止まった。陽苗につられて画面を覗き込んだわたしは、同じように声を上げていた。表示されていたのは、靴下専門ブティックの広告だった。ダイヤ柄のハイソックスを履いて足を高く上げているモデルは、明日香だった。
「これ……明日香だよね」
「うん。確かこのお店で働いてたんだよね。いつ撮ったのか知らないけど、まずいよね」
「事故の事を知らないはずはないから、削除し忘れてるんだね、きっと。教えてあげたほうがいいよね」
「このお店、駅ビルの中でしょ?わたし、帰りに寄ってみるよ。直接、教えてあげたほうが話が早いし」
「本当?瑞夏ちゃん、行ってくれる?」
わたしは夕方からのバイトに行く前に、ブティックに寄ってみることにした。
あの事故からだいぶ経つというのに、仲間たちの面影が、こうして不意打ちのように現れるのは、どうしてなんだろう。せっかく、身体をめぐり始めた暖かい血が、急速に冷えていくような気がした。
※
「あっ、本当だ!うっかりしてました……あってはいけないことですよね」
『キューティー・レッグス』の女性店員は、画面をなぞる手を止め、目を伏せた。
「いえ、仕方ないと思います。ショップとサイトは担当される方も違うでしょうし」
「明日香さん……いなくなってしまったんですよね。あんなに生き生きとされていたのに。あの子がいなくなってから、なんだかお店も少し寂しくなった気がするんです」
女性店員は、深いため息をついた。思えば明日香の強さと明るさに、バンドは支えられていたのだ。明日香より年上に見えるこの店員も、きっとそうだったに違いない。
「見てください。これ、明日香さんのデザインが採用された奴なんです」
そう言って店員は、ニットのルームシューズを示した。やたらと胴の長い猫の絵が編み込まれていて、可愛らしい。両親が漫画家だからかどうかは知らないが、明日香はやたらと絵がうまかった。
「とにかく、足のファッションにはこだわりがありましたね。ドラムで普段、足が見えないから、その分、気合を入れるの、とか言ってました」
「それ、わたしたちにも言ってました。見えないからこそ、ライブの時は足に気合を入れるって。ブーツやタイツのコーディネイトには常にこだわってました」
わたしが言うと、店員は強く頷いた。明日香の打つバスドラの響きは天下一品だった。それはきっと、ペダルを踏む足に魂を込めていたからだろう。
「彼女、体育会系だったけど、お茶目な面もたくさんあったんです。靴や靴下には不思議な力があるんだって言って、テストに受かる靴下とか、恋愛が成就する靴下とか、自分でデザインを考えては店長にプレゼンしてました」
「いいですね、それ。明日香のドラムは抜群のノリだったから、もしかしてライブの時、リズム感がよくなる靴下を履いていたのかな」
わたしは明日香がドラムを叩く様子を思い返した。首を振りながら楽しそうに演奏する明日香は、どんな時でも「楽しむ」事を第一に考えていた気がする。
「そういえば、ちょっと不思議なこともあったんですよ。これって本当に魔法じゃない?……ていうことが」
「魔法?」
わたしは思わず聞き返していた。店員は頷いた後、急に真顔になって身を乗り出した。
「ある時、明日香がこう言ったんです「最近、遅刻しそうになることが多いから、『早く走れる靴下』を作ろうと思うの」って。そんなのできるわけないじゃない、そう言ったんですけど、「簡単よ、魔法をかければいいだけ」って真顔で言うんです。さすがにその時は真に受けなかったけど、その少し後で、本当に魔法かなと思うような出来事があったんです」
「魔法?それってどんな……あっ、ごめんなさい」
ポケットでアラームが鳴った。バイトの時間だ。わたしはいったん、話を切り上げることにした。
「これからバイトに行かなくちゃならないんです。魔法のお話、また今度あらためて聞かせてください」
わたしはそう告げると、店員のネームプレートを覗き込んだ。
「
理桜はにっこり笑うと、自分のネームプレートをわたしの方に掲げてみせた。
「ありがとうございます。……あっ、そうだ。靴下一足、買っていきますね」
わたしは明日香がデザインしたという猫の絵の靴下を購入すると、店を後にした。
※
地下鉄に乗り込むと、わたしは携帯の画面に『キューティー・レッグス』のサイトを表示した。明日香の写真を使ったサムネイルは早くも削除されていた。
こうして、この世から面影が消えてゆくんだな。
わたしはほっとすると同時に、どこか寂しいものを感じてもいた。降車駅のアナウンスが流れ、わたしは携帯をポケットにしまった。視線をドアの方に向けようとした、その時だった。ふと目に入った隣の車両に、気になる人影があった。
まさか……ヴィクター?
吊革につかまっている乗客の中に、黒づくめの男性二人組がいた。どちらもサングラスをかけており、ヴィクターかどうかははっきりとしない。しかし、醸し出す空気はヴィクターのそれと酷似していた。車両が駅に到着し、体をドアの外に出そうとした瞬間、わたしは二人組の目線が動くのを意識した。
もしかすると、普段から行動を監視されているのだろうか。寒気が背筋を這い上り、私は思わず二の腕をかき抱いた。バイト先までの数百メートル、わたしは何度となく後ろを振り返った。二人組の姿はなかったが、誰かに見られているような気分は消えなかった。
〈第十二回に続く〉
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