第10話「聖螺」最終回 めぐりあう絆 


 奥のドアから現れたミス・ホーリーは、わたしを見ると目を丸くした。


「あら、あなた……」


「突然、すみません。今日は、お話したいことがあってうかがいました」


「話……というと、どんな?」


「生き霊の正体がわかりました」


「生き霊の……?」ミス・ホーリーは、小首を傾げた。目に訝るような色が浮かんでいた。


「はい。ここで『生き霊』のカードを見た後、聖螺の周りで不可解な出来事が立て続けに起きたんです。聖螺はそれを怪奇現象だと言って怖がっていたそうです。

 でもそれはちゃんと説明がつくことばかりなんです。怪奇現象の正体を、聞いていただけませんか。その上で、やっぱり生き霊なのかどうか、判断してほしいんです」


「何だか込み入ったお話のようね。それじゃ、こっちのテーブルで、聞かせてもらえる?」


 わたしは小さなテーブルを挟んでミス・ホーリーと向き合った。


「すみません、勝手なお願いをして。まず、どんな事が起きたかを話させてください」


 わたしはアンプのバランスが変わった話、爪に謎の文字が浮かんだ話を、できるだけ脚色せずに語った。


「そんなことがあったの……確かに気味の悪いお話ね」


 わたしは頷き「でも、生き霊の仕業ではありません。人間の仕業です」と言いきった。


「つまり犯人がいるという事?」


「そうです」


「その犯人は、聖螺さんに恨みがあったのかしら」


「そうですね、あったかもしれません。犯人は……聖螺自身です」


 ミス・ホーリーは目を大きく見開くと、押し黙った。


「つまり……狂言だったってこと?」


「簡単に言うと、そうです。聖螺は占いで生き霊のカードが出たことを逆に利用し、生き霊が怪奇現象を起こし、自分を苦しめているという芝居を打ったんです」


「何のために?」


「万が一、バンドを辞めなければならなくなった時、精神的に限界だったと周囲に強調するためです」


「それはつまり、バンドを辞めなければならない状況だったってことかしら」


「辞めたくはなかったはずです。でも、自分がバンドを続けることで家族が引き裂かれてゆくのを見て、一度やめたほうがいいのではないかと悩んでいたはずです」


 家族、という言葉が出た直後、ミス・ホーリーの表情がこわばった。


「まずアンプの事件ですが、ポイントはこれがライブの一曲目だったということです」


「一曲目……?」


「ええ。この時のライブは『パンキッシュナイト』と言って、割と粗削りなロックナンバーで構成されていたんです。つまり、繊細な音が求められていないライブだった……このことを頭にとどめておいてください。

 ……ミス・ホーリー。アンプの中という物が、どういう風になっているか、知っていますか?」


「まず、スピーカーがあるわね。それから……電気の配線?」


「そうです。大雑把に言うと、音を増幅するための回路です。それ以外の物はほとんど入っていません。要するに入れ物は大きくても、中は意外とスカスカだということです」


「それが怪奇現象と関係あるの?まさか、中に人が入っていたなんてことないでしょ?」


「違います。この現象の不思議な点は、演奏中、聖螺がアンプから離れていたにもかかわらず、バランスがいじられたという点にあります。

 では、アンプに近寄らずにバランスをいじるにはどうすればいいか?……別のアンプが手元にあればいいのです」


「別のアンプ?」


「つまり、一曲目の音はステージ上のアンプではなく、聖螺が隠し持っていた小型アンプから出ていたんです」


「小型のアンプ?」


「先ほども言ったように、アンプの中身はそれほどかさばるものではありません。特にミニアンプと呼ばれる出力の小さなものは、まとめると煙草の箱くらいの大きさになるものもあります。

 さらにミニアンプでも性能次第では歪んだ音を出したり、狭い会場なら十分に聞こえるくらいの音量を出せるものもあります。聖螺はアンプの部品をバラバラにして衣装のあちこちに仕込んでおいたのです」


「それって、外から見てわからない物なの?」


「ロックの場合、結構、ゴテゴテした衣装を着ることもあります。あの日、聖螺はごついデザインのベルトをしていました。おそらく、正面から見えづらい位置にスピーカーを仕込んでおいたのでしょう。


 聖螺が用意した仕掛けはこうです。まず、ギターにつながっているシールドのジャックを、コートの内側に取りつけられたミニアンプに差し込みます。ミニアンプは最大の音量にして、音も歪ませます。


 一方ベルトの背中近くには、ステージ上のアンプから出ているシールドとつながっている接続パーツが隠してあります。そして演奏が乗ってきたところで、コートの裏のミニアンプからさりげなくジャックを抜き、ベルトの所にあるメインアンプの接続パーツにつなぎかえるのです。


 メインアンプのバランスは最初から狂わせておきます。こうして客席からは突然、ギターのバランスがおかしくなったように見えるわけです」


「まるでマジックショーね」


「聖螺は突然のアクシデントでパニックに陥ったふりをして、メインアンプに近づきます。そして『演奏を中止して』とわざわざ大声で叫んで、素早くアンプのバランスを元に戻します。

 これでギターの音は元通り、怪奇現象の演出もすべて滞りなく完了というわけです」


「随分と手の込んだトリックね。失敗のリスクを冒してまで、どうしてそんな事を……」


「聖螺は理数系がずば抜けていて、機械のたぐいに詳しかったんです。実際、ギターのピックアップをいじったり、自分でアンプを組みたてたりしていました。そんな彼女にとって、このくらいの工作はきっと朝飯前だったのでしょう」


「それじゃあ、爪に浮かんだという文字は?それもトリックなの?」


「そうです。これもごく単純なトリックです。聖螺は周りの目を盗み、自分で自分の爪に文字を『転写』したんです」


「転写?」


「ええ。色を塗った爪に消毒用のアルコールに浸し、そこに写したい文字が印刷されている物を押し付けるんです。爪に文字が浮き出てきたのは、聖螺が事務所の女の子とおしゃべりしていた時でした。


 事件の少し前、聖螺はテーブルに水をこぼしたそうです。おそらく、小瓶に隠し持っていたアルコールをテーブルに広がった水にさりげなく加え、おしぼりでふき取るふりをして爪を浸したのでしょう。


 そしてテーブルを拭いた後、バッグかポケットに手を入れ、中に入れておいたバラバラの文字を文章になるように爪に押し当てるのです。親指から小指まで見なくても正しく転写できるように、かなり練習したんだと思います。あとはバッグから出した手を見て、驚いて見せればいいのです」


「隣の部屋に駆け込んだのはなぜ?」


「それは、文字を取るふりをして、こっそりコーティング剤を塗るためです。『どうしよう、取れない』と言って泣くふりをしながら、実はコーティング剤に息を吹きかけて乾かしていたのです。

 こうなるともう、文字は取れません。さらに恐怖が増すというわけです」


「見事ね。でもどうしてそんな自作自演をして見せたのかしら』


「彼女の母親が、彼女がバンド活動を行うことに嫌悪感を抱いたからです」


「なぜ?バンド活動がそれほど悪いこととは思えないけど……」


「その理由はあなたがよくご存じなんじゃないですか、ミス・ホーリー」


「私が?」


「聖螺がステージで使っているギターは、もともとあなたの物ですよね、お兄さん」


 ミス・ホーリーの表情が凍り付いた。顔色が、紙のように白くなっていた。


「気づいていたのね」


「ええ。あることがきっかけでわかったんです」


「私は……生き霊のカードを使って警告したかっただけなの。まさかこんなことになるなんて」


「聖螺のお母さんが、バンド活動を嫌った理由は一つ、聖螺が母親の違う兄と同じ道を歩むのではないかと思ったから。つまり母親である自分より、腹違いの兄によりシンパシーを感じていると思ったから」


「どうしてそれがわかったの」


「わたし、火災のあったライブハウスの前で、一人の女性を見かけたんです。面影が、聖螺にちょっと似ていました。わたしは直感的に『聖螺のお母さんだ』と思いました。女性は四十歳くらいでした。


 もしそのくらいの年齢だとすると、聖螺と十歳以上年の離れたお兄さんが生まれた時、彼女はまだ小学生だったことになる。だからきっと、聖螺とお兄さんとは母親が違うのだと思いました」


「わたしの母親と聖螺の父親は、私が十三歳の時に別れたの。私は十六で家を出て、聖螺が生まれたのはその後。だから私は長い間、聖螺の存在を知らなかったの」


「あなたは、何かのきっかけで年の離れた妹がいることを知った。そして、名前を頼りにインターネットで手掛かりを探し始めた。そして聖螺がアップしたギターの動画にたどり着いた。


 彼女が、自分が父親の元に残してきたギターを弾いていることを知ったあなたは、どうにかして連絡を取りたいと思った。すでに占い師になっていたあなたは、たまたま動画を見つけた風を装っててコメントし、自分がやっている占いの店に誘った」


「そのころ、わたしはすでに『女性』だったから、すぐには気づかれないと思ったの」


「そう。でもおそらく彼女は、あなたと会って間もなく気付いてしまった。やはり兄妹でなければわからない波長があったのでしょう。

 しかし彼女にもためらいがあり、気づいたことをなかなか打ち明けられなかった。打ち解けてしまえば、ギターに一層、のめりこみそうな気がしたんだと思います」


「そうできれば、どんなによかったか……」


「一方で聖螺は、母親の気持ちも無視できなかった。そこで一旦、バンドを辞めて気持ちを整理したうえでもう一度、初めから音楽をやり直そうと考えたんだと思います。

 でも、仲間たちや事務所の人たちに迷惑をかけないようにしたかった。そこで、生き霊のカードを利用して、バンドを続けることが怖くてできない、というストーリーを作り上げた」


「何もかも、私がばかだったから……売れるためにあれこれ知恵をつけられ、仲間とぎくしゃくした挙句に、薬物に逃げてしまった。そんな兄の存在をお母さんが疎ましく思うのは、当然だわ」


「たしかに聖螺のお母さんにしてみれば、お兄さんの事件は生々しい『現在』かもしれません。しかし、もう終わったことです。そもそも、聖螺の「聖」という字はたぶん、あなたの一字とそろえられたんですよね?ミス・『ホーリー』?」


「そうよ。わたしの本名は『聖美』と書いて『きよし』と読むの」


「聖螺の手や爪を見た時、もしかしたらあなたはこう思ったんじゃないですか?自分に似ている……と。でも、体の特徴や趣味嗜好は似通っていても、たどる運命は違う。どんな道を歩むかはたとえ兄妹と言えども、予想がつかないものです。


 聖螺のお母さんはたぶん、芸能界に入った聖螺が、あなたと同じ人生を歩むのではないかと言う思いに取り憑かれていたんだと思います。つまり、この事件を起こしたのは、彼女のギターにとりついていた兄の生き霊だったんです」


 わたしが言い終えると、ミス・ホーリーはテーブルの上にわっと泣き伏した。


「私はあの子に『少し休んでみて』というメッセージを送ったつもりだった。そして彼女が大人になって、自信を持ってギターを持てる日が来たら、その時に正体を明かすつもりだった。……まさかあんな事故が起こるなんて」


「聖螺もきっと悩んでいたと思います。お兄さんと親交を深めることが、お母さんに対する裏切りになるんじゃないかって……でもきっと、彼女の心は決まっていたと思います。

 実の兄に会いたいという気持ちも、音楽で身を立てたいという衝動も、どちらも抑え切れるものではないはずです。


 聖螺のご両親があなたの存在を隠そうとしたのは、むしろ、あなたが姿を隠したがっていたからではないでしょうか?つまり、娘を兄に合わせたくなかったのではなく、妹に会うのが怖い息子の事をおもんばかっての行為だったんじゃないかとも思うんです」


「もう一度……一度でいいから聖螺に会いたかった」


 ミス・ホーリーはこみあげる嗚咽を抑えきれぬように、両手で顔を覆った。

 

 聖螺は今も生きている。……わたしの中で。


 そう言いたい衝動に駆られたが、わたしはあえて沈黙を守った。聖螺の姿はすでにこの世に無く、わたしもまた元のわたしではない。この身体に宿る奇跡は、残酷なのだった。


       〈第一話「聖螺」最終回 了 第二話に続く〉

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