第9話「聖螺」(8)解けぬ謎などない


「ふうん、ライブに怪奇現象がね」


 わたしの話を聞き終えると、佑は腕組みをした。


「それで占いと関連付けてしまったわけか。なんとなく、話が繋がりました」


 バータイムになった『クリスタル・ベル』は、落ち着いた雰囲気に一変していた。


「ちょっと気の利いたカクテルでも作りましょうか。……もちろん、ノン・アルコールで」


 佑はシェーカーをカウンターに置くと、蓋を取り外した。この前と違い、今日はわたしがカウンター席に、佑はその内側で接客をするという位置関係だった。

 佑は黒いエプロンをつけ、髪を後ろに撫でつけている。こうなるとどこから見ても若いバーテンだ。


 以前、聖螺と来た時、佑がいたことを思い出せなかったのは、受ける印象がまるで異なっていたからだった。佑はシェーカーに何種類かの液体を注ぐと、蓋を閉めた。


「聖螺のお兄さんの話も、初めて聞きました。僕にも瑞夏さんにも黙っていたということは、一見、開けっ広げな性格のようで、本当は悩みを抱え込んでいたんですね……」


「百原さんはどう思います?怪奇現象の事」


「そうですね……僕は基本的にオカルトには懐疑的なんですけど、じゃあどんな方法で怪奇現象っぽい悪戯を仕掛けたかと言われたら、まるっきり降参ですね」


 佑はシェーカーを振りながら言った。その手つきは、バーテンそのものだった。


「そうなんですよね。……それに、考えれば考えるほど、聖螺が受けた嫌がらせとライブハウスの爆破事件は関係がないように思えてきたんです」


「僕もそう思います。謎は謎として、生霊なんて説は、あまり歓迎したくないです」


 佑はシェーカーを止め、グラスに中の液体を注いだ。淡い琥珀色の液体は、見事なほどにぴたりとグラスの縁で止まった。


 わたしは勧められるまま、グラスに口をつけた、フルーティーな香りが鼻に抜け、柔らかな甘みと、ほのかな苦みが舌の上を通り過ぎた。


「おいしいです。初めて飲みました」


「良かった。気に入ったら、時々、作って差し上げます。……ところで、ちょっと思いついたんですが、僕が中学の時に勉強を教わっていた方で、謎解きの名人がいるんです」


「謎解きの?」


 唐突な話題に、わたしは虚をつかれた。佑は目を細めながら「ええ」と言った。

「かれこれ十年ほど会ってないんですが、ちょっと面白い人なんです。たしか大学の先生になったんじゃなかったかな。もう三十は過ぎてると思うけど……その人に、怪奇現象の話をしてみたら、どうでしょうか」


「そんな方がいらっしゃるなら、たしかに聞いてみたい気もしますけど……」


「ただ、変わり者なので、慣れないと会話に少々、手間取るかもしれません。」


 変わり者か。変わり者で学者……?なんだかつい最近、そんな人物に会った気がする。


 わたしが呟くと、佑は「ちょっと待っててくださいね」と言い置いてバックヤードに姿を消した。わたしは手持ちぶさたのまま、カウンターに突っ伏して待った。


 ――大丈夫、おまえは信じたとおりに行けばいい。


 まどろみの中で聞いた父の言葉を反芻していると、佑がカウンターに姿を現した。


「連絡、つきましたよ。明日の午後、K大学の研究室で会ってくれるそうです」


                   ※


「なんだい、また怪しい奴に襲われているのかい?こう見えても忙しいんだ、襲われるならもうちょっと間を空けてくれないか」


 わたしの嫌な予感は見事に的中した。五道院玄人は私を見るなりまくしたて、砕石現場から掘り出したような頭を不機嫌そうに揺らした。


「えっ?……あ、玄人さん、瑞夏さんんを知ってるんですか?」


 佑が目を丸くして言った。さすがに予想外だったのだろう。


「いかにもご存じだよ。ご存じだと知らなかったのが君だけだったという事を、今、僕は初めて知ったよ」


 相変わらず、人を苛々させる物言いだった。佑は慣れているのか、一呼吸おくと、本題を切り出した。


「ええと、あの、実はちょっと不思議な事件があったんですけど、聞いてもらえますか?」


「不思議な事件ねえ。そこのお嬢さん……」


「瑞夏です。能咲瑞夏」


「ああ、瑞夏さんの不思議な事件なら、この目で見たよ。いや、あれは不思議と言うより興味深かったな。面白い事件と呼ぶのが妥当だろう」


「いや、瑞夏さんじゃなくて、瑞夏さんのお友達に関する事件なんです、玄人さん」


「なんだって。それじゃあ、謎が増えたのか。なんてことだ。ううん、困ったぞ。こんなに謎が多くちゃ、いくら僕でも到底一時間では解けそうにない」


「一時間しか余裕がないんですか?」


「当たり前だろう。それより後になったら大学通りの『陽だまりキッチン』に行列ができてしまう。『クリーム味噌チキン定食』が売り切れてしまうじゃないか」


「はあ……」


「もし今日、ありつけなかったら僕はまた、二十四時間、待たなければならない。それがどんなにつらく苦しいことか、君たちに理解できるか?」


 いや、理解できるかと言うよりしたくない、わたしは。


「ううむ、一時間か。一時間ですべての謎を解けというのか、ううむ」


 玄人は腕組みをすると、唸り始めた。まだどんな謎かも聞いていないというのに。


「いや、全部とは言いません。とりあえず一つだけでも……」


「謎と言うのはね、全体で一つなんだ。ある面の構造だけを解き明かした所で、全体像を理解したことにはならない。砂粒を見て、宇宙のすべてを理解した気になるようなものだ」


 いきなり理解不能の理屈を並べ立てられ、わたしは困惑した。こんな長い説明をするくらいなら、さっさと謎解きをすればいいのに……


「まあいい、それじゃあ、優先順位の高いものから聞かせてくれたまえ」


 玄人はそう言うと、椅子に腰を据えた。わたしは聖螺が体験した怪奇現象を、要点をかいつまんで話した。生き霊カードの話まで来ると、玄人は退屈そうな顔になり、あくびを始めた。わたしはその態度に少なからず失望を覚えた。


「なるほど、何が起こったかは一応、わかった。しかしこうなると、なぜ君たちがここへ来たかがわからないな」


 佑とわたしは顔を見合わせた。いったい、この人は何を言っているのだろう。


「だから、謎を解いてもらいに来たんですってば」


 玄人の理不尽な反応を前に、さすがの佑も戸惑っているようだった。


「謎なんて、初めから解けてるじゃないか」


 わたしは唖然とした。初めから解けていたら、わざわざこんな変人の許など訪れはしない。まさか見当もつかないので、煙に巻いてごまかそうと言う事なのか。


「二人とも、その占い師とやらに会っているんだろう?どうして解けないかなあ」


「ということは、ミス・ホーリーが犯人なんですか?」


 わたしが身を乗り出すと、玄人はチッ、チッ、と舌を鳴らし、人差し指を振った。


「そんなわけないだろう。……どうやら本当にわかっていないようだね」


「まるでわかりません。ちゃんと説明してもらえませんか」


 佑が降参、という仕草をして見せた。玄人は髪を掻きむしると、大きく息を吐き出した。


「仕方ないな。……ああ、もう十分も経ってしまった。いいかい、一度で理解してくれよ」


 わたしと佑は頷いた。玄人は「なにしろ、時間がないんだ」と独り言のように吐き出し、「まったく、怪奇現象って奴は」と忌々しげに付け加えた。


             〈第十回に続く〉

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