第6話「聖螺」(5)呪いなんて怖くない


『フォーチュン・ピックス』を後にした私は、その足で所属事務所に向かった。


 契約はまだ有効だったが、わたしのスケジュールは空白だった。わたし以外のメンバーが全員、事故死したことで『メアリーシェリー』は事実上、解散状態となった。


 聖螺たち三人と社長であるママの葬儀が終わった後、事務所から「いずれ折を見て解散宣言をする」と通達を受け、わたしは打ち合わせのための連絡を待っている状態だった。


 見慣れたビルの階段を上り、オフィスの前に立ったわたしは、なんともいいようのない胸苦しさを覚えた。突然、主を失った会社が以前と同じであるはずがない。わたしはおそるおそる、ドアを押し開けた。


「あっ、瑞夏ちゃん」


 私を見るなり声を上げたのは、マネージャーでヘアメイクも兼ねている葛城杏子かつらぎきょうこだった。


「どうしたの?まだミーティングのお知らせはしてないはずだけど」


「なんとなく、暇を持て余してしまって……」


 急ごしらえの訪問理由だったが、あながち、嘘でもない。


「そっか。そうよね。一人でふさぎ込んでるよりは、私たちとおしゃべりでもしてた方が、気がまぎれるものね」


 杏子はそう言うと、自分のデスクに私を手招きした。雇い主が亡くなってさぞ、途方に暮れていることだろうが、見たところさほどやつれてもいないようだ。


「コーヒーでも飲む?あいにく他の人たちは出払ってるけど、少しなら話し相手になるよ」


「会社の方は、大丈夫なんですか」


「正直ね、どうなるかわからない。あなたたち所属アーティストには内緒だったけど、うちの経営は芳しくなかったのよ」


「そうだったんですか」


 わたしは内心やはりそうか、と思った。『ファンタスマゴリー』には所属アーティストが、わたしたち『メアリーシェリー』を含めて二組しかいない。

 もう一組は、『デュアルブラッド』という男女のユニットだ。そもそも、正社員が社長であるママを含めて四人しかいない。ママが惚れ込んだアーティストのみを徹底的にプロモーションしている事務所なのだ。


「ママが投資で蓄えた資産もほとんど底をつきて、最近はずっと赤字。実は支援してくれてくれてる人もいるんだけど、あれだけの事故があったでしょ。支援もいつ打ち切られるか、わからない状態なの。今は一時的に私が社長代理を務めているけど、もしこのまま収入がなかったら自動的に会社は解散、アーティストも契約解除せざるを得なくなるわ」


「そんな事になっていたなんて……」


 わたしは愕然とした。メジャーデビューこそはたしていなかったものの、ミニアルバムの売れ行きは好調で、ライブの動員数も増えていたというのに。


「あなたがソロでデビューするなら、その後押しをしたいところなんだけど、その前に会社が潰れる可能性があるからね。あんまり景気のいい事は言えないわけよ」


 杏子は自嘲気味に言うと、ため息をついた。なんとなく気まずくなった私は杏子の顔から目線を外した。机の隅に、杏子とママの写真が収まったフォトスタンドがあった。


「……ん?その写真、いいでしょ。二人でマカオに行った時の物なの。いい男がいないかーってね。この直後だったな。デビューさせたい子達がいるから、マネージャーをやってくれって言われたのは」


「それって、『メアリーシェリー』のことですか」


「そうよ。声をかけた時期に違いこそあれ、ママはは最初から四人組のバンドを作るつもりであなたたちをスカウトしたの」


 そうだったのか。わたしは初めてママからアプローチを受けた時の事を思い返した。


 きっかけは、わたしがネット上にアップしていた動画だった。父のギターをバックに歌っているわたしを見て、コメントを寄せて着た人物がいた。

 その人物は、自分の知り合いのライブハウスで歌ってみないかと誘ってきたのだ。


 わたしは父に相談し、その人物と会ってみることにした。会ってみてわたしは少なからぬ驚きを覚えた。相手が三十歳になるかならないかの若々しい女性だったからだ。事前に芸能事務所の経営者だと聞いていたので、わたしは勝手に年輩の人物をイメージしていたのだった。


 ――できたばかりの小さな事務所だけど、デビューしてみない?


 小柄でちょっとふくよかなその女性――神坂麻理子かみさかまりこは、わたしのステージを一度見ただけで、そう誘ってきたのだった。


 当時わたしはあまり学校に行けておらず、歌を歌うことぐらいしかはけ口のない状態だった。わたしはママの言葉に何かが起きそうな予感を覚え、承諾した。母親は反対だったが、父は「やってみたらいい」と寛容だった。


 わたしは設立されたばかりの『ファンタスマゴリー』を訪れると、すでに所属アーティスト第一号となっていた聖螺と顔を合わせた。


「これでヴォーカルとギターがそろったわね。あなたたちの他にあと二人、ベースとドラムの見当もつけてあるのよ。今月中には、最高に生かしたガールズバンドが誕生するわ」


 ママはそう言って笑った。二十九歳の彼女は、わたしたちとそう変わらないように見えたが、わたしはその日のうちに彼女を愛称の「ママ」で呼ぶようになった。

 あれから、まだ一年しかたっていないのだ。わたしは不覚にも涙ぐみそうになった。


「ママは以前、私が勤めていた出版社でアルバイトをしていたの。そのころから『いつか芸能事務所を作って、女の子だけのバンドをデビューさせたいの』と言っていたわ。まさか数年後に実現させるとは想像もしてなかったけど」


 わたしは嗚咽を飲み込んだ。ママは常日頃『あなたたちは、私の夢なの』と言っていた。そのママも、バンドのメンバーも、もういない。なぜわたしだけが生きているのだろう。


「今でもよく覚えてるわ。あなたたちのファーストライブが無事に終わった時、ママが全員とハグしていたのを。私も思わずもらい泣きしちゃったわ、あの時は」


 杏子は顔を曇らせ、写真から目をそらした。そうだ、たしかにそんな事があった。


「許せない……一体、何の恨みがあって、私たちの夢を粉々にしたのよ」


 杏子は怒りに燃える目で虚空をにらんだ。私も同じ気持ちだった。わたしは考え込んだ。あれほどママが情熱を注いだこの事務所内に、本当に疑わしい人物がいるのだろうか。


 重苦しい空気の中、ドアの開く音が静寂を破った。


「あら、こんにちは」


 わたしは杏子さんの視線を追った。ドアのところに、一組の男女がいた。この事務所のもう一組のアーティスト『デュアルブラッド』の二人だった。


「誰に用?あいにく、今は私しかいないけど……」


 杏子が声をかけると、サングラスをかけた長身の男性が口を開いた。


「別に用ってわけじゃありません。何か新しい動きでもあったかと思って……」


 男性は低い声で言うと、傍らの女性をうながしてわたしたちのいる方に近づいてきた。


「あたらしい動きねえ……あったら、すぐに連絡するところだけど、今のところ、ないわ」


 杏子はため息交じりの声で、告げた。長身の男性は石黒友城いしぐろともき。『デュアルブラッド』のキーボーディスト兼コンポーザーだ。わたしたち『メアリーシェリー』の音楽プロデューサーも兼ねていて、音楽知識はかなりのものだった。 


「正直、路上でもいいから歌いたいな」


 石黒の隣の、華やかな顔立ちをした少女が言った。ヴォーカルの内田陽苗ひなえだ。可愛らしい容姿とは裏腹に、ずばずばと物を言う体育会系の女の子だった。


「あいにくと、次のライブのめどは立って無いの。悪いけど、歌のレッスンとか、曲作りなんかで間を持たせてくれないかしら」


 杏子の返答が物足りなかったのか、陽苗は不満気に頬を膨らませた。


「わかった。早くライブの日程を組んでくださいね。……瑞夏ちゃん、ちょっと、いい?」


 陽苗が奥のソファーを示しながら、唐突に呼びかけてきた。わたしは面食らいながら頷くと、杏子と石黒に目で「失礼します」と告げてソファーの方へと移動した。


「瑞夏ちゃん……瑞夏ちゃんは、あの爆発は偶然の事故だったと思う?」


 ソファに収まるなり、陽苗は声を低めて切り出した。


「どういうこと?偶然でなければ、どんな原因があるの?」


「だから……誰かが、爆弾を仕掛けたとか」


 陽苗は身を乗り出し、眉を潜めて言った。語尾が、囁くような小声になっていた。


「どうしてそう思ったの?」


「あの事件の少し前に、聖螺さんから気になる話を聞いたの」


「聖螺から?」


 わたしは意外の念に打たれた。人見知りの多い『メアリーシェリー』のメンバーと、社交的な陽苗との間には、ほとんど交流らしき物はないと思っていたのだ。

「陽苗ちゃん、聖螺と仲が良かったの?……初耳だわ」


「聖螺さん、いつもすっごいオシャレなネイルしてたじゃない。それで、ずっと話を聞きたいと思ってたの。……それである日、思い切って話しかけてみたら、丁寧にやり方を教えてくれて。それから、よく話すようになったの」


 わたしは少しだけ、ほのぼのとした気分になった。短い間とはいえ、聖螺には身近にネイルの話をする仲間がいたのだ。


「それで、気になる話って言うのは?」


「なんだか、嫌がらせみたいなのを受けていたみたい」


 やはりその話か。わたしは思わず身構えた。


「嫌がらせって、どんな?」


「たとえば……ライブの最中に音が突然おかしくなったって話をしてくれたわ」


 あ、とわたしは声を上げた。あの時の事か。


「うん、たしかにそう言う事があった。『パンキッシュ・ナイト』っていう勢いのある曲ばかりをやったライブの時だわ。一曲目の演奏中に突然、ギターの音がおかしくなったの」


 わたしの脳裏に、その時の事が鮮明に甦った。荒削りのロックナンバーで、程よく歪んでいたギターの音色が突然、気の抜けたような軽い音に変わったのだ。

 わたしたちは演奏を止め、聖螺はアンプに近づいた。そして「めちゃくちゃになってる。どうして?」と叫んだのだった。わたしたち以外はアンプに触れない状況だったのに、一体、なぜなのか。


「聖螺さんは「生き霊の仕業かも」なんて震えながら言ってたけど、そんなことってあるのかなあ?」


 陽苗は眉を顰めて言った。どうやらあのカードは思った以上に聖螺の気持ちに影響を与えたらしい。


「何とも言えないな……アンプの一件だって、機械の故障かもしれないし。原因がわからないから怪奇現象ってことになってるだけかもしれないわ」


 わたしが冷静に分析すると陽苗は少し考え、おもむろに口を開いた。


「じゃあ、こういう話はどう?爆破事件の一週間ぐらい前だけど……聖螺さんとここでおしゃべりしてた時の事なんだけど、お互い次のライブの時にどんなネイルで出ようか、なんて話をしてたの。時々、ケータイでネイルのデザインを調べたりしてたんだけど、私が調べるのに集中してたら突然、聖螺さんが「あっ」て叫んだの。見たら、自分の手を眺めて震えてるのよ。「どうしたんですか」って聞いたら「これ、見て。突然、出てきたの」って言って右手の爪を見せてくれたの。親指に『YOU』、人差し指に『LL』、残りの指に『D』『I』『E』。つまり『お前は死ぬ』って書いてあったの」


「それ、本当なの」


 わたしは思わず聞き返していた。これでは悪戯ではなく、完全なオカルトだ。


「うん。だって、私が見る直前まで爪には文字なんて書いてなかったもん。聖螺さんはすぐ「消さなきゃ」って言って、奥の部屋に駆け込んだわ。しばらくして、ドアの向こうから「どうしよう、消えない」って言う声が聞こえてきたの。心配になって覗いてみたら、聖螺さんが涙目になって自分の爪を見ていたの」


「それでその爪はどうなったの?ずっと消えないまま?」


「ううん、次の日に「消えた」っていうメールが来たわ。それで一応、ほっとしたんだけど、なんだか気味が悪くて」


「爪の文字が現れる直前、何か気になることはなかった?」


「うーん……あ、そう言えば、水かなんかをテーブルにこぼした気がする。ハンカチがなくて、ティッシュとおしぼりで拭いたんだけど、これって大したことじゃないよね?」


「たしかに関係なさそうね。……怪奇現象なんて、うちの事務所で聞いたことないけど」


「わたしもないなあ。……でももし、悪霊みたいなものが『ファンタスマゴリー』に憑いてるとしたら、ライブハウスの爆破も、そういうお化けの仕業なのかな」


 陽苗はすっかり怯えきっているようだった。わたしは内心、頭を抱えていた。

 聖螺の怪奇現象と爆破事件は、無理に結びつけて考えないほうがいいかもしれない。


                 ※


 事務所を出たわたしは、『ディオダディ』のあったビルへと足を向けた。


 先週から始めたアルバイトの時間まで間が空いたことと、怪奇現象とあの現場がイメージ的にはたして結びつくのか、もう一度、確かめておきたかったのだ。


 目抜き通りから外れ、路地に足を踏み入れると強い風が頬をなぶった。ブルーシートに覆われた建物を見た瞬間、わたしの胸は絞めつけられた。近づいてゆくと、ふと視界の隅に人影らしきものが飛び込んできた。わたしは足を止め、遠巻きに人影を見た。


 正面玄関だったあたりに、一人の女性がたたずんでいた。四十歳くらいだろうか。どこかで見たような顔つきだなとわたしは思った。しばらくすると、私が見ていたことに気づいたのか、人影はくるりと向きを変え、足早にその場を立ち去った。


 知っている人?それとも気のせい?


 胸に引っかかりを覚えたわたしは、女性の立ち去った方角を何度となく見遣った。


 ――ま、いいか。


 わたしはしばらくビルの周囲をぶらぶらと歩いた後、最寄駅へと引き返した。


             〈第七話に続く〉

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