第5話「聖螺」(4)忘れがたき聖女


 繁華街の外れの小さな雑居ビルに、問題の占いサロンはあった。


 薄暗く急な階段を上って行くと、『ネイル占い・フォーチュン・ピックス』と書かれたプレートが目に入った。わたしはドアを細目に開け、中の様子をうかがった。


 うわ、狭っ。


 受付カウンターと小さなソファが目の前に現れた。受付に人の姿はなく、呼び出し用のハンドベルがあった。わたしは奥の扉に目をやった。『瞑想中』と書かれた札が下がっているところを見ると、あの中にくだんの占い師がいるのだろう。わたしは思い切ってハンドベルを強めに振った。


「はあい、今行きます」


 ドアの向こうから、くぐもった声が聞こえた。待っていると、ドアの向こうから黒のワンピースに身を包んだ人物が現れた。大きめのストールを羽織り、エスニック柄のヘアバンドをしたその姿は、占い師というより輸入雑貨店の女主人と言った風情だった。


「あら、はじめてさんね。今日はネイル?それとも占い?」


 三十代くらいだろうか、目鼻立ちがくっきりとしていて、華やかな印象を与える顔だった。接客慣れした物腰からは、神秘性はあまり感じられない。おどろおどろしい雰囲気を予想していたわたしは、拍子抜けしながら来意を伝えた。


「あの、実は少々、お伺いしたいことがあって」


「あら、ということは、占いがメインなのね」


「いえ、その……」


 肝心の要件をうまく伝えることができず、気が付くと占いとネイルのセットコースをお願いすることになっていた。


「……ええと、瑞夏さんね。ではよろしくね。わたしは、ミス・ホーリー」


 生年月日などをカルテのような用紙に記入した後、わたしはミス・ホーリーに誘われるまま、奥の部屋へと移動した。室内は黒いカーテンで半分に仕切られ、どうやら手前がネイルを施すコーナーで、カーテンの奥が占いスペースらしかった。


「爪を見せていただけます?」


 小さなテーブルを挟んでわたしたちは向き合った。わたしの爪を見ると、ミス・ホーリーは「可愛らしい爪ね。綺麗にそろえてるし、健康的な感じ」と言った。


「ありがとうございます。今までネイルには興味がなくて……友達が、こちらで素敵な爪にしていただいたのを見て、真似したくなったんです」


「あら、嬉しいわ。なんていうお友達?」


朝永ともなが聖螺です。わたしと同じバンドでギターを弾いていました」


 聖螺の名を出した途端、ミス・ホーリーの表情が一変した。笑顔がぬぐわれたように消え、目に驚きの色が浮かんでいた。


「聖螺さん……そう。あの子のお友達だったの」


 ミス・ホーリーは困惑したような笑みを作った。動揺を表すまいと苦心しているようにも見えた。わたしは半ば意図的に、たたみかけた。


「わたしは、ヴォーカルだったんです。……でも一か月前、ライブの最中に事故があって、聖螺は亡くなってしまいました」


 わたしは、言葉を切って俯いた。演技ではなく、そこで嗚咽が込み上げてきたのだ。


「……知ってる。新聞で、見たわ。痛ましい事件だったわね」


 ミス・ホーリーは悲嘆に暮れたような表情を見せた。わたしはやりとりの間、ひそかに相手の反応を伺っていた。一見したところでは、爆弾を仕掛けそうな人間には見えない。


「たまたま出演していなかったわたしは、爆発の犠牲にならずに済みました。でも、今だに納得がいかないんです。どうして聖螺たちがあんな目に合わなければならなかったのか」


「そうでしょうね。私も、ひどい事件だと思ったわ。運命の神様を恨みたくなるくらい」


「あの、こんなことを聞いたらいけないのかもしれませんが、聖螺の様子に、気になる点はありませんでしたか?……なにかに怯えていたとか」


 わたしは核心に切りこんだ。こうなるともはや客とは言えない。他の顧客のプライバシーを聞いてくる客など、追い払われても文句は言えないところだ。


「そうね。あんまりたくさん話すわけにはいかないけど……ちょっと思い出してみるわ」


 そういうと、ミス・ホーリーは何やら考え込む顔つきになった。気まずい沈黙が続いた後、ミス・ホーリーは意を決したように口を開いた。


「思い出してきたわ。最初に彼女が来たのは、そう……ひと月前くらいだったわね」


 そう口火を切ると、ミス・ホーリーは聖螺の印象を語り始めた。


「最初はとてもおとなしい感じだったわ。バンドをしているとは思わなかったから、地味な子なのに、随分と攻撃的なネイルをしているなと思ったの。でも話を聞いているうちに、彼女が深刻な悩みを抱えていることがわかってきたの」


「それって、誰かに嫌がらせを受けているっていう悩みじゃないですか?」


 わたしが畳み掛けると、ミス・ホーリーは虚をつかれたような顔になった。


「え……ええ。言っていいかどうか迷ってたんだけど……どうして、わかったの?」


「そういう話を聞いたことがあるんです。私を憎んでいる人がどこかにいるって」

「憎んで……そうね、そう思っていても当然だわ」


「聖螺は不吉な占いが当たった、そう言っていました。一体、どんな内容の占いだったのかを知りたいんです」


「そういうことだったの……本当は商売上、顧客に関することは明かしてはいけないのだけれど……こんなことになった以上、多少は許されるかもしれないわね」


 ミス・ホーリーは頷いた。本当は直接、聖螺に聞いたのではなく佑を通した伝聞なのだが、ここはそのまま押し通すべきだろう。


「じゃあ、やっぱり不吉な結果が出たんですね?」


「私の占いはね、爪の形や、表面に見える線、色などを元に行うの。いくつもの組み合わせの中から、その人だけのパターンを読み取って、生年月日や占った日時と組み合わせる。そうすると、ある数字になるの。あとは、お手製のカードからその数字のカードを抜き出して絵柄を見る。事前にうかがったお話と絵柄で、その人の状況や未来がわかるってわけ」


「どんなカードが出たんですか」


「見せてあげるわ。今でも覚えてるから」


 ミス・ホーリーはそう言うと、テーブルの片隅に積まれていたカードを手に取った。


「ええと……たぶんこれね」


 カードの束から一枚が抜きとられ、テーブルの上にさらされた。


「なんとなく怖い絵でしょう。友達のイラストレーターに描いてもらっんだけど、これは『生き霊のカード』って言うのよ」 


 カードの表面には、全体に暗いトーンの絵が描かれていた。テーブルに向かって読書をしている少女の背中から、白くもやっとした煙のような物が立ち上っていた。


「このカードはね、抑えきれなくなった憎悪やいら立ちが、生き霊として身体から離れてゆく様を描いたものなの。はっきり言うと、よくないカードね」


「これが、聖螺の置かれていた状況を表していたっていうんですか」


「おそらくね。このカードが出たということは、彼女の身体からすでに邪気が染み出し始めていたということ。つまりあの時、彼女の歪みはピークに達していたってわけ」


「その悪い気っていうのが、聖螺に関わる誰かを狂わせた……そういうことですか」


「そうね。身体を離れた邪気が近くにいる人にとりつくと、それが自分への悪意となって返ってくるのよ。……もっとも本人は、親しい人がいわれもなく自分を攻撃してくると感じてしまうわけだけど。でも元はと言えば、自分自身の憎悪やいら立ちがエネルギーとなって噴出したものなのよ」


「じゃあ、脅されていたというのも、半分は被害妄想みたいなものってことですか」


「そうね。おそらく彼女が抱えていた闇―――家族との関係とか、仕事上のいらだちとか、そういう物が、邪気となって流れだしたんだと思う。ただ、それが誰にとりついたのかはわからないけれど」


「わたしには、何も話してくれませんでした」


「心配をかけたくないと思ったんじゃないかしら。むしろ、音楽仲間ではない私になら、いろいろな悩みを話せると考えたんだと思うわ」


 水臭い――などと憤ってしまうのは、わたしの一方的なエゴだろうか。たしかに私たちはそれぞれ、少なからぬ痛みを背負って集っていた。しかし音楽に関係ないからと言って、すべてを内に秘めてしまうことは、はたしていいことなのだろうか。


「実は、二度目に彼女が来た時、身の上話めいたことを少し聞いたの。お父さんとの確執とか、音楽に興味を持つようになったきっかけとか」


「そんな事を……話していたんですか」


 わたしは小さなとげを飲み込んだような気分になった。裏切られたとは思わないが、聖螺の信頼を勝ち得たミス・ホーリーを少しだけ妬ましく思った。


「彼女には、年の離れたお兄さんがいたの。そのお兄さんが、ギターを始めるきっかけを作ってくれたと言っていたわ」


「そうだったんですか。そんなことさえ、わたしは一度も聞かせてもらえなかった……」


「お兄さんのことを彼女は中学に上がるまで知らなくて、たまたま見つけた古い家族写真で知ったそうよ。で、父親に問いただしたところ、離れた場所に住んでいる兄の存在を教えてくれたってわけ。でもあまり詳しいことを教えてくれなかったから、彼女は自分で兄の痕跡を色々と探し回ったそうよ。そして、物置の奥から古いギターを見つけたの」


「それか、聖螺とギターの出会いだった?」


「ええ。どうやらお兄さんが中学の時に初めて買ったギターだったみたい。それから、彼女は独学でギターの練習を始めたそうよ」


 そうだったのか……でもどうしてその話を聖螺は仲間にしなかったのだろう。


「でもご両親は、彼女がギターにのめりこむことを歓迎しなかった。……なぜかというと、お兄さんがバンドにのめりこんだ挙句、道を踏み外したという過去があったから」


「道を踏み外した?」


「ええ。とても優秀で、理工系の一流大学に行けると言われていたお兄さんがある日、音楽一本で身を立てたいと宣言したらしいの。当然、両親も先生も反対したらしいけど、お兄さんの決意は固くて学校をやめ、家を出てしまったそうよ」


 なるほど、そんな過去があれば、両親も音楽にいい顔はしないだろう。


「それからお兄さんは苦労して、どうにかメジャーデビューにこぎつけたらしいわ。だから普通の人たちから見ればコースを外れたようでも、とりあえずは夢をかなえたってわけ。道を外れたというのは、その後よ」


「何か、よくない行いでも?」


「ええ。知り合いに誘われて、違法な薬物に手を出したの。そしてアイドルの女の子とそれを使っている現場を押さ動画に収められてしまった」


 わたしは言葉を失った。そんなことがあったのなら、どんなに説得したところで、バンドにいい印象を持つことはないだろう。


「その動画はまたたく間に広まり、お兄さんは結果的に芸能界を追われることになったの。自分さえしっかりしていれば、どんな世界であろうと一人前になれる、そう思っていても、結局は自分の弱さに負けてしまった……そういうことじゃないかしら」


「だから妹が音楽をやることにご両親は反対したんですね」


「彼女も、お兄さんと同様に学校の成績は抜群に良かったみたい。理数系はトップクラスだと自分で言っていたから」


 わたしは頷いた。そう言えば、自分でギターのピックアップをいじったり、アンプを自作したりしていたようだ。


「でも彼女は、あきらめなかった。周囲がどんなに反対しても「音楽が好きなの」と自分の意志を貫こうとした。その姿がきっと、お兄さんと重なって見えたんでしょうね」


 つまり、聖螺には両親の期待を裏切っているという後ろめたさがあったのだ。音楽にのめりこめば込むほど、その痛みは大きくなっていったに違いない。


「その頃かららしいわ。誰かに憎まれているんじゃないかという不安にさいなまされるようになったのは」


 その不安が、あのカードに現れたというわけか。わたしは暗澹とした気分になった。


「その人物についての心当たりは、言っていなかったんですね?」


 わたしは核心に切りこんだ。が、意を決して聞いたにもかかわらず、ミス・ホーリーの返答はそっけない物だった。


「言っていなかったわ。「近くにいる誰かだと思う」としか……」


 近くにいる誰か、わたしは軽い落胆を覚えつつ、考えを巡らせた。近くにいる人間ということは、事務所の人間か?「メアリーシェリー」のメンバーだとは考えたくなかった。


「ホーリーさん」


 わたしは思いきった問いを投げかけてみることにした。


「ホーリーさんは、その……聖螺の生き霊が本当に誰かを操ったとお考えですか?」


 ミス・ホーリーの視線が一瞬、左右に揺れた。


「それは……正直、わからないわ。でも、無意識の言動が誰かの悪意を呼び覚ますことって、あると思わない?」


 うまい逃げ口上だ、とわたしは意地の悪い感想を抱いた。この言い方なら、ちょっとした不協和音は悪いエネルギーのせいだとひとくくりにしてしまえるだろう。


「霊のせいかどうかは関係なく、聖螺とぎすぎすしていた人が怪しい、と?」


「そうだと思う。だって、肝心の彼女に心当たりが無いんじゃ、どうしようもないでしょ」


 たしかに、とわたしは思った。そこまで占いで言い当てることができたのなら、逆に恐ろしい話だ。


「わかりました。色々と突っ込んだ話を聞いてしまってすみません」


 わたしは頭を下げた。ミス・ホーリーはほっとしたように表情を和らげ、それから少し厳しい顔を作った。


「あなた、もしかして……その人物が、ライブハウスを爆破したと考えてるの?」


 鋭い質問を逆に浴びせられ、わたしは答えに窮した。


「……そう言う可能性も、あると思っています」


 そういうことか、とでも言うように、ミス・ホーリーは太い息を吐き出した。


「気になるのはわかるけど、あなた一人で調べるのは危険じゃないかしら。悪戯の反人ならまだしも、もし爆破犯だったりしたら……」


「わかっています。でも、できるところまでやってみたいんです」


 わたしはミス・ホーリーの目を正面から見据え、きっぱりと言った。


「そう……でももし本当に危なくなりそうだったら、その時は警察に任せるのよ。いい?」


 ミス・ホーリーはびっくりするほど低い声で釘を刺した。さすがに年長者の貫禄だ、とわたしは思った。


「はい、そうします」


 ひと通り話を終えた後、わたしはミス・ホーリーにネイルのケアと占いをしてもらった。占いで出たわたしのカードは「しばらく混乱が続く」というものだった。

 とにかく、収穫はあった。事件の調査は始まったばかりだが、なにより聖螺の事が色々とわかったのが嬉しかった。


 ――あと、爪も綺麗になったし。


 わたしは店を出ると、右手の爪を眺めた。淡いパープルの下地の上に、一文字づつ英語が記されていた。『V・O・I・C・E』。わたしがヴォーカルだからだろう。


 ――あの人は信用していい?


 聖螺から譲り受けた指先に、わたしは尋ねた。


             〈第六話に続く〉

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