第4話「聖螺」(3)爪はおぼえている


「聖螺がこの店に来たのは、一年くらい前でした。僕はまだ見習いで、マスターの陰で瓶を磨いたり、オーディオの操作をしたりしていました。そこへ僕の中学時代の恩師が、女の子を伴って現れたんです。それが、聖螺でした」


 佑はカウンターの方に目をやりながら言った。右腕の痺れは微かな心地よさを含む痛みへと変わっていた。わたしの知らない過去に、わたしの内なる聖螺が反応しているのだ。


「当時、彼女は家庭に居場所をなくしていて、友達の家を泊まり歩いていました。その晩も街をさまよっていたみたいで、たまたま、姿を見かけた担任がここに連れてきたんです」


「そうだったんですか……一年前って言うと、ちょうどバンドを結成した頃ですね」


「ええ。あの時、彼女は父親と折り合いが悪くなっていたんです。家にはいたくない、でも別居中のお母さんには恋人がいて、そちらにも行きたくない……、そんな状況でした」


 わたしは、事務所で聖螺と初めて顔を合わせた時の事を思いおこした。お守りのようにギターを抱きしめ、前髪の間から挑むようなまなざしを向けている少女。それが第一印象だった。一つ年上の彼女は、わたしと同様にしばらく学校に行っていないようだった。


「それからしばらくして、昼間のカフェで働いていたら、たまたま彼女が一人で来たんです。それで中学の後輩ということもあって、なんとなく話をするようになったんです。最初は僕がジャズの話なんかを一方的にしていたんですが、そのうち、実は芸能活動をしているって話を聞かせてくれるようになって……ライブを観に行くようになったんです」


 わたしは、佑の話に夢中で聞き入った。……ここにも、わたしの知らない聖螺がいた。わたしたちは互いに、プライベートにはあまり踏み込まずにいた。話題と言えば音楽のこと、仕事のことがメインだった。どこか孤独な子たちを集めたバンド、そんな空気を互いに感じ取っていたのかもしれない。


「おかしな表現かもしれませんが、ライブを観て、僕は改めて彼女のファンになったんです。ミニアルバムを出すことになった、とやってくるなり叫んだ時の表情が、今も忘れられません。私の居場所は家でも学校でもない、ステージだ。そう言っていました」


 佑の言葉を聞いた途端、わたしは胸に熱いものがこみ上げるのを覚えた。そうだ、あの時の私たちはそう思っていた。『メアリーシェリー』が私たちのホームなのだと。


「でも、それからしばらくすると、彼女の表情に変化が現れたんです。店には来るんですが、一通り近況を話してくれた後、なぜか奥の席で長い時間、考え込んだり……」


「それはいつ頃のことですか?」


「いまから、ひと月ぐらい前です。さりげなく訊ねてみたんですが、はっきりしたことは教えてくれませんでした。彼女の話しぶりからすると、バンド活動をよく思っていない人間がいて、脅しめいたことを言われているようでした」


「穏やかな話じゃないですね。それ。わたしたちにはそういう話はしてなかったのに……」


 佑の話が本当であれば、仲間としては見過ごせない事態だ。なぜ、聖螺は話してくれなかったのだろう。脅していた人間が、犯罪にかかわるようなやばい人種だった?それとも、父親とか家族がらみの話だったから?


「それで、事件の後、ひとつ思い出したことがあるんです。ふさぎ込むようになる少し前、聖螺と行ったある場所の事を」


 佑が声のトーンを低め、わたしは思わず身を乗りだした。


「ある場所、というと?」


「占いです。……と言っても変わった占いで、ネイルサロンとセットになっているんです」


「ネイルサロンと占い、ですか。なんだか節操がないというか、安っぽいというか」


「そうですね、僕もそんな印象でした。聖螺がネットで公開していたギター演奏の動画を見て、彼女の爪に興味を抱いたんだそうです」


「爪に?」


 わたしは、聖螺の爪を脳裏に思い浮かべた。単にギタリストとしての美意識だけでなく、聖螺は爪を美しく見せることにとことん、こだわっていた。


「なんでも、色と形をえらく褒めていたようで、爪のケアと「ネイル占い」といのをセットでやっているから、ぜひお店に来てというラブコールを受けたみたいです」


「それで、行ったんですか」


「ええ。一人じゃ不安だというんで、二人でね。僕はこれといって何もしてもらいませんでしたが……その時に、とても不吉なことを言われたんです」


「不吉……というと?」


「このまま人前に立つ仕事を続けていると、いつか危険な目に遭う、そう言われたんです」


「まさか、その通りの事が……」


「おそらく、起こったんでしょう。誰かに脅かされるような出来事があって、それを占いと結びつけてしまったんだと思います」


「その人物が爆破を……?」


「わかりません。あるいは、その占い師自身が、爆破と関わっているのかもしれない」


 佑の話は、かなり飛躍していた。……が、あり得ないと笑い飛ばすこともできなかった。


「とにかく、その占い師に会ってみましょう。まだそのお店はあるんでしょう?」


「たぶん。行ってみるつもりですか?」


「だって、今のところ唯一、疑わしい人物じゃないですか。仮に爆破事件の犯人じゃないとしても、どういうつもりでそんな不吉な予言をしたのか、聞いてみたくありませんか?」


 わたしはわざと挑発的な物言いをした。佑はわたしの視線を受け止め、頷いた。


「わかりました。じゃあ、場所をお教えします。……でも、気を付けてください。もし、その占い師が事件と関係あるのなら、調べに来たあなたを疎ましく思うはずです。もし、心細いようでしたら、僕も一緒に行きます」


「ありがとうございます。……でも、百原さんは顔を覚えられているでしょうから、一緒に行ったらきっと怪しまれます。大丈夫、一人で行きます」


「わかりました。無理しないで下さいね」


 わたしは、頷いた。そして、ふと浮かんだ言葉を付け加えた。


「いよいよ、戦闘開始ですね」


             〈第五話に続く〉

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