第一章九話 睦言

「あら、おかえりなさい。メイル姫殿下」

「やめて。ここに歩いて来るまで、何回も言われて辟易してるの」

 自分と全く同じ容姿の人間が現れたが、メイルは読んでいた本を閉じ迎え入れた。

 エインフィリアの象徴でもある王城は複数の塔で構成されている。中心の本塔には謁見場や会議場が設けられており、今二人のいるメイルの私室は本塔の脇、付属する別塔の上部にあった。

「くす、いいじゃない。少なくとも今のアナタはメイル姫そのものよ。事前に言わなければお父様にだって見分けられるかどうか」

 ベッドに腰掛けているメイルがミレアの髪に触れた。同じ金髪だが、ミレアの着けているそれは作り物だ。さすがに本物の質感とは比べるのも烏滸(おこ)がましい。

「そんなことより、体調はもういいの? そもそもアンタが昼間アホな悪戯しなければ変装も必要なかったのだけれど」

「反省してま~す。けれど、予算会議までこなせるなんて。デコイというより、もう一人のボクがいるみたいね」

「だからって自分の身体をおろそかにしていい理由にはならないわよ」

「あぅっ」

 ピシ、とメイルの額にデコピンを喰らわせるミレア。

 メイルは生まれつき病弱だった。自業自得ではあるが、昼間の命懸けな悪戯が身体へ負担を掛けてしまったのだろう。

 これまでもメイルが体調を崩すことは多かったが、身体に鞭を打ち政務をこなしていたのだ。しかし、ある時メイルは自分と同じ歳で、且つ似た容姿を持つミレアにデコイを務めさせるという内容を提案した。無理に決まっている、と初めはミレアもタナトスも否定的だったが、思いの外成功してしまい今に至る。

 金髪のウィッグを外したミレアは正装を脱ぎ、預けていた元の衣服に着替え始めた。当然のことだが、ミレアがデコイを努めていることはタナトス王以外の誰にも知られてはならない。

「ふ~む」

 顎に手を当てたメイルがミレアを眺める。

「……着替えづらいんだけど」

「こうして見てると本当にそっくりね。顔も身体も。ミレア、もしかして最近、胸が二センチくらい大きくなった?」

「…………」

「ふふ、恥ずかしがらなくていいのに。ボクも同じなんだから」

「お蔭さまで変装も楽だわ」

「くす、そういうつもりで言ったんじゃないの。十五年前、あの雨の日にミレアと出会ったことは運命だった。そう感じてしまうのよ」

 ミレアには身寄りがなかった。否、正確には何も覚えていないのだ。

 当時四歳であった彼女に親の記憶はほとんど残っていない。存在していたことは間違いないが、記憶にあるのは別れた後、外に捨てられていたことだけだ。

 もしあの時、王族の一行が付近を通り掛からなければ今の自分は存在していない。今でもミレアは時折夢に見るほどだ。

「もしかしたらミレアは、神様か天使様の贈り物かもしれないわね」

「だったら羽の一つでも付けておいて欲しかったわ」

 皮肉を言いながらミレアが着替えを終え、束ねていた黒髪を放った。

 エインフィリアはおろかドットフィリアにも例を見ない漆黒の毛髪を、メイルがうっとりと眺める。

「ボクはその髪と瞳こそ羨ましいわ。小悪魔的で」

「……褒め言葉として受け取っておくわ。さあ、病み上がりは早く寝なさい。会議資料はここに置いておくから」

 そう言って立ち去ろうとしたミレアだったが、唐突に腕を掴まれ背後のベッドへと引き込まれた。続くようにして、柔らかな感触と甘い芳香が身を包み込む。

 眼の前には、頬を上気させたメイルの美貌があった。

「…………」

「まだ少し寒気がするの。暖めてくれないかしら?」

 拒否権が無い事を知っているミレアは、朝まで添い寝を命じられることとなった。

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