ゴーストと探し物ーー中編
「随分と久しぶりだペンね。元気にしていたかペン?」
『……そちらはお変わりないようですね。可愛らしい語尾に可愛らしくない言葉。結局、あなたが死ぬまで直りそうになさそうです』
「……あぁ、お前は変わらないペンね、元気そうで何よりだペン。それより、お前に訊きたい事があるペン」
『構いませんよ。訊かれたことを答えるのが私の義務であり仕事です。生まれたての赤子のように無知なあなたにも、私は答える義務があります』
「ホント、お前は一言多いペンね。まぁいいペン。私が訊きたいのは場所だペン。手がかりは、森の中の洞窟、真っ赤な花畑、色んな花を咲かす木、そしてナバラス」
『ナバラス……懐かしい名前ですね。あの国の王は博識でユーモアがありました。何年経っても頑固で頭が固くて融通がきかない、そして死んでも諦めない。そんなあなたとは大違いですね』
「……いいから、さっさと答えるペン」
『怒りましたか? 褒めたんですよ? いつまでもくだらない事に固執するあなたを、私が褒めてあげたんです。感謝するべきです』
「はいはいありがとうだペン。だからとっとと答えろ引きこもり」
『短気な所も直りませんね。でもそろそろ教えてあげましょう。ソフィア、無駄な事ばかりを詰めて満杯の頭に、しっかり詰め込んでくださいね?』
「……もうやだこいつ」
ーー傭兵所長と図書塔の主の会話。
☆
道無き道、とはこの事を言うのだろう。辺りは木々に囲まれ、地には太い木の根が張り、ぬかるみ気味の地面を侵食している。今は昼間のはずだが、深緑の木の葉が空を覆い尽くしているせいで、どうにも薄暗い。
「……全く、お前も厄介な所で目覚めたペンね。こんな辺境、支部の奴らでも近寄らないペンよ」
(それは〜ミストさんに言われても仕方ないですよ〜。ミストさんも苦労したんですから〜)
返空の月四十四日。ミストの事情を聞いてからおよそ二週間後のこの日に、ソフィアはとある森の中を歩いていた。
通称『深遠の森』。王都から西にあるガグリアンという大きな街の奥に、この森は存在している。ガグリアンからは馬車で四日程度。ただ『深遠の森』へ続く道は作られていないため、これも目算だ。
馬車も魔動車も使えないため、『深遠の森』へは徒歩で行く他にない。ソフィアも王都からガグリアンまでは魔動車で移動したが、ガグリアンの街からは歩いて来ている。魔法で移動も考えたが、単身で魔獣の生息する森へ向かう以上、魔力は温存しておきたかったのだ。
……ちなみに、《アファリア》の運営はメメア、そしてカンナの二人に頼ってここに来ている。もちろん、対処しきれない問題が起きればすぐにでも戻るつもりだが、この二人がいれば大抵の事は何とかなる。対価に色んなものを要求されたが、これも安眠の為。長い目で見ればプラスになるはずだ。
「……それにしても、お前の言う洞窟は見つからないペンね。もう二日は歩いてるペンよ? そこそこ進んだはずだペン」
(ですね〜。でもミストさんも森の中で何日か彷徨いましたから〜、まだだと思いますけど〜)
「目印くらい欲しいペンね」
(そうですね〜、真っ赤な花畑かお花いっぱいの木が見つかれば〜、洞窟の方向はある程度分かるんですけどね〜)
ある程度かペン、とため息混じりに言葉を吐きながら、ソフィアは木の根を超えて進む。
「いくらこの森がそこまで広くないとはいえ、目印が少ないのは問題だペンね。食料が保つか分からなくなってきたペンよ」
(何日分持ってきたんですか〜?)
「残っているのは三週間、切り詰めれば倍はいけるペン。だけど、そこまで長引かせるつもりはないペン。……まぁ、もう二週間も過ぎてるし、これから三週間も《アファリア》を外せる訳ないんだけどペン」
というより、一月以上も《アファリア》を放ったらかしにしていたら何が起こるか分かったものじゃない。いくら取り繕っていても、あそこは傭兵達の集まった場所。真っ当な生き方から外れた奴らしかいない。そのトップが不在と知られれば、馬鹿は馬鹿を起こす。
(大変ですね〜。これが終わったら、ミストさんもソフィアさんの助けになりますよ〜)
「有り難迷惑だペン」
(ミストさん、役に立ちますよ〜? 剣の腕はナバラスで二本の指に入ると言われてましたし〜、字も達筆で綺麗って、師匠に褒められましたから〜)
「アホかお前は」
「いえ〜、ミストさんはアホじゃなくてミストさんです〜)
「そうじゃなくて……ゴーストがどうやって剣とペンを持つんだと訊いているんだペン。実体がないのに、物に触れる訳がないペン」
(…………あ〜)
無表情のままガックリと項垂れるミスト。ソフィアは鼻で笑いつつ、馬鹿かと呟いた。
「私は私のためにやっているんだペン。決してお前のためじゃない、だから礼なんて考えるなペン」
(いや〜、でも〜、ミストさんはお礼がしたいんです〜。ほら〜、親しき仲にも礼儀あり、って言うじゃないですか〜)
「誰と誰が親しき仲だペン」
(ミストさんとソフィアさんですよ〜? ソフィアさんはミストさんの中で〜、もうお友達です〜)
「勘弁してくれペン。お前みたいなフワフワ人と友達とか、考えただけで寒気がするペン」
(でもですよ〜、ソフィアさんとミストさんは何日も旅をしてきましたし〜、一緒にご飯も食べましたし〜、お話もするじゃないですか〜。これはもう〜、立派な友達ですよ〜)
「旅じゃなくて移動だペン。それにお前は飯も食える体じゃないし、魔動車の中でもお前が喋っていただけだペン。私が何回黙れと言ったか、覚えているかペン?」
(さぁ〜? ソフィアさんは恥ずかしがり屋なんだな〜、と思ってました〜)
「……こいつ、話が通じないペン」
こいつ本当に元人族か。ゴーストになって思考機能がぶっ飛んだんじゃなかろうか。
確かにゴーストは魔獣の分類に入っているが、それはあくまで一応だ。魔獣の定義は体内に魔石を宿している事、魔法を使う事、のどちらかが当てはまっている生物を指すが、稀に解明が進んでいない、例えばゴーストのような不可思議な存在も魔獣にカテゴリされる事もある。
厳密に言い表すなら、魔獣の可能性を持つもの、それがゴーストだが……こいつの様子を見ていると、とても魔獣とは思えない。
「……何にせよ、お前とはこれが終われば縁切りだペン。それを覚えておけペン」
(そんな〜)
何がそんな〜だ、とソフィアはミストを睨みつける。
ーーと、その直後、
「っ!」
ソフィアはぬかるむ地面を見つめて大きく飛び退いた。途端、轟音を響かせてソフィアの立っていた地面の真下から巨大な何かが飛び出してくる。
「チッ! 騒ぎすぎたペンね!」
(わ〜)
「気が抜ける声を出すなペン!」
土を掻き分けてその半身を現したのは、手も足もない細長い体をクネクネとさせる巨大な魔獣。見えている部分だけでも人が数人分はあるだろうか。その先端は鋭角状に尖っており、目も鼻も見当たらないが、魔獣は別の器官でソフィアを感知したのだろう。鋭角状の頭部らしき部位を威嚇するようにソフィアに向けると、四つに分けて口内を見せつけた。
(うわ〜、グチョギチャしてます〜)
「その訳のわからない擬音をやめろペン」
人一人なら軽く飲み込めるであろう大きな口内は、まるで別の生物が棲みついているかのように無数の歯らしきものが蠢いていた。飲み込まれれば、逃れる術はなさそうだ。
「ジギトリスワーム。地中に潜む魔獣で、危険度は高。見たことはあるペンか?」
(いや〜、ないですね〜。ミストさんの生きてた時代にこんな気持ち悪いのはいませんでしたよ〜)
「そうじゃないペン。こいつは縄張りを持っているんだペン。その縄張りからは絶対に出ない、だからお前がこいつを見てれば、目的地は近いと思ったんだけど……」
(森から出る時も見てませんね〜。もしかしたら、たまたま遭遇しなかっただけかもしれませんけど〜)
「その可能性もあるペンね。まぁ、どっちにしろっ!」
ソフィアは頭から突っ込んできたジギトリスワームを大きく飛んで躱し、翼状の手に魔力を集中させる。
「こいつは殺すペンよ」
着地と同時に手を一閃。生み出された風の刃は超速でジギトリスワームの体に向かっていき、
(お〜)
いとも容易く巨大な体を二つに裂いた。
ジギトリスワームに声帯はない。だがまるで断末魔を上げるようにおぞましい口を天に向けて開くと、ジギトリスワームは緑色の血を流しながら、その巨体を地に落とした。
地中に埋まったままの体も程なく地面に倒れる。断面から緑色の血を流してピクピクと小さく跳ねる姿は、気色が悪い以外に形容する言葉が見つからない。吐くものが何もないゴーストのミストも思わず、手を口で覆い隠した。
(うえ〜、気持ち悪いです〜)
「私も同感だペン。だけど、まだ終わってないペンよ」
顔をしかめるソフィアは地に埋まっている方の体に翼状の手を向けると、小さな炎を作り出した。炎はジギトリスワームの半身にゆっくりと進み、断面に接触した瞬間に輝きを僅かに増した。
炎は少しづつ半身を飲み込んでいく。そして一分もしないうちに、地に埋まるジギトリスワームの半身は跡形もなく燃やし尽くされてしまった。
「……こいつは体内に小さい自分をもう一匹飼っているペン。それを殺さないと、こいつは自分の死骸を喰ってすぐに成長するんだペン」
(ほえ〜、姿も恐ろしければ生き方も恐ろしいですね〜)
「だから危険度が高に指定されているんだペン。正直、こいつ単体は弱いペンよ? 体も柔らかいし、動きも遅いし」
(いや〜、あんなのが来たら怖くて動けないですよ〜)
「それでも動くのが傭兵だペン。見た目にビビっていたら傭兵稼業はできないペンよ」
頭部の方の半身も同じように燃やしたソフィアは、空間収納魔法から水の入った瓶を取り出して口につけた。
(水〜、ミストさんも飲みたいです〜)
「なら体を持って来いペン」
恨めしげな無色の瞳を無視して、ソフィアは瓶の水を飲みながら考える。
資料によると、ジギトリスワームは『深遠の森』の中層部に生息すると書かれていた。ここまで約二日。ペースとしては悪くないが、怖いのは深奥部に達した時だ。
『深遠の森』に人の手が入っていない理由。魔獣が生息しているのもあるが、第一の理由は深奥部に生息する魔獣の危険度が高いからだ。ジギトリスワームが何百匹集まっても勝てないような魔獣が、深奥部には多数存在するらしい。
そいつらは普段は自分の縄張りから出ないが、侵入者が来たら話は変わるだろう。正直、ソフィア一人で対処しきれるかも分からなくなってくる。最悪のパターンは、戦闘が激しくなって周りに影響を及ぼす事。森全体に潜む魔獣が近くの街、ガグリアンに攻め入ったら、何人の死傷者が出るか、想像もつかない。
ここから先は、できるだけ隠密を心がける必要がある。そしてなるべく早く、例の洞窟を見つけなくてはならない。
「……さて、そろそろ行くペンよ。休んでいる暇はないペン」
(休んでいたのは〜、ソフィアさんだけですよ〜)
「うるさいペン。ほら、行くペン」
瓶を空間収納魔法にしまい、ソフィアは歩き出す。フワフワと浮かぶミストを連れながら。
☆
同時刻、《アファリア》本部の所長室にて。
「……ただいま帰ったよ」
「お疲れ様ですカンナさん。お茶でも飲みますか?」
「うん……飲もうかな」
ぐったりとした様子で所長室に入ってきたカンナは重い足取りで進むと、ソファに倒れこむように顔を埋めた。左の三角耳は垂れ、半分しかない尻尾は苛立ちを表すように乱雑に揺れている。
「その様子ですと、無事に終わったようですね」
「無事、かは分からないけどね。あんまり聞き分けないから、つい殴っちゃったよ」
「…………」
「何その目。大丈夫だって、右手で殴ったし、手加減もしたからさ」
カンナは顔だけメメアに向けると、薄い青の瞳を細めて笑った。
「……でもホントさ、何でクラス無しってあんなに馬鹿なんだろうね。自意識過剰って言うのかな、職員から依頼をもぎ取ろうなんて百年早いと思うんだよね」
「入ったばかりの人達なので、仕方のない事だと思います。十人に二人は、そういう馬鹿げた行為をする者がいますので」
「私も職員の一人だからさ、馬鹿が湧くのは知ってるんだけど……面倒臭いのには変わりないんだよね」
「所長も頭を悩ませていましたね。まぁ大抵、一度でも脅せば改めてくれるようですが」
カンナはゆっくり起き上がり、メメアが淹れたお茶に口をつけた。
「何という恐怖政治、ってとこだね」
「《アファリア》は傭兵所です。いくら試験でふるいを掛けたとしても、力でものを言わす人は多いですよ。その人達を従わせるにはそれ以上の力を見せつけるしかありません」
「……ま、そうだね。はぁ、所長、早く帰ってこないかな」
ソフィアが《アファリア》を外して早二週間。メメアとカンナの疲労はかなり溜まっていた。
それも道理である。元々三人で回す仕事を二人で回していれば、負担は大きくなるものだ。特に、一番仕事量の多かったソフィアの穴を埋めるとなれば、二人の仕事量は一気に増える。
交互に仮眠を取ってはいるものの、それが二週間も続けば疲労はどうやっても溜まる。何より問題なのが、ソフィアという抑止力が消えた事だろう。
「所長が出かけてから、問題児が何倍になったんだっけ?」
「およそ二倍ですね。大人しくしていた傭兵が所長の不在を知り、問題行為に及んでいるようです。流石に街の人達に危害が及ぶような事はしていませんが、依頼も無しに外へ出て、魔獣を狩りに行く傭兵が増えてますね」
傭兵業は荒事屋だ。個人差はあるが、彼らの中には強者が絶対の法が存在する。問題を起こすような道徳観、倫理観が薄い者は、特にその意識が高い。
そういった者は大概、一度はソフィアに締められている。そこでソフィアの力に陶酔する者もいれば、ソフィアをボスと認める者もいる。
前者はまだいいだろう。だが後者は? ボスが不在と知れば、身勝手な行動に出る傭兵も出てくる。一人がやれば、また一人、また一人と増えていくのだ。
「今の所、全て未然に防げていますが……職員達の疲労も溜まっています。支部に応援を頼む事も出来ませんし、限界が来るのは時間の問題ですね」
「だね。……ホント、所長は何をしに行ったんだろうね」
「知りません。最後まで教えてくれませんでしたね。出かける前の数日は、随分と疲れていたようでしたが……」
「……そういえば、夜中にも何度か起きてたみたいだね。起こさなければぐっすりの所長にしては珍しいなー、って思ってたんだけど……」
「…………」
「…………」
一瞬の沈黙。カンナは左しかない三角耳をフニャリと伏せた。
「……まさかと思いますが、疲れて逃げた、なんて事はありませんよね」
「……まさか。所長が逃げるはずないよ。あの所長だよ? 黙っていなくなるはず……」
「……ない。そう信じたいですね」
そう言うと同時に、壁に掛けてある時計が軽やかな音を立てた。時刻は午後二時。それを確認したメメアは椅子に凭れかかり、長い黒髪を紐で纏めてスッと目を閉じた。
「私はこれから仮眠を取ります。時間になったら起こしてください。……起こされないと、一日中寝てしまいそうですので」
「……はいはい。おやすみ」
程なく、メメアは小さな寝息を立て始める。カンナはそれを見て、ため息を吐いた。
「……所長、今度会ったら全力で殴るよ。それが嫌だったら、さっさと帰ってきてよ」
呟いた言葉は宙に溶け、カンナは弱々しく半分しかない尻尾を振った。
☆
「……何か、寒気がしたペン。具体的には、早く帰らないとぶん殴られるような気がしたペン」
(何言ってるんですか〜?)
「いや、何でもないペン」
時折、水で喉を潤しつつ、ソフィア達は前へ進んでいた。ジギトリスワーム戦での戦闘音で付近の魔獣が引き寄せられるかと思ったが、今のところ気配はない。
「……とっとと帰って、柔らかいベッドで寝たいペンね」
(フワフワふかふか〜、良いですね〜)
「木にもたれ掛かって寝ると体が痛いペン。お前は役に立たないんだから、せめてそのフワフワしてそうな体が使えたら良かったのにペン」
(無念です〜)
ベチャベチャ。先に進むにつれ地面は水っぽさを増していく。ソフィアの纏う着ぐるみに自浄機能なんてものは付いていないので、鰭のついた足はどんどん汚れていく。
汚れはともかく、足元が安定しない、というのは人型の生物にとって致命的だ。ジギトリスワーム程度の相手ならまだしも、それ以上の相手が出てきたら、或いは複数で現れたら、地に不慣れなソフィアには不利でしかない。
「……空気が重くなってきたペンね。しかも、魔素も濃い。資料にこんな事は書いてなかったペン」
(あ〜、空気が重いっていうのは分かりませんけど〜、魔素? が濃いっていうのは分かります〜。なんかこう〜、体が熱くなってきましたね〜)
「ゴーストは魔力の集合体だペン。影響を受けてもおかしくはないペンよ」
魔素とは空気中に存在する超微小な魔力の塊。この世界の生き物は魔力を宿しており、ただ生活しているだけでも極僅かな魔力を消費している。
魔力は魔臓と呼ばれる体内の臓器によって生成されるが、その元となっているのが魔素だ。簡単に言えば、この世界の動植物は魔素がなければ生きていけない。それだけ重要なものでもある。
だが、魔素が濃すぎれば毒にもなる。体内に取り込む魔素が多すぎると徐々に不調をきたし、最後には死ぬ者もいる。
「……何か、原因があるはずだペン。こんな所に人の手が入るとは思えないペン。となれば……長年生きた魔獣が死んだか、それとも魔獣が極端に繁殖したか」
(関係あるんですか〜?)
「あるペン。長く生きた魔獣は体内に莫大な魔力を溜め込んでいるペン。そいつが死ぬと死骸から魔素が発生して、周囲に影響を及ぼすんだペン。魔獣の凶暴化、生態の変化、挙げればキリはないペンね」
(なるほど〜)
「そして魔獣の繁殖。一部の魔獣は群れを持って繁殖するペン。そして極稀に複数の魔獣の繁殖気が重なり、大量の魔獣が生まれる。その時、何故か大量の魔素も発生するんだペン」
(何故かっていうのは〜、何でですか〜?)
「さぁ? 私にも分からないペン。まぁ、魔獣については、まだ分かってない事の方が多い。そういう事だペン」
何にせよ、とソフィアは若干汚れた着ぐるみの嘴を触る。
「警戒して進むべきだペンね。魔素の影響は侮れないペン。お前も何か聞こえたら、私に教えるペン」
(お任せを〜。ミストさんの耳は三千里です〜)
「……冗談はいいから、真面目にやってくれペン」
はい〜、と気の抜けた返事を聞きながら、ソフィアはため息を吐く。
とはいえ、自分まで気を抜いている訳にはいかない。ミストにも言ったが、魔素が濃いという事は魔獣に悪い方向に影響を与える。できるだけ戦闘を控えたいソフィアとしては、歓迎したくない状況だ。
可能なら、このまま何事もなく目的を達成したい。そう思った、直後だった。
(…………ん〜)
「……腑抜けた声を出すなペン」
(いや〜…………その〜……)
「んん?」
フワフワ、フラフラ。ミストは不規則に宙に揺れている。それだけなら、さっきまでと同じなのだが……、どうにも様子がおかしい。
何と言えばいいのか。さっきまでは自分の意思で動いていたのに対し、今は意識が宙ぶらりんと言おうか。本人の意思とは関係なく動いているようにも見える。
「何か思い出したのかペン?」
(いえ〜……そう言い訳では〜)
無色の瞳もどこか虚ろだ。必要もなく、視線を胡乱に彷徨わせている。
「……もしかして、魔素の影響かペン? いや、でも……ミスト、自分の名前、性別、特技、他にも自分の事を言ってみるペン」
(ミストさんの事ですか〜? えぇと〜、ミストさんはミストさんです〜……それにミストさんは女の子で〜……特技は剣技〜〜……)
「……他には?」
(えぇ〜と〜……ナバラスの生まれです〜……宿屋さんの用心棒をしていまして〜……お給金は一万ピナスと三食屋根付きのお部屋〜…………でしたっけ〜?)
無色の瞳が僅かにブレる。
(いや〜……お家は持ってました〜……赤い屋根の〜……小さな家〜……違う……お婆さんと住んでいた……これも違う……ホントは青い屋根の大きなお家……じゃない)
「……ミスト? どうしたペン?」
(……ミストさんはどうもしませんよ〜……でも〜……何か別のものが……ミストさんの記憶を〜……邪魔して……違う……これもミストさんの一部です〜……邪魔なんかじゃ……)
ミストの瞳や髪に、様々な色が入れ替わるように色づく。虹色、と言えるほど綺麗ではない。むしろ頓着なく混ざり合い、無秩序な色が瞳と髪を侵しているように見える。
(熱い……あついです〜……すごく……あつい)
「ミスト? ミスト、私の声が聞こえるかペン?」
(あついんです……ぐるぐるぐるぐる……あつい)
正常、とは言えないだろう。だが、ゴーストの事を知らないソフィアに何か打てる手もない。
しかし考えるに、おそらくは魔素の濃さが影響しているのだろう。ミストが体の不調を訴えるような発言をしたのは、魔素が濃くなった直後だ。
魔素を薄くする方法は簡単だ。自在魔法をわざと燃費が悪く放てばいい。それだけで済むのだが、場所が場所なだけにそれも厳しい。ここは『深遠の森』中層部。あと少し進めば深奥部にも達するだろう。そんな場所で無駄に魔法を使えば、どんな魔獣が現れるか分かったものではない。
「……せめて実体があれば魔力を吸えるんだけどペン」
ミストはうわ言のように、あつい、と繰り返している。苦しむように揺れる体に手を伸ばしても、やはり触れる事はできない。
ミストがいなければここまで来た意味もなくなる。そうなればソフィアの目的は達成されるが、後味が悪いのはどうにも好かない。
「チッ……仕方ないペンね」
こうなればと、ソフィアは翼状の手に魔力を集め始めた。打てる手はこれしかない。魔獣を刺激するだろうが、そうなったらそうなれだ。全て自分で相手をすればいいだけの話。鈍った体を慣らすにはちょうどいいだろう。
魔法にして余計に被害を出すのは止めておこう。そして魔力の浪費は目を瞑る。どうせこれだけ魔素が濃いなら、少し歩けばすぐに回復する。最悪、回復促進薬を飲めばどうにでもなる。
「……ミスト、正気に戻ったら説教してやるペン」
手の先の魔力はこのまま放っても家の二軒や三軒なら軽く吹き飛ばせるくらいには溜まった。だが、まだミストは苦しんでおり、魔素も薄くなった気がしない。
「くっ……」
青い双眸をひそめ、ソフィアは更に魔力を集める。手の先の魔力は徐々に丸い形を形成し始め、薄く光を放ち出した。
魔法という指向性を持たせない限り、魔力は形も色も持たない。もし魔力そのものが可視化できたなら、つまりそれは膨大な密度を有している事になる。
今がまさにそれだ。だが魔力が可視状態であるのにも関わらず、周囲の魔素は一向に減る気配を見せない。それどころか、
「……どうなっているペン。なんで魔素が濃くなっているペン」
焦ったように言葉を吐き出したソフィアは、もう片方の手の先にも同じように魔力を集め始めた。これだけの速度で一気に魔力を集めれば、少なくともソフィアの周囲は魔素が薄くなるはずである。ただの平地であれば、それこそしばらくは魔力が回復しなくなる程、ソフィアの両手には魔力が集まっていた。……だが、
「チッ! ふざけるなペン! こんなの、ありえないペン!」
両手の先に集まった魔力の塊は少しづつ大きくなり、輝きを増していく。ソフィアが意図せずに魔力が集まっているのだ。秒を刻む毎に増え続け、ソフィアが制御できる限界もすぐ近くに迫っていた。
(あついあつい……何も見えない……耳が……あつい)
「ミスト! くそっ、これ以上は無理だペン!」
感情が読み取れない無表情で苦悶の声を上げ、宙をぐるぐる回るミスト。魔力の制御ももう限界だ。視界の端に彼女の姿を捉えたソフィアは声を荒げ、両手を空に向けた。
「何事もないように祈るペン!」
歯を食いしばり、魔力の塊を空に放つ。二つの魔力の塊は辺りに風を撒き散らして木々を突き抜け、遥か上空まで飛んでいく。
バタバタと揺れる着ぐるみの嘴を抑えながら、ソフィアは魔力の行く末を見守る。普通、術者の制御から離れた魔力は徐々に霧散していく。だが、放ったのは膨大な密度を誇る魔力の塊だ。更に言えば、一向に魔素が薄くならない今の状況は異常ともいえる。
無事にあれが消滅するようにソフィアは祈る。……だが、その願いは空しくも手折られる。
「なっ!?」
ソフィアの視線の先、鈍色の空を背景に二つの魔力の塊は唐突に混じり合い、ゆっくりと一つの大きな塊へ姿を変えようとしていた。
「くそっ!」
ソフィアは再び制御下に置こうと、空間魔法で足場を作って空へと駆け上がる。そして翼状の手を伸ばして魔力の網を作り出し、融け合う塊を包み込んで手元に手繰り寄せ、
ーー瞬間、魔力の塊は大きく輝きを増した。
「くっ!?」
あまりの眩しさにソフィアは瞼を閉じる。それでもまだ、瞳を焼こうとする光の熱さには耐えられない。両目を覆い隠すように両手を翳すと、ようやく瞼に照りつく熱さはなくなった。
ただ、漏れ出る光は目を閉じていても感じられる。それから体感にしておよそ一分程。周囲の光が弱まったように感じたソフィアは手を退け、ゆっくりと瞼を開けた。
そして、
「ーーこれは……」
視界に映ったのはありえない光景。この二日間で見慣れた木々は幻のように搔き消え、鈍色だったはずの空は綺麗に澄み渡っている。だが何よりもソフィアの声を奪ったのは、目の前に広がる待ち望んだ一つの光景。
「……真っ赤な花畑。どうして、こんな所に」
遥か地平の彼方まで地面を覆い尽くすのは、鮮血を浴びたような真紅の花。ソフィアは青い目を見開き、呆然と口を開いた。
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