ゴーストと探しものーー前編
十五
ゴースト。
魔獣の一種とされているが危険は無い。魔力で構成された体を持ち、死者の念を内包すると言われている。
現在、どの国、どの機関でもゴーストの調査は進められていない。その理由に、存在を確認する事自体が稀であること、そして認識できる者が少ないためである。
故に、ゴーストはその名だけが広まっている。庶民の間では一種の眉唾ものとして。分かっているのは危害はなく、また認識できる者は会話ができると言うことだけである。
☆
……最近、厄介な奴が増えた。
いや、《アファリア》の連中は大体厄介な奴ばかりだが、今回ばかりはその方向性が違う。
例えばエンラやシャガリアみたいな、いるだけで迷惑な奴らには依頼を与えておけばどうにかなる。依頼先で問題を起こす可能性も高いが、少なくともこいつらには最低限の倫理観がある。取り返しのつかない事は滅多にやらない。
次にカロナのような自分が問題を起こしていると気がついていない奴。こっちはまだいい。我慢強く注意していけば、いずれ気がついてくれるから。現にカロナも、最近は常識のある行動を取るようになってきた。……最も、よくランカに毒されているが。
だが、今回な奴はそのどちらでもない。つまり矯正もできないし、依頼を与えて遠ざける事もできない。
それはどんな奴か。答えは常に、ソフィアの後ろに浮かんでいる。
(あれれ〜、今日もお仕事ですか〜? 大変ですね〜)
ソフィアの周りを飛び回るのは一人の女性。歳は二十代前半、無色の長髪と無色のワンピースをフラフラと揺らし、感情と色の宿らない瞳にソフィアの渋面を映している。
彼女の名前はミスト。つい最近ソフィアに憑いてくるようになったゴーストで、
ーー自称、千年以上前に死んだ存在、らしい。
☆
彼女との出会いは唐突だった。朝起きて顔を洗い、いつもの着ぐるみを纏って部屋を出ると、
(あ〜、こんにちは〜。ソフィアさん、ですよね〜?)
この女性、ミストがいた訳である。
ソフィア自身、ゴーストを見たのは初めてであった。存在を信じていなかった訳ではないが、ある種のお伽話と同列に扱っていたのである。
……だが、目の前にこうもはっきり現れてもらっては存在の否定もできない。ソフィアの記憶に、透けていて、更に自分の意思を持っている存在は記されていない。否が応にも、彼女をゴーストと認めざるを得なかったのだ。
「……全く、何なんだペン、お前は」
朝の廊下。所長室に向かう道中にもミストはついて来る。というより、ミストが来てから一緒じゃない時はほとんどない。
(ナバラス、という国に住んでいた者です〜。あぁ〜、でも魔獣に殺されちゃいましたけど〜)
「……そういう事を訊いている訳じゃないペン」
ソフィア以外にミストは見えていない。ミストに出会ってからゴーストについて調べたが、どうやら見えない者がほとんどらしい。
それ以外にも記述はあったが、信憑性の薄い情報ばかりで当てにならなかった。何百年もゴーストの研究が一切進んでいない以上、仕方のない事かもしれないが。
「……頼むから、自室にいる時以外は話しかけないでくれペン。気が散って鬱陶しいペンよ」
(分かりました〜。あ、でも〜、ミストさんってお喋りなので〜、ついがあるかも知れません〜)
「……止めろって言ってるペン」
(ふふふ〜)
フワフワと浮かぶミストは、話し方もフワフワしている。表情もあまり変わらないので、冗談も分かりにくい。
無表情はメメアだけで十分だ。ソフィアは若干イライラしつつ、所長室の扉を開けた。
「あ、おはようございます所長」
「……おはようだペン、メメア。悪いけど、お茶を淹れてくれだペン」
「分かりました……ですが、大丈夫ですか? 何だか、ここ最近は顔色が優れてませんが」
「……気にするなペン。ちょっと、厄介な奴に目をつけられただけだペン」
「?」
メメアは何が何だか、といった雰囲気を纏うが、彼女にミストは見えていない。説明しても、大した理解は得られないだろう。
つまり、それが世間一般でのゴーストの認識だ。親しい奴に話しても冗談だと取られ、そうじゃない奴には頭が狂ったと見なされる。
ソフィアの知る限り、《アファリア》にゴーストが見える奴は一人しかいない。だがその一人も、今は所在が知れていない。《アファリア》に所属はしているが、あいつは他者と関わりを持つのを嫌う人種だった。もう何年も連絡はないし、頼れる相手ではない。
(お困りですね〜。ミストさんで良ければ、相談に乗りますよ〜?)
頭痛の原因がいけしゃあしゃあと抜かす。
(こう見えて〜、師匠には話し上手と言われたんです〜。よく、ミストはお喋り鳥みたい、って言われてましたから〜)
少なくとも、それは褒め言葉じゃない。こいつは明確な嫌味にも気がつかないのかと、ソフィアはメメアから差し出されたお茶を一口飲んだ。
(なので〜、ミストさんはとっても相談され上手なのです〜。では、人生の先輩に悩み事を言ってみてください〜)
……どこからツッコめばいいのだろうか。存在自体が冗談みたいなものなのに、言うことまでツッコミ所満載にされたら対処のしようもないではないか。
そもそも、メメアの目の前でこいつと話すというのは土台無理な話だ。とうとう気が触れたと思われかねない。
仕方なく、ソフィアはメモ紙に、夜に話すからそれまで黙ってろ、と書いてミストに見せた。
(夜に、ですね〜。分かりました〜。じゃあそれまで、ミストさんはお外にいますね〜)
では〜、と言い残してミストは窓を通り抜けて消える。これでようやく仕事ができると、ソフィアはため息を落としてペンを持った。
☆
嫌な事が控えていると時間が早く進むものである。そしてそんな日に限って、特に問題が起きなかったりするのだ。
(ではでは〜、ソフィアさんの悩み相談、始めま〜す)
時刻は夜。風呂に入り、ペンギン柄のパジャマに着替えたソフィアの前に、ミストは音も無く現れた。
「……覚えてやがったペンね」
ベッドに腰を下ろし、額に手を当てて俯くソフィアは、普段は着ぐるみに隠れて見えない青く長い髪をだらりと垂らした。
あわよくば、こいつが勝手に浄化されてないかな、何て願いは早々に却下されたようだ。ってか、こいつがくたばる条件って何なんだ。本では魔力の集合体、何て書かれていたが、こいつに魔法は通じなかった。
当然、物理は通じないだろう。となれば、ゴーストって無敵じゃないのか? 遥か昔には神聖魔法、なんてものがあったが、今はそれも廃れているし。
(どうかしましたか〜?)
黙り込んだソフィアの顔を、ミストが無遠慮に覗き込む。どうかしたかと訊かれれば、お前がどうかしていると答える他にないのだが。
「……何でもないペンよ。それより、お前の事を聞かせてくらないかペン」
(ミストさんの事、ですか〜?)
「そうだペン。そもそも、私の相談はお前の事だペン。正直、纏わり付かれて鬱陶しいんだペン」
(鬱陶しい……そうですか〜。それは残念です〜。ミストさんはソフィアさんが気に入ったんですけど〜)
「私はその逆だペン。さっさとお前を引き剥がして、夜くらいは静かに寝れる日々を取り戻したいんだペンよ」
(夜〜? ミストさんも夜は静かにしてますけど〜)
「気配が鬱陶しいんだペン。魔法は通じなくても、お前は魔力の集合体。目を閉じても近くに何かがいると、ゆっくり寝てられないんだペンよ」
正直な話、ミストの一番の問題はそこだった。ソフィアも手練の一人。かつては魔獣のうろつく森の中で野営をした事もあるし、木の上で寝た事もある。
それに慣れてくると、気配の一つ一つに敏感になるのだ。特に、寝ている時は。木の葉が落ちる音で起きる、なんて事はないが、生き物の気配が近づけば自然と目が覚める。ソフィアの身体はそういう風になっている。
魔力の集合体であるゴーストも変わらない。むしろ、実体がない分いつもより余計に敏感になっている気もする。これでも、ソフィアは色々試してみたのだ。魔獣が嫌がる匂いの香を焚いたり、ベッドの周りだけ結界を張ってみたりと。
だが、ゴーストに効き目はなかった。ミストに嗅覚はないか香も意味をなさなかったし、空間を遮断していようが平然と通ってくる。おかげでソフィアは寝ては起きて寝ては起きてを繰り返し、睡眠不足気味だ。
「一説によると、ゴーストが死者の念を宿すのはその念が強すぎるが故、だと言われているペン。その念、つまり未練を断ち切ればゴーストは掻き消える、本にはそう書いてあったペンよ」
(つまり〜、ミストさんの未練を無くすんですか〜?)
「そういう事だペン。上手くいけばお前はあの世に逝けるし、私も快適な睡眠が戻ってくる。どっちもウハウハだペンよ」
(ウハウハ〜。何か古臭い表現ですね〜)
「うっさいペン。それよりほら、話してみるペン」
(そうですね〜)
ミストはフワフワと宙を浮かびながら、指を口に当てて虚空を見上げる。そして無色の長髪を揺らし、全く変わらない表情を眺める事約五分。ようやく、ミストは口を開いた。
(ミストさんはミストさんです。生まれは平和が売りの小国ナバラスで〜、その国にあるお店の用心棒的な事をしてました〜)
「用心棒、って事はお前は戦えたのかペン?」
(もちろんです〜。片刃の長剣を使っておりまして〜、強かったんですよ〜。あ、師匠もいましたね〜。師匠にはどう足掻いても勝てませんでしたけど〜)
このフワフワ娘が剣を使う。想像できないが、ミストが嘘をつく必要もない。
そしてナバラスという国。ソフィアもこの国は知っている。特産品も観光名所も無いが、人々がゆったりとした時間を生きる国として一部では有名だった。老後はこの国で、という奴も多かったはずだ。
最も、ナバラスは千年以上前に地図から消えている。そして今ではナバラスを知る者もいない。歴史学者なら知っているだろうが、こいつにその手の教養があるとも思えない。……ならどうしてソフィアが知っているか? 自称十七歳を甘くみない方がいい。十七歳とは深淵に近い言葉なのだ。
ーー閑話休題。
顔にかかった青い髪を払って、ソフィアは腕を組む。それからもナバラスについて詳しく訊いてみたが、ミストは吃りもせずつらつらと答えた。その結果、
「……成る程、確かにお前は千年以上前に生きていた存在なのかもしれないペンね」
(かもしれない、じゃなくてそうなんですよ〜)
「ナバラスの王は隠居した悪魔族、騎士団は少数精鋭とは名ばかりの寄せ集め。こんな事、歴史学者だって知るはずもないペン」
(王様は良い人でしたよ〜。それに、騎士団の方達も気の良い人ばかりでした〜。あ、でもお酒を飲みすぎて暴れてましたけど〜)
「……懐かしい話だペンね」
(皆んな、良い人ばかりでした〜。ちょっとおじいさんおばあさんが多かったんですけど〜、何だかのんびりしていて〜、他の国の人たちとも仲が良くて〜。……あの魔獣達が襲ってきた時も〜、騎士団の人達は最後まで戦ってましたね〜。もちろん、ミストさんも一緒に〜、それに王様も一緒に戦って〜。でも〜……)
「そこまでは言わなくていいペンよ。私も、よく知っているペン」
ナバラスは僅か一日にして滅んだ。国民は一人たりとも生き残らず、後に残ったのは建物の残骸と崩れ落ちた王城のみ。一週間かけて整えた隣国の援軍が見たものは、たったそれだけだったという。
元々、ナバラスは戦える国ではなかったのだ。国民の気質も、戦力も、争いに適しているとは言えなかった。
表情こそ変わらないが、声を落とすミストはその時の記憶が残っているのだろう。ソフィアには慰めの言葉も見つからない。
(ミストさんの目が覚めたのは〜、大体数年前です〜。何もない洞窟の中で〜、ハッと起きたんです〜。洞窟からはすぐ出たんですけど〜、外の景色が変わりすぎてて道も分からなくて〜、フラフラ彷徨っていたら〜この街に来たんです〜)
「成る程ペンね。自分がゴーストだと認識したのはいつ頃だペン?」
(どこかの町に入ってすぐですよ〜。門番さんにも止められませんでしたし〜、こんにちは〜、って挨拶しても無視されましたので〜)
「町の名前は分かるかペン?」
(さぁ〜? あの時のミストさんは無視され続けて落ち込んでましたから〜)
「……まぁ、心中はお察しするペン。その時は地に足をついていたのかペン?」
(はい〜。浮けるようになったのは〜、もしかしたらと思って試したからです〜。それでつい楽しくなって〜、あちこち飛び回っていたら〜……)
「ここに来たわけかペン」
ソフィアは膝に肘を置いて手のひらに顔を乗せ、嘆息を吐く。
「洞窟がどの辺りかは分かるかペン? 周りに何があったとか、どんな魔獣がいたとかでも構わないペン」
(さぁ〜? 周りは森でしたし〜、魔獣は見た事ないものばかりでしたから〜)
「なら、その森の広さ、木の種類、見かけた植物でもいいペン。どんなものがあったか、それは分からないペンか?」
(そうですね〜。森はそんなに大きくなかったかもしれません〜。魔獣を避けながら一日歩いて、外に出られましたから〜)
フワフワふわふわ、ミストは揺れながら一回転して、言葉を続けた。
(お花も〜、そうですね〜、真っ赤なお花畑があったような気もします〜。……あぁ〜、そういえば〜、一度だけおかしな木を見ました〜)
「おかしな木?」
(はい〜。大きな木で〜、幹に色んなお花を咲かせてました〜。普通の木の中にポツリとあったので〜、面白かったですよ〜)
幹に色んな花を咲かせる木。少なくとも、ソフィアの知識にそんな木はない。植物学者なら、或いは知っているだろうか。
(お話しできるのはこのくらいです〜。あまり役に立たないですね〜)
「いや、それだけ情報があるなら絞り込めるはずだペン。明日、専門家に話を訊いてみるペンよ」
得られた情報は少ない。滅びた小国ナバラス、森の中の洞窟、真っ赤な花畑、そして様々な花を咲かす木。
だがナバラスについてはともかくとして、後者の情報は調べて照らし合わせれば、場所を探る手がかりになる。明日あたり、知り合いの知識屋に訊いてみよう。
しばらく連絡もしてなかったし丁度いいだろう、とソフィアがその旨を伝えると、ミストはフワフワと頭を下げた。
(ありがとうございます〜。正直なところですね〜、ミストさんに未練なんて思い当たらないんですよ〜。だから〜、もう一度〜、あの目が覚めた所に行けば〜、何か分かるんじゃないかと思いまして〜)
「お前のためじゃないペンよ。私のためでもあるペン。だから、そう気にする必要はないペン」
全ては安眠の為。ソフィアはそう言って、ミストに笑いかけた。
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