腹減りペンギン娘
《アファリア》所長に休日はない。
一年三百六十日、自宅はあるものの帰れる日はない。
朝起きて仕事を始め、夜には寝る。が、問題が起きれば真夜中だろうと容赦なく叩き起こされる。
そんな日は、どうにも腹が減るものである。
☆
「……はぁぁぁ。やっと終わったペンね」
「終わったね。ホント、疲れちゃったよ」
草木は寝静まるが魔獣は活発になる深夜。そして何故か活発になったクラス無しの傭兵を数名しばき倒したソフィアとカンナ。簀巻きにされて気絶する傭兵達を引き摺り、魔灯の明かりが寂しく照らす夜道を歩いていた。
「全く、いい加減にしてもらいたいペンね。こんな時間にクラス持ちも無しで勝手に依頼に出るなんて、自殺行為以外の何物でもないペン」
「逃げ足だけは速かったね、こいつら」
「速かったペンね。静かに追い回すこっちの身にもなってもらいたいペン」
「だね」
報告は王都の門番から。見慣れない顔が外に出たと職員が報告を受けて、カンナ経由でソフィアに情報が回ったのだ。
《アファリア》では原則、クラス無しが夜中に外に出る事は許されていない。個人の事情で外に出るならまだしも、彼らは昨日にクラス持ちと一緒に依頼を受けていた。出発は明日、つまり今日の明朝にしようと職員が聞いていたこともあり、念の為に確かめようとソフィア達が動き、今に至るのである。
当然ながらソフィアは寝ていたところを叩き起こされており、中途半端に寝に入っていたのもあって大変不機嫌である。カンナはそんなソフィアを見て、左だけある銀毛の三角耳をピクピクと動かした。
「まぁまぁ、大事にならなかったんだから良かったよ。死体も増えなかったし、街にも被害はないしさ」
「それは、まぁそうだけどペン。下手に動いたせいでもう寝れそうにないペンよ」
時間は真夜中の折り返し。今から寝ても、どうせ数時間もすれば起こされるのだ。それに何だか腹も減ったと、ソフィアは丸くてフワフワの腹を触った。
「飯屋は……この時間は開いてないペンね」
ちなみに《アファリア》の食堂も開いていない。夜勤の職員は、基本的に弁当持参だ。
「裏町の方に行けば何軒かやってると思うけど?」
「微妙に遠いペン。……仕方ない、久々に何か作るかペン」
「あっ、じゃあさ、私もご相伴に預かってもいいかな?」
ピクリと、半分しかないカンナの尻尾が大きく跳ねた。
「お前の分もかペン? まぁ、別に構わないペンよ。けど仕事はどうするペン?」
「ちょっとくらいなら大丈夫だって。職員の子達も無能じゃないからさ」
「……説明はしておけペンよ? それじゃ、こいつらを反省部屋に押し込んだら私の部屋に行くペンね」
「おぉ、久しぶりの所長のご飯だ。何年、何十年ぶりだろ」
「……それ、他の奴らに言うなペンよ? 私は十七歳だペン」
ごめんごめん、と銀髪を揺らして笑うカンナ。ソフィアはため息を吐き、《アファリア》本部への道を急いだ。
☆
クラス無し共を反省部屋にぶん投げ、二人はソフィアの自室へ集まっていた。
自室にはキッチンもあり、食材を保管する魔冷庫もある。というより、暮らしていくための生活設備はこの自室に揃っている。ソフィアが家に帰らないのは忙しいのもあるが、この自室が快適すぎるからだと、いつかメメアが言っていた。
ともあれ、料理をするならこの部屋で十分だ。たかが二人分、食堂を使うまでもない。
「さて、それじゃあ何かを作りたいと思うペンけど……」
「けど?」
「……いや、買い物に行ったのが随分と前だって事を、さっき思い出したんだペン」
「あー、つまり……」
「使える食材があるか分からない、という事だペンね」
腐るような食材は買わないから大丈夫だと思うペンけど、と翼状の手で魔冷庫の扉に手をかけるソフィア。その後ろに立つカンナは一応、指で鼻を抑えつつ左耳を伏せる。
「……お前、そこまで警戒する必要はないペンよ」
「一応だよ、一応。保険、保険。万が一があったら、敏感な狼人族の鼻が死んじゃうしさ」
「……まぁ、いいけどペン」
薄情者に冷たい視線を送るソフィアは、そう言いつつも自分の鼻を抑える。何か背後からカンナが鼻で笑う音が聞こえたけど、あまり気にせずに手に力を入れ、魔冷庫の扉を開ける。
「…………うわ、ナニコレ」
「…………調味料、だけ?」
「…………いや、何かあるペン」
薄暗い魔冷庫の中は物の見事に空っぽだった。見当たったのは小瓶に入った調味料が数種類と、奥の方に置かれていた紫色の物体。
「……何だコレペン。何が変貌してこうなったんだペン?」
恐る恐る、ソフィアが紫色の物体を手に取るも、よく分からない。感触はフニフニ、匂いはない、重さもほとんど感じない。
流石に舐めて確かめる気にはならないが、見て触ってもコレの正体は不明だ。怯えたような目つきでソフィアが眺めていると、思い出したようにカンナが指を鳴らした。
「……あ、コレってあれじゃないかな」
「あれ?」
「ほら、一昔前に売ってたやつ。何か食材を魔法で圧縮して持ち運びやすくしました、みたいな宣伝してたよね」
「……あぁ、そういえばあったペンね、そんなの。でも確か、軽量化の代わりに鮮度が落ちて使い物にならないって話を聞いたペンよ」
「そうそう。野菜シリーズとお肉シリーズがあったけど、すぐに店から消えちゃったんだよね」
顔を見合わせ、懐かしい思い出に浸る二人。とっくに生産は終わっているし、今の子供は知らないだろうと笑い合って……大きく脱力した。
「……それが分かったから何だ、って話だペンね。ってか、何で私はこんなのを買ったんだペン」
「……圧縮、解いてみる?」
「……解き方、何だっけペン。専用の魔道具が必要だった覚えがあるんだけどペン」
「そこはほら、所長お得意の解析でパパッとさ」
「……お得意でもないんだけどペン」
まぁ、やってみるペン、とソフィアは空間収納魔法から魔法筆を取り出し、虚空に解析の魔術を魔法陣化した陣を描く。
僅かに発光する陣に紫色の物体を乗せて数秒待つと、紫色の物体から薄く魔法文字が浮かび上がってきた。
「……あぁ、成る程。コレ、本当に圧縮しているだけなんだペンね。しかも大分、魔術がおざなりだペン。情け程度に保存の魔術もかかってるけど、これも駄目だペンね。こんなの三日と保たないペン」
「……うん、何度見てもサッパリだよ。摩訶不思議な光景にしか見えない」
「勉強すれば、この程度すぐに分かるようになるペンよ。お前も百歳超えてるんだから、いい加減知識の一つでも付けろペン」
「あはは、私はほら、現場主義だったしさ。小難しい事は所長にお任せ、ってね?」
「全く……あぁでも、解き方は分かったペンよ」
呆れたような目をカンナに向けたソフィアは、描いた魔法陣を掻き消して魔法筆をしまった。そして手元に残った紫色の物体を指でチョチョイと弄ると、
「……これが正体だペンね。まぁ、想像通りだペン」
「これは……葉物の野菜かな? 変色して種類は分かんないけど」
紫色はそのままに、半分にカットされた葉物っぽい野菜らしき物体がソフィアの手元に現れた。腐敗臭はしないがフニフニとした感触は残っており、色も変わらない。どこからどう見ても、料理に使えそうにはない。
「これ、腐ってるんだペンよね? 何で匂いがしないペン?」
「腐りすぎて匂いが吹き飛んだんじゃないかな? 一周回って、的な感じでさ」
「……そんな事、あるペンか?」
「さぁ? でも、どっちにしても使えないよね、コレ」
「……そうだペンね」
ポイっと、ソフィアはゴミ箱に紫色の物体を捨てる。これでとうとう、二人の手元に食材が残らなくなった。……まぁ、紫色の葉物らしき物体を食材と呼んでいいのかは分からないが。
危険物を一つ処理した二人は、床に座り込んで共にため息を吐く。キッチンを見回してみたが、どうやらパンも麺もないようだ。
「……どうするペンか? 空間収納に食材は入れてないし、この時間じゃ買いには行けないペンよ?」
「食堂から食材を拝借……はダメだね。調理担当のおばちゃんに怒られちゃうし」
「おばちゃん達も朝早いからペンね。後から買い足すって事も難しそうだペン」
キュルルルルと、ソフィアの腹が鳴った。いざ食べようと思って食べられないのが分かると、余計に腹が減るのは何故だろうか。
ソフィアの腹の音に感化されたのか、弱々しく左耳を伏せて腹を手で抑えるカンナ。薄い青の瞳で小瓶に入った調味料をしばらく眺めると、ふと、思いついたように立ち上がった。
「……こうなったらあれだね、あそこを使うしかないよ」
「あそこ、ってどこだペン?」
「職員専用の休憩部屋だよ。そこならある程度の食材は置いてあるし、最悪みんなから食料を強奪できるよ」
「いや、強奪はダメだろペン。ってか、お前はいつもそんな事をやっているペン?」
「たまにね。小腹が空いた時にねだると、色々分けてくれるんだよね」
「お前は……」
これでも、カンナは夜勤の職員の纏め役を任されているのだ。模範になるべき存在がこれでは、示しがつかないだろう。
「お前にも、今度お話しが必要みたいだペンね」
「え、あ、いや……ほらさ、お腹も空いたし早く行こうよ。はい、出発!」
「……誤魔化されないペンよ」
ジト目で睨むソフィアを無視し、カンナは部屋を出た。ソフィアはため息を落としつつ、ゆっくりと後を追った。
☆
それから三十分後。休憩部屋を漁ったり夜勤の職員から恵んで貰ったりである程度の食材は集まった。
ソフィアの自室のキッチン、その上に置かれているのはその戦果だ。順繰りに紹介すると、
「昨日炊かれた米、薄切りのハムが三枚」
「なんか赤い野菜と酸っぱい果実が一つ。後は……ナニコレ?」
「サンパの実、別名肉モドキの実だペンよ。食感が肉そのものらしいペン」
「へぇ、所長は物知りだね」
「一般教養だペン。お前も《アファリア》の職員なら、この程度知っておけペン」
ともあれ、食材は揃った。米もあるし、おかずを一品作ればまともな食事になりそうだ。
問題は何を作るか、だろう。ハムはいいとしてサンバの実は非常に使い勝手が悪いのだ。食感こそ肉そのものだが、サンバの実に味はほとんど無い。何十回と噛んでようやく、あぁ、酸っぱいかな、と思えるレベルなのだ。
そしてカンナの言った赤い野菜、これはトンガといい真っ赤でまん丸の野菜だ。そのまま食べれば、しばらく物が食えなくなると言われるほど辛い野菜。酸っぱい果実はレンジア、これは身を食べるのではなく、固い外皮に味があるという変わった果実だ。これもまた、とてつもなく使い勝手が悪い。……ってか、何で職員達はこんな普通の店には並ばない物ばかり持ってたんだ。もしかしてあの中に珍味マニアでもいたのか? 果てしなく迷惑な話だ。
「……さて、どうするかペン。米はそのままでいいとして、トンガとレンジアの調理法なんて知らないペンよ」
「この肉モドキもどうするの? 齧ってみたけど無味無臭だよ?」
「齧るなアホ。……うぅむ、どうするペンか」
翼状の腕を組み、食材を見つめるソフィア。調味料は各種ある。調理器具も揃っている。料理人ならパパッと調理法が思い浮かぶのだろうが、ソフィアにはたまに自炊する一般人レベルの腕しかない。
ぐぅ、とカンナの腹が鳴る。キュルル、とソフィアの腹も鳴った。……こうなれば、方法はアレしかない。
「とりあえず、思いついた方法を試してみるペン。それでダメなら、朝まで我慢」
「えへぇ」
「舌を出しながら気持ち悪い声を出すなペン。文句があるなら自分で何とかしろペン」
「文句はないけど……はぁ」
「ため息を吐きたいのは私もだペン。それ、始めるペンよ」
言うなり、ソフィアはキッチンの棚から金属製のボウルを取り出し、中に調味料をいくつか入れる。
「それは?」
「肉モドキに味はないペン。だから、こうして漬けて味をつけてみるペン。確か、誰かがこうすると美味しいって言ってたペンよ」
「成る程。……それで、調味料の配合はそれで合ってるのかな?」
「知らんペン。適当だペンよ」
更に渋い顔になるカンナ。ソフィアは気にせず、ヘラでタレもどきを混ぜ合わせる。結果、なんか黒いタレが出来上がった。
「……うん、匂いはおかしくないペン。味も……まぁ、不味くはないペン」
「うわ……ホントに適当だよ」
「肉しか焼けないアホは黙ってろペン。ほら、肉モドキを切るペンよ」
棚から包丁を取り出し、サンパの実を歪な四角に切っていく。それをタレに漬け込んで、後は放置。
「……さて、次はトンガとレンジアだペン」
「……どうするの?」
「トンガは辛くて、レンジアは酸っぱい。……刻んで焼いてみるペンか?」
「想像しただけで不味そうだね。そうだ。お米と一緒に焼くのはどうかな。ほら、ピリ辛スッパ炒飯って字面は美味しそうだよ?」
「……美味そう、かペン? なんか、混沌とした味が思い浮かんだんだペンけど」
「なら、他に調理法はある?」
「うっ……」
トンガもレンジアも珍味に分類される食材だ。当然、ソフィアに珍味を調理する知識はない。
調味料はまだ残っているが、こんなにも癖が強い食材には何を合わせればいいのか。いっその事、肉モドキと一緒に漬けるのも手だろうか。
頭の中がぐるぐるグルグル。包丁片手に二つの食材を見つめるソフィアは、意を決したように包丁を持ち直し、
「ーーよしっ! 決めたペン!」
☆
およそ二十分後。テーブルに向かい合って座る二人の前には、二つの料理が出来上がっていた。
一つは肉モドキのタレ漬け焼き。見た目は黒い四角の塊が転がっているだけだが、匂いはいい。そしてもう一つ、その隣の皿に盛り付けられているのは、
「……やらかした、と思うのは私だけだペンか?」
「……いや、私もそう思う。見た目は恐ろしい炒飯だけど、匂いが……ね」
真っ白い米に混じるのは血のような赤いモノ。細く切られたそれは米に点々と混じっており……正直見た目は大変よろしくない。細切りにしたハムも混じっているが、気休めにもならないだろう。そしてレンジア、これはトンガと一緒に混ぜるのが怖かったため、一応レンジアそのものは入れず、外皮を絞って調味料代わりにしたのだが……。
「臭くはないけど……何か酸っぱいペンね。うん、食べなくても分かるペン、これは絶対酸っぱいペン」
「……食べるの? これを?」
「一口、食ってから決めるペン。あまりに酷い時は……まぁ、職員の連中に振る舞うペンよ」
知らぬ間に被害を拡大させようとするソフィア。この時、一階の職員達を正体不明の震えが襲ったとか。
それはさておき、実食だ。まずは、肉モドキの方にフォークを刺し、口に運ぶ。
「……うん、悪くないペンね。ちょっと味が濃いけど、美味いペン」
「……うんうん、普通に美味しいね。ホント、食感はお肉みたいだね」
例えるなら安い肉を濃い味のタレで焼いたもの、だろうか。適度に柔らかく、歯ごたえもある。続けて食べれば飽きるだろうが、立派なおかずになりそうだ。
「問題は……」
「こっち、だね……」
肉モドキを半分ほど残して、二人は胡乱げな視線を例のものに向ける。
多少冷めても匂いは弱まらないトンガとレンジアの炒飯。辛いのか、それとも酸っぱいのか、或いはまた別の味か、それすら想像もつかない。
「黒魔術で生み出した物でも、こんなに不気味なオーラは放ってないペンよ」
「黒魔術は言い伝えにしか残ってないけどね。……まぁ、言いたい事は分かるよ」
カンナの左耳はすっかり伏せられ、半分しかない尻尾もシュンと垂れている。ソフィアにも三角耳と尻尾があれば、同じようになっていただろう。
「何にせよ、食ってみるしかないペンね」
「だね。まずは作った本人、所長からお願いしたいんだけど?」
「……分かったペン」
ソフィアとしても、カンナに毒味をさせる気はなかった。これを生み出したのは自分だ。ならば、その処理をするのを自分でなければ筋が通らない。
翼状の手でスプーンを持ち、ソッと炒飯を掬う。そのせいか匂いが強まり、ソフィアの鼻に痛みにも似た衝撃が襲いかかった。
「ぐぉ……」
これを敵の顔面に叩きつければ、相手は気絶するんじゃないだろうか。味は知らないが、匂いは既に凶器の域に達している。魔獣は人よりも嗅覚が敏感な種類が多い。そこにこれを投げつければ、かなりの時間怯ませる事が出来るに違いない。もしかすれば、私は魔獣討伐に新たな道を開いてしまったのかもしれない。
……なんて、現実逃避はすぐに終わらせた。魔獣に投げつけるのはいいとしても、そこまでこれをどうやって運べと言うのか。そもそも持っている方にもダメージが及ぶではないか。
「……ふぅ」
思考を中断。余計な事を考える必要はない。今はただ、これを食べればいいだけだ。
ゴクリと、ソフィアは唾を飲む。そしてようやく、スプーンを口に運んで、
☆
ーーその時のことを、カンナはこう語る。
……あぁ、あれね。うん、所長とは九十年くらい付き合いがあるけど、あんなに死にかけた所長を見たのは久しぶりだったよ。……え、私? あれを見て食べるわけないよ。
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