暴走した秘書と討伐者




 自身の身を立てる金を崩し、一時の快楽を得る。スリルを感じたいがための行為に勝ち負けは関係ない。例え何百万パルン勝とうが何千万パルン負けようが、あくまでそれは副産物。


 勝った時の高揚感、達成感、快楽。それは負けた時に感じる虚脱感、悲壮感、絶望を遥か上回る。


 ギャンブルという行為は病であり、麻薬だ。彼女もそれは知っている。


 ☆


「どうですか所長。私でもたまにはやるんですよ」


「……来て早々なんだペン、メメア」


 とある日の朝。ロランから貰ったお茶を楽しんでいたソフィアは、入って早々に意味の分からない事を抜かす乱入者に鋭い視線を与えた。


 乱入者はいつもの無表情にどことなく自慢気な空気を漂わせ、ゆっくりとした足取りでソフィアの机の前まで来ると、見せつけるように紺色の鞄を置いた。


「……これは何だペン」


「見て分かりませんか? 空間収納の魔術がかけられた鞄ですよ」


「……は?」


 ソフィアは間抜けな声を上げ、疑わし気に鞄に刻まれている紋章に触れて魔力を通した。


 すると間を置かず、紋章がほんのりと光を帯びる。これは生産元の《ドラグル工房》が模造品対策に施したものだ。偽物は魔力を通しても光らない。つまりこれは、


「……本物みたいだペンね。どこでこれを手に入れたペン」


 空間魔法は使える者が限られている。基本的には自在魔法の分類に入るが、最も初歩的な空間収納魔法でも会得するまでに多量の魔力を要するためだ。それもそうであろう。簡単に言ってしまえば空間魔法とは魔力で空間を歪め、現象を起こす魔法。並みの者では発動までに行き着くはずもない。そのため、空間魔法を使える者は一様に魔力量が多い者に限られる。……最も、空間収納魔法などの多用する魔法は、魔力を節約するようにアレンジしている者がほとんどだが。


 更に魔法を物質に付与するには、魔法を分解し、魔法文字で組み立てられた魔法陣に起こす必要がある。そしてその魔法陣を物質に付与するには専門的な技術が必須になる。固定魔法を除き、自在魔法は細かく辿れば魔法陣で構成されているため、その効果を何かに付与するには絶対に必要な作業になる。だが、ほとんどの者は魔法を無意識で使っている為、そんな作業ができるのは専門家だけだ。更に今回の空間収納の鞄に限って言えば、魔方陣を真似されて類似品が出回れば価値がなくなるため、鞄の内側の繊維に編みこむようにして刻み込まれているらしい。当然ながら企業秘密レベルの技術だ。……ちなみに、空間魔法の魔法陣があれば魔法に心得のない常人にも空間魔法が使えるようになる。が、使い方一つで危険なものになるため、イブリア王国では空間魔法の魔方陣は許可された者にしか扱えない事になっている。《アファリア》は例外とされているが。


 ともあれ、空間魔法を使える者が少ない、そして専門家が少ない為、自然と空間魔法がかけられた魔道具というのは希少で高価な品になる。イブリア王国でも《ドラグル工房》、そして《サンタニア魔道具専門店》の二店でしか生産していない。どちらも一年に数点しか作らないので、余計に希少価値が上がっている。


 そんな超が付くような希少かつ高級品をどうしてメメアが持っているのか。怪訝な表情を浮かべるソフィアに、メメアは黒い双眸を僅かに細めた。


「勝ったんです」


「……買ったのかペン?」


「違います。ギャンブルで大勝ちしたので、ずっと前から欲しかったこの鞄と交換したんです」


「……どうしてカジノにそんな希少品が置いてあるペン」


 買えば数千万パルン、オークションに出されればそれ以上の値段を叩き出す物が、カジノの景品として置いてある。金持ちの貴族が来たら一瞬で無くなりそうなものだが。


 ソフィアがそう訊けば、メメアはそれはできませんよ、と言い、


「最低でも五年はあのカジノに通っていないと、交換できる権利がない物なんです。そしてオーナーの意向で、爵位を持っている人は交換できない品に指定されていたんです。何でも、それでは面白くない、などの理由で」


「随分と酔狂なオーナーもいたもんだペンね。それで?」


「それで、とは?」


「いくら勝ったんだ、と訊いてるんだペン。やっぱり、数千万くらいはいったペンか?」


「二億パルンです」


「…………は?」


「二億パルンです」


 二億パルン。中位の貴族が持つ全財産の額がその程度だろうか。高位の貴族であろうと、軽々しく出せる金額ではない。


 本日二度目の間抜けな声を出したソフィアはギョッと目を剥き、それからグデっと項垂れてため息を吐いた。


「……前から馬鹿だと思っていたけど、やっぱりお前は馬鹿だったペンね」


「失礼ですね。勝った額は二億パルンですが、この鞄はそうではありませんよ」


「じゃあいくらだったんだペン?」


「一億パルンです。正直、これでも安いと思います」


「……確かに、一般人は買う資格も与えられないからそうかもしれないペン。けど、お前は馬鹿なのは変わりないペン」


「馬鹿ではありません。……いえ、あの時の私は確かに馬鹿だったかもしれませんね。一億パルン勝ってこの鞄に手が届いても、全額ベットしましたから。その時の緊張感は一生忘れられませんね。私のギャンブル人生で一番の賭けと言っても過言はありませんでしたから。何せ……」


「そこで止めろペン。何で私がお前の体験談を聞かないといけないんだペン」


 カジノでの経験を語らせたら途端に饒舌になるメメア。昔、朝から晩まで途切れる事なく聞かされ続けたソフィアからすれば、メメアの長話はトラウマにもなっている。


「全く、話がしたかったら適当な奴を捕まえてしろペン」


「すみません。では、後でカンナさんに付き合っていただきます」


「……その時はカンナは仕事中だペンよ。ちょっと落ち着けペン」


 メメアは朝から夜まで、カンナは夜から朝までの勤務だ。休日でもない限り、二人が引き継ぎ以外で会う事はない。そして、その休日もまだ先である。


 表情は変わりないが、言葉を見るとやや錯乱気味のメメア。今までにない大勝ちをして、更に念願だったのか空間収納の鞄を手に入れて余程嬉しかったのだろう。ソフィアからすれば、どうでもいい事だが。


「とりあえず、お前は座れペン。いつまで目の前にいるつもりだペン」


「あぁ、すみません。いつも空間収納魔法を見せびらかして使っている所長には一番に見せたかったので」


「別に見せつけた覚えはないペン。便利だから使っているだけだペンよ」


「それは持っている者の余裕というものです。持たざる者はこうして幸運に頼らないといけないんです」


「余裕、にしていたつもりはないペンよ」


「その発言こそが余裕の表れです」


 そう言うと、メメアは鞄を持って自分の席に座る。最後に言い放った言葉に棘があったのは聞き間違いではないだろう。しかし、ソフィアもメメアが空間収納魔法を欲していたとは知らなかった。


 メメアくらい魔力を持っていれば空間魔法は使えるだろうが、精霊魔法に傾倒している為にそれも叶わないのだろう。固定魔法の上位互換である精霊魔法を使える者は、自在魔法を扱えないと言われているし。寿命の長い種族なら話は別になるが、人族では時間が足りなさすぎるのだ。


 ともあれ、今度から空間収納魔法を使う時は気をつけよう。そう心に決めて、ソフィアは仕事を始めた。


 ☆


「そういえば」


「何ですか?」


 昼食を終えて数時間。そろそろ陽も陰ってきた頃に、ふとソフィアは口を開いた。


「お前は二億パルン勝ったペンね。それで、一億パルン払ってその鞄を買ったペン」


「はい。……まさかこの鞄が欲しくなった、とは言いませんよね? 絶対に譲りません。ウーちゃんは私の元で一生を終えるんです」


「……鞄に名前を付けるなペン。……違う、そうじゃなくて、残りの金はどうしたんだと訊きたいんだペン。残りの一億パルン、何に使ったペン?」


 一億パルンの鞄を目の前にして感覚が麻痺しているが、一億パルンというのは大金である。それこそ、大きめの屋敷なら一括で払って買える程には。


《アファリア》の金ならまだしも、ソフィアですら自分の金でそんな金額を持った経験はない。そう考えるとトンデモナイ事を訊いているな、と思いつつ回答を待っていると、メメアは手を止めずに答えた。


「ほとんどは貯金に当てました。まぁ、小出しにして次からのギャンブルに使おうかと思いまして」


「……お前は本当に懲りないペンね。お前の金だから口を出す気はないペンけど」


「所長も一度やってみませんか? 私が教えますよ?」


「遠慮しておくペン。ギャンブルは前に手を出してエライ目に遭ったペンね。それで、ほとんどって事は何かを買ったんだペン?」


「はい。折角だからと思いまして。色々買ってみました」


 色々? とソフィアが首を傾げると、メメアはペンを止めて鞄に手を伸ばした。


「この鞄の容量は、屋敷一つ分くらいなんです」


「まぁ、大体はその程度だペンね。それ以上増やそうとすると、魔法陣が大きくなりすぎて鞄に収まらないペン」


「はい。この先の事を考えまして、とりあえず小さな物から買っていこうと決めました。いつか大きい物が欲しくなるとも限りませんので」


 そう言いながら、メメアは鞄の中から黒くて薄い、円形の物を取り出した。


「それで、まずは欲しかった物から買ってみたんです」


「それは……何だペン?」


 大きさは両の手の平くらいか。一見しただけでは、イマイチ用途が分からない。


「これは加熱調理用魔道具の一部ですね。魔力を通すと円盤全体が熱を帯びるようになっています。旅先で調理をする際に使う方が多いようです」


「それ単体で使えるペンか? 見た所、熱を調節できるようにも見えないペン」


「これは一定以上の温度からは上がらないようになっています。事故が起きないようにしたそうです。ですが使う時は専用の持ち手が必要ですので……」


 メメアは鞄から黒いトングのような物を取り出した。


「これで挟んで魔力を通す、という形になるそうです。ちなみに、この持ち手で熱を弱めるという事も可能だそうです」


「……外で悠長に料理をする奴がそんなにいるとも思えないペンけどね。需要はあるのかペン」


「一部、傭兵が買っていると聞いてます。特に、遠出が必須になる護衛士からの人気が高いと。私も、護衛士達の話を聞いて欲しくなったんです」


「お前が出かける事はそうそうないペンよ。それにお前、料理できるペンか?」


「外食だけで済ます所長よりはできます。私もそろそろ結婚を考えなくてはならない時期ですので、料理の腕を上げようと思ったんですよ」


「なら調理用魔道具を買えペン」


「あれは高いので。それにこれさえあれば大抵の料理はできますよ」


 確かに、煮る、焼く、揚げる、蒸す、ならそれで十分だろう。後は鍋などの調理器具があれば事足りる。


 だが、料理とはそんなに簡単なものなのだろうか。設備をケチってホホイと出来る程、甘くはないように思える。ソフィアも料理は簡単なものしかできないから分からないが、どうどろう。メメアは満足そうな雰囲気を出しているが、満足だけして終わらない事を願うしか、ソフィアにはできない。……いや、しれっと馬鹿にされたからやめておこう。一度メメアには言っておくべきだろうか、外食だけで済ましているのではなく、自分で作る気力が無いから作らないだけだ、と。


「……で? 後は何を買ったんだペン?」


「……どうして私を睨んでいるんですか、所長」


「気にするなペン」


「はぁ」


 怪訝そうにしながらも、メメアは鞄に手を突っ込んで何かを取り出した。


「では、次はこちらですね」


「……またよく分からない物だペンね」


 メメアの手の平に乗るのは銀色の銃。柄も何もなく、一目見れば魔操銃に映る。しかし魔操銃にしては小さすぎる。魔操銃は魔石、或いは魔玉と呼ばれる特殊な物に魔力を溜めて放つ物だ。目の前にあるコレは、そのどちらを埋め込むにも大きさが足りない。


 ソフィアは試しにメメアの手からそれを取ってみるも、やはりただの玩具にしか見えない。重さもほとんどなく、引き金も女性の指がかかるくらいの幅しかない。メメアは人族だから使えるのだろうが、大柄の女性が多い獣人族などは使えないのではないのだろうか。


「……これ、いくらしたペン?」


「十万パルンです」


「……この玩具にかペン?」


「玩具ではありません、所長。それは立派な魔操銃です」


「……馬鹿にしているペンね」


「馬鹿にはしていません。それは超小型魔操銃チョーコ君と言いまして、非力な女性や子供を対象として護身用に販売されているものです」


「名前が随分とふざけているペンね。第一、誰が十万パルンも払ってそんなの買うペン」


「主に貴族でしょうか。遠出をする際には護衛を雇いますが、万一を想定してチョーコ君を持たせているそうです」


 渋い顔でチョーコ君を眺めるソフィア。いくら何でも魔獣を馬鹿にしすぎてはないだろうか。こんな小さな物が、魔獣を撃退できるだけの力を持っているとは到底思えない。


 仮にそれだけの力があったとしても、子供に正確な射撃を求めるのは酷だろう。貴族の子供は戦闘訓練を受ける義務があるが、本物の魔獣を相手にしたりはしない。こんな玩具を使い、ぶっつけで上手くいく程、世の中も魔獣も甘くはない。


「一発限りですが、固定魔法程度の威力はあるそうです。それに魔力補充式なので、魔石が壊れるまでは使えるそうですよ。……まぁ、子供が魔石に魔力を流す事は許されてませんが」


「当たり前だペン。魔力制御を知らない子供にやらせたら、魔石の許容量を超えて銃ごと破裂するペンよ」


「貴族の子供は魔力量が多い子がほとんどですからね。ですがチョーコ君の開発元では改良版として、一定以上の魔力を溜められないようにする制御機能を付けた、チョーコ君二号が発売されているようです」


「いくら制御機能を付けたところで、イブリア王国の法に違反するペン」


「ですね。まぁ、そこは貴族の特権というやつですね。見て見ぬ振りは彼らの得意分野ですから」


 バレなければ誰も咎めませんよ、とメメアはチョーコ君を鞄の中に戻す。


「ちなみに、チョーコ君二号は五十万パルンです。こちらもそこそこ売れているようですね」


「アホな貴族もいるもんだペンね」


「アホが金を持っているから経済が回る、という事ですね」


「そのアホの中にお前も入れておけペン。くだらない物ばかり買ってきてペン」


「……そう言えば、さっきも私が馬鹿だと言っていましたね。あまり暴言が過ぎると一週間くらい休暇を取りますよ?」


「いや、だってお前は馬鹿だペンよ? 簡単な事にも気がつかないんだからペン」


「簡単な事、ですか?」


 一つ頷いたソフィアは、無表情に首を傾げるメメアに言ってのけた。


「その鞄。何で私に頼まなかったんだペン? 空間収納の鞄が欲しいなら、私が作ってやったペン」


「……………………へ?」


「へ? じゃなくて、そのくらいの鞄なら私も作れるって話だペン。お前には世話になっているし、一言あれば無料タダで作ってやったペンよ」


 ソフィアは空間魔法の使い手だ。そしてさっきも述べたように、空間魔法の使い手というのは消費魔力を少なくするようにアレンジしている者がほとんどだ。当然、その為には空間魔法を構成している魔法文字や魔法陣の理解が必要となってくる。空間収納魔法を多用するソフィアも例外ではない。


 あと必要なのは付与する技術だが、ソフィアはそれも持ち合わせている。なので空間収納の鞄の一つや二つ、作ろうと思えば簡単に作れるのだ。


「わざわざ高い金を払って買うから、お前は馬鹿だなと思ったんだペンよ。まぁ、お前の事だペン。何か理由があったのかもしれないけど……ペン?」


 気がつけば、メメアは机の上にぐったりと項垂れていた。長い黒髪を垂らして撒き散らす負のオーラは、大負けした時と同じくらいか、或いはそれ以上か。


 気がついてなかったんかい、若干引き気味のソフィアは呆れたように苦笑した。


「まぁ、良い経験だと思えペン。ってか、一度くらい私に訊けばよかったペン」


「……まさか所長に知識があるとは思っていなかったので」


「十七歳の知識を舐めるなペン」


「……自称ですけどね」


「自称じゃないペンよ」


 そこを間違えるな、と続けるソフィア。ーーすると、


「っ!?」


 言葉とタイミングを同じくして、外から爆音が轟いた。メメアも気を持ち直し、ソフィアと窓に目を向ける。


 所長室の三階の窓からも見えるのは、赤く燃え上がる炎。そして女の笑い声と泣き声が聞こえる。明らかに、《アファリア》の敷地内で何かが起こったようだ。


「……今度は誰が何をやらかしたペン?」


「さぁ? もうすぐ、報告が来ますよ」


 ただ、この二人からすればこんなのは日常茶飯事である。むしろ、ここ最近は問題が起きていない方がおかしいくらいだった。


 達観した様子で窓を眺めるソフィア。煌々と燃える炎を見つめていると、程なくして所長室に職員が一人、入って来た。


「し、失礼します。たった今、討伐者のエンラが暴走しました!」


「……エンラ、帰って来てたペンね」


「三日前に帰って来てますね。いつもなら無理矢理にでも依頼をもぎ取って出ていくんですが……」


 討伐者のエンラ。今年で二十一歳になる森人族の女性である。火魔法に限るものの、精霊魔法と自在魔法の両方を扱える稀有な魔法士であり、実力だけなら殲滅者にも引けを取らない。


 だが、その性格は一言で表すなら過激。何かを燃やす事に執心しており、傭兵になったのも合法的に魔獣を燃やせるから、という、ちょっとイッちゃった女性だ。一応、人並みの倫理観は持ち合わせているものの、自分の燃やしたい欲を優先するために上級クラスに上がる事は許されていない。


「それで、被害はどの程度だペン?」


「は、はい。護衛士のスイナさんが土魔法で食い止めていますので、敷地内の木が数本、そして本部の周辺が焼けただけで済んでおります」


「スイナ……あいつも可哀想だペンね。それで、街に被害はないペンか?」


「ありません! 結界も正常に作動していますので、問題はないかと思います」


「そうかペン。後は私が対処するペン。下がっていいペンよ」


「は、はい!」


 職員は緊張した様子で部屋を後にした。そしてパタンと静かに扉が閉められると、ソフィアはグデっと脱力し、大きな大きなため息を吐いた。


「……エンラが暴走してこの程度で済んだのは幸いだペンね。周りの家から文句を言われなくて済むペン」


「無駄なお金を払わなくて済みますね。私みたいに」


「いつまで根に持っているペン。……でも、頭も下げなくて済むペン。全く、どうしてこう、うちの奴らは落ち着いているって簡単な事ができないペン」


「類は友を呼ぶ、と言いますし、所長の性格からでは?」


「地平の果てまで吹っ飛ばすぞペン。私の落ち着きは神をも超えるペン。……それで、お前は何をしているペン?」


 疲れ切った青い目をメメアに向けると、彼女は鞄の中から加熱調理用魔道具の一部とチョーコ君を取り出していた。


「いえ、折角なのでこれを使ってお仕置きをしてみたらいかがかと思いまして」


「……は?」


「調理用魔道具の一部は制限が付いているとはいえ、触れば火傷はします。チョーコ君は当たれば怪我では済みませんが……まぁ、彼女も魔法士です。防ぐくらいの事はできると思います」


「……いやいや、何を物騒な事言っているペン! たかが設備を少し壊されただけペン! エンラに弁償させて軽いお仕置きをすれば、終わりの話だペンよ!」


「彼女は懲りませんよ。なので一度、キツイ目に遭わせてみたら、と思いまして」


「程度ってものがあるペン! いいから、お前はそこで座っていろペン!」


「お断りします」


「は? 一体、何がお前をそこまで駆り立てるペン?」


 未だない程の静かな熱意。戸惑うソフィアを尻目に、右手に調理用魔道具の一部、左手にチョーコ君を構えるメメアはゆっくり立ち上がる。


「折角買ったんです。試し撃ちくらいしておかないと、と思いまして」


「試し撃ちなら動かない物にしろペン! ってかお前、空間収納の鞄の鬱憤を晴らしたいだけだろペン!」


「……まさか。そんなはずありませんよ」


「その間は何だペン! っておいコラ! 逃げるなペン!」


 ソフィアの制止も聞かず、メメアは凶器を二つ持ったまま窓から飛び降りる。ソフィアも慌てて追いかけ、窓から飛び降りた。


 メメアは魔法を使って着地の衝撃を和らげたのか、ソフィアが空間魔法で足場を作って地面に降りた時にはその姿は無かった。爆音は相変わらず聞こえてくる。その中に銃声が混じるなよ、と願いながらソフィアは走って本部前へ向かった。


 数秒して辿り着いた本部前は、随分と様変わりしていた。綺麗に生え揃っていた芝はすっかり燃えて無くなっており、その中央には人が十人は入れる程度に大きなドーム状の土の山が生まれていた。周辺に飛び散った火は職員や傭兵達が消しに回っているのか、皆んな忙しなく動いている。


 火の処理は彼らに任せてもいいだろう。問題は、問題を起こそうとしているメメアだ。ソフィアは辺りに目を向け、彼女の姿を探す。


「……いたペン!」


 メメアは一人の小柄な傭兵に腰を抱きつかれて止められていた。ソフィアも、急いで二人の元へ駆けつける。


「スイナ、離れるペン!」


「所長さん! 助かりました!」


 黒い髪に水色の大きな瞳を持つ護衛士の傭兵、スイナはソフィアの到着に涙目になって喜び、すぐにメメアから離れた。


「邪魔をしないでください」


「邪魔はお前だペンよ!」


 ソフィアは駆け寄りながら翼状の手を一閃させ、メメアの周りを囲むように空間魔法の結界を張った。外からも中からも手が出せないようにしてある特別製だ。これなら、メメアでは破壊はできない。


「全く、手間を掛けさせるなペン」


「そう思うなら、私の好きなようにさせてもらってもいいんですよ?」


「誰が狂犬を野に解き放つかペン」


 このどアホが、とメメアを睨みつけ、ソフィアは地面に座り込むスイナに目を向けた。


「お前もよくやったペンね、スイナ。エンラはあの中ペンか?」


「は、はい! たまたま私が近くにいて、急いで土魔法で周りを囲ったんです。で、でもでも、エンラさんの方が魔法の扱いが上手いし強いから、長くは保たないと……」


 ドゴン、と、スイナの言葉を遮るように爆音が響いた。ドーム状の土の山が揺れ、所々にひび割れが目立ち始める。スイナの言う通り、あの様子では五分と保たないだろう。


「……成る程ペン。それじゃ後は私がやるから、お前は下がって休んでいろペン」


「は、はい! そうさせていただきます! 半月かかった護衛依頼を終えたばかりでしたので、しっかり休ませていただきます!」


「……うん、ゆっくり休めペン。今度暇があったら飯でも奢ってやるペンよ」


「本当ですか! あぁ、久しぶりに良い事がありました! 依頼中には護衛対象に振り回されて、馬車の手配も私がやって、行く店では必ず注文ミスがあって、挙句帰って来たらコレでしたけど、逃げないでエンラさんを抑え込んでいてよかったです!」


 じゃあ、絶対に連絡してくださいね! と言い残したスイナは満面の笑みでその場を去っていった。数歩進んだ所で残っていた火種に水色のコートを焼かれて絶叫していたが、周りの職員達に水をかけられて鎮火したようだ。


「……あいつも、とことん不運に見舞われるペンね」


 流石、傭兵仲間から不運のスイナと呼ばれるだけはある。《さざめき亭》にでも連れていってやる予定だったが、もっと高級な所に変えてやろう。ソフィアは憐憫の眼差しでスイナの背中を見送って、土の山に向き直った。


「さて、私はこっちの処理をしなくちゃならないペンね」


 未だ爆音の鳴り響く土の山。ひび割れは音が鳴る度に大きくなっていき、今すぐに崩れてもおかしくはない。エンラは攻撃力の一点に絞ればメメアの上を行く。そう考えば、スイナの魔法はよく保った方だろう。


「まぁ、軽くお灸を据えるペンね。ほら、お前達は離れるペン。危ないペンよ」


 無事に鎮火作業を終えた職員や傭兵達に声をかけ、ソフィアは一歩ずつ土の山へ向かって行く。


「エンラ、そこら辺で止めとかないと罰が増えるペンよ! 大人しくしていろペン!」


「アぁ!? ウルセェんだよ! 私に仕事を回さなかったのはお前らだろうガぁ!」


「仕事ならいくらでもくれてやるペン! だから黙ってそこにいろペン!」


「お断りダぁ!」


 耳をつんざく轟音が響いて、とうとう土の山は崩壊した。崩れ落ちる土の破片を浴びて現れたのは、群青色のコートを着た一人の女性。


 鋭い真っ赤な双眸を獰猛に光らせ、ザンバラな真っ赤な髪を乱した女は、右手に持つ赤い魔石の埋め込まれた魔杖をソフィアに向けた。


「アぁ、お前ならそう簡単に燃えそうにネぇよナぁ!」


「燃えたいなら一人で燃えてろペン。捕まる気がないなら、痛い目を見てもらうペンよ?」


「上等ダぁ!」


 魔杖に埋め込まれた魔石が光る。その瞬間、ソフィアの足元から大きな火柱が立ち昇った。


「オら! 燃え尽きナぁ!」


「お断りだペンよ!」


 ピョンと後ろに跳ねて火柱を避けたソフィアは、身体強化魔法を全身にかけてエンラへと駆け出す。距離はおよそ十メートルもない程度。普段なら一瞬で辿り着ける距離だが、


「甘えナぁ!」


 エンラの前に生み出されたのは巨大な炎の壁。燃え盛るそれはソフィアの進路上に聳え立ち、ゆっくりと倒れてきた。


「アホかお前は! 本部ごと燃えるペンよ!」


「ヒャッハハハハ! 燃えちまえヨぉ!」


「こんのどアホが!」


 足を止めたソフィアは慌てて魔力を練り上げ、本部全体を包み込むように空間魔法で結界を張った。ーーと、その途端、


「くたばれヤぁ!」


「なっ!?」


 エンラはわざわざ炎の壁の前に踊り出て、ソフィアの眼前に魔杖を突き出した。間も置かず、放たれるのは極大の炎の光線。


「くそっ!」


 空間魔法で壁を張って直前で防ぐ。が、エンラは手を休める気は無いようだ。


「おらヨぉ!」


 炎の光線を放ち続けるエンラを中心に、周囲の地面から無数の火の玉が勢いよく打ち上げられる。火の玉は空高く昇り、ソフィアとその周りを目がけて落ちてきた。


「ああもう!」


 これ以上燃やされてはたまらないと、ソフィアは空に結界を張り、火の玉の侵攻を抑える。そしてその直後、空間転移魔法でエンラの背後に回り込み、


「寝てろ!」


 短い踏み込みで彼女の背中に掌底を叩き込んだ。……が、エンラの身体が吹き飛ばされる事はなかった。掌底を浴びせたその部分にだけ穴が空き、徐々にぐにゃりとその形を歪ませ、


「ーー外れダぁ」


 背後から囁くのはエンラの声。目の前のエンラは炎の塊と変わっており、着ぐるみの翼を僅かに焦がした。


 ーー刹那、背中に感じるのは莫大な熱。


 振り向いたソフィアの青い目に映ったのは魔杖の赤い魔石と、エンラの凄絶な笑み。そして、


 ☆


 巨大な火柱がソフィアを包み込むように立ち昇った。その様子を本部の中で見ていたスイナは、呆然と口を開いた。


「……え、え? 嘘……所長さん、やられちゃった?」


 視界に映るのは巨大な火柱と、その前で凶悪に笑い続けるエンラの姿。スイナと同じように本部の中で観戦していた職員や傭兵達も、予想外の展開に皆んな目を見開いていた。


「って、うわわ!」


 その少し後、エンラが生み出していた炎の壁が、本部を押し潰すように倒れこんできた。ソフィアの張った結界で守られていると分かっているが、その圧迫感は防げるものでは無い。


 炎の壁は火柱とエンラ、そして閉じ込められたメメアを飲み込んで倒れた。結界に阻まれてすぐに鎮火したが、本部前に広がった火種は辺りに残り、その威力を物語っていた。


「……うわ……よく私の魔法でエンラさんを止められたなぁ……って、あれ?」


 明瞭になった視界に広がったのは、平然と立つメメアとエンラの姿。そこに火柱もソフィアの姿もない。


「……ど、どこに?」


 周りの職員達が再び鎮火作業に向かっている中、キョロキョロと辺りを見回すスイナ。アッチコッチに視線を彷徨わせていると、唐突にエンラの身体が宙に吹き飛んだ。


「え!?」


 驚くスイナをよそに、エンラは宙に浮かされたまま何度も吹き飛ばされる。左に飛ばされては右に飛ばされ、今度は上に飛ばされる。その度にエンラの身体は何かに殴られたかのように曲がり、地面に足をつく事も許されていない。


「ど、どういう事? って、うわわ」


「ほら、スイナさんも手伝ってください!」


 疑問は晴れないまま、スイナは他の傭兵達に手を引っ張られ鎮火作業に参加させられた。


 ☆


 時間は少しだけ戻り、炎の壁が完全に倒れ込んでからその数秒後。


「ヒャッハハハハ! よく燃えたナぁ! そう思うだろ、所長さんヨぉ!」


「……そうだペンね」


「っ!?」


 瞬間、エンラの腹に翼状の拳が叩き込まれた。一切の反応ができなかったエンラは直撃を受け、宙に浮かされてしまう。


「くっ、そガぁっ!?」


「その杖、邪魔だペンね」


 エンラの目の前に現れたソフィアは彼女の魔杖を奪い取って放り投げ、腹にヒレの付いた足で蹴りを叩き込んだ。


「ゴハッアぁ!」


「まだまだ、終わらないペンよ?」


 嘴を無くし、焦げた着ぐるみ姿のソフィアは空間転移を繰り返し、エンラを吹き飛ばしてはその先に移動し、また殴り飛ばすを続けた。


 魔法士というのは近接戦闘が弱点である。魔杖を取り上げられ、魔法を放つ暇もない程の密度で拳や蹴りを放たれれば、エンラになす術はなくなる。


「くっ、そガぁぁぁぁ!!」


「うるさいペンよ」


 青い瞳に獰猛な光を宿したソフィアはエンラの眼前に転移して拳を振り上げ、


「起きたら説教だペンよ」


 彼女の腹に強烈な一撃が突き刺さる。身体をくの字に曲げて勢いよく落下したエンラは地面に叩きつけられ、周囲に盛大な土煙を巻き上げた。


 ゆっくりと、風魔法を使って着地したソフィアは、辺りの土煙を晴らしてエンラの落下地点に目を落とした。


 地面を僅かに抉り、大の字になって倒れるエンラは気絶したのか、白目を剥いていた。息はある。一応、手加減はしたから、治癒師に治してもらえばまたすぐに動けるようになるだろう。


「……ふぅ。油断したペンね」


 背後に守るものがあったとはいえ、エンラに追い詰められたのは事実だ。彼女は実力だけなら殲滅者クラスだが、ここまで苦戦するとは思ってもいなかった。


「……私もたまには現場に出てみるべきかペンね」


 簒奪者を相手にした時も感じたが、実戦の勘はすっかり鈍っているようだ。ため息を一つ落としたソフィアはエンラの足を掴み、本部に足を向けた。



 ーーその瞬間、エンラの赤い瞳が元の輝きを取り戻した。



「まだ、だゼぇ?」


「なっ!?」


 エンラは足をバタつかせて手を払い、ソフィアの背中に乗っかってきた。その直後、二人の周囲に熱が集まる。


「ヒャッハハ! 油断したナぁ! 所長さんヨぉ!」


「くそっ、離せペン!」


 身体強化魔法で上乗せされた打撃を十数発と打ち込まれ、最後には地面に叩きつけられたというのに、エンラの腕はソフィアの首から離れようとしない。


 魔法士のくせに、どこにそんな力を持っているのか。その上まだ魔法を使おうとする気力に、ソフィアは内心呆れる。魔獣相手に発揮してくれるならまだしも、いざそれを向けられると迷惑でしかない。


「しつこいペンね!」


 再び身体強化魔法を使ってエンラを引き剥がしてもいいが、ここはトドメを刺すべきだろう。また起き上がられても困るだけだ。というか、次は手加減を忘れてしまう。


 とりあえずは、風魔法でこいつの頭に一発いれてやろう。そう考えたソフィアは魔力を練り始め……視界に端にそれを見つけた。


「……め、メメア?」


 メメアを閉じ込めていたはずの壁が、何故か取り払われていた。そして自由になったメメアは何故かチョーコ君をソフィア達に構えていて、


「……お返しです」


 ソフィアの目は、メメアの口がそう動いたのを確かに捉えた。何のお返しなのか、ソフィアが考える暇もなく、チョーコ君の銃口から、銃声と白い魔力の弾丸が放たれた。


「お、お前っ!?」


 空間転移で逃げる、と咄嗟にそれを発動したが、不発に終わった。よく見れば、いつの間にかソフィアとエンラの足を捕まえるように地面から氷が伸びている。間違いなく、メメアの仕業だろう。地面ごと移動もできるが、それでは背中のエンラが何をするか分からない。


 ならばとソフィアは目の前に空間魔法で壁を張った。たかが玩具の銃、これで防げないはずがない。……が、弾丸は何故か壁の直前で進路を真横に変え、側面から回り込んできた。


「なっ!?」


 予想外の動きに、ソフィアの思考が一瞬止まる。……そしてその一瞬が、仇となった。


「メメア! お、お前も後でお仕置きだペ」


 音も無く弾丸が当たった。周囲の職員や傭兵達が見守る中、二人の身体は大きく空を飛んだのだ。













 その日の夜、お仕置きと称されて罰を受ける二人の姿があった。赤い髪の女はソフィアに剣を向けられながら敷地を掃除し、黒い髪の女は空間収納の鞄を取り上げられたらしい。

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