宮廷魔法士長は煙に巻く




【嘲弄の天才】はいつもタバコを咥えている。


 紺色のローブには常にタバコがストックされていると言われており、空間収納にもタバコしか入っていないとも噂されている。


 彼は決してタバコを手放さない。今日も紫煙を彷徨わせ、濁った緑色の瞳に嘲りを混ぜながら夜の道を歩く。


 ☆


「所長、お客さんだよ」


「客?」


 メメアも帰り、ソフィアもそろそろ自室へ行こうかという時間。ノックも無しに入って来たカンナは、開口一番にそう言った。


「誰だペン? というより、事前に何も言わず会いに来るとは随分と無礼な奴だペンね。一応、私はここの長なんだけどペン」


「それは私に言われてもねー。ま、文句はお客さんに言ってよ」


「いやお前、通すつもりだペンか?」


「私もね、通したくはないんだけど……『アファリア》の事を考えたら通すべきかなーってね」


 右だけある三角耳をピコピコさせながら、カンナは薄い青の目を僅かに細めた。誰だ、という問いには答える気は無いようだ。


「ま、という訳で用意して待っててね。お茶くらいは、あった方がいいかも」


「……はぁ。分かったペン。メメアがこの前ギャルブルの勝ち金で買ってきた、微妙に美味いクッキーがあるペン。それを用意しておくペンよ」


「……何それ。後で一枚ちょうだい?」


「残ったら、ペンね」


 よろしく、と言いながら、後ろ手で扉を閉めて出て行くカンナ。相変わらず簡素な奴だなと思いながら、ソフィアは机の引き出しから白くて四角い箱を取り出した。


「《アファリア》が無視できない存在、ペンね。この時間を考えると、国の人間でもやって来たペンか?」


 箱を開け、中のクッキーを一枚だけ食べながらソフィアは肩肘をつく。相手が傭兵なら、カンナはもったいぶらずにその名前を告げたはずだ。所在の知れない名持ちクラスの傭兵ならまた話は変わってくるだろうが、あいつらはいるだけで騒がしい存在。来たらすぐに気がつくだろう。


 となればソフィアに用事がある者は国か貴族か、デペロネ教の者しかいない。まさか一般人をカンナが通す訳もないし、そもそも《アファリア》に利益をもたらすとは思えない。


 思案しながら、ソフィアは嘆息を吐く。まぁ、誰であれこの時間に訪ねてくる奴だ。まともな相手を期待してはいけないだろう。最悪、シャガリアレベルの変態を相手にする気持ちでいなくては。


 ムギュムギュと、着ぐるみの嘴を揉むソフィア。それと同時に、足音が近づいて来た。


 クッキー投げつけたら帰ってくれないかな、なんて現実逃避をしている内に足音は止まり、ゆっくりと扉が開かれた。


「こんばんわ、所長さん。僕程度の為に時間を作ってくれて礼を言うよ」


「……作った訳じゃないんだけどペンね」


 入って来たのは小柄で、紺色のローブを纏う男。濁った緑色の瞳に歪な笑みを浮かべ、タバコを咥える彼は【嘲弄の天才】、そして宮廷魔法士長の肩書きを持つ、ロラン・マグリファイだ。


 確かに、国の重要人物とも言えるロランなら簡単に無視はできないだろう。カンナの言った事にも納得がいく。しかし予想よりは大分マシだが、それでも面倒な奴がやって来たという思いは消えない。そんな考えを一切隠そうとせず眉を顰めたソフィアは、クッキーを一枚取ってロランに投げつけた。


「おっと。随分な歓迎の仕方だね、所長さん。何をそんな、僕程度を警戒しているのかな?」


「警戒、と言うよりはうんざりしたから、というべきペンね。それより、ここは禁煙だペンよ」


 あっさりと受け止めたクッキーを口に放り込んだロランは、紫煙を吐いて無遠慮にソファに腰を下ろした。ピクリと、ソフィアの眉が動く。


「これは《ピサトロ菓子店》のクッキーだね。この微妙な味、間違いないよ」


「……よく分かったペンね。それより、ここは禁煙だペンよ」


「部下がね、好きなんだよ。その付き合いで僕もよく食べさせられてね。あ、そうそう、ここのクッキーには紅茶がそこそこ合うよ?」


「誰が茶なんて出すペンか。それより、ここは禁煙だペンよ」


「それは残念だね。まぁ、折角だから僕が持って来たお茶を淹れてあげるよ。僕の趣味は変わったお茶を飲む事でね。つい最近、面白い物を手に入れたんだよ。君の秘書よりは淹れるのは下手だろうけど、お近づきの印に飲んでみてもらいたいな」


「いらんペン。それより……」


 ソフィアは翼状の手を一閃させて、ロランの咥えるタバコを細切れにした。


「ここは禁煙だって、何度も言っているペン。お前の家ならまだしも、ここは《アファリア》の本部、つまり私の家だペン。好き勝手させるつもりはないペン」


 青い双眸を尖らせ、ロランを睨めつける。ロランは肩を竦め、新しいタバコを口に咥えた。


「これは悪かったね。けど、僕はタバコを吸ってないと落ち着いて話もできない性分でね。吸ってないと五分程度でイライラし始めて、感情的になるんだよ。いくらなんでも、それは所長さんには失礼だと思ってね」


「タバコを吸って話をする方がよっぽど失礼だペンよ。外で話をするペンか?」


「いや、遠慮しておくよ。長話をしに来た訳じゃないしね。それにこうして口に咥えているだけでも、多少はマシになるしさ」


 そう言うと、ロランは空間収納魔法からカップを二つとティーポット、そして保温瓶を取り出し、空間魔法で透明の置き場を作り出してそこに置いた。ローブの内ポケットからは茶葉の入った袋を取り出すし、どうやらさっきの発言は冗談では無く、本当にお茶を淹れるつもりのようだ。


「本当は保温水じゃなくて沸かすところからやりたいんだけどね。流石に時間がかかるからやめておくよ」


 慣れた手つきで茶葉をティーポットに入れ、保温瓶からお湯を注ぐ。それから数分待ち、ティーポットの中身をカップに注ぐと、どこからか取り出したスプーンで何度かかき混ぜた。ニンマリと微笑むロランは最後にカップに蓋をすると、ロランは一つを風魔法でソフィアの前に運んだ。


 カップから僅かに漏れる茶葉の香りがソフィアの鼻腔をくすぐる。甘い、というよりはハーブ系の香りだろうか。しかしハーブほど尖っているわけでもなく、何ともまろやかな匂いだ。


「トルナ葉っていう、西の大国ランバ中立国の一部でしか栽培されていない貴重な茶葉を使っているんだよ。ランバ国内ではもちろん、イブリア王国にも滅多に出回らない物でね。僕も前から気になっていたんだよ」


 ランバ中立国は西の大陸にある大国だ。東の大陸にあるイブリア王国との仲も良好で、頻繁に貿易も行なっている。ただ貿易に使う空路も海路も魔獣が生息して危険なため、そのまま海に消える、或いは魔獣の腹の中に消える者や物も多いのだが。


 そのため、貿易品は一律に値段が高くなる。貿易品そのものの価値もあるが、運送料と護衛料に金を取られてしまうためだ。ロランが持ってきたこの茶葉も、彼の言う通りならどれだけ高価なのか。


「……お前も訳の分からん事に金をかけるペンね」


「好事家とはそういうものだよ。さて、そろそろいいはずだよ。飲んでみてよ」


 宮廷魔法士長なら高給取りだろうが、その使い道はどうなのか、とジト目で見つめるソフィアは、カップの蓋を取って一口飲む。


「……美味いペンね。苦くも甘くもない、ちょっと酸っぱいけど、それが良い感じに味を引き立てているペン」


「トルナ葉の大元はとある植物系の魔獣なんだよ。それに餌を与えると、葉っぱをつけて花を咲かせる。与える餌で葉っぱの味が変わるみたいでね、トルナ葉だけでも何種類か売りに出されているよ」


 その何種類の中でもこれは一番高い物だけど、と続けるロラン。子供みたいな容姿には不釣合いな優雅な動作でカップを口に運び、風魔法で箱からクッキーをくすねた。


「……うん、このお茶でもこのクッキーの味は変わらないか。どうしてあいつはあの店がお気に入りなんだろ」


「何だかもったいない気がするペンね。こんな粗末なクッキーじゃ、この茶には釣り合わないペン」


「本来なら、僕程度が飲める物じゃないからね。ランバ中立国の貴族や王族の祝い事に出される物みたいだし、間違ってもこんな部屋で一介の魔法士と傭兵頭が飲む物じゃないよ」


「さらっと人を馬鹿にしたペンね。まぁ、この味なら納得だペン」


 サラリとした口当たり。僅かな酸味が口内に広がり、後からやってくるまろやかな風味は決して主張しすぎずに舌の上を掠め、喉を通っていく。後味はサッパリと、しかし嫌味にならない程度にその足跡を残していく。


 一体いくらかは知らないが、運送料、護衛料を差し引いたとしてもかなりの値段だろう。それだけの価値があると、ソフィアは再びカップに口をつける。


 それから暫く、ソフィアとロランは黙って飲み続けた。時折クッキーを食べたりしながら約五分。互いに二杯目にいったところで、ロランは静かにカップを置いて口を開いた。


「……さて、そろそろティータイムはお終いでいいかな? 本題に入りたいと、僕は思うんだけど」


「構わないペン。このままだと寝てしまいそうだペン」


 味もそうだが、お茶の匂いが部屋に漂い眠気を誘う。微妙な味のクッキーを口に入れて目を覚まし、ソフィアはロランに目を向けた。


「それじゃあ、まずはお礼からかな」


「礼? 私はお前に恩を売った覚えはないペンよ」


「ジンル城跡で倒れた僕を介抱してくれて王都まで運んでくれたお礼だよ。僕としては命を救ってくれたようなものだからね。こうして改めてお礼に来たわけだよ」


「なら時間を選べペン。それに、礼ならとっくに貰ってるペンよ。紙面でも来たし、謝礼金もたんまり頂いたペン」


「それでも、だよ。僕程度を救ってくれたんだから、お礼にこないと失礼でしょ?」


 改めてジンル城跡での出来事を見てみると、重大性はかなり高い。


 まず危険度特高魔獣、簒奪者の二体同時出現。ソフィアがあっさりと倒してしまい、その脅威は伝わっていないだろうが、簒奪者は一体でも村や街を滅ぼせる魔獣である。高い耐久力に魔法耐性、地を抉る破壊力、連携を取れる知能、そして無限のスタミナと、まともに相手をすれば殲滅者が複数いても遅れを取る魔獣だ。


 それが二体も同時出現した。ソフィアも後から知ったのだが、過去の文献を当たっても簒奪者の二体同時出現の例は無いようなのだ。つまり、極めて異質な事態である。故に今現在、《アファリア》もイブリア王国もジンル城跡の調査に人を割いている訳だが。


 そしてもう一つに、宮廷魔法士長ロランの救出。イブリア王国の戦力の要、魔法技術の発達に欠かせない人材が失われそうになったのは、イブリア王国としても見逃せない事態である。


【嘲弄の天才】などという不名誉な二つ名を付けられようと、ロランは優秀な人物である。国としての対魔獣の戦力であるのはもちろん、彼は魔道具の開発にも手を伸ばしており、魔法技術開発局の局長も一目置く技術力を持っている。


 そんな彼が死にかけた、というのは国の上層部には一大ニュースである。この時代、貴重な戦力と技術力を一度に失うのは国が傾きかけない事態にもなる。そんな彼をソフィアは助けた。成り行きとはいえ、ソフィアは大手柄を挙げた訳だ。


 国が謝礼金を渋らなかったのも、この点にあるのかもしれない。……ただ、ソフィアもそんな事は理解している。理解して尚、メメアを交渉に行かせたのは、更に金を引き出す為である。


「それに、国からせっつかれたからね。早く行けってうるさくてさ」


「それにしては遅かったペンね。あれから結構経っているペンよ?」


「最優先事項があったからね。今日はそれが本題な訳だけど」


「最優先事項?」


 首を傾げるソフィアの反応に薄く笑ったロランは、空間収納魔法から一枚の紙を取り出して風魔法でソフィアの手元まで送った。


 怪訝な表情でそれを受け取ったソフィアは、クッキーを一枚口に放り込んで目を通す。中身は、


「……大規模魔獣感知器の実験結果?」


 紙の上部には太めの文字でそう書かれており、その下には細々とした字で内容が綴られている。小難しい内容ではなく、単純に実験内容と結果が記されているだけだが、


「……失敗ばかりだペンね。……いや、一回だけ成功はしているペンか」


「そう。それがあの簒奪者の時でね、つまり僕がジンル城跡に向かった訳でもあるんだけど」


 そこまで言ったロランは一度言葉を切り、ソファから立ち上がって何も言わずに窓を開けた。


「見てもらえば分かるけど、その日だけは感知の幅が大きくてね、今までにない反応だったんだよ。幾百もある実験結果から、感知の反応が大きかった場合は、危険度の高い魔獣が高確率で発生している例が多かったからね。……ま、それでも誤反応の可能性の方が高かったんだけどね」


「確実性のない情報に付き合うなんて、宮廷魔法士長は随分と暇なんだペンね」


「ちょうど適任がいなかったんだよ。僕の権限だけじゃ手早く部下達を動かす事もできないし、何より下手に弱い奴らを向かわせて返り討ちにあったら大変でしょ? それなら、いっそ僕が行った方が早いと思ってね」


「その結果、お前は敵の目の前でぶっ倒れたペンね。偉そうな事を言っている割に、随分情けない姿を晒していたペンな」


「ふふふ。まぁ、そこは目を瞑ってもらいたいね。暫く発作は起きてなかったから、油断してたんだよ」


 ロランは人族と魔族のハーフだ。体は人族の要素が多いものの、魔力量は魔族のそれ以上を有している。それと関係性があるのかは判明していないが、ロランの体は酷く病弱で、膨大な魔力に耐えきれていない。その為、彼は薬で魔力を抑えて生活している。


 だがジンル城跡にて、彼は簒奪者二体の目の前で倒れるという失態を犯している。ソフィアのおかげで難は逃れたものの、一歩間違えば死んでいてもおかしくなかった。


 くすくす、と笑うロランは窓の外に顔を向けてタバコに火をつけた。一瞬眉をひそめたソフィアだったが、そういえばと思い出したように口を開いた。


「一つ訊きたかった事があるペン。どうしてお前はあの日、一人でいたんだペン? いつ発作が起きてもおかしくない体なら、護衛の一人でも連れてくるべきだったペン」


「転移魔法は魔力を使うから、だよ。向かう先は強大な魔獣がいるかもしれない場所。なのに転移魔法で二人も三人も連れて行ったら、いざという時に困るでしょ?」


「他にも空間魔法が使える奴がいたはずだペン。そいつらを協力させればよかったペン」


「確実性の低い情報に、空間魔法が使える貴重な魔法士を起用するのは割に合わないよ。もしもがあった時、彼らが使えなかったら大変でしょ?」


「その確実性の低い情報にお前は出向いたペン」


「だから、それももしもの時の為だよ。実験に関わっている一人としても見逃せない反応だったしね」


「なら尚更、もう一人は連れて行くべきだったペン。お前の行動は不自然すぎるペンよ」


 堂々巡りの問答。徐々に声音に険の色をつけ始めたソフィアは、青い目を尖らせる。紫煙をくねらせるロランは、それでも歪な笑みを崩さない。


「そこまで用心深く想定しておいて、肝心の自分の事を忘れるなんてありえないペンよ。嘘をつくならもっとマシな嘘をつけペン」


「僕が嘘をついていると? 何で君に嘘をつく必要があるんだい?」


「知らんペン。けど、お前の話し方は何かを隠したがっているように聞こえるペン」


「僕が君に隠し事を? まさか。僕は君に隠し事なんてしないよ? 全部、教えてあげているつもりさ」


「どの口が言うペン。隠し事をしないっていうなら、どうしてあの日に一人でジンル城跡に向かったのか、そして何をしていたのかを教えろペン」


「適任がいなかった、発作の事を忘れていた、研究員の一人として実験の成否を知りたかった、これじゃダメかな?」


「馬鹿にしているペンか? 何の説明にもなってないペンよ」


「説明ね。けど……」


 ロランは濁った緑色の瞳に愉しげな色を加え、一度煙を吐き出して、


「……暴虐魔法」


 ピクリと、ソフィアの眉が動く。誤魔化すようにクッキーに手を伸ばすも、ロランは更に言葉を紡ぐ。


「それについて、僕は説明してもらいたいかな。確かセラニア、だったっけ? それとも、セラファニアって呼んだ方がいいのかな? あの名持ちの子」


「……そいつがどうしたペン?」


「興味深いよね。《アファリア》から提出された資料には、彼、いや彼女かな? まぁいいや。彼は暴力的な自在魔法を使える名持ちの傭兵って書いてあったんだよ。けど、彼はオリジナル魔法だと思われる魔法を使って魔獣を殺した。ゴウンバット、そして後から来たドン・ワイバーンも」


《アファリア》とイブリア王国は相互関係にある。《アファリア》はイブリア王国から資金と土地の援助、そしてある程度の権限を与えられている。その代わり《アファリア》は依頼という形で魔獣の殲滅を受け持っている。


《アファリア》は独立した組織ではあるが、イブリア王国内で活動をしているため、傭兵の情報を定期的イブリア王国に提供している。名前や性別など簡単なものではあるが、クラス無しから名持ち、そして職員まで例外はない。


 だが、一部の情報は秘匿されている。例えばシャガリアの異能『千里眼』、そしてオリジナル魔法だ。


 異能やオリジナル魔法を使える者は、強大な魔獣に対抗できる大きな武器になる。シャガリアの『千里眼』も魔獣の動向を察知するにはこれ以上ない能力であるし、セラニアの暴虐魔法は言わずもがなだ。ソフィアのペンギン魔法だって例外ではない。


 国からすれば、喉から手が出るほど望む人材になる。《アファリア》がそういう人材を多く抱えているのはイブリア王国の上層部も知っているだろうが、表向き、引き抜きは許されていない。だが黙って見過ごしてくれる程、国も優しくはない。故に、国に抱き込まれないために能力の事を隠している。


 当然、全ての能力を国に隠している訳ではないが、それでも公表しているのは極一部のみ。そこに、セラニアの暴虐魔法は入っていない。折角セラニアが帰ってきて依頼の消化が進みそうなのに、国に手出しをされたら面倒な事この上ない。


「……あいつは名持ちだペン。その程度の魔獣、自在魔法だけでも倒せない訳がないペンよ」


「暴虐魔法と呼んでいたのは?」


「あいつが自分の魔法に名前をつけているだけだペン。そういう奴は多いペンよ……それより、どうしてお前がセラニアの事を知っているペン? あの時、お前は聖堂で寝かせていたはずだペン」


「保険だよ。僕が睡眠状態、或いは何らかの理由で意識を失った場合に発動する魔術でね。効果は周囲の音の記憶。便利だけど、音を再生するには特殊な魔石に記憶した魔術の魔法陣を付与しなくちゃならないんだよね」


「……そんな魔術、聞いた事ないペン」


「僕が作った魔術だからね。手順が面倒だし、公表もしてないし、知らなくて当然だよ。……まぁ、こんな魔術はどうでもいいんだよ。僕程度が作った魔術なんて、大した価値もない」


「……金を払うから、是非とも教えてもらいたいけどペンね」


「まぁ、その話は今度だね。それより……」


 そこで言葉を区切ったロランはタバコを火魔法で消し炭にして、また新しいタバコを咥える。


「所長さんは僕が何をしていたのかを訊きたい。僕はセラニア君の事を知りたい。けど、所長さんはオリジナル魔法なんてないと言うし、僕だってジンル城跡で何かをしていた訳じゃない」


「何が言いたいペン」


「お互い、痛くもない腹を探り合うのは止めにしようって話だよ。何もないなら争う必要もない。そう思わないかな?」


 にっこりと、煙を纏わりつかせてロランは言う。


「僕はセラニア君の事なんて知らない。だから、所長さんも妙な詮索は止める。これで手打ちにしようよ」


「…………」


「まだ決められないかな? なら、もう一つ、追加してあげるよ」


「……何をだペン?」


「ペンギン魔法だよ。簒奪者を倒した魔法。これも僕の聞き間違いって事にしておいてあげる。セラニア君の事も所長さんの魔法の事も、僕はまだ誰にも言ってないからね。十分に、頷ける価値はあると思うよ?」


「……そこまでして、お前は何を隠したいんだペン」


「だから言ってるよね。僕は、何も隠してないって」


 はっきり言って、ロランは胡散臭い奴だ。そもそもジンル城跡での出来事だって、あまりに都合が良すぎる。


 たまたま簒奪者が発生し、たまたま付近にいた傭兵たちを襲い、ジンル城跡に逃げ込んだ傭兵たちをソフィアが救出に向かい、そこでたまたま調査に出向いていたロランと出会う。更にロランは久し振りに持病を発症し、ソフィアのペンギン魔法、そしてたまたま訪れたセラニアの暴虐魔法を聞き覚えたという。


 偶然が重なった、といえば済む話だろうが、結果としてロランはソフィアに貸しを作れる状況になっている。ソフィアのペンギン魔法の事ならまだしも、セラニアの暴虐魔法を知られたら《アファリア》には大打撃だ。例え、セラニアが《アファリア》から抜けようとしていなくても。


 ただ、全てロランの思惑通りだと仮定すると、辻褄が合わない点も出てくる。まず、国がロランを一人で外に出すはずがない点だ。先にも挙げたが、ロランはイブリア王国の貴重な財産である。そして体が弱く、持病もある。普通に考えれば、国が一人での外出を許可するわけがない。


 もう一つ、もしあの魔術の発動を狙って倒れたのだとしたら、あまりにもリスクが大きすぎる点だ。相手は簒奪者が二体。ソフィアの実力を信頼していたとしても、もしもがあるとは考えないのだろうか。読み違えれば、間違いなく死んでいたというのに。


 考えれば考える程、思考は坩堝に落ちていく。そもそも情報が少なすぎて、断定できるものがほとんどないのが厳しい。何が目的で、何のために動いたのか。心を読む魔法は、流石にない。


 だとすれば、ここは一度頷いておくのが正解かもしれない。それがロランの思惑通りだとしても、打てる手はないに等しい。


「……分かったペン。私も詮索は止めるペン」


「ふふ、そう言ってくれると思ったよ」


 ロランは満足そうに笑い、タバコを火魔法で消し炭にして窓を閉めた。


「じゃあ、僕は帰ろうかな。お話も終わったし、それにもう遅いしね」


 ロランはそう言うとカップなどを空間収納魔法にしまい込んで、ふと思い出したように何かをソフィアに投げて渡した。


「……これは?」


「さっき飲んだお茶の茶葉だよ。それは僕の個人的なお礼だから、素直に受け取ってもらいたいな」


「……何の話だペン?」


「簒奪者から助けてくれたよね? さっきは言葉でしか言ってなかったから、それは物でのお礼」


 それじゃまた、そう言うと、ロランは最後に一礼して所長室を後にした。


 残されたソフィアは、着ぐるみの嘴をフニフニしながらロランから貰った茶葉の袋を眺める。そして大きくため息を吐き、椅子の背もたれに身体を預ける。


「……結局、あいつは何をしに来たんだペン。私に釘を刺しに来たのか、或いは私を脅しに来たのか」


 最後には、両者共に何も見ていない、という結論に落ち着いたが、それで疑念が晴れた訳でもない。むしろ、あれは疑ってくれと言わんばかりの態度だった。


「……まぁ、あいつに監視でもつけておくべきかペンね。何かを企んでいるのは間違いなさそうだペン」


 また仕事が増えた、とソフィアはドッと押し寄せてきた疲れに嘆息を落とした。


 ☆


 王城へ続く大きな道。月と魔灯の明かりに照らされつつ、ロランはタバコの煙を纏わせて酷く上機嫌そうに歩いていた。


「……オリジナル魔法持ちが二人。ふふ、あそこは凄いね。それに、探せばもっと出てきそうだよ」


「探りを入れますか?」


 呟きに答えたのは女性の声。ロランは唐突に現れた声に驚く様子も見せず、小さく笑った。


「そうだね。目星は付いてるんだよね?」


「数人ですが」


「そう。なら、よろしく頼むよ。あぁ、絶対に僕以外の耳には入れないように」


「はい」


 そして消える気配。ロランは紫煙を吐いて、濁った緑色の瞳を歪に細めた。

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