閑話3ー説教される吸血鬼、姿の見えない死神さん



 ・説教される吸血鬼


 返空の月の十四日。前日にソフィアに奢られ飲食店に行き、ビルドに勧められるままに酒を飲み、大騒ぎした挙句にソフィアにこってり絞られたカロナは、すっかり夜も更けた時間帯に《アファリア》本部を訪れた。


「依頼を受けに来ましたわ!」


 相変わらずの黒尽くめの格好に、黒い日傘とペンギン人形を持つカロナ。今日も自信に満ちた顔に笑みを浮かべ、背中の翼を大きくはためかせた。


「カロナ様、今は夜ですのでお静かに。また怒られますよ?」


 その後に続くはメイド服姿のランカ。自分よりも少し背の低いカロナを見て、微かに笑いながら注意をした。


「あら、それはいけませんわね! もう二度とドブさらいなんてしたくありませんもの! 全く、あの時は大変でしたわ! 臭いし、疲れるし、ランカは手伝ってくれませんでしたし! ランカは手伝ってくれませんでしたし!」


「ふふ、私はカロナ様に日傘をさすという役目がありましたので。傘をさすのも大変ですよ? その場から離れられませんし……カロナ様の醜態を同じ角度からしか見られませんでしたし」


「そうだったのね。でもランカ、最後に何か言わなかったかしら?」


「気のせいですよ」


 夜中であろうと何も変わらないこの二人。この時間帯はソフィアも寝ているので人形はあまり機能してないが、起きていれば速攻でツッコミが入っただろう。そんなコントをしつつ、二人は周りにいる傭兵の生温かい視線を受けながら受付に向かった。


「ごめんくださいましー! 妾が来ましたわよー!」


「カロナ様、その言い方すごくアホらしいですね」


「アホではありませんわ!」


「ふふ、知ってます。カロナ様はその上に超が付きますから。ただのアホではありませんね」


「? よく分からないけど、超が付くならすごいですわね! 妾はすごい!」


「はい、すごいですね。……すごいアホです」


「はいはーい、そこで漫才やってるお二人さん。ここは劇場じゃないよ」


 軽妙な声を出しつつ、カウンターの奥から出て来たのは小柄な一人の女性だ。彼女の名前はカンナ・フリード。華奢で色白な体に、《アファリア》の制服である猫の刺繍が施された紺のカーディガンを着ている。銀の髪を肩まで伸ばし、まん丸い薄い青の瞳を皮肉げに細める彼女は《アファリア》の夜勤専門の職員でもある。


 それと同時に狼人族である彼女だが、右耳だけが根元から千切れており、またフサフサの銀毛を生やす尻尾も半分から先が無くなっている。とても痛々しい見た目だが、それを一切感じさせない仕草で彼女は椅子に腰をかけた。


「漫才をしたいなら昼間の外でお願いね。それで、今日は何をしに来たのかな?」


「漫才をしている訳ではありませんわ! 今日は依頼を受けに来ましたの!」


「はいはい、声量をちょっと落とそうか。あまり《アファリア》の品位を落とす行動は避けようね」


 そう言いつつ、ガサガサとカウンターの引き出しからいくつかの冊子を取り出したカンナ。それをドンとカウンターに置くと、ペラペラと捲りながら肩肘をついた。


「それで、カロナちゃんとランカさんはどんな依頼を受けたいのかな?」


「もちろん討伐の依頼ですわ! とっても強い魔獣の討伐依頼を出してくださらないかしら?」


「とっても強い魔獣と戦いたいなら、まずは実績と信頼を積まないとねー。所長の監視付きのお二人さんじゃ、大した依頼は任せられないよ」


「それなら、なるべく近場の依頼はありませんか? カロナ様はお昼になると眠たくなる事もありますので、近場の依頼が好ましいのですが」


 近場ねー、と言いながら、冊子を捲るカンナ。目ぼしいものが中々見つからないのか、二冊ほど見終え、三冊目に目を落とす。


「……あー、これかな」


 と、ようやく見つかったのか、そのページを開いてカロナ達に見せた。


「王都の南門を出ると街道があるよね? その街道の見回り依頼だよ。期間は明日の夜から次の日の夜明けまで。これなら、お二人さんには丁度いいかな」


「……なんか、ちょっとショボくありませんか? もっとこう、派手な依頼はありませんの?」


「あるよ。けど……」


「なら! それを受けさせてくださいまし! 見回り依頼なんて、妾には似合いませんわ!」


「だから、そうじゃないんだよね。今の君達は……」


『信頼がない、そう言っているんだペン』


 言葉を継いだのはカロナの持つペンギン人形。それはカロナの手から離れてカウンターの上に乗ると、無機質な青いボタンの目を僅かに輝かせた。


「……所長。という事はその人形にあの魔法をかけたんだね?」


『そうだペン。……ふぁぁ……全く、こんな夜中にご苦労なこったペンね。お前の声ですっかり目が覚めたペンよ』


「こんな時間までご苦労様ね、所長! それで、何が言いたいのかしら?」


 不機嫌を一切隠そうとしないカロナは、腕を組んで赤い双眸を尖らせる。ペンギン人形……ソフィアはそれを全く気にかけず、ペンギン人形の姿で伸びをしてカウンターの縁に腰を下ろした。


『言いたい事は沢山あるけどペンね。まぁ、お前はバカだから、分かりやすく言ってやるペン』


「誰がバカなのよ!」


「それは否定できませんよ、カロナ様」


「否定してくださいましランカ! あなたはどちらの味方なのかしら!?」


「はいはい、今は所長のお話をちゃんと聞いてね」


 再び漫才に入ろうとする二人をカンナが止める。ソフィアはそれに礼を言って、言葉を続けた。


『この人形を貸してから約二週間、常にではないけどお前らの行動を見て、聞いてきたペン。その結果を端的に言えば、お前らは何にも反省してない、という事だペン』


「……反省も何も、妾は悪い事はしていませんわ」


『夜中に大声出すのも大概だけどペンね。まぁ、それはいいペン。問題なのは、お前らが規律を知り、守る努力をしようとしなかった事だペンね』


 元々、カロナ達にペンギン人形を持たせたのは規律を守らせる為だ。ソフィアも、カロナ達が吸血鬼族と魔族という高いスペックを持ち、魔獣相手にも引けを取らない実力を持っているのは知っている。だからわざわざ、魔力を消費するペンギン魔法を掛けてまで更生させようとしているのだ。


『この二週間でお前らが受けた依頼は二つ。どっちも短期間で済む依頼だペン。なのに、カロナは他の傭兵を見つけたら助けの押し売りをしようとするし、ランカはそれを止めないペン。結果、報告が遅れて職員に迷惑をかけたペンね。私も人形を通して見ていたペンよ』


「それは……苦戦していたからですわ! 同じ傭兵を見殺しにしろと、所長は言うのかしら?」


『クラス持ちがクラス無しに経験を積ませようと、クラス無しだけで魔獣に向かわせるのはよくある事だペン。お前も経験はあるだペン。それに、後から助けに入られた傭兵達から報告を受けているペン。余計なお世話だった、とな』


「それは……その……」


『制止に入ったが言う事を聞かなかった、とも報告を受けているペン。お前らのやった行為は、明らかに妨害行為だペン』


《アファリア》の規律で、救援行為は上級クラス持ち、或いは経験豊富と認められたクラス持ちにしか勧められていない。傭兵によっては戦略の一つとしてわざと苦戦したりする者もいるし、時間稼ぎ、又は誘導をしている場合もある。その見極めが可能だと判断された者しか、救援行為は了承されない。


 もちろん、明らかに劣勢だったり、傭兵から助けの声を受ければその限りではない。その為、《アファリア》も救援行為をするなとは決めていない。


「戦況を弄り回す行為を繰り返すと、強制的に降格される事もあるんだよ。悪くて除名かな。まぁ、その二回の例はランカさんなら止められると思うんだけど」


「ふふ、一度決めたカロナ様は私の言葉では動きませんので」


『こいつにまともな対応は期待できないペン。だからこうして、こいつが依頼を受けに来る時に忠告をしてやってるんだペン』


 今までの経験から、カロナが忠告を素直に聞くとは考えられない。現に、カロナが他の傭兵に助けに入った時もソフィアは忠告をしたが、彼女は聞き入れなかった。それ故、ソフィアはこうしてカロナ達が依頼を受けに来た時に、キツめの忠告をしたのだ。


 重々しくため息を吐く仕草をしたソフィアは、カウンターの縁から腰を上げ、翼状の手をカロナに突きつけた。


『分かったかペン? お前の行為は危険な事この上ないペン。もし次、規律違反を犯したら、もう一度クラス無しからやり直してもらうペン。その時は、私が直々に指導してやるペンよ』


 たった二週間、されど二週間。カロナの性格から短期での矯正は無理だと判断していたが、こうも立て続けに問題を起こされると忠告だけでは済まない話になる。


 だが、全く矯正が効かないという訳でもなさそうだ。以前までは職員を見下すような言動を取っていたというが、今はそれも改善されているという。つまり、忠告すれば治る事もある。


『次の依頼に行く前に、よく規律を見直しておく事だペンね。また自由のきかないクラス無しに戻るのは、お前だって嫌なはずだペン』


「……分かりましたわ。所長直々の指導も気になりますけど、それにお世話にならないように努力してみせますわ。ランカ、手伝いをよろしくお願い致しますわ」


「ふふふ、分かりました。私にお任せください」


『ランカ、お前もだペン。故意に制止しないのも違反行為に当たるペン。カロナだけじゃなく、お前も次はないと覚えておけペン』


「もちろんです。あまりお遊びが過ぎるのは、よろしくないですから」


「こんなにも信用できない台詞は久しぶりに聞くね」


 とりあえず、依頼はまた今度にすると決めたカロナは、ランカを連れて《アファリア》本部を出た。ペンギン人形も連れて行かれ、カウンターに一人残されたカンナは小さくため息を吐く。


「……なんか、妬けるかも」


 その言葉の意味は彼女にしか分からない。すっかり人気の薄くなった広間を見渡して、カンナは奥の部屋に消えて行った。




・その傭兵は黒い死神を見る



《アファリア》に所属するクラス無しの傭兵、ゴナ・メイグスは夜の森を走っていた。


 月明かりも差し込まない、木々が絶え間なく連なる森。猫人族の彼は暗闇でも何とか使える目と、獣人族特有の感覚で転ぶ事なく走り続ける。


 彼の他にこの場には誰もいない。……いや、正確には何かはいる。彼の背後、執拗に追いかけて来るそれは、魔獣と呼ばれるモノだ。


 サイズは中型。何度か振り返って見た情報を繋ぎ合わせると、種類は魔猿種か。とてもじゃないが、彼一人で手に負える相手ではない。


 既に走っている方向もあやふやだ。せめて仲間の所に辿り着ければ、彼の生還率も上がるものだが……。




 始まりは、ちょっとした好奇心だった。討伐者と自分を含めた三人のクラス無しで来た依頼。森が近くにある街道の端で野宿する事になり、火の番を二番目に任された彼は、欠伸を噛み殺しながら簡易式の椅子に座っていた。


 そろそろ次の奴に交代か、傍らに置いた砂時計がそう告げようという頃、彼はあるものを見つけてしまった。


 それは黒く輝く何か。月明かりに照らされているものの、実体は薄くぼやけて捉えきれない。ゆらりゆらりと街道の向こうに動いては、森の方向へ進んで行く。


 ある種、幻想的な何か。火の番で頭も多少不明瞭、そして監視役とも言える討伐者の傭兵の目もない。おかしな熱に浮かされた彼は椅子から立ち上がり、その何かに惹かれて歩き出してしまう。


 猫人族は夜目がきく。暗闇の中を鮮明には見えないが、歩く程度なら問題もない。一応、腰に提げた剣に手を置きつつ、彼は何かの後を追う。


 そして、彼は森の中へ足を踏み入れてしまった。


 それからどれくらい時間が経っただろうか。妙な熱から解放されたのは、地を揺るがすような咆哮が聞こえてからだ。それとほとんど同時に聞こえてきたのは、木々を押し倒して無理矢理突き進むような轟音。猫人族の優秀な耳はすぐに声の方向を探し出し、彼はすぐにその場から逃げ出した。


 ……咄嗟にしては、彼の判断は正しかった。逃げ出した方向さえ間違わなければ、彼の対応は満点に近かっただろう。動転して肝心な所を見落とすのは、やはりクラス無しの傭兵だからか。


 それから、話は冒頭に戻る。


 既に彼が走り続けて、十数分は経っているだろう。いくら獣人族が体力にも優れているとはいえ、足場も視界も悪い森の中、更に背後から追いかけられているという圧力と緊張に曝されていては、彼の体力も底を尽きてしまう。


 木の根が地面を侵食している。お気に入りのコートは早い段階で太い枝に絡まり、脱ぎ捨てた。魔獣の皮で作られたブーツも酷使をしたせいか、徐々に表皮と色が剥げている。


 腰の剣を抜いたとして、彼が勝てる可能性はどのくらいだろうか。彼も《アファリア》の試験を突破した者だ。例えば、遭遇の段階で挑んでいれば、もしかしたら勝てていたかもしれない。


 だが、今の彼はどうだ。体力は底を尽き、耐久のあるコートは脱ぎ捨てた。足は走れているのが不思議なくらいにガクガクで、声も出せない程、息は荒れている。


 これでは低級の魔獣にすら勝てるか怪しい。彼に出来ることは考えるまでもなく、無様に逃げるだけだ。


 音が近づく。背後の魔獣は段々と、彼に追いついている。魔獣の執念は生半可なものではない。獲物を見つければ、相手がどこまで逃げようと追いかける。


 死の足音が耳朶を打つ。地を壊す音に己の最期の姿を頭の中に幻視して、彼の足が僅かにもたれた。


 それが、命運の尽きた合図だった。


 まず感じたのは腹部の衝撃。視界が一瞬だけ暗転し、暗闇の視界が戻ってくる。強烈な木と土の匂いが鼻を突き抜け、最後に全身を痛みが襲った。


 殴られた、と理解するまで時間を要した。腹を殴られた吹き飛ばされ、地を舐める。たったそれだけの出来事なのに、何故だか一生分の時間を費やした気がした。ゆっくりと、地面を踏みしめる音に耳が反応する。どうやら、追いかけっこはもう終わったようだ。なら、残された工程は……、


 後頭部を巨大な手で掴まれた。意識が朦朧としているのか、視界は途切れ途切れだ。例え視界が明瞭でも、目の前にあるのは醜悪な魔獣の顔面だ。これなら、まだ目がない方がマシだったかもしれない。


 ミシリと頭蓋の軋む音が、やけに遠く感じる。


 これで終わりだ。そう教え込むように、魔獣が高らかに吼えた。気がした。手も足も、力は入らない。魔法を放とうにも口が開かない。


 後数秒。彼に残された命はその程度。死を覚悟したせいか、もう耳も目も正常に機能していない。後悔が脳裏によぎる事もなく、ただただ、彼は魔獣が振り上げた拳が来るのを待っていた。


 そして、






「可哀想」






 無機質な、女の声。気がつけば、目の前の魔獣は跡形も無く消え去り、周りの景色も一変していた。


 曖昧な意識が一気に覚醒する。痛みは残っている。立ち上がれるような体力もない。さっきまでの出来事は幻覚じゃない。ならーーどうして自分は野営のすぐ側の街道に寝転がっているのか。


 彼の存在に気がついたのか、仲間の討伐者が駆け寄ってくるのが見える。疑問は尽きないが、助かった事に違いはないようだ。途端に湧き上がる安堵感から、彼は大きく息を吐いてフッと目を閉じた。




「ーークロさんがいて良かったね」




 声。彼は慌てて目を開き、眼球だけを動かして周りを見回すが、誰もいない。声は確かに耳元で囁かれた。ついでに耳に生えている毛をモフられた気もした。魔獣とは違う、得体の知れない恐怖感に彼は身を震わせる。


 しかし、クロという名前には聞き覚えがあった。


 クロ。彼女は《アファリア》の傭兵で、僅か十八歳、傭兵登録してから三年で名持ちになった殺戮の天才。噂ではソフィア所長に育て上げられ、その技術をほとんど受け継いだという。


 名持ちの名は【死神】


 自分は死神に憐れんでもらえたのか。何とも、不幸な幸運だ。


 彼は空笑いを零しながら目を閉じる。もうここにはいないであろう【死神】に敬意と感謝を表して、重く感じる手を胸に当てた。






















「お母さんにちゃんと言ってね? クロさんに助けられましたって」

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