ペンギン娘の勘は悪い意味で外れない




《アファリア》の敷地の一部に、小さな墓地がある。


 大きな墓標に刻まれるのは、過去に魔獣と戦って死んだ《アファリア》の傭兵達の名前。クラス持ち、クラス無し関係なしに、傭兵達の遺灰はこの場所に埋められる。


 今日も四つの遺灰が埋められた。スコップを片手に、《アファリア》の所長は黙祷を捧げる。


 ☆


 簒奪者との戦いを終えて、約一週間が経った。


 ソフィアの消耗していた魔力も元に戻り、今は時折カロナにダメ出しをしながら、通常の業務をこなしている。


「あー……何か、美味い飯でも食いたいペン」


 机に頬杖をつき、ため息混じりに言葉を吐き出すソフィア。ここ最近はジンル城跡の調査、ロランの返却など、簒奪者が発生した後始末で忙しかったせいか、まともな物を食べていない。


 それはソフィアに付き合わされたメメアも同じようで、そうですねと返した後、どこからか薄茶色の紙を取り出した。


「《さざめき亭》へ行かれたらどうですか? 昨日、採取者のタオから割引のチケットを頂いたので、安く済ませられますよ?」


「そうじゃないペン。こう、もっと、高級な、贅沢なご飯を食べたいペン」


「お金はあるんですから、レストランにでも行ってきたらいいではありませんか」


「メメアも一緒に行くペン?」


「奢っていただけるなら、是非」


「……仕方ないペンね」


 時間はそろそろお昼だ。ソフィアは伸びをした後に椅子から跳び降り、メメアを連れて所長室を後にした。


 一階へ降りると、やや閑散とした光景が広がっていた。皆んなお昼を食べに行っているのか、職員の数も少なめだ。気にせず、出口へ向かおうとしたソフィアだったが、横目にチャコの姿が目に止まった。


 いつもは穏やかな笑みを浮かべているチャコ。しかし今は、その笑顔に陰りがあるように見える。


「……あの件以降、元気がないそうですよ」


 ソフィアの目線で察したのか、メメアが囁くように教えてくれる。あの件とは、つまりジンル城跡での一件だろう。


「お前は、チャコと話したペンか?」


「はい。ですが、言葉数は少なめでした。採取者のタオも何度か家に訪れて励ましているようですが……」


「あの姿を見ると、効果は薄そうだペンね」


 傭兵と接する回数が多いのは、やはり受付担当の職員だ。それ故に、傭兵相手に情を持ちやすくもなる。クラス無しであるならまだしも、付き合いの長いクラス持ちの傭兵が死んだとなれば、受付を担当した者は塞ぎ込みがちになる。


《アファリア》に、傭兵と職員が馴れ合ってはいけない、という規律はない。一応、受付は順繰りに担当するようシフトを組んでいるが、それも限界はあるのだろう。


「……はぁ。仕方ないペンね」


 着ぐるみの嘴を一撫でし、ソフィアは足をチャコへ向ける。メメアは黙って、その後に続いた。


「チャコ、仕事は順調だペンか?」


「あ、所長、それにメメアさん。……はい、特に問題はありませんよ」


 やはり、声に元気がない。そっと眺めれば、焦げ茶の長い髪も毛先が跳ね、目の下にクマがあるように見える。


「確かに、仕事に問題はなさそうだペン」


「……はい。大丈夫です」


「でも、お前には問題がありそうだペンね。制服はヨレているし、声に張りがないペン」


「……はい、申し訳ありません」


「《アファリア》の顔である受付がそんなでは、依頼者も尻込みするペン。なるべく早めに治すペン」


「……はい」


 自覚はあるのか、眉の一つも動かさずに頭を下げるチャコ。その動きも機械的で、ソフィアの言葉が通り抜けているような印象を受ける。


 度々、ソフィアもチャコの普段の仕事姿を目にするが、こんなにも元気がないのは久しぶりだろう。ソフィアは小さく溜息を吐き、メメアに頼んでカウンターより上に持ち上げてもらう。


「落ち込むなとは言わないペン。私は慰めもしないペン。ここで働く以上、隣人が死ぬ事に慣れてもらわないとお話にならないペン」


 コクリと、俯き気味に頷くチャコ。両脇に手を通されて持ち上げられている着ぐるみ所長の姿はシュールだが、ソフィアは真摯な表情を崩さない。


「ただ、優しい奴は嫌いじゃないペン。言葉にして楽になるなら、いつでも私の元を訪れるといいペン。私はお前より友人の死を経験してるペン。話を聞くだけなら、いつだってできるペン」


 メメアの手を叩き、床に下ろしてもらうソフィア。そして空間収納魔法から薄っぺらい紙を取り出し、背伸びしてカウンターに乗せた。


「私の所に来るのが恥ずかしかったら、書類にでもこれを混ぜるペン。適当に場所を作ってやるペンよ」


「……ありがとうございます」


「礼なんていらんペン。お前が使えなくなると仕事が滞るペンね。それだけペン」


 そう言うと、ソフィアは踵を返して歩き出す。メメアもそれに続き、小声で喋り出した。


「……また説教ですか。飽きませんね」


「うるさいペン」


「所長の所に気軽に来るとは思えませんけどね」


「来いとは言ってないペン。ただ、話す事で楽にもなる、と教えたかっただけペンよ」


「分かりました。そういう事にしておきますね」


「イラっとくるペンね、その言い方」


 肘でメメアの横腹を突く。突かれたメメアは着ぐるみの嘴をギュッと握り、ソフィアの体をグラグラ揺らす。チャコは二人のそんな姿を見て、静かに頭を下げた。


 ☆


「さて、どこに行くペンか」


《アファリア》の敷地を出て大通りに出れば、そこは人がごった返していた。特に飲食店は人が行列を作り、そう簡単には入れそうにもない。


 イブリア王国は多種多様な種族が暮らす国だ。空路、海路共に危険が伴う環境だが、差別のない国として他国からの観光客も少なくない。こうして見ているだけでも、様々な種族が和気藹々と暮らしている姿は面白いのだが、


「う〜ん、あまり時間がかかるのは嫌だペンね」


「仕事の時間もありますので、すぐに料理が出てくる店、ですね」


「どこかあったかペン?」


 ただ、この国に長く暮らしていればそれも見慣れたものになる。むしろ、着ぐるみ姿の所長とその秘書は王都でも名物になっているので、逆に見世物になっているようなものだ。


 そんな見世物コンビが店を決めかねていると、道の向こうから誰かがやって来た。大通りのど真ん中をかき分けるように……いや、人が自ら避けるように道が作られ、徐々にソフィア達の元へと近づいていく。


「……メメア、道を変えないかペン?」


「どうしましたか?」


「いや、この先にいるのは……」


 働いたのは、直感ではなく聴覚。そして提案と共に足を止め、眉を顰めるソフィア。首を傾げていたメメアだったが、ソフィアの行動の意味はすぐに分かった。


「あら、ごきげんよう所長、それにメメア女史! 今日は憎々しい程に最悪の天気ね!」


 漆黒の長い髪に真っ赤な双眸。病的に白い肌に鋭い耳と牙を生やし、黒いシャツにズボンにブーツにコートに手袋と、全身を黒尽くめで固めるそれは、見間違えようもない。


「……カロナ。何でここにいるペン」


「何でとは、随分な言いようですわね所長。妾だってご飯は食べますのよ?」


《アファリア》の傭兵であり、実年齢二十歳、精神年齢五歳児の吸血鬼族の女性カロナ・デア・フォ・カリバーンは、何故か薄い胸を張って言った。


 ちなみに、陽が出ているためか片手には黒い日傘を差しており、もう片方の手にはソフィアが貸し与えたペンギンの人形が抱えられていた。背中の翼も、上手い事日傘の中に収めているようだ。


「それにしても、所長はこの不細工な人形で監視をしているんじゃなかったのかしら? 妾の場所は分からなかったのかしら?」


「……今は聴覚だけしか同期してないペン。音だけじゃ、正確な位置は分からないペンよ」


「できる事なら昼食後に会いたかったですね。それと討伐者のカロナ、もう少し声を抑えてください」


「あら、これは失礼しましたわ。淑女として、あるまじき振る舞いでしたわね」


「……その台詞を聞くのは何回めだペンね」


 手を口に当て、上品な仕草でオホホホと笑うカロナ。そのオホホホのボリュームがデカすぎる事に気が付けと、ソフィアは冷ややかな視線をカロナに送った。


「……それはそうと、ランカはまだ帰ってこないペンか? 確か、お前に合う店を新しく探してくるとか言っていたペンね」


「人形の盗み聞きですわね? えぇ、つい三十分ほど前かしら? 優秀なランカにしては、遅すぎますわね」


「という事は、討伐者のカロナはまだお昼を食べていないんですね?」


「もちろんですわ! だから妾、今すっごくお腹が空いておりますの!」


 流石は精神年齢五歳児。人前で堂々と腹が空いている宣言をするのは、普通の人ではできない。人間の子供に例えれば、腹が減ったと駄々をこねているようなものだろうか。


 とはいえ、ソフィアとしてはランカが帰ってこないうちにカロナと別れたいところだ。カロナ単体でも面倒なのに、ランカが加わればソフィアの沸点が臨界突破しかねない。


 ならば、ここで話を切り上げて早々に離脱するのが吉ではないか。ソフィアはメメアの背中を軽く突き、目配せをした。


「そうかペン。なら、私たちはここで行くペン。お前は大人しく、ランカを待っていろペン」


「あらあら、妾と一緒に待ってはくれないのかしら?」


「私の代わりに、可愛いペンギン人形が一緒に待ってくれるペンよ。それじゃ、私達はこれで……」


 失礼するペン。そう言おうとした時、ソフィアの背後から新しく声がかかった。


「おや? 先生じゃないですかい。そんな所で何やってんでさ?」


「……ハーツ、それにビルド」


 そこにいたのは、隻腕の教官ハーツに鬼族の護衛士ビルド。どちらも武器は持っておらず、シャツにズボンというラフな格好をしている。


「よっ、所長さん、それにメメアさんも。昼飯か?」


「そうだけどペン……」


 ……なぜか、雲行きが怪しくなってきた。晴れているはずなのに、ソフィアの頭の中には暗雲が立ち込める。


「お二人共、こんにちは。ハーツさんは、先日はありがとうございました」


「いやいや、気にする事はないですぜ。誰だって落ち込む事はあるしねい」


 そんなソフィアの心境も知らず、メメアはこの前ハーツにストレス発散に付き合ってもらった礼を言っていた。一方、ビルドはカロナの姿を見つけると、気さくな笑みを浮かべて近づいて行き、


「よう、吸血鬼の嬢ちゃん。元気してたか?」


「もちろんですわ! ……と、言いたいところですけど、最近は鬱陶しい目があるからそうではありませんの!」


「目? なんだそりゃ?」


「聞いてくださいまし! 所長ったら……」


 こっちはこっちで世間話を始めてしまう。カロナの性格上、あまり人に好まれる事はないのだが、ビルドは常日頃クラス無しという年下の、特にアランという、とびきり間の抜けた奴と付き合えるせいか、カロナ程度のウザさなら気にしないようだ。


 二方で話が始まり、残されたソフィア。若干寂しさを感じないでもないが、それより危惧すべきはこれからの事だ。


「……これは、私だけでもさっさと帰るべきかペン?」


 ハーツとビルドは、八十六、二十五歳と、年こそ離れているものの、良好な関係を築いているらしい。つまりビルドの姿から察するに、今日は二人で飲みにでも行くのか。


《アファリア》の中では比較的良識派であるハーツとビルドなら、ソフィア達を誘ったりはしないだろう。だが、相手が傭兵のカロナとなれば別だ。


 カロナは、イブリア王国内の決まりでは成人しているという事になる。もちろん、酒も飲める。もしも、もしもビルドがカロナを酒の席に誘ったらどうなるか。


「…………」


 鬼族は、酒好きで知られる種族だ。無論、酒にも強く、人族の十倍は飲まないと酔わないと言われている。


 面倒なのは、ある程度酒の回った鬼族は他人にも無理矢理酒を飲ませる事だ。ハーツなら酒もそこそこ強く、のらりくらりと躱せるだろうが、カロナだとどうなのか。


 吸血鬼族の酒の強さは? 残念ながら、ソフィアの知識にはない。だが、もしもカロナの酒癖が悪く、店に迷惑をかけるような事があれば……、


「……ここは、メメアを犠牲にして後の場を任せるべきかペン」


 カロナとは一緒にいたくない。けど、仕事でもないのに騒ぎの後処理をしたくない。まだカロナの酒癖が悪いと決まったわけではないが、ソフィアの外れにくい勘が叫ぶように伝えてくる。


 ーー間違いなく、こいつは酒癖が悪い、と。


 そして、カロナは百割の確率で問題を起こすと、続けて告げる。その瞬間、ソフィアは息を止め、ゆっくり、ゆっくりと後ずさる。ハーツの三角耳がピクリと動き、ソフィアの動きを察知するが、視線は向けない。どうやら、彼は味方をしてくれるようだ。


 ならば、それに便乗しない手はない。あまり隠密は得意ではないが、ヘタれている場合でもないだろう。


 まだビルドがカロナを誘ったわけでもないのに、ソフィアは額に汗を流して気配を消す。一歩、また一歩と後退していき、人混みの中に紛れ込もうと身体をズラして、


「っと」


 誰かに当たった。しまったと思い、謝ろうと振り返って見上げると、


「ーーふふ、ちゃんと前を見て歩かないと危ないですよ? 所長さん?」


 そこには、今の状況で一番見たくなかった顔があった。


 真っ赤な短い髪。愉悦混じりの黒を宿した、尖った双眸。黒のワンピースに白いエプロンをし、側頭部から捻れた角を生やすのは、


「……ら、ランカ。どうしてここに……」


 囁くような声の問いに、ランカはソフィアへ向けてにっこりと微笑んだ。


「どうしてと言われましても、カロナ様に相応しいお店が見つかりましたので、報告に来ただけですわ?」


 盲点だった。完全に、頭からランカの存在を消し飛ばしていた。自己中心的な快楽主義者のこいつは、この場においてラスボスとも言える存在だ。どう良いように考えても、引っ掻き回される結末しか浮かばない。


「…………」


 いや、とソフィアは口角を引きつらせて思考する。


 まだ、まだランカにはバレてない。適当に言い包めて、ランカにカロナを押し付ければ何とかなる。そう、ソフィアの取ろうとしていた行動など、今来たばかりのこいつには分かるはずも、


「ふふふ、それにしても、なぜ、所長さんは一人で、カロナ様達から、離れようと、していたのですか? 何か、不味い事でもありましたか?」


「ちょっ!?」


 甘かった。この、自分さえ楽しければオッケーな人種の観察眼を侮っていた。ソフィアの期待を踏みにじるように、ランカはわざとらしく言葉を区切り、声を張る。


 そうなれば、自然と四人の視線はソフィアとランカに向き、


「……成る程」


 ーー察しのいいメメアがソフィアの裏切り行為に気がつく。


「ぺ、ペぺぺン……」


 動揺で人語を忘れたソフィア。メメアはそんなソフィアを笑いもせず、いつも無機質な表情から感情という名の色を消した。そして普段から鋭い眼差しを更に尖らせ、青ざめるソフィアを射抜くと、慈悲のない宣告をした。


「……討伐者のカロナ、護衛士のビルド、そしてハーツさん。喜んでください。今日は所長が奢ってくれるそうです」


「め、メメア! そんな訳……」


「え!? 本当ですの所長!? 奢りなら、妾は容赦致しませんわよ!」


「ちがっ!?」


「くすくす。良かったですね、カロナ様。存分に、食欲を所長さんにぶつけてください」


「もちろんですわ! さぁランカ! あなたの見つけた店へ案内しなさい!


「はい。では、皆様こちらへ」


 まさに早業。メメアはわざわざ身体強化魔法を使ってソフィアの背後に回り、口を抑えて無理矢理黙らせる。その間に、話の流れはカロナとランカが作り上げてしまった。


 その隣、良識派の二人は揃って苦笑いをし、


「……あー、これは、どうする?」


「……大人しく従っておくべきかねい。ほら、メメア嬢の目が怖いし。それに……」


「それに、何だ?」


「タダ酒は美味いのさ」


「成る程な。その通りだな」


 酒の誘惑に流された。援軍も無くし、文字通り無力化されたソフィアは抵抗を諦め、メメアの肩に乱雑に担がれた。


「自業自得ですね、所長。今日のお仕事は徹夜で頑張ってください」


「……私がいないと《アファリア》は回らないペン。すぐに帰すペン」


「大丈夫です。急ぎの仕事はありませんし、もし入っても私が直行するので」


「……ペン」


 運ばれるソフィアはがっくり項垂れる。なぜだか潤んだ視界に入ったのは、何とも愉しそうな笑みを浮かべるランカの姿と、日傘をクルクル回して意気揚々と歩くカロナ。そして上司を裏切って気まずそうに目を逸らす、男二人の姿。











 ……連れていかれた店の中。案の定、酒を飲んで暴れるカロナ。とりあえず、カロナ達の監視は強化しようとソフィアは心に決めた。あと、ハーツとビルドには今度、所長直々に訓練をつける。ボロボロにしてやると、固く決心をした。

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