ジンル城跡にて、宮廷魔法士長と



 事務作業ばかりの所長もたまには動く。


 動く時は大概、面倒事の後始末だ。だから所長は動きたくない。


 動かなければ動かないで、面倒事は降りかかってくるのだが。それはそれ、これはこれ、だ。


 ☆


 返空の月の三日。陽は暮れてもう数時間が経った頃、メメアが帰り支度を始めていた。


「……メメア、本当に帰るペン?」


「本日の業務時間は終了しましたので。後のお仕事は、所長お一人で頑張ってください」


 ぐったりとした様子で机にへばり付き、恨めしそうにメメアを見るソフィア。そんな視線を受けながらも、メメアはあっさりとした声を返した。


「今日はなぜか必ず勝てる気がするんです。滅多にない、大勝ちの予感がビンビンですよ」


「またギャンブルかペン。なら、私は必ず負ける予感がビンビンだペン。むしろ、ここから負けろオーラを発して負けさせてやるペンよ」


「怖くないですね。所長の負けろオーラなんて、私の勝てる予感オーラには及びませんから」


「語呂が悪すぎだペン。これは、負けたペンね」


「語呂が悪い程度で、私の運は揺るぎません。みっともないですよ、所長」


「ぐぬぬぬ」


 駄々をこねるように唸るソフィア。どこか勝気な笑みを浮かべるメメアはそんなソフィアを横目に、部屋を出ようとする……と、タイミングを同じくして所長室の扉が乱暴に開けられた。


「失礼します! 所長、緊急連絡です!」


 入ってきたのは、小柄で焦げ茶の長い髪を持つ女性、チャコだ。いつも浮かべている大人びた微笑は崩れ、語調もかなり荒い。


 察しが悪くとも、良い知らせではないのは分かるだろう。ソフィアは顔を引き締め、姿勢を正した。


「どうしたペン。落ち着いて、簡潔に説明するペン」


「は、はい。……ジンル城跡へ魔獣討伐依頼に向かっていた討伐者一名、クラス無し三名から救援連絡が届きました。予期しない魔獣の乱入で損害が大きくなり、撤退も無理だそうです」


 ジンル城跡。王都から馬車で三、四日程度の距離がある場所だ。かつて存在した小国の成れの果て。廃墟と化した城、そして城下町がほとんどそのまま残っており、イブリア王国も文化遺産と認定している、歴史のある所だ。


 定期的に騎士が見回っているが、今回は《アファリア》に依頼が回ってきたようだ。だが、今はそんな事はどうでもいい。


「メメア」


「はい」


 ソフィアの一言で、メメアは肩に掛けていた鞄を下ろし自分の机に向かった。確認するのはジンル城跡の近くにいる傭兵。依頼帳を見れば、どの傭兵がどこにいるのか、すぐに分かる。


「……一番近くて、サグメの森に向かっている討伐者二名、クラス無し三名です。……しかし」


「この時間だと村か町で休んでいる確率が高いペンね。チャコ、この二人に連絡が取れるペン?」


「は、はい。すぐに連絡をしてきます」


「村か町にいるなら、そのまま待機でいいと伝えるペン。この時間に外に出るのは、傭兵でも自殺行為だペン」


 夜は魔獣の動きも活発になり、危険性が高くなる。助けに行って死体が増えたら、笑い話にもならない。


 ソフィアの命令を受けて、チャコは所長室を走って出た。それを見届けると、ソフィアは椅子から跳び降りた。


「夜に動ける種族で、今すぐに動ける傭兵はどのくらいいるペン? 」


「……一人です」


「誰だペン?」


「討伐者のカロナです」


「……あいつか」


 確かに、夜の吸血鬼族は無類の強さを発揮する。獣人族も夜目がきく種族は夜間でも動けるが、吸血鬼族には及ばない。


 だが、乱入した魔獣の種別が不明で、救援対象が数名いるこの状況は、カロナには任せられない。状況の悪化を招くだけと、安易に想像できる。


 大きくため息を吐いたソフィアは、身体を解すように腕や足を伸ばした。


「……出ますか?」


「そうするペン」


 翼状の手を使い、器用にソフィアは窓を開ける。そしてそっと目を閉じ、魔力を全身に巡らせる。虚空から生まれた黒い靄のような魔力が指先、腕、最後に胴体へ纏わりつき、ソフィアの身体を覆い尽くす。


「ペンギン魔法ーーその身体は滑るためにあるツルツルペンギン


 黒い色を持つ魔力が全て吸収される。同時に、着ぐるみの無機質な目は青い光を宿し、ポツポツと点滅を繰り返していた。


「……確か、討伐者カロナに渡した人形にも魔法を使っていますよね。同時行使は大丈夫何ですか?」


「問題ないペン……と言いたいところだけど、流石に疲れるペン。まぁ、同期を一時的に切れば済む話だペンよ」


 カロナとランカの監視用に渡したペンギンの人形。あれにもペンギン魔法がかけてあり、視覚、聴覚、触覚が同期されるようになっている。


 だが、常に全てを同期させている訳ではない。普段は視覚か聴覚のどちらか片方だけで済ませており、魔力の節約をしている。今回はそれを全て切るだけの話だ。一度繋いでしまえば解除の魔法をかけない限り、同期が完全に途切れる事はない。


 とはいえ、ペンギン魔法の多用は身体に負担がかかる。普段は併用もしないが、今は別だろう。


「……さて、それじゃあ私は行ってくるペン。……メメア」


「はい。治癒士を集い、待機させておきます。それと、ジンル城跡の付近の調査と魔獣の殲滅依頼を出しておきます」


「よろしくだペン。遠話魔球は常に確認しておけペン」


 そう言うと、ソフィアは窓の外に飛び出した。三階の高さから飛び降りたソフィアの身体は、重力に逆らわず勢いをつけて落ちていく。


 そしてちょうど二階付近まで落ちると、ソフィアは翼状の手で器用に指を鳴らし、


「さぁ、急ぐペンよ」


 自在魔法で生み出されたのは細長い氷の道。空中に現れた氷の道は人が一人通れる程度の幅を持ち、華奢な音を立てながら伸びていく。ソフィアはそれにうつ伏せになって乗りこむと、魔法で風を起こして自身に勢いをつけた。


 氷の道の上を、腹で滑りながら駆ける。馬車も魔動車も比じゃない速度で、ソフィアは王都を空から出た。


 ☆


 ペンギン魔法、その身体は滑るためにあるツルツルペンギンは、ソフィアの全身を滑りやすくする魔法だ。腹だけじゃなく、全身が全ての物質を滑らせる。そのため、本来の使い方は相手の攻撃を受け流す防御方法である。物理的な攻撃も魔法の攻撃も、今のソフィアには通じない。だが、例えば炎の熱を受け流す事はできないので、使い所はそこそこ限られてくる。……まぁ、魔法を受け流せば周りに被害が出るので、場所も選ぶ必要はあるのだが。


 しかし、移動方法として使えばそこそこ優秀だ。ソフィアが王都を出て数十分。ジンル城跡が遠目に映ってきた。だが、この距離では目視も音で確認もできない。


「……こんな時は、シャガリアの『千里眼』が欲しくなるペンね」


 身体強化魔法は視力まで補わないので、使っても意味がない。流石の月明かりでも、遠くの景色の夜を晴らすには力不足だ。


 ソフィアは更に風を生み出し速度を上げて城下町跡に辿り着くと、中心を通る大きな一本道に降り立った。正直、辺り一帯を空から見回したいところだったが、二つのペンギン魔法、そしてジンル城跡まで作り上げた氷の道のせいで、魔力の消費はかなり大きい。一応、空間収納魔法に保険で回復促進薬が入っているが、あくまで促進薬だ。急激な魔力の回復は期待できない。


 自身にかけたペンギン魔法を解除したソフィアは、周りを見回す。家や商店の残骸はいつ朽ちてもおかしくない程風化しており、石畳の地面は所々に大きな亀裂が見られる。かつてここにあった小国は百年以上前に滅びているが、それでも当時の人の営みの跡は消える事なく残っているようだ。


 月の光に照らされた城下町の跡は、怪しげな空気を醸し出している。城下町跡の周りも木や草が生い茂っているものの、空から見た時は見通しは悪くない。街の中も一通り見て回るが、真新しい戦闘の跡は見られなかった。


「……となると、城の中にでも逃げ込んだのかペン?」


 呟き、ソフィアは空間収納からメメアへ繋がる遠話魔球を取り出した。


「メメア、聞こえるかペン?」


『……はい。聞こえています』


「こっちは目的地に辿り着いたペン。とりあえず、街の跡に人の姿はないから、城の方に行ってみるペン。お前の方から救援対象に連絡はできるペン?」


『やってみます。それと、やはり周囲の傭兵達は宿で休んでいるようです。一応、依頼の入ってない夜目のきく獣人族を集めておきます。ただ、場所と時間を考慮すると、増援はあまり期待しないでください』


「分かってるペン。それじゃ、頼むペン」


 遠話魔球に流していた魔力を切り、再び空間収納にしまい込む。ここまで、魔動車を使っても一日はかかるだろう。有翼の獣人族なら移動も早いが、彼らは一様に夜目がきかない。


 ふぅと、ソフィアは息を吐いてもう一度あたりを見回す。メメアにも言ったが、この辺りにいないのなら残りは朽ちた城の方だろう。……或いは既に死んでいて、死体がそこら辺に転がっている可能性もあるが、


「……考えるなら良い方に、だペンね」


 言い聞かせるように呟き、鰭のついた足を城へ向けた。


 周囲への警戒は怠らず、青い双眸に朽ちた城を映す。廃れた街の中を跳ねるように走ると、ペタペタという足音以外は何も聞こえない。定期的に騎士達が見回っているおかげだろうが、魔獣の息もしない。こういった家屋が残っていると、大抵ゴブリンやオークなど、人の形をした魔獣が棲みつくものだ。


 救援対象である討伐者がどんな魔獣討伐の依頼に向かったのかは知らないが、騎士達を差し置いて《アファリア》に依頼が来たのなら、そこそこ差し迫った状況だったのだろう。または、依頼者が騎士嫌いだったか。


 益体のない事を考えていると、すぐに城に辿り着いた。間近で見ればやはり大きい。朽ち果て、所々に穴が見られるが、それでも城としての威厳は健在だ。小国とはいえ、魔獣と戦いながら生きてきた歴史は確かに残っているのだろう。最終的に王族は死に絶え、残った僅かな人々は他国へ避難して滅んでしまったが、象徴であった城はまだその役割を果たそうとしている。


「……何も変わらないペンね、ここは」


 懐かしむように呟くと、崩れかけた城の門を跳び越える。雑草が生える庭に降り立ち、ゆっくり前へと進む。ここでも、やはり音は聞こえない。城の奥へ逃げたのか。傭兵を襲った魔獣の存在感すら残っていないのは、不気味を通り越して不思議でしかない。


 怪訝に感じつつ、ソフィアは片方が壊れた巨大な扉を超えて中に入る。中には、


「っ!?」



 ーー月明かりの差し込む、薄暗く広い空間。その中でひとりが離れて、そして三人が固まって倒れている。



 三人に見覚えはない。が、一人で血溜まりの中に倒れている男は、確かに《アファリア》の傭兵だ。


 四人に動きはない。生きていると望むには、酷く生気が感じられなかった。


 よく見れば、大広間の真ん中に小柄な人が立っていた。年端は十代前後か、色白で華奢な身体に紺色のローブを羽織り、フードを垂らしている。茶色の短い髪はややザンバラに乱れており、その下には薄暗い視界にもよく映える、濁った緑色の瞳が輝いていた。


「……あぁ、誰かと思えば、《アファリア》の所長さんだね?」


 見た目に合った、中性的な声が大広間に響く。


「これ、死んでるけどどうする?」


 ☆


 ーー、


 ーーーー感情が沸騰しそうになる。冷静になれと呼びかける自分と、目の前のあいつを殺せと叫ぶ自分が頭の中に入り混じる。


 仲間を殺されたという事実が、醜い憎悪を心の根から引き出した。煮えたぎる怒りで体内の魔力が溢れ出る。動かなくなった死体を目に入れる程、指が手の平に食い込んで流れた血が、着ぐるみに染み込んだ。


 歪な笑みを浮かべる目の前の男をズタズタに、惨たらしく殺したくなる衝動が全身を駆け巡る。


「…………」


 しかし、微かに残った理性がゆっくりと働きかけた。一個人のソフィアではなく、《アファリア》所長のソフィアが僅かに前に出た。


「……どうして、宮廷魔法士長のお前がここにいるペン」


 確かめるように、ソフィアは尋ねた。目の前の少年……いや、こう見えて二十五歳の男はクスリと笑い、タバコを取り出して口にくわえた。


「ちょっとした野暮用さ。野外調査でこの辺りに来ていてね。大きな魔力反応があったから寄ってみただけ。そういう君はどうして……あぁ、そうか」


 イブリア王国宮廷魔法士長、ロラン・マグリファイは指先に火を生み出し、タバコに火をつけながら言った。


「これの救助に来たんだね。でも残念だね。これ、もう死んでるよ」


 紫煙をくねらせるロランは嘲るように、濁った緑色の瞳を死体に向けて言った。ソフィアの眉が、僅かに動く。


「……お前にいちいち言われなくても分かるペン。魔獣は、この先だペンね?」


「その通り。……ふふ、僕程度を睨みつけないでほしいな。君みたいな化け物に睨まれたら、僕は何もできないよ」


「さっきから人を煽るような事を言っておいて、よく言うペン。流石、【嘲弄の天才】の名前を付けられるだけはあるペンね」


 ロラン・マグリファイ。彼は若干二十五歳で宮廷魔法士長の席に就いた、天才の一人だ。自在魔法、精霊魔法を操り、魔法陣や魔術の知識にも明るい。人族と魔族のハーフでもあるが、人族の血が濃いのか身体に魔族の特徴はない。その代わり、膨大な魔力を魔族から受け継いでいる、とも言われている。


 そんな彼についた二つ名が【嘲弄の天才】。僕程度と自分を卑下しつつも、周りを嘲笑している様子から付いた名前だと、ソフィアは聞いていた。


 ある意味侮蔑の名前だと言うのに、ロランは何も言わずそれを受け入れている。今もソフィアにその名前を言われても、歪な笑みを浮かべているだけだ。


「それで、お前はどうするペン? 私はこれから、この先にいる魔獣を殺しに行くペンけど」


「もちろん、僕もついて行くよ。まぁ、僕ごときじゃ《アファリア》の所長さんの助けになるとも思えないけど、魔獣の素材も欲しいからね」


「……好きにするペン」


 ソフィアはそう言葉を返し、転がる死体を抱えて集めて一箇所に寝かせた。着ぐるみが、傭兵達の流した血で真っ赤に汚れる。


 服を一瞬で綺麗にする魔術はあるが、戦闘を控えているなら魔力を無駄な事には使えない。仕方ないと割り切り、ソフィアは四つの死体を眺める。


 二つの死体に、左肩から腹にかけて真っ直ぐ伸びた傷痕がある。一つの死体には胸を一突きに刺された痕。残りの一つは、背中から縦に伸びる傷痕。どれも刃物、恐らくは幅の広い長剣でつけられた傷だろう。


 この時点で、ロランがやった可能性は薄れた。彼は生粋の魔法士だ。近接戦は不得手であるし、仮に魔法で剣の形をした何かを生み出して使ったとしても、こんなにも綺麗な斬り痕にはならないだろう。剣を使わない者に、剣の振り方は分からないものだ。


 だとすれば、魔獣の種類は大分絞り込めた。ソフィアは空間収納魔法から大きな黒い布を取り出し、四つの死体の上にそっと被せた。


「終わったのかい? 随分と長い黙祷だったね」


「待たせたペンね。それじゃ、行くペンよ」


 言うなり、ソフィアはロランを置いてさっさと進んでしまう。ロランも笑いながら、ゆっくりとついてきた。


 大広間は中央奥に二階へ伸びる大きな階段があり、その左右に奥へと続く通路がある。手元に弱い光を灯す光球を生み出して床を観察すれば、新しい血の跡が右側の通路へ続いているのが分かる。


「……こっちかペン」


「君は魔力探知を使わないのかい? まさか、《アファリア》の所長ともある人が使えないとは思えないけど」


「うるさい。無駄な消耗は避けるペンよ」


 月明かりの射し込む大広間と違い、通路は先も見えないほど暗い。かなり広い通路で、壁には所々に明かりを灯す魔石が埋め込まれている。しかし、その魔石はとうの昔に役割を果たしたのか、魔力を流し込んでも光る様子はない。仕方なく、ソフィアは光球の明かりを強め、それに先導させて進み出す。


 ふと、ロランが口を開く。


「……それにしても、《アファリア》の傭兵ってあんなにも弱かったものかな?」


「……それは、《アファリア》を馬鹿にしている発言かペン?」


「ふふ、違うちがう。僕ですら、《アファリア》所属の傭兵がどれだけ脅威かを知っているよ。登録するには難関の試験を突破し、一人前とみなされるクラスを得るにはいくつもの依頼を達成しなくてはならない。その上のクラスにもなると、危険度の高い魔獣を単独で相手にする事もある」


「……まぁ、それが世間一般に知られている情報だペンね」


 実力と人格が一致するかはさて置いて、という注釈がつけられるが、確かに《アファリア》の傭兵は優秀だと評価を受けている。……その分、問題を起こす事にも優秀だと言われているが。


 だから何だというソフィアに、ロランは新しいタバコに火をつけて答えた。


「……実はね、ここに来るまでに、魔獣の死骸を見つけたんだよ。何か別の戦闘に巻き込まれたみたいで判別が難しかったけど、多分あれはサブラフィクスだったね」


 サブラフィクスとは人が二人程度の大きさを持つ、危険度中の魔獣だ。でっぷりと肥えた狼の頭を切り取ったような形をしており、全身に細長い触腕を生やしている。単体でしか生息しないが、人を好んで食べる習性も持ち合わせている。


「多分、そのサブラフィクスを倒した後に件の魔獣に襲われたんだと思うよ。けど、サブラフィクスを倒せる程度の実力があっても、逃げすら許されなかったっていうのは、ちょっと異常だと思ってね」


「……つまり、お前はこう言いたいわけかペン? この先にいる魔獣は危険度が高か、それ以上の魔獣だと」


「その通り。所長さんは現役を離れて久しいんでしょ? 僕もそうだけど、所長さんは大丈夫かなって」


「……結局、私を馬鹿にしているペンね」


 心配だよ、と笑いながら言うロランに、ソフィアはため息を返す。確かに、魔力を消耗した状態で戦闘に挑むのは命知らずな行為だが、こいつに心配されるいわれもない。


「お前が心配する必要はないペンよ。伊達に《アファリア》の所長を名乗ってないペン。禁忌種でもなければ、問題ないペン」


「ふふ、老婆心だったね。所長さんの戦闘って、僕は見た事ないからさ」


「緊急時を除いて、私は現場に出ないペンよ」


「なら、今は緊急時かな?」


「うちの傭兵が殺されて、黙って見過ごすアホではないつもりだペン。それに……」


「それに?」


 ソフィアが足を止めると、自然とロランも進むのを止めた。光球の照らす先には、仰々しい装飾が施された扉が立ち塞がっている。


「《アファリア》は対魔獣の組織だペン。目の前に獲物をぶら下げられて、見逃すわけにはいかないペン」


 光球を消し、鋭い双眸の下に好戦的な笑みを携えて、ソフィアは扉を開けた。


 ☆


 先に広がっていたのは、天井はさほど高くないがやたらと広い空間。ここでも光は片側からしか射し込まず、薄暗い。何の目的でこんな場所を作ったのか、疑問を感じる前に答えはすぐに出てくるだろう。


 規則的に、それも直線に並ぶ崩れた瓦礫。よく見れば、その瓦礫は機械的に四角を描いているように思える。つまりここは、元々部屋が並んでいた空間だったのだろう。それが、今は壁が全て取り払われ、見通しのいい広間になっている。


 支えているのは、ポツポツと立ち尽くす支柱。数える程度しか立ち並んでいないが、不思議と崩れないでいる。。これも、この城が文化遺産に指定された理由の一つでもあるのだろう。


 普段なら、この空間に畏敬の念でも払っていたであろう。……だが、今はそれより注意を向けるべき存在がいる。


「……特異種、それも人型かペン。思った通りだペンね」


 ソフィアは小さな光球をいくつも放ち、部屋全体を照らし出す。明瞭になった視界に入ったのは、中央に座す二体の騎士。体長は人より、僅かに大きい程度か。全身を黒い甲冑で纏っており、傍には漆黒の長剣を置いている。


「成る程ね。これじゃ、《アファリア》の傭兵と言えど勝てないよ」


 魔獣はどこから発生するのか。繁殖する魔獣もいるが、その多くは謎のまま解明されていない。


 その中でも、特に謎が多いのが目の前の魔獣。名称は、簒奪者。危険度は高の更に上、特高であるこの魔獣は、食事もしなければ休みもしない。場所も選ばずに発生し、視界に映る獲物を全て屠るという。報告では真昼間の村で突然発生したとの情報もある。


 大きな特徴は、この魔獣に敵味方の概念はないと言われている点だ。争わないのは同族である簒奪者のみ。後は魔獣であろうと人であろうと、構わず襲ってくる。その実力は《アファリア》の殲滅者と拮抗し、簒奪者が複数である場合は殲滅者であれ、逃亡を勧めている程だ。


 これが相手なら、討伐者とクラス無しでは手も足も出なかったであろう。二体もいれば、逃げきれなかったというのも納得である。


「……で、お前はどうするペン? 一人一体、相手にするペンか?」


「もちろん……と言いたいところだけど、あれに魔法でやり合うのはキツイね。僕程度じゃ、足止めにもならないよ」


「宮廷魔法士長が何を言ってるペン。確かに魔力耐性は高いけど、お前なら問題ないはずだペンよ」


「……はぁ。これだから、知識のある人は嫌いなんだよね」


 二人が言い合っている内に、簒奪者は二人を獲物と見定めたのだろう。ヘルムの頭部から覗く虚ろな目に赤い光を宿してゆっくり立ち上がり、漆黒の長剣を鞘から抜いた。


「……ほら、漫才してたら向こうが準備万端になっちゃったよ?」


「誰のせいだペン。ほら、始めるペンよ」


 言うなり、ソフィアは全身に身体強化魔法を施して突撃した。ソフィアが得意とする空間魔法は攻撃に向いていないし、何より魔力耐性の高い相手には通じない事もある。ハーツとメメアが戦った時に模擬戦場に使った魔法もあるが、あれはそもそもその場の耐久が高くなければ意味がない。


 もう一つ、風魔法も使えるが、このいつ崩れてもおかしくない空間では、外した時のリスクが高すぎる。ロラン? ロランは自分で何とかするだろう。


「まず、一発叩き込むペン!」


 魔法が使いにくいなら、体術で攻める。簒奪者は核を持たない。故に、殺すにはあの甲冑を動けなくなるまで壊さなくてはならない。


 一回の踏み込みで簒奪者の眼前まで迫ったソフィアは、右側の敵の腹を狙い、掌底を叩き込む。翼状の手が、鈍い音を立てて簒奪者の腹に食い込む。……が、


「チッ!」


 簒奪者の体は一歩よろめいただけで終わった。勢いを乗せた踏み込みはした。掌底を繰り出したタイミングも合っていた。つまり、威力はあったはずだ。だが、それ以上に簒奪者の耐久が高かったのだ。


「っ!?」


 攻撃後の僅かな硬直。その隙を逃さず、斜め下から逆袈裟に振り上げられる漆黒の長剣。飛び退いて避けるも、もう片方の簒奪者が着地点を狙って長剣を振り下ろす。


「っ!」


 振り下ろされる刃のギリギリを見極め、身体を逸らして避けるソフィア。行き場を無くした剣が風を切り、轟音と共に地面を抉る。それを見届ける事なく、ソフィアは躱した体勢のまま後ろに跳んで一回転し、よろけた身体を瞬時に立て直す。


 ……が、暇を与えてくれる程、彼らは優しくないようだ。ふっと、飛び出したのは最初にソフィアが攻撃を仕掛けた簒奪者。長剣を構え、空中から強襲をかけようと地面に影を落とす。


「チッ!」


 それを確認したソフィアは、横に大きく跳ねて躱す。再度、轟音と衝撃が地面を抉りとる。生まれた土煙を風魔法で晴らし、相手の姿を視界に収める。


 一体はまだ硬直しており、もう一体はソフィアの元へ足を踏み出している。再び、今度は強い風を魔法で発生させ、駆け寄ろうとしている簒奪者の歩みを鈍らせる。


 その隙にソフィアは手を一閃させ、空間魔法の一種である空間切断の魔法を発動した。望むのは、簒奪者の足の切断。だが、ソフィアの手から放たれた不可視の刃は傷の一つもつけられずに消えてしまう。


「チッ! やっぱり硬いペンね」


 仕切り直し、とばかりにソフィアは飛び退く。風魔法で鈍らせていた簒奪者も追撃は無理だと悟ったのか、もう一体の硬直が解けるのを待つように歩みを止めた。


 大きく息を吐き、ソフィアは解析する。相手の速度は遅い。いや、あの身体を考えれば早い方なのかもしれない。ただ、ソフィアの脅威にはなり得ない。だが攻撃の威力は、見ればお察しだろう。少なくとも、痛いで済みそうにない。


 問題は相手の耐久だろう。物理も魔法も、通じているようには見えない。生半可な攻撃では、こちらがジリ貧になるだけだ。


 さて、どうするか。状況は最初と変わりがない。むしろ魔力を消費した分、不利になっている。さっきも先手を取ったのはいいが、攻め方を間違えてもいる。


 こうして現場に出て、危険度の高い魔獣と戦うのが久しぶりなためか、イマイチ勘が戻らない。それに加えて仲間の傭兵が殺され、多少だが精神的な動揺もあるのか。何にせよ、一旦落ち着くべきだろう。


 頭の上から生える着ぐるみの嘴を一撫でして、並び立つ簒奪者を見据える。向こうも警戒しているのか、無策に突っ込んではこない。少なくとも、さっきまでのソフィアよりは冷静のようだ。


「厄介だペンね」


「何がだい?」


「やたらと突っ込んでこない魔獣は、面倒だと言っているんだペン」


「成る程ね。……それはそうと……」


 前触れもなく、背後から飛んできた燃える何かがソフィアの横を掠める。


「ーー僕を忘れないでよね」


 声と共に、二体の簒奪者が大きく吹き飛ぶ。地面を跳ねて転がる簒奪者に、更に炎の刃が降り注ぐ。


 クスクスと、豪炎の音に紛れて笑い声が聞こえた。


「……一人で突撃は愚策だよ、所長さん。少し、頭に血が上ってるんじゃないのかな?」


「……うるさいペン」


「仲間がやられて苛立つのは分かるけど、戦いは冷静にいかないとね」


 紫煙をくねらせるロランは、濁った緑色の瞳を楽しそうに細めた。


「約束は一人一体、でしょ? 所長さん一人で、二体を相手にしようとするから面倒になるんだよ」


「分かってるペンよ」


 無意味にローブをはためかせるロラン。バツの悪そうな顔をするソフィアに嫌味な笑い声を送って、一歩前に出た。


「さぁ、ここから仕切り直しかな。あの魔獣を、グチャグチャにして殺してあげ……」


「…………? ロラン?」


「…………うぷ」


 不意に途切れた、ロランの言葉。簒奪者から注意は逸らさずに視線を後ろに向けると、タバコを地面に落とし、青ざめた顔で口を抑えるロランがいた。


「ロラン? どうしたペン?」


「…………」


「ロラン?」


「…………ぶげぁっ!」


「お前、どうしたペン!?」


 突然の吐血。慌てて結界を張りロランの元へ駆け寄ると、彼は息も絶え絶えに地面に倒れこんだ。


「な、何がどうしたペン!?」


「……く、薬……が」


「は? よく聞こえないペン!」


「……薬の効果……が……切れたよ」


「……………………は?」


 ふと、ソフィアの脳裏に蘇る事実。


 そういえば、ロランの体は膨大な魔力を宿す代わりに、極端に病弱だと聞いた事がある。有り余る魔力の九割は制御できているが、残りの一割は薬の効果で無理矢理抑え込んでいると。


 常人なら、そんな状態で魔法を使えば身体が弾け飛ぶが、ロランはそれでも高度な魔法を使い続けている。しかし、薬の効果が切れれば身体は魔力に冒され、壊れてしまう。


 つまり、薬が切れたこの状態は、非常にマズイという事になる。


「アホかーーーー!!」


 ソフィアは急いでロランのローブを探り、薬を見つけ出して口に突っ込んだ。薬の効果がどんなものかは知らないが、飲ませないよりはマシだろう、と判断したのだ。


「お前は、お前は本物のアホだペン! この状況で何やらかしてるんだペン!」


「……ふふ……笑えるね」


「笑えないペンよ、このドアホが!」


「……ふふ……ふ……ふ」


 そのまま、ロランは静かに瞼を下ろした。息はしているから、生きてはいるのだろう。戦闘で使い物にならなくなったが。


 ロランが気絶したからか、簒奪者達に降り注いでいた炎の刃が収まる。 同時に、煙の中から簒奪者達がソフィアに向かって歩みを進めているのが見えた。


 緊張が、一息にバラける。


「…………はは、ははは。なんか、一気に喜劇の役者になった気分だペン」


 ゆっくり、ソフィアは立ち上がって笑みを浮かべた。


「……もう、さっさとお前らを殺して帰るペン」


 何かが吹っ切れたソフィアは、手を一振りして黒い魔力を発生させる。そして唱えるは、ペンギン魔法の詠唱句。


「ペンギン魔法ーー喰らい尽くすペンギンの嘴パクパクペンギン


 黒い魔力がソフィアの左右に分かれ、それぞれに集結し始める。高密度の魔力が、何かを形成し始める。本当なら、ペンギン魔法を使う気は無かった。魔力を消耗するし、ロランの目もあった。……しかし、今のソフィアにどちらも気にする必要はなくなった。


 ガチャリと、簒奪者達は剣を構えて走り出す。本来、感情を持たないはずの簒奪者。だが、そんな彼らでもソフィアが繰り出そうとしている魔法に脅威を感じたのか、戦闘当初に見せていた余裕はなくなった。


 真っ直ぐ突撃してきた二体の簒奪者が左右に分かれるように進路を変え、更にソフィアに狙いを定めて大きな踏み込みをする。踏み込みの衝撃で地面が抉れ、重量のある漆黒の刃がソフィアの身体を裂こうと振り下ろされる。


 ペンギン魔法はまだ完成していない。だが、ソフィアはその場から動こうとはしない。挑発的な笑みを崩さず、迫り来る攻撃を待ち構えている。


「緩いペン」


 ーー途端に、鈍く重々しい轟音。クラス持ちの傭兵であっても、まともに受ければ免れない。だが、ソフィアは振り下ろされた二本の長剣を、それぞれ片手で受け止めた。衝撃で、ソフィアの足の形に地面が陥没する。


「この程度の斬撃じゃ、着ぐるみすら斬れないペンよ?」


 受け止めた長剣の刃を握り締め、思いっきり引く。上手くいけば、簒奪者達のバランスを崩す事ができる。だが、それを察したのか、簒奪者達は自分たちの得物を手放し、大きく後退した。


 ーーしかしそれもまた、ソフィアの予想の範疇。


「頭が足りないペンね!」


 長剣を投げ捨て、簒奪者達の後退の着地に合わせて距離を詰める。速度はソフィアが遥か上をいく。刹那で簒奪者達の眼前に迫ったソフィアは小さく跳ね、彼らの頭部を翼状の手で掴み、


「そんな頭は必要ないペンよ!」


 風魔法で自分の背中を押し、簒奪者達の後頭部を地面に叩きつけた。衝撃で一瞬浮き上がる、簒奪者達の身体。同時に、背後のペンギン魔法が完成した。


「さて、仕上げペンね」


 声と共に巻き上がる突風が瞬間的に発生する。支柱が軋む程の風が竜巻のように起こり、簒奪者達の身体が宙に浮き上がった。


 僅かな間、宙ぶらりんになる簒奪者達。それでも魔獣としてのプライドがあるのか、はたまた獲物への飽くなき殺意がそうさせるのか、彼らは空中で体勢を立て直し、眼下のソフィアに反撃を仕掛けようとした。


 ただ、それももう遅い。


「喰らえ」


 突如、眼前に現れたのは鳥の嘴のような真っ黒いモノが二つ。それはパックリと口を開けると、簒奪者達の両足に噛り付いた。


 そして、彼らの両足は消えた。彼らは痛みを感じない。故に、何が起こったのかも分からなかった。


 ただ、絶対的な耐久を持っていた自身の身体が、なす術もなく喰らわれた。それだけは理解できた。


 理解したからと、彼らのやる事は変わらない。まだ動く両手があるなら、獲物の首を絞めて殺せる。本能が身体にそう教え、まだ宙ぶらりんの状態のまま、ソフィアに向けて両手を伸ばす。


「飽きれるペンね」


 青い双眸が、蔑むように見上げた。それを遮るように漆黒の嘴が目の前に現れ、



 ーー頭部を残して、簒奪者達はペンギンの嘴に啄まれた。



 ☆


 カランカランと虚しい音を立てて、中身のない頭部が転がる。頭だけになれば、簒奪者と言えど動く事はない。


 それを確認したソフィアは崩れるように地面に座り込み、安堵混じりの息を吐いた。


「……はぁ。疲れたペン」


 ばら撒いていた光球を一つだけ残して全て消す。辺りに魔獣の気配はないし、もう簒奪者が襲ってくる事もない。残した光球を手元に寄せ、空間収納魔法から遠話魔球と、ついでに回復促進薬の入った瓶を取り出した。


 不透明な液体をチビチビと飲み、ソフィアは遠話魔球に魔力を流す。


『はい。こちらメメアです』


「あー、メメア? こっちは終わったペン。回収に来てくれるとありがたいペン」


『……空間転移で帰って来られるのでは?』


「残念ながら、そんな魔力はもうないペン。あと、死体が四つ、それと気絶した馬鹿が一人いるからよろしくだペン」


『……分かりました。死体はどちらに埋葬されますか?』


「《アファリア》の墓地だペンね。後の細かい事は、帰ってから話すペン。とりあえず、早めの回収をお願いするペン」


『分かりました。すでに人は集め終えていますので、魔動車を使って向かわせます』


「はい、だペン」


 そして魔力は切れる。魔動車なら、一日もすればここに辿り着くだろう。それまでの辛抱だ。


「……とりあえず、安全な場所に移動するペンね」


 まずは倒れた馬鹿の回収だと、ソフィアは空になった瓶を空間収納に突っ込んで立ち上がった。

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