閑話1ー見習い護衛士と偶発性の召喚士


 ・見習い護衛士、アランの日常。


「アラン! 左だ!」


 ビルドの野太い声を受けて、馬車の横に立っていたアランは魔操銃を構えた。林の中から現れたのは人ほどの大きさを持つ狼。陽に照らされて真っ赤に輝く毛を持つそれの名はデミアウルフ。狼種の魔獣では、最も一般的な奴だ。


 馬車との距離はおよそ五十メートルもない。アランは銃口をデミアウルフに向け、狙いを定める。狼種は足が速い。目の前の個体も例に漏れないが、的として見ればかなり大きい。


 一般人ならまだしも、クラス無しとはいえアランも傭兵だ。この距離で外す事はない。アランはぶれる銃口を止め、デミアウルフの頭を狙って引き金を引いた。


「……あれ?」


 出たのは、カチッ、という間抜けな音だけ。期待した魔弾は視界に映らない。


「え? えっ?」


 魔操銃を構えたまま、何度も引き金を引くが、一向に魔弾が出る気配はない。よく見れば、魔操銃内の魔力の残量を示す魔石は色を失っていた。


「あ、魔力が切れてる」


「ドアホ!」


 血飛沫が跳ねる。呆然とするアランの頰に血が張り付き、足元に惰性で滑るデミアウルフの死骸が転がってきた。


「馬鹿野郎! 魔力の管理くらいはしっかりやっとけ!」


 怒声を飛ばす護衛士のビルド。彼はアランに魔獣の相手をさせるのを諦めたのか、自ら前に出て残りのデミアウルフ達を斬り捨てていた。


 その太刀筋は鮮やかで、アランはすっかり見惚れて立ち尽くしてしまう。が、


「お前はやる気あんのか! さっさと魔力を補給して周囲を警戒しろ!」


「は、はい!」


「そんなんじゃいつまで経っても所長にサインなんか貰えないぞ!」


「っ!? はいっ!!」


 無駄に良い返事をし、慌てて魔石に魔力を流し込むアラン。彼と同じく馬車の周囲を守るクラス無しの何人かも、呆れたように、または苦笑いをして一瞥していた。


 馬車の中にいる護衛対象の婦人も、アランを見てクスクスと笑っている。もちろん、焦っているアランが気がつく事はない。


「おら、お前ら! そこのバカを見てないで仕事しろ!」



 ……結局、アランが魔力の補給を終える頃には魔獣の襲撃は終わっていた。アランが後で、いつも以上に角を大きくしたように見えるビルドに怒られたのは言うまでもない。



 ・偶発性の召喚士、弟子入り三日目


 クラス無しの召喚士、ユーグス・コーネリアがガグリアンの街にたどり着いたのは三日前。そして【創り手】の名持ちであるゼファロ・デリ・アルファードの工房へたどり着いたのがその次の日である。


 ゼファロの工房兼家は街から少し外れた所にあった。見た目は大きめの一軒家といったところで、木造で、赤い屋根がよく映えている。周りにはほとんど何もない。ポツンポツンと木々が寂しく立っているだけで、何とも寂寞とした光景だ。


 そんな家の横で、ユーグスはイーゼルに真っ白いキャンバスを乗せ、にらめっこをしていた。パレットと筆を持ち、椅子に腰掛けて緑の瞳に真摯な色を宿すその姿は、見ようによっては画人とも言えなくない。


 もちろん、人気のないこんな場所で彼を眺める者などいないのだが。だから不意に、筆を放り投げて項垂れても、怪訝な目で見る者は一人としていなかった。


「……あー! ……何これ」


 ボソリと、ユーグスは愚痴を零す。


 ソフィアとメメアにゼファロの住む場所を紹介された。理由は、偶発性の高い召喚術を使いこなすため。それはいい。


 問題は、そのゼファロに言われた内容だ。彼曰く、


「一度、自分の心と向き合うべきだと、私は思うよ。君は自分の精神を律していない。そう、まるで原生生物のリッシアのようにね。……あぁ、今のは洒落だよ。笑ってくれ」


 リッシアとは、森に生息する小型の獣だ。姿はリスのようで、好き勝手に行動し、恐怖心を持たない生物として知られている。


 ……いや、それはどうでもいい。大事なのは前半。


「……自分の心と向き合え、って言われても。何でそれが絵に繋がるんだろ」


 ゼファロに示された最初の課題が絵を描く事。今朝は朝食を終えて早々、彼の物であろう画材を押し付けられ、好きな風景を描いてこいと言われたのだ。


 期限は定められていない。が、あまりトロトロしている場合でもないだろう。所長の命令とはいえ、長期間傭兵の仕事から離れるわけにもいかない。とっとと魔力を操る術を覚えて、帰らなくてはならない。


 現時点では、その先行きは透明度ゼロなのだが。そう考えついてため息を吐くと、背後から通りのいい声が聞こえてきた。


「調子はどうかな、ユーグス君。ゆー飯を食べてグースカ寝れるまでには終わりそうかね?」


「あ、ゼファロさん。その、まだまだです」


「そうか。まぁ、芸術は一日にしてならない。ゆっくり、自分と向き合えばいい。……それと、さっきのは洒落だ。笑ってくれ」


「……あは、ははは」


 ゼファロは今年で五十五になるエルフ族の男性だ。しかし、エルフ族の長命のせいか、老いは一切見られない。長身痩躯に纏うは丈の長い白衣。澄んだ青の瞳は切れ長で、長い金の髪を三つ編みにしている。


 まさしく理想的なエルフ族の容姿、といったところだ。簡素な服を纏っているが、同じ男性のユーグスから見ても、色気が漏れ出ている。


「ふむ。見たところ、まだ迷いがあるようだ。話してみたまえ」


「え? 何をでしょうか?」


「自分の迷いだ。これでも私は君より長く生きている。見たもの、聞いた事は君より多いと自負しているよ。そんな私なら、君にアドバイスできる事もあるだろう」


「はぁ」


「さぁ、話してみたまえ。何、恥ずかしがる事はない。誰だって迷いは持つ。私に任せれば、まぁ、宵の口には解決するが」


「えぇ、と、あはは……?」


「そう。今のが洒落だ。もっと笑ってもいいぞ?」


 苦笑。だが、ゼファロの目は確かにユーグスに向いている。


 ゼファロに問われて、ユーグスは迷いについて考える。彼自身、迷っている事はないと、そう思っていた。やる事ははっきりしている。魔力を正しく操り、召喚術を制御する。そのために、ここにいる。


 ゼファロに示された方法に感じるのは疑問だ。絵を描いて、魔力の制御が上達するのか。……するわけがない。そんな方法で上達するなら、世の中はもっと魔法士で溢れている。そう、ユーグスは答えを出している。


 なら、何故? ゼファロは誰だって知っている高名な魔法士だ。芸術家としての名も高いが、その本質は高精度の魔法にある。と、ユーグスも知識として知っている。


 そのゼファロが言う事なら、それが正しいのではないか。彼の中に、また疑問が現れる。彼ほどの魔法士なら知られていない高みも知っているだろう。そこへ辿り着くための近道が絵を描く事、なのかもしれない。


 結局、示された手段に対する疑問は消えない。自分の常識が正しいのか。あるいは、ゼファロを盲目的に信じるべきなのか。……確かに、これを迷いというなら迷いなのだろう。答えを出すには、何もかもが足りない。


 そこまで行き着いて、ユーグスはふと、言葉を漏らした。


「……何をすればいいのか、それが分かりません」


「……ふむ?」


「俺は、召喚術を制御するためにここに来ました。でも、絵を描いてそれができるのか、分からないんです」


「……成る程」


 ゼファロは顎に手を当て、澄んだ瞳で虚空を見つめる。それから少しして、彼は迷いなく言葉を紡いだ。


「ーー無理に決まっているだろう」


「……へ?」


 耳朶を打った正解に、ユーグスはポカンと口を開いた。


「絵を描いて召喚術が制御できるわけがない。絵と召喚術には、何の関係性もない」


「な、なら何で絵を……」


「今の君に、正しく魔力を扱う事など無理だからだ。いや、今だけじゃない。永劫、無理だろう。確かに、君には身の丈に合わない魔力を宿している。エルフの私から見ても、異常な程の魔力だ。正直、どうして身体に異変をきたさないのか、不思議でしょうがないんだ。それを扱うなど、人族の君では一生かかっても不可能だよ」


 ゼファロはユーグスを椅子から退け、今度は自分が座った。すると、どこからか取り出した筆をおもむろにキャンバスに走らせた。


「溢れる魔力は制御できない。当然だ。器に見合わない水を、壊れた蛇口で出すようなもの。土台無理な話だ。……だが、君の一番の問題はそこじゃない。未熟な精神と、未熟な召喚術。何より、感情に踊らされている事が問題だ」


 無造作に、色が付いていないはずの筆を走らせるゼファロ。だが、キャンバスには目の前の景色が鮮明に、色を付けて描かれている。


「感情を制御するには何が必要か。答えはない。なぜなら、感情を制御する必要などないからだ。自分を知り、理解し、受け入れる。それこそが感情、心だ。心を制御する意味はない。己を律し、心に振り回されない精神を持てばストッパーは必要ない」


 風景を切り取ったような絵が、キャンバスに写し出される。そこに、ゼファロは更に筆を入れた。


「だからそこ、絵を描く。いや、絵だけじゃない。自己を表すものなら、何でもいい。漠然としたものに形をつけ、目の前に現す。心を知るには、それが一番の近道なのだよ」


 最後に、ゼファロのサイン。描き終えた彼は椅子から立ち上がり、満足そうに絵を眺めた。


「感情は、心は変化する。変換された文字のように。正解はない。あったとしても、他人には一切理解されないだろう。だが、それでいい。その正解こそが、自分の心の根本。そして根本を理解すれば、壊れた蛇口は直る。魔力は、感情に惹きつけられやすいからだ」


 ゼファロは立ち尽くすユーグスの頭を、くしゃりと撫でた。


「正直になればいい。まずは見たまま、感じたままを絵に描く。それが、君がすべき事だ」


 そう言い切ると、ゼファロは家の中に戻っていった。残されたのはユーグスと、ゼファロの描いた絵。


 寂寞とした、簡素な風景。色も淡く、誠実に目の前の風景を描いているように見える。ただ、一つ違うとすれば、所々に朧げな輪郭を持った小さな球体が幾つも浮かんでいるだけ。


 これが何なのかは、ユーグスには理解できない。が、これがゼファロから見た目の前景色という事なのだろう。


 言われた事は十全に理解できていない。言葉の洪水に流されただけで、意味を砕く暇はなかった。が、彼の言いたい事は分かった。それに、彼の心にはソフィアに言われた事が刻まれている。


 何も信じられないなら、所長だけは信じる。


「自分に素直に、忠実に」


 まずは自分を見つける事から始めよう。ユーグスは椅子に座って、キャンバスに向き直った。

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