殲滅者の『千里眼』は変態です

 二


 傭兵のクラスには上級クラスというものが存在する。


 一定以上の信用と実績を積み重ねた者にしか与えられない称号であり、依頼の幅もより専門的かつ難度の高いものになる。


 しかし、上級クラスを持つ者は総じて頭のネジが一、二本抜けている。


 そしてソフィアの胃はより崩壊に近づくのだ。


 ☆


「クラス殲滅者のシャガリア・ニズ・テンメイが依頼から帰ってきたようです」


 今日もいつもと同じように書類を捌いていたソフィア。時間は昼になりかけた頃、メメアは唐突にそう告げた。


「シャガリアがかペン? 何の依頼を受けていたんだペン?」


「ここ一ヶ月は商団の護衛と、行った先で魔獣の掃討をしていました。本来は前者だけの依頼でしたが、本人の希望で後者も行なっていたようですね」


「……どうして護衛の依頼が殲滅者に回ってるんだペン。また職員の勝手かペン?」


「いえ、その時にちょうど長期依頼を受けられる護衛士がいなかったからです。商団の団長さんも了承済みの上で、殲滅者のシャガリアに依頼を当てたようですね」


 手元のファイルを見つめながら、メメアは淡々と答える。


 殲滅者は討伐者の上級クラスに当たる。シャガリアもその中の数少ない一人だ。狐人族の彼は卓越した魔法技術を持ち、合わせて獣人族の最大の長所といえる高い身体能力を生かした接近戦もこなす、万能型の傭兵だ。


 二十五歳という若さで上級クラスにまで到達しているのは伊達ではない。戦闘能力でいえば《アファリア》の中でも上位に位置するため、本来であれば帰還の情報は喜ばれるはず、なのだが。


「……シャガリアは、ここにいるペン?」


「はい。今は依頼の報告書を書いているかと」


「……ペン」


 ソフィアの顔色は芳しくない。向かい合って立つメメアも、無表情の中に僅かに嫌悪の色を滲ませている。


「……まぁ、帰ってきたものはしょうがないペン。さっさと次の依頼を与えて遠ざけるペンね」


「そうですね。……それにしても、殲滅者に護衛を、それも一ヶ月近くも任せるなんて奇特な商団もいるんですね」


「おおらかな商団もいるんだペンね。まぁ、個人的には一ヶ月と言わず三年くらいよそに行っていてほしかったけどペン」


「それに関しては同意します。彼がいるとセクハラ被害を訴える女性職員と傭兵が絶えませんので」


「シャガリアが帰ってきたって、職員達には伝えたペン?」


「当然です。現在、表に出ている職員は皆んな男性です。女性の方々には奥に引っ込んでもらいましたので」


「よくやったペン。あのスケベ野郎は油断するとすぐに視姦するペン。しばらくはそうするしかないペン」


「気休めにしかならないんですけどね」


 それでもと、ソフィアは言う。やらないよりはマシだと。


 無言で頷いたメメア。それと同時に、壁にかかっていた時計がポンポンと音を出した。


「……昼休みだペン。私は近くの店でお昼を食べに行くけど、メメアはどうするペン?」


「ご一緒します。今日は急ぎの仕事もありませんので」


 嫌な事はさっさと忘れよう。何もしていないのに疲労感を露わにする二人は、同じタイミングで嘆息を吐いた。


「美味い飯で気分を誤魔化すペン」


 ソフィアは高めの椅子から跳ねるように降り、メメアを連れてペタペタと所長室を出た。


 ☆


 今日のお昼は《アファリア》本部の近くにある大衆食堂〈さざめき亭〉。朝から夜まで、常に人の声の絶えない程の人気があるこの店は、《アファリア》職員にも贔屓にされている店でもある。


「いらっしゃい! って、所長さん!来てくれたんですね!」


「来たペン。とりあえず適当な飲み物と、あとは今日のおすすめを一つ。メメアはどうするペン?」


「私も所長と同じものを」


「はいよ!」


 多様な人の声が行き交う〈さざめき亭〉の店内はかなり大雑把だ。だだっ広い木造の店内に、無造作に配置された四人がけのテーブ席がいくつもある。店員がそこら中を駆け回っており、厨房のある奥からは怒号にも似た声が頻繁に聞こえてくる。


 昼時だから余計に忙しいのだろう。ソフィア達が何とか空いている席を見つけ出して座ると、最初に声をかけて来た女性店員が二人の前に水を置いた。


「忙しそうペンね。相変わらず繁盛しているようで良かったペン」


「あははー。いやもう忙しすぎて嬉しい悲鳴ですよー。ローテーションが厳しくて身体も悲鳴を上げてたりー」


「人手不足なのですか? これだけの人気店なら、募集すればすぐに来そうなものですが」


 二人を応対しているこの女性店員。人好きのしそうな笑顔に短い茶髪の特徴を持つ彼女は名をタオといい、《アファリア》で傭兵もやっている、いわゆる二足の草鞋を履いている人でもある。


 元々は彼女の父親が〈さざめき亭〉の店主と知り合いで、その繋がりで彼女も店主と顔見知りになっていた。彼女の父親は傭兵業をこなしながら店について色々とアドバイスをしていたようで、店のメニューから店の作りまでその人の言葉を参考に作り上げたと言われている。


 父親が亡くなってからは彼女も店の手伝いをしたいとソフィアに直談判し、ソフィアもそれを了承。晴れて、二年前から〈さざめき亭〉で働くことになった訳である。


 もちろん、第一は傭兵業である。ソフィアが副業を認めた条件でもあるため、彼女もそこは弁えている。しかし、タオは採取者のクラスを持っているためそこそこ忙しいのだが、それでも店の手伝いを辞めない辺り、かなり入れ込んでいると言っていい。


「人は入るんですけどねー。長続きしないんですよー」


「まぁ、これだけ忙しいならそれも分かるペン。だからといって……」


「あははー。だいじょーぶです。傭兵の人を勧誘はしませんよー」


 ではー、とタオは店の裏に戻って行く。やはり昼時は、長話をしている余裕はないようだ。


「タオは相変わらずペンね。身体を壊さなければいいけどペン」


「彼女の依頼評価は常に高いので、手を抜いているわけでもないようですね。あまり疲労が溜まった状態で外に出られても困りますので、注意して見るように職員に伝えます」


「そうしてくれペン」


 そう言って、翼状の手でカップを持って水を飲むソフィア。多種族国家であるイブリア王国の王都だからか、〈さざめき亭〉に来る客も店員も様々な種族が揃っている。


 猫人族や犬人族などの獣人族、鬼族や森人族。こうして改めて見ると、実に多様性があって面白いとソフィアはあっちこっちに目を向ける。


 視線をグルリと回し、入り口付近にまで視界を入れると、ソフィアの動きがピタリと止まった。


 目に入ったのは長い黒髪と、頭から生える三角の耳を持つ若い男。混雑した店内でもよく目立つ、長身。この辺りでは見かけない、紺色の生地を使った民族風のゆったりとした服を纏っている。


 そして、両目を覆うように赤い布を巻いている。


 以上の情報が頭に入った瞬間、ソフィアはメメアの頭を掴んでテーブルに顔を伏せさせた。


「……パワハラで訴えますよ?」


「違うっ。あいつ、シャガリアが入って来たペン」


「……前言撤回です。今日と明日は残業をして所長を手伝います」


 自分も同じように顔を伏せ、囁くようにメメアと会話をするソフィア。ここに、ペンギンの着ぐるみをは何よりも目立ちますよと、ツッコむ人はいない。


 そうとは気がつかない二人はテーブルを見つめながらヒソヒソと会話を続ける。


「……それにしても、もう報告書を書き終えたんですね。一ヶ月分の量があるはずですから、二、三日はかかると思っていたんですが」


「……ただのお昼休憩じゃないかペン? いくらあいつでも腹は空くペン」


「……いえ、あの変態の性格から考えて、途中で止めるとは思えません。恐らく、すでに書き上げています」


「ありえないペン。そんな能力があったら、今すぐにでも職員側に勧誘……はありえないペンね。今いる職員が皆ボイコットしちゃうペン」


「護衛中、あとは寝る前に書いてたんだ。だから、早く終わったんだ」


「……成る程、それなら納得です。仕上げ作業なら、午前中に終わりますしね」


「……まぁ、一ヶ月間の事なんか憶えてる訳ないからそうして当然ペンね。それよりメメア、席を変えないかペン? ここにいると空気が悪くなって仕方ないペン」


「賛成です。タオに言って、席を変えてもらいましょう」


「それは無理だ。もう他の席は埋まってる。諦める」


「…………」


「…………」


 ゆっくりと、伏せていた顔を上げる二人。四人がけの席に向かい合って座る二人の真ん中、そこには狐人族であり《アファリア》で殲滅者のクラスを持つシャガリアが座っていた。


「お久しぶり。所長もメメア嬢も元気そうで何よりだ」


「……よく、ここが分かったな、ペン。その目が憎らしいペン」


「ペンギンの格好をした人は所長以外にいない。そして、そこまでブカブカの下着を着けている人もそういない」


「ぶ、ブカブカの下着なんか着けてないペン!」


「黒い、大きな下着だ。言いたくないが、所長は体つきが貧相だ。もう一度、自分を見つめ直した方がいい」


「ぐっ!? だ、だからこいつは嫌なんだペン」


 図星を突かれたのか、ソフィアはシャガリアを青い瞳で睨みつけた。


「メメア嬢も……相変わらず色気のない下着だ。少し、結婚適齢期だと自覚した方がいい」


「……余計なお世話です。あなたこそ、私より二つ年上なんですから言動を弁える事を覚えてはいかがですか?」


「我慢は身体に毒。メメア嬢はもっと開放的になるべきだ」


「ご忠告、ありがとうございます。ですが、開放的になりすぎて変態と化すのはもっと嫌ですので」


 淡々と、舌戦を繰り広げるメメアとシャガリア。一瞬でガラリと変わった空気に、周りに座る人達も何事かと視線を向け……そして三人を確認するとすぐに元の状態に戻った。


 これ、もう街の人たちは見慣れてるって事ペンよ、と心の中でボソッと呟いたソフィアは、睨み合っているように見える二人にため息を吐いた。


「所長、ため息は胸も逃げる。いつもニコニコ笑えば胸も大きくなるんだ」


「そんな訳あるかペン!」


「ある。雑貨屋のラナ嬢はニコニコしていて胸もデカイ。立派な証明だ」


「そいつがたまたまデカイだけペン! どこが証明だペン!」


「しかし、ラナ嬢は最近会ってくれない。私が行くと奥に引っ込んでしまうのだ」


「明らかに警戒されてますね。当然ですが」


「それはない。そうだとしても、『千里眼』には無意味だ」


『千里眼』とは、シャガリアの持つ異能である。


 時折、およそ何千万人に一人の割合で魔法、魔術とは関わりのない能力を持って生まれてくる者がいる。シャガリアの場合は『千里眼』と呼ばれる能力を持っており、視界の及ばない遥か遠く、壁があっても見通すことができる力を持っている。


 だから両目を布で覆っていても問題なく動け、服の上からでも下着を覗け、シャガリアの能力を知る者には避けられるのである。


 それでも《アファリア》が彼を手放さないのは殲滅者の上級クラスを持っており、それに見合う戦闘能力を持っているからであろう。でなければ、今頃この男は獄中死していてもおかしくない。


「ホント、最低の使い方ペンね。どういうつもりでお前に能力をやったのか、神がいるなら訊いてみたいペン」


「むしろ、神などいない、という証明になるのではないでしょうか? こんな最底辺の変態に希少な能力を与えるのですから。もしいたとしても、余程の変態ですよ」


「言いたい放題だな。神の有無はどうでもいいが、私がただ下着を見に所長達の所へ来たと?」


 違うペン? と青い瞳で問いかけるソフィア。シャガリアは口元に笑みを浮かべ、三角の耳を跳ねさせた。


「私の本分は傭兵だ。己の欲求を満たすために生きている訳ではない。……下着を見たいなら店の外からでも見れるからな」


「私の長剣の錆になりたいペンか?」


「遠慮願う」


「……所長、話が進みません。つまりあなたは、正当な用事があってここに来たと、そう言いたいんですね?」


「その通りだ、メメア嬢」


 と、シャガリアが頷いたところでソフィアとメメアの前に料理が運ばれた。もちろん、男性店員だ。《アファリア》からほど近い〈さざめき亭〉でも、シャガリアの噂は徹底的に広がっている。シャガリアがいる席に、タオが、女性の店員が来るわけがない。


「……とりあえず、先に飯だペン。仕事の話はあとにしたいペン」


「そうですね。折角のお昼が台無しになってしまいそうです」


 今日のおまかせは魚の煮付け定食。〈さざめき亭〉のメニューにハズレはないが、魚料理に関しては大当たりしかない。その事を知っているソフィアは僅かに口元を綻ばせ、翼状の手でフォークを持って食べ始めた。


「シャガリアも、何か頼むペン。話は、《アファリア》に帰ってからするペン」


「そうしよう。……あぁ、その前に、お土産があったんだ」


「お土産? 随分と殊勝な心がけですね」


「商人達の街、アキンダに寄ったんだ。そこで、面白いものを見つけた」


 フサフサの毛が生える尻尾を揺らし、幅の広い裾からシャガリアは小さな小箱を二つ取り出した。ソフィアはもぐもぐと口を動かしながら箱の一つを手に取ると、細い眉を訝しげに寄せた。


「何だこれ、ペン」


「今、一部の女性に人気の商品だ。商人達が信仰している神、ユサギの力を宿すと言われる石を加工した物で、効力もバッチリだ、そうだ」


「商人達が信仰していて、女性に人気ですか? あべこべな神ですね」


 メメアはフォークを置き、小箱の封を解く。ソフィアも続いて箱を開け、ピシリと固まった。


「商業の神、ユサギは同時に縁結びの神とも言われている。そして、ユサギは豊満な身体の女性を好むとも伝えられている」


 箱の中身は手のひらサイズのお守りだ。ソフィアの方には豊胸祈願、メメアの方には良縁祈願、と白い糸で文字が縫われている。


「毎日それを見ながらお祈りをするのだ。さすれば、ユサギの神力が活路を与えると……」



 ーーその日、〈さざめき亭〉の一部は半壊した。そしてシャガリアは〈さざめき亭〉の出禁になった。

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