クラス無しの不始末と護衛士

 一


《アファリア》本部は、イブリア王国の王都に位置する。外観はそのまま大きな屋敷であり、広大な庭も所有している。その庭には幾つもの建物が部署ごとに建てられているが、やはり本部の大きさと豪華さには及ばない。


 特に本部の三階、所長室のある階層は一際その豪華さが目立っている。


 所長室こそ机と書類の詰まった棚、ソファくらいしか置いていないが、別の部屋は所長であるソフィアの趣味を満開にした自室となっているし、その隣の部屋は二十四時間いつでも入れるお風呂がある。二部屋分のスペースを使った書庫もあり、キッチンも備え付けられている。


 まるで所長の家みたいですねと、メメアはたまに口にする。あながち、間違いでもない例えだ。


 現場よりも書類仕事が多いソフィア。たまの外出はお偉いさんへの挨拶回りか、傭兵がヘマをやらかして頭を下げに行くかのどちらかだ。そんな生活が何年も続いては、いちいち家に帰るのも馬鹿らしいというものだろう。


 王都に自分の家こそ持ってはいるが、ソフィアはもう何年もそこに帰っていない。むしろ帰れない。


 所長なのに、一番偉いのにペン、と夜な夜な本部の方の自室で泣き言が聞こえるとかそうでないとか。


 まぁ、どうであれ、ソフィアの一日は本部の自室から始まる。ペンギンの模様が入ったベッドと、ペンギンの絵が描いてある壁紙に囲まれて。


 ☆


「おはようだペン。今日もうざったいくらい良い天気だペン」


「おはようございます所長。今日も書類が溜まっていますよ」


 今日もいつも通りにペンギンの着ぐるみを纏うソフィア。所長室に入って早々告げられた現実に、着ぐるみの嘴はへにょりと曲がった、気がした。


「……もうやらかした奴がいたんだペン?」


「いえ、まだです。この書類の束は昨日の夜から今日の朝にかけてきた依頼が殆どですね」


 紺のズボンに白のワイシャツ。その上にリアルな猫の刺繍が施された紺のカーディガンを羽織るメメアは、所長の椅子に座ったソフィアにお茶を差し出した。


「……うん、美味しいペン。いつもの茶葉と違うペン?」


「はい。昨日の夜に大勝ちしまして、グラムで一万パルンの高級茶葉、リョブの茶葉を朝一で仕入れました」


「またギャンブルかペン。いい加減に懲りるペン」


「無理です。私の生き甲斐ですので」


「この前大負けした癖に、アホかペン」


「アホでも馬鹿でも構いません。ギャンブルは仕事の次に優先されることですから」


「はぁ……」


 翼型の手でカップを持ち、お茶をもう一口。ギャンブル癖さえなければ、器量もいいし仕事もできるしで嫁の貰い手も殺到するといいのに。だから二十三にもなって独り身なのだと、ソフィアは紙の束に目を通し始める。


「……ペン。最近は小型魔獣の被害が多くなっているペン。探査士を派遣した方がいいかもペン」


「嵐の前の、ですね。既に各支部の支部長は近隣に探査士を派遣しているようですが」


 クラス、というのはその個人の力を認めた証であり、性質を表すものである。


 傭兵所の所属になって、初めはクラス無しから始まる。依頼をこなしていくうちに、その傭兵がどんな依頼を得意とするのか、またはどういう風に依頼をこなしていくのか、或いはどんな依頼を好む傾向にあるのか。様々な視点で吟味をし、その人に最も適した依頼を効率的に与えるためのもの。それがクラスである。


 例えば、魔獣討伐の依頼を得意とし、ある程度の戦果が認められればその傭兵は討伐者のクラスを与えられる。採取系の依頼を頻繁に達成するものには、採取者のクラスが与えられる。


 クラスを得るには依頼の達成だけでなく、所属している支部の支部長や支部員の許可が必要である。要するに、クラス持ちというだけで一定の信用を得ており、クラス無しからの信頼も厚くなるのだ。


 しかし、話に上がっている探査士は特殊なクラスである。基本的に受け身の傭兵所から直接依頼が与えられる事は少なく、その分クラスを得るための難易度が高くなる。


 探査士になるためには傭兵所に申請を出し、一人、或いはパーティーで勝手に魔獣を探し出して傭兵所に報告しなくてはならないのだ。つまり、自分で傭兵所の依頼となる種を持ってこなくてはならない、という事だ。それを積み重ねることで探査士のクラスを得る事ができるのだが、発見した魔獣が被害を及ぼす範囲にいるとは限らないし、もし見つかりでもすれば逆に返り討ちにあう可能性もある。


 故に、探査士になろうとする者はかなり少ない。その分重宝され、報酬金も高くなるのだが。


「報告がないって事は、特に目立った発見はないペンね。本部にいる探査士で、すぐに活動できる奴は何人いるペン?」


「百人程度ですね。元々の数が少ないですし、ここ数日中に個人やパーティー単位で探査申請を出す人達がいましたので」


「勝手にか、ペン? 私は訊いてないペン」


「私が受領しましたので。事後報告、というものですね」


「……まぁ、いいペン。それより、各支部に五人ずつ探査士を派遣するペン。一時的に支部付きの所属にして、探索の範囲を広げるよう伝えるペン」


「よろしいのですか? 王都の目が手薄になりますが」


「構わないペン。王都近辺なら、少しくらい後手に回っても何とかなるペン。最悪、私もいるペン。怖いのは、人の少ない支部の管轄範囲で大型の魔獣が出る事だペン」


「かしこまりました。では、早速探査士達と各支部の支部長に伝えてまいります」


 頭を下げ、部屋を出ていくメメア。 各支部に直接連絡できる魔道具、遠話魔球を使いに行くのだろう。


 クラス持ちには携帯型の小型遠話魔球をもたせている為、こういう突発的な収集にはすぐに応じられる。まぁ、三十分もすればメメアも戻ってくるだろうと、ソフィアは書類に目を通し直した。


「……はぁ。討伐依頼は尽きないペンね。有能な傭兵がもっと欲しいペン」


 依頼に適した人材を送るのは、支部長や所長の仕事だ。危険度の低い依頼に関してはそれ以下の所員や支部員が手をつけていい規定になっているが、それでも六割程度の依頼は残ってしまう。


 討伐依頼に採取依頼、護衛依頼に運搬依頼。この他にも、種類は多岐に渡る。当然、全ての依頼を受けるわけではない。子供が森へ出かけたいから護衛をお願いします、なんて依頼は受け付け段階で拒否される。子供に魔獣の出る場所へ行かせるな、という話で済むからだ。


 くだらない依頼にまで付き合っていたら手が足りなくなる。精査されてもソフィアの手に回ってくるそんなくだらない依頼書を、彼女はビリビリに引き裂いてゴミ箱に捨てた。


「何でゴミ屋敷の掃除を傭兵所に任せるのか、訳わからないペン」


 お前でやれ。そしてこんな依頼は受け付けの段階で断っておけ。


 傭兵所は決して便利屋ではない。しかし最近は、そこを勘違いしている輩が増えていた。


「……注意書きを貼るようにするべきかもペン。メメアが帰ってきたら相談だペンね」


 日々の疲れのせいか、いつもより多めに独り言を漏らしながら、ソフィアは書類を捌いていく。そしてカップのお茶が底を尽きかけた頃、所長室の扉がノックされた。


「メメア……じゃないペンね。あいつはノックなんかしないペン。誰だペン?」


「護衛士のビルド・ナナホシ、及びクラス無しのアランです。入室の許可をお願いします」


 声は野太い男のもの。ソフィアが入れペン、と許可を出すと、短い黒髪を持つ大柄な男とそれより一回り小さな金髪の少年が入ってきた。


「ビルド、は久しぶりだペン。お前がこなす依頼は確実に好評だから、本当に助かってるペン」


「俺としちゃ普通にやってるだけなんですがね。まぁ、褒め言葉は素直に受け取っておきますわ」


「それと、その微妙な敬語はやめるペン。似合わなすぎて滑稽だペンよ」


「あー、悪いな。仕事中の癖が抜けなくてな」


 ビルドは精悍な顔つきを若干緩めて、短い二本の角が生える頭を掻いた。実際、彼の依頼評価はかなり高い。鬼族の高い身体能力を生かし、紺のジャケットの上からでも分かる筋肉で相手を威嚇し遠ざけ、護衛対象にも優しく丁寧に接する。鋭い赤い双眸から怖がられる事もあるが、依頼終了までにその評価をひっくり返すというから面白い。


 今も腰から提げている二本の長剣の腕は、かなり高いと聞いている。二十七歳とまだ若いものの、傭兵の中でも屈指の護衛士だ。上級クラスの用心棒に上がるのも、時間の問題だとソフィアは思っていた。


「それで、今日は何の用だペン? メメアはまだ帰ってこないペンよ?」


「いや、メメアさんは関係ないんだ。今日は、こいつの件で謝りにな」


 というと、ビルドは隣に立つ少年の背を押した。


「……えぇと、アラン、だったかペン? 何かやらかしたのかペン?」


 青い目を持ち、やや童顔に見える少年。白いシャツに黒のズボン、そして腰からは魔操銃の入ったホルスターを提げている事から、銃士なのだろう。彼はソフィアに目を向けられると、ビクッとビルドを一瞥して、勢いよく頭を下げた。


「さ、サインください!」


「へ?」


「ずっとファンでした! 殲滅者時代の逸話も全部覚えています! サインください!」


「えぇと、ビルド? 何だこれ、ペン」


「……はぁ」


 ため息を吐き、額に手を当てて肩を落としたビルドは頭を下げ続けるアランの後頭部を掴むと、


「どアホが!」


「へぶん!!」


 床に叩きつけた。


「ちょ、何やってるペン! 床が汚れるペンよ!」


 そこかよ、とツッこむ者はいない。悪いな、と言うビルドはアランの頭を掴んだまま、床にぐりぐりと押し付けた。


「だ〜か〜ら、床が汚れるペン! そういうプレイは家でやってくれペン!」


「いや、そういう訳じゃないんだがな。こいつがアホ過ぎて止められなかったわ」


「はぶん!」


 床に叩きつけられたアランは、抜け出そうとしているのか四肢をぐにぐにと動かして、ちょっと気色の悪い生物になっていた。まるで多足系の虫が瀕死のような、そんな状態。


 多少顔が良くとも、そんな行動をされれば気持ち悪いとしか言いようがない。何より、その顔も今は床に打ち付けられて全く見えない。


「……さ、サイン、くだ……さい」


 それでも尚、同じ言動を繰り返すアランに、ソフィアは椅子に座ったまま身を震わせた。現役バリバリの傭兵時代じゃ感じられなかった経験。かつては死の着ぐるみと言われ、どんな大型魔獣と対峙しても恐れる事はなかったソフィアに、未体験の恐怖を味あわせるアラン。


 こいつはマズイ、と感じた直後、ソフィアはハッとした表情でビルドに向き、


「……ビルド、もしかしてお前の用事ってこいつを何とかしてくれ、とか言うんじゃないだろうなペン」


「いや、違う。出来ることなら俺もそうしたいが違う」


「ホントに、かペン?」


「本当だ」


 ホッと、ソフィアは着ぐるみのせいで女性的な丸みがない胸をなで下ろす。最悪の事態は回避できたと。


「なら、何を謝りに来たんだペン? もうこいつはいいから、ビルドの口から説明してくれペン」


「……あぁ、まぁ、仕方ないか。これも保護者の役割ってやつだな」


 渋々、といった形で頷いたビルドは、アランの後頭部から手を離して立ち上がる。その途端に立ち上がろうとしたアランの背中を足で押し潰し、ビルドはそれを見てもう一度嘆息を吐くと、話し始めた。


「一週間前、ユビデン男爵とその長男を港町まで護衛してくれ、って依頼があった。そこの家は前にも依頼を頼んでてな。俺とも面識があって、まぁ指名依頼の形をとってきた訳だ。俺としても断る理由はなかったし、ついでに護衛士を目指してるクラス無しの何人かを連れてったんだよ。育成のためにな」


「アランも、その一人かペン」


「そうだ。……んで、行きは問題なかったんだ。ユビデン男爵も人が好いし、長男もその性格を受け継いでいるようでな。魔獣の襲撃も軽めのもので、まぁ安泰に進んでた訳だ」


「行きは……つまり帰りにやらかしたのかペン?」


「あぁ。帰りの道中、こいつが何を思ったか、いきなり長男と喧嘩を始めてな。こいつは銃を抜いて戦い出すし、向こうは向こうでまともに使えもしねぇ剣を振り回し始めるし。……まぁ、控えめに言って惨事が起きそうになった訳だ」


「ユビデン男爵の長男に怪我はなかったんだペン?」


「そりゃあな。傷の一つでも負わせればすぐに報告するさ。やり始める前に俺と他の奴らが二人を抑えて何とかしたんだが、相手は貴族だろ? いくら人が好くても、ここに連絡してると思ったんだが」


「……ユビデン男爵。特に苦情は届いてなかったはずペン。まぁ、メメアに確認しないと確実には言えないけどペン」


「みたいだな。一週間待っても何も言われねぇから、おかしいと思ってここに来たって訳なんだが」


 あの人本当に許してくれたのかよ、と呟くビルド。どうやら、ユビデン男爵という人は相当に心の広い方のようだ。いくら男爵家とはいえ、貴族相手に剣を向ければ牢獄行きは免れない。そうなればアランはおろか、ビルド達にも被害が及ぶことになっていただろう。


 まぁ、その場合は本部としても抵抗はしただろうが。ソフィアはビルドに足を退けるよう言い、ゆっくりと顔を上げたアランに青い目を向けた。


 ソフィアと目が合ったアランは、ビクリと身体を震わせる。そこに、さっきまでの好奇の色は見当たらない。肉食獣に見つかった小さな獣のように、顔を青ざめさせて俯く。


「アラン。……アラン、返事をするペン」


「は……はい」


「お前がやった事は、お前だけが責任を取れば済む話じゃないペン。ビルドや他のクラス無し、そして《アファリア》そのものの信頼を地に落とすような事を、お前はしでかしたんだペン」


「…………」


 ヒュン、と前触れもなく、虚空から現れた一本の細い長剣がアランの頬を掠めるように床に突き刺さった。


「っひ!?」


 床に尻餅をついたような姿勢で慌てて長剣から離れるアラン。それをまるで熱の宿らない瞳で眺めるソフィアに、側で見ていたビルドさえも身体を震わせた。


「返事をしろ、ペン」


「は、はいっ」


「……今回は、ユビデン男爵も問題にしていないから特に処罰は与えないペン。けど、次に問題を起こしたら、二度と《アファリア》の敷居を跨がせないと思え」


「は、はい」


「よし。なら、もう下がっていいペン。ビルド、報告ありがとうだペン」


「お、おう。後は頼むぜ」


 引きつった笑みを作るビルドは、アランの首根っこを掴んで踵を返す。その刹那、アランは俯かせていた顔をバッと跳ね上げると、ソフィアに大きな目を向け、


「あ、あの!」


「ん? 何だペン?」


「いつか、用心棒のクラスになったらサインを貰ってもいいでしょうか!」


 懲りない奴だ、とでも思えばいいのか。これだけタフなら護衛士としては使い物になりそうだが、間抜けさ加減は言ってもなかなか治りそうになさそうだ。


 そこら辺はビルドの教育に任せよう、とソフィアはため息を零して返した。


「……なれたらね」


「っ! はいっ!」


「ほれ、お喋りはここまでだ。お前には一から知識を叩きなおさなくちゃならねぇからな。遊んでる暇はないぞ」


 そして、今度こそ所長室を出て行く二人。それから数分としないうちに、メメアが帰ってきた。


「あ、メメア。おかえりだペン」


「はい、戻りました。それで……」


「ん?」


「二階にいた職員が天井から生えてきた剣について詳細を求めています。あわや大惨事、だったそうですが」


「…………」


 ソフィアの給料から、弁償代が抜かれたのは言うまでもない事だろう。

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