五井つとむの乏しい激情
ひょろながそうちゃん
第1話
6月17日土曜の深夜3:04のことだった。
五井つとむは、まる1週間通勤時に持ち歩いていた、「家庭の医学」よりも分厚いそのハードカバーの小説を5962ページ読み終え、充血した両目を強くつぶりながら最後のページをめくった。
そしてそこにはたった1行だけ、
『色々辛いこともあったけど、前向きに生きました、とさ。』
と書かれていた。
(何て斬新なラストだろう!なんてざんしんならすとだろう。
ナンテ・・ザ・・・)
彼は意識が遠のくのを感じながら、そう言い聞かせるのがやっとだった。
「そうだ、オレは疲れているから、この作者入魂の渾身の斬新なラストの感動が伝わらないのだ・・」
と、力ない声で二言目の自己弁護を始めたと同時に
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!
なんだこのクソ本!!!!クソが!!!!!」
そう絶叫した彼の怒声は、体躯をはるかに上回るスタジアム級の爆音で深夜の西東京市全土に轟いた!
そのまま絶叫を繰り返し本を引き裂きながら時速190㎞の豪速球でアパートの薄い壁に、ゴミ同然のムダ本の残骸を7回投げつけた!!
黄ばんだ壁は鋭角に剝がれ、無情に凹み、白い粉が舞った。
乱れた呼吸のまま、彼は焦点の定まらない眼で、絵描きの友人から買ったコミカルなマッチ箱を見つけ、そこからマッチ棒を1本抜いた瞬間、自らの口から垂れ下がる大量の唾液に気づき、本棚にあるトイレットペーパーで拭った。
白いパイプ椅子に座り床を見渡すと、3月に上機嫌で壁にディスプレイしていたCDのケースが5枚ほど落ちていた。
黒く小さな目覚まし時計は無傷のままAM3:32を指していた。
秒針の回転を見つめながら彼は
「そうだ、明日は洗濯する日だ。」
とろくでもない地味な予定を思い出し、事なきを得た。いや、もう事は起きた。
サイレンと人だかり。複数のサンダルの足音。
回転灯の赤い光が2秒おきに室内に差し込み、
増幅した低いひそひそ声が塊になって聞こえてくる。
続
五井つとむの乏しい激情 ひょろながそうちゃん @buriyama
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