第9話 友人

名前……

性別……

血液型……

生年月日……

趣味……

特技……

長所……

短所……

あなたがその人物へ抱く印象……

周囲の人間がその人物へ抱く印象……



 プロフに書き込むべき情報の収集はそれほど容易ではない。

 名前や性別は問題ないとして、生年月日や血液型なんかも個人情報としてどこかにまとめられていそうなものだ。

 しかし、問題はそれ以外の項目であった。


 試しに一秋は、いつも昼食を一緒に食べている友人でこのプロフを直ちに埋めることができるかどうかを考えてみた。すると意外にも、彼の特技が分からないことに気がついた。

 知人ですらそうなるのだから、カツアゲ以外で接点のない不良達の短所や悪口は書くことができても、すべてを埋めることは困難だろう。


 しかし、一秋はリーダー格である男のプロフを埋めることに成功した。 それもあの封筒を開けてからたった三日でだった。

 


名前……鵜森大地うのもりだいち

性別……男性

血液型……AB

生年月日……2001年6月15日

趣味……絵画鑑賞 空手

特技……クロスワードパズル 

長所……明るく陽気 くよくよしないこと

短所……気に入らない人間に対して排他的である 女たらし

あなたがその人物へ抱く印象……金に対して強い執着心が見られる。自分のすることの一切に罪悪感を感じている様子はなく、将来的に悪気なく大きな事件を起こす可能性がある。

周囲の人間がその人物へ抱く印象……空手の有段者であることため、怖がられている。ただ友人に手を出すことはなく、優しく頼れる存在である。


 

 この鵜森という男を対象にしたのは、彼がカツアゲの主犯だからである。彼を、もしイトウの力でどうにかすることができれば、一秋はきっと平和な高校生活を送ることができるだろう。

 しかし、鵜森を選んだ理由はそれだけではない。


 一秋が思いついた情報収集の方法。それがかなり効果的に働く相手だったからである。


 つまり、あくまで今回は試験的にプロフを埋めてみようと思ってやったことだ。それが偶然、不良達の中でリーダー格で実行できたのだった。



 一秋はこのプロフを持って、喫茶paraisoの店内へと入った。

 塾終わり、初めてイトウとあった日のあの時間より少し早いくらいだが、今日は雨がしとしとと降っていた。

 

 そして、あの窓際の席にイトウはいた。

 彼女は水滴が垂れる窓ガラスを、頬杖ながらに眺めていた。相変わらずの、黒装束である。

 

「こんばんは、一秋くん」


 一秋が近づくと、イトウはそう言った。それから、こちらに視線をやった。


「いないかもしれない、と思った? いや、いるわけがない、の方だね」

「そうですね」

 

  ――私はいつでも、一秋くんの声が届く範囲にいます。私が必要なときは小さな声で名前を呼んでください。


 封筒に入っていた手紙には、こう書かれていた。

 そして今朝、起きてすぐに一秋は少しの雑音にでもかき消されそうな声でいった。


「イトウさん。今日の八時頃、前と同じ喫茶店で会いましょう」と。


 自分でも出ているかどうか分からないような小声だったのは、意図的にである。 どれくらいの声で呼べばイトウはやってくるのか。それを試していたのである。

 今日ダメなら、明日にはもう少し大きな声で。それでダメなら、明後日には……。

 仮に大声を張り上げなくてはならないのならば、不良相手にみぞおちでも殴られてしまう前にアクションを起こす必要がある。

 起きてすぐだったのも、同じような理由である。

 そういうことを知っておかなければ、いざという時に失敗するかもしれない。


「またこうして会うことができるなんて、私は嬉しいよ」

「……本当に聞こえたんですね、あんなので」

「まあ、心が読めるわけだしね、本当は声なんかいらないの。ただ、君が頭で考えただけで私が行動しちゃったら困るでしょう。だから、声を出すということを意思表示として扱っているわけ」


 イトウは、心なしか得意気に笑っているようだ。

 店員を呼んで、イトウは自分のためにコーヒーを、一秋のためにアイスココアを注文した。

 今日は、前の老人ではなく中年くらいの女性が対応した。

 

「まあ、これで私が人間じゃないってことはもう信じてくれたんだよね。しっかり、プロフも埋めてきているみたいだし」

「はい、まあ」


 彼女を呼び出したのは他でもなく、そのプロフについていくつか質問があったからだった。

 このアンケートの意味は気もなるが、できるだけ正確に記入とはどれくらい正確にするべきかということは、曖昧に書かれている割に重要であるように思われた。

 これもまた、いざという時に不十分だと付き返されたるのも困る。

 

「まあ、いいんじゃない?」

 

 イトウは、一秋が手渡したプロフにざっと目を通して言った。本当に内容を見たのか、怪しいくらいにざっとだ。


「いいんじゃない……って」

「適当でいいって言わなかったっけ? 一秋くんなら気づいてるんだろうけど、これは悪人かどうかを判断するための、一つの材料。でも、結局食べてみるまで分からないところもあるからねぇ」


 それを言われてしまっては、そもそも書く必要がないのではないか。

 ふと、一秋は今のイトウの発言に違和感を感じた。

 しばらく黙っていたが、どうもイトウが勝手に答えてくれそうになかったので、言葉にする。

  

「判断材料って、イトウさんはこれを見て何が良いとか悪いとか分かるんですか?」


 怪物の価値観は人間と異なる。だから、一秋がこのように悪人を紹介するという約束だったはずだ。

 それが、イトウに善悪の判断ができるというなら、一秋の必要性はないわけだ。


「それは友人になんとかしてもらっている、と答えておくわ 」


 友人。

 イトウの口から友人という言葉が出てきたのはすごく新鮮だった。

 その人は人間なんですか? どうやって知り合ったんですか?

 聞きたいことはたくさんあったけれどイトウは、


「友人について、これ以上はノーコメントで」


 そうピシャリと言い放った。

 拒絶するようなニュアンスが若干含まれているように感じたのは、一秋の臆病さゆえだろうか。

 実際、イトウは相変わらず微笑んでいるので、機嫌を損ねたわけではなさそうだった。


「それより、どうやってこの紙を埋めたのか聞かせてくれないかしら?」

「えっ、はい」


 今のイトウはなんだか、本当に知らないことを聞いているかのようであった。  いつもの、知っていることを確認するような、彼女独特の口調はそこにはなかった。


「いくつかの方法を取ったんですけど、一番効果的だったのは、SNS上での情報収集でしたね」

「へえ」とイトウが相づちを打つ。これまで徹底して聞き手だったものが、急に話し手に回されてなんだかむず痒い。


 イトウにSNSの知識があるのかどうかということは怪しかったが、尋ねられもしなかったので、気にしないことにした。


「本人のアカウントの呟きを遡るのもそうでしたけど、気のある女子に成り済まして本人に直接質問したのが意外にも有効でした。質問すれば、だいたいのことは教えてくれますし。この不良が女たらしっていうことは学校ではかなり有名な話だったので……」

「それ、ネカマってやつだね」

「え」


 すっとんきょうな声が出る。そんな俗っぽい表現をイトウが知っているとは思わなかったからである。

 笑ってしまいそうにもなったが「そうですね」と、濁した。


「印象は、僕が勝手に考えて書いたことなんですけど。多分、合ってると思います」

「なるほど」


 話を続けようとすると、そこでコーヒーとココアが運ばれてきた。

 涼しげなグラスに入ったアイスココアが視界に入ると、それが非常に美味しそうに見えた。


「どうぞ。今回も、私の奢りだからさ」

「はい。ありがとうございます」


 イトウに勧められたので、遠慮せずにストローを使ってちびちびと飲んだ。予想していたほど甘くはないが、期待していたよりも今の気分に合っていた。


 「とにかく、頑張ったんだね。プロフを埋めるために」


 しばらく一秋が話すと、手段にはもう興味はなくなったのか、そう言いながら角砂糖を一つ、コーヒーに落とした。


 「どうだった?」


 一秋がグラスから顔をあげると、イトウは真剣な表情でしっかり一秋の眼を見ようとしていた。それはまるで、心を見透かそうとしているかのようだった。

 実際に彼女は心が読めるのだが、そういった特殊能力によるものでなく、自力で何かを見出だそうとしている風に見えたのだ。


 「どうだった、って。まあ、大変でした」

 「それだけ?」

 「いや、何を聞かれているのか、よく分からないので……まぁ、絵画鑑賞が趣味っていうのは意外だなとは、思いました、たぶん」


 見当違いなことを答えてしまったように思えたが、イトウは表情一つ変えずに「そう」と、背もたれに身体を預けた。



 彼女が黙ると、二人の間には沈黙が流れる。



 一秋はそもそも、自分から話を切り出すのが得意なタイプではない。

 加えて相手が外見上は美しい女性であることも、一秋の口下手に拍車をかけていた。

 店内に流れる単調なオルゴールの音をかき乱すように、ココアに口をつける。

 そして、時折イトウの様子を見ては、事もなさげに一秋も店の内装を眺めるようにして誤魔化す。


 外はきっと蒸し暑いのだろうけど、クーラーが効いたこの店内は少し寒いくらいだ。


 雪のように白いイトウの肌には、赤みはないが青白いという印象もない。

 ただ交じりっ気のない白色が塗られたような、透明感のある潔白だった。

 作り物のように綺麗で、人間ではないと言われれば納得できるような、現実味のない純白であった。

 それが一層、彼女の身にまとう衣服の黒さを際立てるのだった。


「もう、今日の用事は終わったの?」


 イトウが突然、言葉を発するまで一秋は自分が彼女を見つめていたことに気が付かなかった。というより、見とれていたことに。


「は、はい。そうですね」

「そっか。じゃあ、今日はこれで解散かな」

 

 イトウはコーヒーを飲み切ってしまったのか。一秋からは底は見えないが、ずいぶんと早い。

 一秋の方は、まだ半分以上は残っている。


「次会うときには、きっといい答えが聞けると楽しみにしてるよ」


 そう言って微笑むと、名残り惜しさもなさそうに、席を立った。


 彼女が去ったあとには、今日は何も残っていなかった。

 








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