第6話 怪物
「化物?」
一秋は思わず聞き返した。イトウが「そうね」と相槌をうつ。
「人間の記憶――それは精神力、夢、思考と言ってもいいけど、そういったものを食べて生きている。それで私を化物と呼ばないとすれば、怪物、妖怪あたりが妥当かな」
イトウは相も変わらず微笑んでいる。
当たり前のことのように言って見せる彼女の口ぶりには、噓くささなど一切なく、むしろ奇妙な信憑性すらあった。
「私が人間の心を読むことができるエスパーだということは、自分にとっての食物を認識できるということ。非常に合理的な能力だと思わない? 人間の味覚が、本来は可食物か否かを見分ける能力だということを考えれば、別に不思議なことではないでしょ?」
「ええ、そうですね」
一秋は彼女の話を素直に受け止めていた。
勝負に負けた自分はイトウの話を信じなければならないという約束もあったが、疑ってかかって話が進まなくなるのを嫌ったからだ。
「ちなみに、超能力の精度はなかなかよ。近くの人間が考えていることくらいならあっさりと分かるし、本気を出せば潜在意識まで分かる。疲れるから、あんまりやらないけど」
コーヒーをスプーンでかき混ぜながら言う。
彼女はやってきたブラックコーヒーにミルクとシロップを一つずつ入れて飲んでいた。
そういえば……こんな風に人間の食事を摂ることはできるんだな。
一瞬、一秋の頭の中でそんな疑問がよぎった。
「私がコーヒーを飲むのは単なる嗜好品として。人間の思考を摂取することが生命維持には必要だけど、普通の食事ができないわけではないのよ。一応、内臓は人間と同じもののようだから。それに、君達も生きるためだけに食事をしているわけではないでしょう。ケーキや、ラーメン。私が貴方達と違うのは、それが毒にも薬にもならないってことね」
一秋が少しでも疑問に思ったなら、言葉として彼の口から出る前にイトウは答える。
そうすることで一秋の心の隅に残った疑惑を少しずつ溶かしていくとともに、自分の能力を分からせようとしているのだろう。
「そして、本題はここから。あなたに協力してほしいこと」
イトウがコーヒーを口に運んだのを見て、一秋も初めてココアを一口飲んだ。
「私は人間の――ここからは人間の記憶と表現させてもらうけど、それを食べなくては生きていけない。回数としては普通の人間と同じく一日三回」
「結構、多いんですね」
「多いよね。なんでかは分からないけど、人間と同じ三回なの。だから、一人で食事を探すのが大変で。それと記憶の味を認識できるっていうのも、なぜか人間の食事と同じなのよ」
不思議、不思議と緊張感なさげに呟いて、まだ熱そうなコーヒーをすする。
「味に関して重要なのは、基本的に悪人の記憶ほど美味しい。善人はその逆で、やばいわね。食べて慣れるっていうレベルじゃないから、本当に」
善悪の基準とは何かと一秋が思えば、
「一般的な善悪ね、だいたい」
イトウが間髪を入れずに、言う。
「猟奇的殺人犯とか最高級だけど、小学生とか子供だと最悪。一番の問題は、私には人間の善悪の判断ができないことね」
「人の心が読めるのに、ですか?」
「うーん、価値観って言えばいいのかな? 私の場合それが一般的な人間とは大きく外れてるみたいね。例えば、殺人犯だって必ずしも悪とは限らないらしいじゃない」
「まあ、故意じゃなければ悪ではないかもしれません」
「って言うでしょ? そんな判断は私にはできない」
やはり怪物は怪物なのかと一秋は思ったが、かといって目の前にいるその女性が危ない人物にも見えなかった。
むしろ、感情表現の豊かな、普通の人間にしか見えない。
――ボンボンと、乾いた音が店内に響いた。
何の音かと思えば、大きな古時計から出ている音。
どうやら夜九時を知らせているらしい。
「さて、そこで君に協力してほしいことっていうのが」
イトウがぐいっと、身を乗り出した。一秋はたじろいで少し身を引いた。
「悪人を私に紹介すること。私に食事を提供してほしいってことだよ」
――食事。
彼女からすれば人間は食事を提供してくれる存在なのだろうが、なんだかその表現に、一秋は狂気を感じた。
いや、狂気と言ってもイトウが本当に怪物であるならば、むしろ狂気こそが正気であるのかもしれないが。
「もちろん、君を食べはしないよ。君には危害を加えないって約束だから。それは私の提案を断っても、絶対に」
何度か繰り返されたフレーズだ。
どうやら、どうあってもイトウは一秋に手は出さないようである。
「それに、君にもメリットがある。悪人であれば誰だっていい。気に食わない人間が悪人だと思うなら、私に引き渡してくれればいい。そいつの記憶を私が食べる。それを繰り返せば、いつか君の周りから嫌いな人間はいなくなっているよ」
「いなくなる?」
イトウは記憶を食べる怪物と言っている。
それがなぜ、俺の周りから悪人がいなくなることになるのか?
一秋がイトウの顔を見ると、心底不思議そうな顔をしていた。
「えっと、それはその人間が死ぬからでしょ」
「え?」
素っ頓狂な返事が、一秋の口から出た。それを聞いて、イトウは笑った。
「いやいや、厳密には死ぬんじゃなくて人格が変わってしまうんだけどね。だって記憶や思考をまるまる私に食べられるんでしょう? すると、その人間は廃人になっちゃうんだけど、私にとっても都合が悪いの。食事するたびに廃人を生産してたら、騒ぎになって面倒でしょ。だから……っていうか私の生態なんだけど、記憶を食べられた人間に自分の記憶を植え付けるの。中身は私になっちゃうの。つまりは歩くし喋るし、立派に生きていると言えなくもないよ」
唖然としていて、一秋は黙って話を聞くことしかできなかった。
その内容自体もそうだが、どうしてイトウはこうも平然と話すことができるのだろうか、と。
きっと、そんな一秋の心を読み取ったのだろう。イトウが、諭すように言葉を並べた。
「一秋くんだって、動物を殺してその肉を食べているのでしょう? それは生きていくためには必要なこと。当然だから、罪悪感を抱くはずない。だから、『昨日食ったステーキ旨かった!』なんて会話を友達と笑いながらすることは、さほどおかしなことではないはず。それが、別の生態系で生きている生物のことになると自分を棚に上げてしまうのね。自分が同じことをしてるっていうのに」
イトウのいうことは正論だった。
それを理解できないほど、一秋はバカではない。しかし、納得はできなかった。
複雑にまじりあった感情を、言葉にすることはできなかった。
「ごめん、説教しているつもりじゃないんだよ。ただ、私に協力することを深刻にとらえないでと言いたいの。それにね……」
イトウは、机の上に置かれていた一秋の手を握った。
「貴方の欲しかった強さって、きっとこういうことじゃないかな」
彼女の目を見た。
怪物だとは思えないほどに、澄んだ綺麗な瞳だった。
「貴方の望む世界に、暴力や喧嘩がないことを私は知っている。それはあなたが、きっと優しいからなのかな。そして私がいれば、その望みは叶う。世界は、貴方の思い通り。私は貴方を傷つける悪を排除し、決して裏切らない。それは『私』という絶対的な強さを手に入れたってことにはならない?」
イトウは優しく微笑んだ。
そして一秋の手を握ったまま、二人の間にしばらくの沈黙が訪れた。
再びイトウが喋るまでの沈黙で、一秋は彼女のことを少しでも理解しようとした。
「別に強制するわけじゃないよ。ゆっくり考えてくれていいし、必要になったら私のことを呼べばいい。本当に必要としてくれるなら、私の名前を念じるだけでいい。怪物が、すぐに飛んでいくからさ」
イトウが手を放し、席を立った。
「まあ、落ち着いてココアでも飲みながら考えてみて。それと、私に協力する気があるならば、これを開いて中を確認しておいて」
じゃあね、と言い残しイトウはレジの方へと歩いていく。彼女の腰まで伸びた長い黒髪は、ゆらゆらと揺れていた。
そして、机の上には大きな茶封筒が残されていた。
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