第5話 茶番

一秋かずあきくん」


 イトウはおもむろに、何かを一秋に向けて投げた。

 あまりに急だったので落としそうにもなったけれど、一秋はそれをキャッチした。

 一枚のコイン。見たところ、何の変哲もないただの500円玉である。


「ちょっと、面白いことをしようかと思って。もちろん意味ないことじゃないからさ、付き合ってよ」


 面白いことねえ。

 どうせ主導権は向こうにある。押し切られる予感しかない。

 本題を反らされない程度ならと、少しばかりイトウに付き合ってみることにした。


「それをこう、隠してみてくれない? ほら、当てっこゲームよ」

「当てっこゲーム?」


 イトウは握りこぶしを二つ、作ってみせる。

 どちらかの手にコインを隠してくれと、そう言いたいのだろうか。


 とりあえず机の下で、イトウから見えないように右手で500円玉を握り、空の左手も握る。


「これから、私がエスパーってことを証明してあげるわ。必ず、どちらにあるかを当てて見せるから」

「は?」

「来る途中で言わなかったかな。私がエスパーだから、君のことを知ってたんだって」


 エスパーであることを証明する?

 つかみどころのない人間だとは思っていたが、ここまでくると全く理解不能だ。

 一秋は、怪訝な顔にならざるをえなかった。


「まあまあ、それくらい私の話したいことの内容が突飛っていうことよ。それこそ、私がエスパーでもなければあり得ないだろうっていう話」


このイトウという女性は宗教の勧誘でもするつもりか? 


一秋は直感的に判断した。

彼女が醸し出すミステリアスな雰囲気も、そういうことなら納得できる。


するとイトウがくすりと笑った。


「大丈夫よ、私はじゃないから。少なくとも、あなたに危害を与えるつもりはないってば」


 そういう目的、とは?

 間違いなく「そういう目的」の指す内容は「宗教の勧誘」だろう。

 一秋は言葉を発していないというのに、それを察することができるというのは……イトウはもしかして本当のエスパーかもしれない。


 と、思わせることがイトウの目的だと一秋はすぐに考えた。


 本物のエスパーなら「そういう」だなんて曖昧な言葉は使わない。

 これは一秋が考えていることをズバリ的中させる自信がないことの表れである。


「ほらほら!」


 一秋が一向にゲームを始めようとしないのを見て、イトウがせかす。

 しかし語調は優しく、いら立っている様子はまったくなかった。むしろ冗談めかして笑っていた。


「一秋くんが知りたいのは私が何者かってことより、私の言う協力してほしいことのその内容より、一番は自分の中にある悩みについてなんでしょう? じゃあ、私の正体なんて関係ないんじゃない」


 そして、最後にこう付け足した。


「例え、私が悪徳宗教の回し者だとしても、ね」


 一秋は、動揺を隠せなかった。すぐにそのトリックを明かそうと頭を回した。

 誘導されていた? それとも、勘?

 イトウの表情を伺うと、またもうっすらと笑みを浮かべていた。

 

 なるほど、これは確かに面白いゲームになりそうだ。

 彼女の挑発的な発言は、一秋の心に火を付けた。


 両手を机の上に置く。

 右手を、わざとらしく膨らませているのはブラフである。


「ふふふ、ようやく始まった。さてさて。軽く正解して、私が超能力者だということを教えてあげる」


 会話で動揺させる気だと察して、一秋はイトウの言葉に対して極力リアクションを起こさないようにした。

 視線は常に、テーブルの真ん中に固定。呼吸も乱さないように意識する。


 エスパーなんて馬鹿らしい。こんなゲームに負けてたまるかと、一秋は躍起になっていた。


「そうね。このゲームにあなたが勝ったら、なんでも質問に答えてあげるわ。その代わり、負けたら私の話を全て信用するっていうのはどう?」

「……いいですよ」


 全て信用する、か。

 内心疑っていたところで、イトウには分からない。一方で、自分が勝てばなんだって聞くことができるという。

 この提案は、一秋にとってかなり有利なものに思われた。


「とはいえ、適当に言っても二分の一で当たるわけで、何回やっても偶然が続くことはある。言い当てるコツがあるのかもしれない。君だったら、こんなゲームでは必ずしも私がエスパーであることのの証明にはならない、なんて考えるだろうね。でも、私には完全勝利が必要なの。私を疑う余地なんてないくらいの、圧倒的な。心からの信用が必要なのよ。表面上だけじゃなくて、ね」


 協力してほしいこと。そんなこと言っていたなと一秋は思い返す。それより、今は勝負に勝つことしか、頭に無かった。

 そして、現状の勝率は高い――イーブンイーブンではなく、勝利を確信していた。


「それでは、貴方に確実に信用してもらうためにはどうすればいいか。私が本当に超能力者なら、最適な手段も分かるはずだよね」


 一秋が意図的に目線を反らしている、その視界の端でまたイトウが笑った気がする。

 

 するとイトウは、右手を机の下から引き上げた。その手がつまんでいる黄金色の何かが、ちらりと見えた。


「結局、最適な手段、っていうのが結局このゲームだったってことなんだけどね」


 親指と人差し指で挟まれていたのは、500円玉だった。


「さすがね。確かに私、なんて一言も言ってないわ。なら、右脚の下に隠してもルール違反ではないわね」


 イトウは不敵に笑っていた。対照的に、一秋は唖然としていた。


 ――まさか、そんなはずはない。すぐに立ち上がって、確認する。



 500円玉は、そこにあった。椅子の上に、一枚の硬貨が。

 二枚ある?

 じゃあ、イトウが持っているのは?

 

 ふふっ、とイトウが息を漏らす。


「いやいや、冗談よ。この500円玉は、貴方に渡したのとは別のもの。でも、驚いたでしょ?」


 そう言って、手を振って見せる。


 冗談。

 イトウは無邪気に笑っているが、勝負に負けたのは事実であった。


 彼女が言うように、両手のどちらかに隠せとは言われていなかった。

 一秋は揚げ足をとるように、ゲームが始まる直前でとっさに右手に握っていたコインを自分の右脚の下に隠したのだった。

 もしインチキ超能力者ならば、右か左で勝手に迷ってくれるだろう。そう考えた。


『適当に言っても二分の一で当たる』


 イトウがそう言ったとき、一秋は勝利を確信した。

 その言葉は両手のどちらかに隠していると、思い込んでいる証拠であったからだ。

 それ以上のゲームは無駄だとさえ、思った。


 しかし結果として、イトウは正解に辿り着いた。それも、当たり前のように。


 500円玉をどこに隠したかなんて、イトウに見えるはずはなかった。

 一秋が両手以外の場所に隠すことを読んでいたとしても、それが右脚の下だとは分かるはずがなかったのだ。


 エスパーでもなければ。


「私が完全勝利を望んだように、一秋くんもそうした。でも、それが自分の首を絞めることになったんだよ。最初から最後まで右手に隠していれば、勝敗にかかわらず私への疑念を残すことができた。けれど、余計に策を練って、それが看破されたために、もう私が超人的な何かであると理解せざるを得なくなった。そして、そうなることが分かっていたからこそ、私はこのゲームを提案したのよ」


 まったくイトウの言う通りであった。

 一秋の作戦はかえってイトウの発言の信憑性を高めることになってしまった。

 ゲームの勝利のために、咄嗟に考えを巡らせるような優秀な一秋だからこそ、彼女の勝利がいかに絶対なものか分かってしまうのだ。


 イトウが言う完全勝利は、一秋にとっての完全敗北。


 一秋がこのゲームに乗った時点で、それどころかイトウがコイン当てゲームを提案してきた時点で、一秋の負けは決まっていたのかもしれない。


 ――イトウが正解に辿り着いたのではなく、イトウがいる場所が最初から正解だった。


 そう表現するのが、最も適切であるような。一秋の完敗であった。


 「約束通り信じてもらわなきゃね。これから始まる、私のトークショーの、その内容をさ」


 まるでタイミングまでもイトウの思い通りだったかのように、コーヒーとココアが運ばれてきた。

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