4・日常


 会社までは徒歩と電車で片道30分ほど。


 読書に費やせる時間を通勤に使いたくなかった僕は数件の不動産屋を何度も訪れた。正直大変だったけど良い物件が空くことになったと連絡をもらい、部屋を見て即決した。


 駅近5階建てマンションの最上階。2DKで風呂とトイレは別、内装はリフォーム工事されていてキレイだった。

 エレベーターやバルコニーなどはないが相場よりも安い家賃で、一人暮らしには充分すぎる部屋だ。本を置く場所にも困らないで済む。


 築年数が古く、マンション外見のホラー感はもの凄いが…。


 電車を降りて会社までの道を歩く。

 同じように仕事に行く人たちの波に乗って歩く。

 満員電車と人込みの多いところでは自分の『カベ』の厚みに少々気を遣う。

 携帯を義務付けられている認定証明書を首から下げてはいるが、僕たちの『カベ』に触れた時の刺激は、互いに気持ちの良いものではない。


「のーがーみー!」

 ふいに名前を呼ばれ振り返ると僕の肩を叩こうとする同期の森田がいた。

 パチッと静電気の刺激があり、目には見えない『カベ』に阻まれた森田の手が僕の肩に触れる事はない。


「いって!まだ慣れねーなー。行ってきますのチューもできないしさー、いつんなったら慣れるのかねー」

「いたっ!まぁ、そのうち慣れるだろ」

「うぅ、俺は行ってきますのチューがしたい!!」


 隣で口をとがらせる森田アツヒロは同期で一番気の合う奴。犬顔で超ゲーマー。

 同い年の可愛い奥さんがいて、出産が近い。子供の性別は生まれるまで内緒!と奥さんに言われているらしく時々、女の子ならどーだ男の子ならあーだ、と妄想に励み話してくれる。

 けど、たどり着く結論はいつも同じで

「元気に生まれてきてくれればどっちでも良いんだけどな!」

 と言ってニカッと笑う。

 たまに騒々しい時もあるけど、おおむね良い奴だと思う。


 働きだして2年、スーツにも慣れたし仕事も楽しいと思える様になった。過去にはブラック企業だとかなんとかでひどい残業や就業形態の時代もあった様だが、責任者への厳罰化が進み、今ではクリーンな企業がほとんどだ。


 それでも時々報道で、残業オーバーや、飲み会でのアルコール過剰摂取が原因の事件などが流れる。様々なテクノロジーが進歩したにも関わらずその辺の悪しき風習が変わらないのは、国民性なのか…。


 会社に着くとすでに佐々木アズサと吉岡リョウコがデスクの水拭きをしていた。

 二人は仲が良いらしく、駅から一緒に歩いてくる姿や、昼休みにお弁当をつつきあいながら、何やら楽し気に話している姿をよく見かける。


 朝の挨拶を交わし、ジャケットを脱いでシャツの袖をまくり同じようにデスクを拭く。他愛ない笑い話をしながら掃除をする時間は慣れると案外心地いいものだった。

 佐々木も僕と同じで独身の一人暮らし。地方出身者で最近訛りがなくなってきた。

 吉岡はもうじき1歳になる双子の男の子の母。旦那は年上で『カベ』のない人間だ。ほかの同期も結婚して子供がいる人のほうが多い。


 実際、国の調査でも僕たち試験世代の結婚率や出産率は『カベ』のない世代に比べて明らかに高いらしい。ニュースで首相が「試験は成功していると言って良い」と高らかに宣言していた。


 試験世代には税金や有給休暇日数の優遇がある。国の政策に反対していた人からは時々嫌味もまじった陰口を叩かれる様な事もあるが僕の知ったことではない。

 幸い直属の上司は頭が柔らかく理解ある穏やかな人で仕事もできる。


 職場と同僚には恵まれている方だと思う。繁忙期を除けば定時上がりが日常だし、給料にも文句はない。不便さや煩わしさを感じるという意味では、新しい仕事先との挨拶での握手、大きな仕事が片付いた時の上司や先輩とのコミュニケーションで距離感を感じる事くらい。


 そうして今日も当たり前な1日が始まる。



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