八話 四月二十四日 夜 墓地にて

 強い風が八尋と邪鬼、そして桃太と奏を包んだ。

 地面に積もっていた落ち葉は舞い上がり、四人に襲ってくる。雨に濡れた落ち葉は、肌にへばりつくと気持ち悪い。

「きゃあ!」

「なんだこれ」

 桃太と奏は突風に驚き、腕で顔を守る。

 風がおさまると地面を踏みしめる音がした。

 誰か来た。

 何物かわからない足音に桃太と奏は身を寄せ合って警戒したが、近づいてきた人物は見知った顔であった。

「八尋、あまり仕事中に呼ばないでくれないか」

「警察ごっこでしょ?」

「『ごっこ』でも都合を合わせるのは大変なんだ」

「お、尾谷おたにさん!」

「本庄君、だったかな? 数日ぶりだな」

「あ、こんばんは。……じゃなくって!」

 巨大な邪鬼を気にすることなく、まるで安全な相談所の中で会話しているように和やかに会話を続ける。

 突然の善夜の登場に驚嘆きょうたんした邪鬼だったが、それが少し身長の高いだけの人間と知り、尊大な態度に戻った。

「ナンダ! 俺ノ獲物ガ増エタダケカ」

 警察ごときに何ができる、と得意げに笑う。

「アー、モウ面倒ダナア。オ前ラ全員喰ッテシマエバ、藤ガイタコトモ、バレズニスムカ。オ前ラデ、チョウド十人目ダシ」

 意気揚々と腰を落として構える邪鬼に、八尋は楽しそうに笑った。そして意地悪い顔で善夜を見る。

「善夜、君、邪鬼の獲物だってさ。食べられちゃうみたいだよ? 邪鬼に」

 嫌に『邪鬼』を強調して言った。

 善夜は呆れ顔で邪鬼を見た。そしてたしなめるような声で言う。

「邪鬼、俺を喰おうなんて、ずいぶんと偉くなったものだな」

「ハア?」

「長いことや八尋にかまけていたが、まさか俺のことを喰おうだなんて言うとは思わなかったぞ」

 善夜の言葉を理解できない邪鬼は訝しげに善夜を見る。

 まるで知り合いかのような口ぶりだ。しかし邪鬼は目の前の男を知らない。

 善夜は嘆息たんそくして、親指の腹を噛んだ。

 さっき邪鬼が本来の鬼の姿に戻るためにした動作と同じだ。桃太と奏は「え、どうして尾谷さんが!?」と驚愕の表情を浮かべる。

 邪鬼のときとは違い、善夜は白い煙に包まれた。煙が広がるのと同じように、善夜の影も大きくなる。

 煙が雲散霧消うさんむしょうすると、そこには邪鬼と同じほどの大きさとなった善夜が立っていた。髪は逆立っており、目つきの鋭さが際立っている。

 善夜が邪鬼の頭を掴むと、たちまち邪鬼は二メートルの小さな邪鬼に戻った。

 桃太、奏、邪鬼は驚いて開いた口が塞がらないが、真っ先に動いたのは邪鬼だった。慌てて善夜にひざまずくと頭を下げた。

「え、ど、どうしてあなたが!」

「こいつの頼みでこちらに来ているんだ。お前の方はどうしてここにいるんだ? お前はあちらで真面目に働いているのではなかったか?」

 邪鬼は口ごもって黙ってしまった。

 固まっていた桃太はようやく動けるようになり、まだ固まっている奏の腕を掴んで八尋のそばに駆け寄る。そして、わなわなと善夜を指差して叫んだ。

「お、お、尾谷さんが鬼!?」

 桃太の横で奏もこくこくと頷いて桃太の疑問に同意する。

 八尋は必死な様子の二人に笑った。

「そうだよ。彼も鬼なんだ。いい鬼だから怖がらないであげてね。ああ見えて善夜って子ども好きだから」

「こ、子ども好きなんですか。意外です」

「でも私たち子どもってほど小さくないですよ?」

「僕たちからすれば小さな子どもと同じだよ。守ってあげないと、すぐに死んでしまいそうなくらい壊れやすいからね」

「八尋、無駄話はよせ。こいつはもう、あちらに帰していいのか?」

 善夜は邪鬼の首元を掴み、顔を上げさせた。

 ひどく怯えた表情の邪鬼は歯を食いしばっている。

 善夜が軽く邪鬼の額をこつくと、「罰」という文字が額に浮かび上がった。邪鬼は苦悶の表情で頭を押さえて地面に倒れた。

 地獄に響くような恐ろしい声で呻く邪鬼に、桃太と奏は「ひっ」と悲鳴を上げた。

「待って善夜、彼には聞きたいことがあるんだ」

「聞きたいこと?」

「彼女のことだ」

 ちらりと足元で悶え苦しむ邪鬼を見てから、善夜は八尋にバトンタッチした。

 邪鬼に近づくようにしゃがみ込んだ八尋は呻く邪鬼の声にかき消されないように大きな声を出す。

「もう一度聞く。彼女はどこにいた? 言わないのなら善夜に言って地獄に返してもらうよ。君は邪鬼にあるまじき行為をしていたんだ。地獄で亡者とともに苦しくて長い罰を受けることになるだろう。今すぐ地獄に送られたいのかい?」

「う……だ、誰が言うもの、か……」

「僕は君を傷つけられないが、善夜なら君を苦しめることができる。もっと苦しみたいのかい? 早く言った方がいんじゃないかい?」

 八尋の声は淡々としている。いだ海のような表情で静かに語りかける。

「誰に口止めされているんだい? 君にとって善夜よりも恐ろしい相手? ……彼女をどこで見たのか言えないのなら、せめて口止めしている相手を教えろ」

 八尋と善夜の顔を交互に見た邪鬼は、苦痛に歪んだ表情のまま笑い、意を決したように口を開いた。

「悪いけど、どっちも言えないね」

邪鬼は右腕を地面に突き刺した。そしてそのまま左腕も突き刺し、次に頭、首、上半身と、まるで地面がぬかるんだ泥のように体をめり込ませていく。

慌てて八尋が止めようとするが、邪鬼の足は八尋の手をするりと抜けて地面に沈んでしまった。

思わず八尋は舌打ちした。

「まさか印をつけられたまま地獄に戻るとは思わなかった」


 邪鬼が地面に消えると、用のなくなった善夜は元の人間の大きさに戻った。邪鬼もそうだが、善夜もこの世界で大きい姿でいるのはあまり好きではないのだ。ここだと木の枝が邪魔だし、場所を取る。自分たちよりも、ずいぶんと小さい人間たちと喋るには距離が遠くなる。いいことはあまりない。

 邪鬼が帰り、事件は解決すると四人の間にしばらく沈黙が流れた。

 八尋はまだ苛立たしげだし、善夜は元々無口。桃太と奏は話していい空気かどうかわからず口をつぐんでいる。

 四人分の呼吸音と雨音だけが聞こえる。

 しかし黙っていたままでは、無駄に時間が過ぎるだけだ。桃太はおずおずと挙手して口火を切った。

「あ、あの八尋さん、印をつけたまま地獄? に帰ったらどうなるんですか?」

「あの印は上の立場のものに罰を与えられているしるしだ。罰が終われば印は消される。そして善夜のつけた印は善夜にしか消せない。つまりあの印をつけたまま地獄に行けば、たちまち『罰を与えられているのに逃げてきた』ということがわかるんだよ」

 次に奏が挙手した。

「はい、梅崎さん」

「え、えっと尾谷さんが邪鬼より上の立場ってことですよね。ど、どれくらい上なんですか?」

毘沙門天びしゃもんてんって知っているかな? 善夜は毘沙門天の眷属けいぞく……簡単に言うと部下かな。で、毘沙門天の部下の夜叉やしゃなんだ、邪鬼は夜叉の家来けらいだから歯向かうことばできないんだよ」

「や、夜叉!」

「漫画によく登場するやつだ!」

 奏と桃太は善夜をまじまじと見た。

「俺はあくまで、あまたいる夜叉の一人にすぎん」

「まあ、すごいのには変わりないじゃないか。君が夜叉だからこうして僕はのんびーりと過ごせるんだし、感謝してるよ、ワトソン君」

「ワトソン?」

「こっちの話」

 八尋はにこにこ笑う。

 桃太は頭を抱えて、目をくるくると混乱させている。新しい情報が多すぎてキャパシティオーバーしているのだ。桃太よりも頭のいい奏ですら理解していなことが多いのだから、桃太に理解できるはずない。

「なんで尾谷さんがここに来たの? っていうか、なんで八尋さんは夜叉と仲がいいの? 邪鬼が家来? 夜叉がたくさんいる? っていうかっていうか、さっきの邪鬼ってなんかいっぱい姿変えてたけどなんで? 八尋さんが邪鬼に攻撃でいないのもわからないし、結局、八尋さん刺してたし、え、あれ? じゃあ八尋さんってなんかやばいことになるの? 地獄に落ちるとか!?」

 湧き出る疑問を片っ端から呟きながら、だんだんと八尋が危ないんじゃないかと気づき顔を青ざめさせた。

 桃太の疑問に最初は呆れていた奏も、八尋が地獄に落ちるのではという言葉にハッと泣きそうになった。つい今しがた、邪鬼が悪いことをして地獄で罰を受けると言われていたところだ。八尋も悪いことをしたのならば善夜に地獄に落とされるのでは、と考えたのだ。

 パニックになる二人に八尋は落ち着くように言った。

「まあまあ落ち着いて。僕は大丈夫だから。落ち着いてから一つずつ説明しよう」

 二人に深呼吸するように言ってから、八尋は地面に落ちたままの自身の魂を善夜に渡した。

「これ、見てわかるだろうけど僕の魂。あの邪鬼に抜かれたから入れなおしてくれないかい?」

 リモコンに電池を入れておいて、と言うくらいの軽い口調に善夜は呆れかえった。しかし八尋のこんな態度は慣れてもので、無言で八尋の腹部に青い玉を押さえつけて魂を八尋の中に戻した。

「お前の大事な魂なんだから、あまり乱雑に扱うなよ」

 一言忠告はしたが、八尋はどこ吹く風とばかりに気にした様子はない。

 それどころか八尋の言葉は無視して深呼吸を終えた桃太と奏に笑いかけていた。

「落ち着いたようだね」

「は、はい。それで……」

「うん、わかっているよ本庄君。まずは善夜がここに駆け付けた理由だったかな?」

「邪鬼と戦う前に飛ばした霊符が呼んだんですよね?」

 奏の言葉に八尋は頷いた。

 霊符を一枚取り出すと、人差し指と中指で挟んで持ち「この憑代、我が影となりたまえ」と唱えながら霊符を投げた。

 それは襲ってくる邪鬼を避けたときに八尋がしたことの再現だった。

 あのときと同じように霊符はしばらく旋回して落下すると、しだいに勝手に折り畳まれ、蝶のように羽ばたき始めた。

 八尋が羽ばたく霊符の近くに手を差し出すと、ゆっくりと霊符は人差し指の先に止まった。

「僕の影、つまり分身みたいなものだよ。たいしたことはできないけど、善夜をここに連れてくるくらいのことはできる。今の時代は携帯電話があるから昔ほど使わなくなったけどね。いやあ、便利な世の中になったものだ」

 再現するためだけに作られた影は、役目を終えて消えてしまった。

 次の桃太の疑問に答えようとした八尋だったが、その前に奏が挙手したため口を閉じた。

「どうしたんだい、梅崎さん」

「そんな簡単に尾谷さん来られるんですか? 警察ですよね? まだ勤務中じゃないんですか? 八尋さん『警察ごっこ』なんて言っていましたし……」

 奏の質問に答えたのは八尋ではなく善夜だった。

「俺は警察だが、警察ではない」

「それってどういう……」

「俺が警察官として働きだしたのは一カ月前。八尋がここで相談所を始めると言ったからだ。俺はさっきも言ったように夜叉だから、大学どころか高校や中学といったこの世界の学校なんて行ったことはない。ではなぜ警察官として働けているか? それは適当に書類を捏造したからだ。それどころか、俺の勤務先の人間たちは、今現在も俺がそこで働いていると思っている」

 さらりと「書類を捏造」と言われ奏は何も言えなくなった。

「この世界で俺が存在していた痕跡を作ることなんて造作ないことだ」

「なんかわからない、というかわかりたくないけど、とりあえず尾谷さんがここに駆け付けられた理由はわかりました……。八尋さん、話を続けてください」

「ああ。僕と善夜が仲がいい理由だったね? それは僕が昔、善夜に助けられたからだよ。夜叉は護法善神ごほうぜんしんといってね、仏教徒を守る神なんだ。それで僕は善夜に助けられ、助けられた縁で善夜は僕の面倒をみているんだ」

「助けたのに面倒もみる?」

「そうだよ。まあ細かいことはいいじゃないか。夜叉は怖い顔して心が広いってことで」

 納得がいかないが八尋がそれ以上語ろうとしないなら追求しても意味がない。

「あとは鬼のことだよね。夜叉は元々、古代インド神話の悪い鬼だったんだ。そのときの夜叉の王が毘沙門天で家来が邪鬼だ。夜叉は部族の名前だからたくさんいるのは当たり前だろう? ……ところでお釈迦しゃか様は知っているかい?」

「えっと……」

「仏教の開祖でしょ、桃太郎君」

「ああ、そういえば社会の授業で習ったような……、仏陀ぶっだだ!」

 八尋は静かに頷いた。

「簡単に言うと、お釈迦様によって悪い毘沙門天や他の夜叉、邪鬼は仏教の中に取り入れられて良い鬼になったんだ。毘沙門天は仏教の四人の守護神の一人になったし、夜叉も仏法や仏教徒を守るようになった。邪鬼も同じだし、ほとんどの邪鬼は地獄でせっせと真面目に働いているよ。だけどときたま、さっきの邪鬼のように悪いことをするやつがいるんだ」

 八尋は仏頂面の善夜を指差して「ほら、悪いやつには見えないだろう?」と笑うが、桃太と奏にはよくわからない。なぜなら、凄まじく八尋を睨んでいるからだ。善夜はあまり「悪いやつじゃない」と庇われるのは好きではないらしい。

 悪い鬼に見えるかどうかはさて置き、少なくともこの前、相談所で見た善夜を悪い人だとは思わなかった。それだけで桃太と奏は八尋の言葉を信じられる。

「それで、僕が邪鬼を傷つけられなかった理由だね。……結局は二回も刺しちゃったけど」

 桃太と奏は心配していたのに、当の本人はケロリとしている。

「喫茶店でも言っていたけれど、邪鬼は生まれつき鬼だ。それに対して僕が今まで切ってきた鬼は人間が鬼になったもの。喫茶店では、こう二種類の鬼の違いを説明していたのを覚えているかい?」

 二人は頷いた。

 地獄にいる生まれつきの鬼と、死んだり恨みが強くて鬼になったもの、そう説明していた。そして八尋が今まで切っていたのは後者だとも。

 八尋はその二種類の鬼には、もう一つ違いがあると説明する。

「『人間が死んで鬼になる』『恨みの強い人間は鬼になる』というのは大昔の日本人が生活の中で気づいたことだ。日本人の民族宗教は神道だから例えるなら神道の鬼。それに対して八尋のような夜叉や邪鬼はさっき言ったように仏教に属しているから仏教の鬼」

 八尋の言う、二種類の鬼の違いが宗教によるものだということは、よくわかった。しかし、だからといって八尋が邪鬼を切ってはいけない理由はわからない。

 納得のいっていない桃太の顔を見て八尋は説明を続ける。

「邪鬼はあれでも神のもとにいるものだ。上石と名乗ったあの邪鬼は欲にまみれてはいたが、きちんと人間を正しい道へと導く邪鬼も多い。だから下手に手出しはできない。それに僕は神道側の人間だからね。あまり違う宗教の鬼に関わるのはよくないんだ。向こうの神様からしても気分が悪いだろう?」

「じゃ、じゃあ八尋さんは……」

「安心して、梅崎さん。僕は善夜の加護のもとにいるからね」

 八尋は善夜の背中を叩いた。

「これで質問は終わりかな? さあ、今日は気疲れしただろうし、雨で濡れているし帰ろう。……あ、善夜、連続不審死事件は適当に犯人が捕まったことにしておいてくれ。そうじゃないと、このあたりの人が安心できないからね」

「わかっている」

 雑用を頼まれても、善夜は嫌な顔一つせずに了承した。

 四人は木々を抜けて墓地の敷地から出ると、そのまま砌駅まで歩いていく。山の中は木々に囲まれていたせいでずっと暗かったからわからなかったが、もう家に電気がついている時間だった。

 ずっと雨に濡れていた桃太と奏は、もう吸えないほど水を吸収した制服の裾を絞って、少しでも不快感をなくそうとしたがあまり変わらない。

 駅の駐輪場から自転車を出した二人は自転車を押して四人で帰ろうとしたが、八尋はそれを止めた。自転車に乗って早く帰るように言うと、二人は不満そうな顔をしたが八尋の好意を無駄にすることのできない奏は、桃太を引っ張って二人で帰った。

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