五話 四月二十四日 昼 砌駅周辺にて

 太陽は真上にあるというのに空は鈍色で、昼間とは思えないほど外は暗い。

 春の風は冷たく、四月ももう下旬だというのにコートが必要なほど肌寒い日だった。

 八尋は昨日来た砌駅にやって来た。月曜日の昼間だけあって、昨日よりも人通りは少ない。聞き込みには不便だが、こそこそと調べまわるには人目は少ない方がいい。


 八尋は駅の改札口から二十メートルほど離れた第一の事件が起こったコインパーキングの前に立つ。全国チェーンの有名なコインパーキングだ。

 ざっと三十台は停めるスペースがあり、周囲を囲うのは緑のフェンスのみ。見晴らしは抜群だ。

 ――死角もない、だだっ広いコインパーキング。知性があるなら選ばない場所だな。

 端正な顔に蔑視の色をにじませる。

 次の事件現場であるスーパーに移動しようとした八尋は、違和感を覚えて立ち止まった。

 ――ここで事件が起こったのは夜。

 八尋は顔を上げた。

 ここには光源になるものがあまりに少ない。古ぼけた小さな街灯がぽつりぽつりとあるだけ。

 いくらコインパーキングに死角がないとはいえ、油断している人間を襲うくらい鬼には容易いことだろう。悲鳴を上げる間もなく襲われたことを考えると、コインパーキングの前を歩く人間がいたとしても鬼に気づかない可能性も高い。

 ――偶然か? それとも状況を考えるだけの知性はあるのか?

 それにしては喫茶シェーヌの件がずさんすぎる。

 目くらましのためにわざと考えなしのフリをしているのか。それとも何か理由があって喫茶シェーヌでは人目のつく朝に襲ったのか。あれこれ考えたが、八尋の求める答えはここにはない。


 二つ目の事件の起こったスーパーの裏は袋小路になっている。

 ここもコインパーキングと同じで人目にはつくが街灯はない。

 八尋は現場のすべてを記憶するようにゆっくりと見回す。しかし記憶するほどのものはない。袋小路には家が二件しかない。電信柱は一本。

 事件が起こったのは午後十時。

 八尋は踵を返して袋小路から出てスーパーに入った。入ってすぐにレジがあるが、そこには店員がいない。

 コンビニほどの広さといっても商品は多岐にわたる。商品棚の溢れる店内では、レジ前から店員を探しても見つからない。

 狭い棚の間を縫うように歩いていると、店の奥の菓子の棚でようやく店員を見つけた。

 緑のエプロンをつけた大学生くらいの若い男が、しゃがんでけだるげに段ボール箱からポップコーンを棚に並べている。

 店員の男は八尋に気づくと、わずかに作り笑いを浮かべて「いらっしゃいませー」と力なく声を上げた。言いながら、店員は棚に視線を戻す。

 八尋は店員のそばまで寄り、店員のそばのスナック菓子を一袋手に取った。そして親しげに店員に話しかけた。まるで友人に話しかけるように。

「最近物騒ですよね。客足に影響あったりするんですか?」

 店員はポップコーンを並べる手を止めた。

「ええ。ニュースで騒いでる連続不審死ですよね。一件はここの裏で起こったんでお客さんが怖がってしまってねえ。もう暇で暇でしょうがないですよ。……まっ、俺はただのバイトなんで暇な方がいいんですけどね」

 ははは、と冗談っぽく笑い、店員は立ち上がって膝の汚れを払い落とすと八尋に向き合った。

「夜に起こったんですね」

「そうですよ。パトカーすごかったらしいっすよ。俺はその日バイトじゃなかったんで騒ぎ見てないんすけどね」

「第一発見者は……」

「ここの従業員すよ」

「へえ。なら犯人見ていたりとか……」

 話したくて仕方がない様子を隠しきれない店員は、体裁だけ取り繕って興奮した声で話し出す。

「ここだけの話っすよ。……背の高い男らしいですよ」

 どうです、すごい話でしょと口の元をニヤつかせた。

 長い前髪をかき分けた店員は、八尋のリアクションを楽しみに待っている。

 八尋は店員の心理を読み取り普段の八尋からは想像もつかないほど輝く笑顔で「へえ! すごいですね!」と大袈裟に驚いた。

 とっておきの秘密に驚く様子が見られた店員は満足そうな表情をしながらも「くれぐれも内緒ですからね」と八尋に口止めをする。

 もう少し店員から話を聞きたかったが、レジの方から店員を呼ぶ声が聞こえて店員はレジ対応に行ってしまった。

 八尋は店員が去ったあと、近くにあるチョコレート菓子の袋も一袋手に取りすでに持っていたスナック菓子の上に重ねて持った。何も買わずに出ていくのはきまりが悪い。八尋は菓子は食べないが、今度桃太と奏が相談所に来たときに出せば喜ぶだろう。自然とそう考えていることに八尋は驚きながらも、一人のときでは味わえなかった充実感も悪くないなと口元を緩めた。


 お菓子が二袋入った小さなビニール袋を片手に、第三の事件が起こった公園をぶらつく。

 くたびれた雰囲気のある公園だ。

 遊具というほどの遊具はない。あるのはブランコと滑り台だけ。それらもカラフルな塗装が剥げて赤茶色の錆が見える。遊具があった跡がところどころに残っているから、おそらく古くなって撤去されていったか、安全上に問題があって撤去されたのだろう。残ったブランコと滑り台だけでは物寂しい。そろそろ小学生が下校する時間だが、はたしてこの公園で遊ぶ子どもがいるのかどうか。

 いたとしても、小学生相手にあまり話は聞けそうにないが。

 あまり不躾に聞くと、不審者として通報されかねない。保護者に聞くのも同じく危険だろう。

 普段人とかかわりを持たない八尋は、まだ世間の常識に馴染めない。常識は月日とともに変化する。八尋の幼いころと今とは全く違う。

 八尋の幼いころは子どもの死は当たり前だったし、子どもでも大人でも飢えと苦しみの中で生きていた。街中に死体が溢れていることも多かったし、それが原因で鬼も大量に発生していた。

 今のように人間たちが鬼を知らずに生きているのは、とても素晴らしいことだ。

 死の恐怖も絶望も、愛するものとの別れも、知らないまま生きられるというならそれに越したことはない。少なくとも八尋は桃太や奏に自分が味わったような絶望感や虚無感を味わわせたくはない。

 八尋は公園のベンチに座り、緑の葉に覆われた藤棚の隙間から空を見た。

 天気は悪くなる一方。雨の匂いもし始め、もうしばらくすると雨が降りそうだ。

 ――スーパーで雨傘を買っておくべきだったか。

 過ぎたことを悔やんでもしかたがない。早く鬼の種類か居場所を特定して相談所に戻るのが最善だろう。

 生憎この公園には手掛かりがない。早朝襲われたという新聞の情報より有益なものは見つからなかった。ならば場所を変えるか聞き込みをしなければならないな。

 朽ちかけた木のベンチから立ち上がり、公園から出て砌駅の方に歩いていた八尋は、どこかで見た男性を見つけた。

 前方から八尋の方に歩いてくる男性は、たしかに見覚えがある。相談者ではない。近所の人でもない。それどころか会話した記憶はない。それでもどこかで――。

 男性とすれ違ったとき、ようやく八尋はその男性をどこで見たのか思い出した。

 昨日、喫茶シェーヌで会ったのだ。

 八尋のあとにシェーヌに来て、そして水の入ったグラスを落として割った客だ。

 よれよれのスーツに曲がったネクタイ。どちらも昨日も同じような状態だったので覚えていたのだろう。

 八尋は咄嗟に男性を呼び止めた。

「すみません」

 八尋の声に男性は足を止めた。

 緩慢な動きで振り返った気の弱そうな男性は、戸惑いつつも八尋を見る。

「突然お呼び止めしてすみません。昨日、喫茶シェーヌにいましたよね?」

「え、ええ……」

「僕も昨日シェーヌにいたんですよ。いいところですね。あなたはあそこの常連なんですか?」

 突然話しかけられて警戒した様子の男性は忙しなく短い髪を触った。

 あまり人と話すのが得意ではないのか、男性はしどろもどろになりながら答える。

「常連ってほどでもないですけど、最近よく行きます……」

「そうなんですか。それは失礼しました」

「い、いえ」

 話が終わったか、と男性は八尋から離れようとしたが八尋は話を続ける。

「もし時間があれば少しお話をうかがってもよろしいですか?」

「は、はい。大丈夫です」

「連続不審死を調べていまして、何か知っていることがあればお聞きしたいのですが……」

 男性は無言になった。

 ――もしかして不審死のことを知らないのか?

 普段ニュースを見ていないのなら、事件の存在すら知らない可能性がある。

 八尋は自分の質問で男性を困らせてしまったのではないかと慌てた。ただでさえ話し下手に見える。知らない事件のことを聞かれてパニックになっていたら大変だ。

「すみません、急に不躾なことを聞いてしまって……。もしかして連続不審死事件のことを知りませんでしたか?」

「い、いえ! 知っています。……話せることがあるか考えていて」

 男性の言葉に八尋は安心した。

「でもあまり事件のことは詳しくなくて……」

「いえいえ、大丈夫ですよ。ありがとうございました」

 八尋が軽くお辞儀をすると、ようやく男性は緊張がとけたのか、ほんの少しだけ笑った。

 ――世間話でもしたら何か話してくれるかもしれない。

 素早く脳内で損得を計算して、次の瞬間には笑顔を作った。

 男性はたわいのないことだと思っていることでも、八尋にとって大事な手掛かりになることはある。それを聞き出すには質問よりも自然と会話する方がいい。

「申し遅れましたが私は藤八尋と申します。相談所をしていて、それで事件のことを調べているんです」

「あ、俺は上石うえいしです」

「このあたりに住んでいるんですか?」

「そうですね、近所です」

「喫茶シェーヌのおすすめのメニューなんてあります? 僕は昨日が初めてなんでアイスコーヒーしか飲んでいないんですよ」

「ホットケーキが美味しいらしいですよ」

「ホットケーキですか! 今度食べてみますね」

 八尋の言葉に上石は一言二言で返事をして、あまり会話が盛り上がらない。

 それでも上石が嫌そうにしないので根気よく天気の話や近くの施設の話を続けていると、だんだんと饒舌に話すようになった。

 この調子なら、と本題を切り出した。

「それにしても連続不審死っていつまで続くんでしょうね。警察が警戒しているらしいですけど、上石さんは次も起こると思います?」

「どうでしょう……。でも今までも警察がパトロールしても起こっているので六件目も起こるんじゃないですか?」

 ――六件目?

 たしか事件は四件のはずだ。次に事件が起こるなら五件目になる。

 言い間違いか勘違いかと思いながらも、上石が不審に思わないようにできるだけ自然に話を誘導する。

「今までは人の多い場所ですし、次もそうでしょうね。えっと、今までが駐車場と公園、喫茶店……あと」

「スーパーとホテルですね。スーパーが二件目でホテルが五件目」

「ああ、そうでしたね」

 やはり上石は連続不審死が五件だと思っている。

 新聞では四件と書かれていた。

 どちらが正しいかはホテルに行けばわかるだろう。

「まだホテルを調べていなかったので今から向かおうと思うのですが、地図を忘れてしまって……。すみません、ホテルはここからどうやって行けばいいですか?」

 上石はそれが場所を聞き出すための質問と気づくことなく、快く頷いた。

「線路沿いに南に歩いて行けばすぐに着きますよ」

「ホテルの名前も教えていただいても?」

「ええ。ホテル玄武です」

「ホテル玄武ですね。ありがとうございます」

 砌駅から南といえば、相談所のある方向だ。

 思い返してみると昨日も今日も砌駅に行くまでにホテルの前を通った気がする。あまり注意していなかったから記憶に薄いが。

 話を聞かせてもらったお礼もあわせて言い、深々と頭を下げてから八尋は上石と分かれた。


 砌駅から五分歩くとホテル玄武に到着した。

 あまり広くはないホテルで周囲の建物と同じように古い印象だが、正面は小奇麗に整備されている。

 併設されているカフェで話を聞こうと中に入ろうとしたが、その前に警備員を見つけた。

「すみません、少しよろしいでしょうか」

 近づきながら声をかけると、警備員も「はい?」と小首を傾げながら八尋に近づいてきた。

「連続不審死事件のことを調べていまして、ここでも事件が起こったそうなので来たのですが……」

 警備員は目をまたたかせた。

 ――この様子だと、上石さんの勘違いか。

 せっかくの手掛かりが消えてしまった。残念だがしかたがない。

 警備員に謝って他の情報を聞こうとしたが、その前に警備員は「ああ!」と思い出したようにポンと手を叩いた。

「もしかして先週の血だまりのことですか?」

「血だまり?」

「先週ホテルの前に血だまりがあったんですよ。そのことじゃないですか? 連続不審死とは違いますが」

「それっていつのことですか?」

「ええっと、二十日のはずですよ」

 八尋はすぐにその日付をメモした。

「でも連続不審死と違って遺体は見つかっていないし、たぶん関係がないと思いますよ。ただの事故だと思いますが……。一応警察には連絡したんですけど、被害届も出ていないそうなので友達とふざけてて怪我でもしたんじゃないですか?」

「被害届が出ていない?」

「と聞いていますよ。事件が多いので警察も血を見に来たんですけど怪我人も遺体も、被害届もないから事件性はないと言って帰っていったみたいです」

「血だけでは警察も動けませんし、しかたありませんね」

 メモを取り終え、ぱたんと手帳を閉じた八尋は警備員に恭しくお礼を言い、踵を返して砌駅に戻るために足を動かした。

 遺体のない血だまりとは、なんとも事件性がありそうだが警察の言うように今回の事件とはかかわりがなさそうだ。魂を喰らう鬼は肉体を食べない。邪魔でしかない遺体をわざわざ持ち去るなんて考えられない。

 上石の勘違いだったか。

 おそらく彼はあまりニュースに興味がないのだろう。しかしここに住んでいる限り事件のことは耳にする。その中に先週ホテル玄武の前に血だまりができていたと聞き、今回の事件の最新情報だと思ってしまったに違いない。

 今回の鬼の情報には繋がらなかったが、不可思議な事件は今後役に立つ可能性がある。ここまで来たのも無駄足ではない。

 八尋は歩きながら腕時計を見た。そして嘆息する。

 もうすぐ漱朋そうほう高校の下校時間だ。

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