四話 四月二十三日 夕方 喫茶シェーヌにて
「お待たせいたしました」
店員が可愛く作った声で八尋たちのテーブルに近づいた。
桃太と奏は彼女の持つトレーの上のフロートに釘づけだ。コーラがバニラアイスの下でぱちぱちと弾け、水沫が跳ねる。
店員はそれぞれの前に商品を置くと、テーブルの上に開かれた地図の存在に気づいた。
「あれ? この前の事件のこと調べているんですか?」
「あ、はい」
桃太が頷くと、店員はトレーを抱えて眉を下げた。
「怖いですよね。先週の事件、この目の前ですよ」
「事件について知っているんですか?」
八尋が聞くと、店員は慌てて首を横に振った。
「全部じゃないですけどね。ここのことと、公園の……この三月二十九日のやつなら。私の家、公園の近くなんです」
地図を指差して説明する店員に、八尋は「なるほど」と呟いた。
「どうして事件を調べているんですか?」
店員の当たり前すぎる質問に桃太と奏はどう答えていいかわからずに八尋を見た。一般人が事件を嗅ぎまわっているなんて不自然すぎる。不審に思われたら事件の情報を教えてもらえないだろう。
うろたえる二人とは違い、八尋は平然と「この子たち新聞部なんです。最近事件が多いので生徒たちに注意喚起する新聞を作りたいと言うんで、間近のこの事件のことを調べようかなと思いまして。僕は付き添いです」とさらさらと嘘を並べる。
漱朋高校には新聞部なんてないし、もしあったとしても学外の事件を調べるなんておかしい。だけど不思議なことに目を見て言い切られると、それが事実のように感じられる。
店員も八尋の言葉を疑うことなく受け入れた。
そして話を詳しく聞いてもいいかと聞く八尋に店員は笑顔で頷いたが、直後に喫茶店の扉が開き、客が来てしまった。店員は申し訳なさそうな顔をしながら、入ってきた男性客の方に小走りで駆けていった。
詳しい話はお預けだが、店員が離れたので鬼の話ができる。
「八尋さん、鬼の手がかりはありますか?」
赤い霊符と地図とを見比べている八尋に奏は尋ねた。
八尋は無言で首を振る。
鬼は攻撃的な種が多い。それだけでは何もわからない。被害者に共通点があれば、あとはその共通点から怨念になりそうなものや鬼を引き寄せるものを探せばいいが、無差別だと鬼の種類を絞ることは困難になる。
八尋は今ある情報を洗いなおした。
今わかっているのは、被害に遭った日付と場所そして被害者の性別。引っかかっているのは三人目だけ他の被害者と違う点があることだ。一人目二人目と四人目は女性で心肺停止で見つかっている。三人目だけ男性で腹を抉られていて、しかも四人目まで二週間以上経っている。
男を襲ったときに反撃された? 何か用事があった? 見つかっていないだけで他にも被害者がいた?
八尋は考えを巡らすが、どれもピンとこない。やはり情報が少なすぎる。
三人で頭をひねっているところに、女性店員が戻ってきた。
「連続不審死のことですよね。えっと、公園とこの店の前のこと」
「ええ、お願いします」
「さっきも言いましたけど、私の家は公園の近くなんです。その日、私は朝からここでバイトだったので騒動を見ていたんです。発見したのは小学生ですけど、警察が来るまでに私も通ったのですっごく血だらけの現場見ました」
「その男性のことを知っていますか?」
「私は知り合いじゃないんですけど、噂は聞いたことありますよ」
「噂?」
「亡くなってから色々お客さんたちが、その男性の思い出話をしているんです。だから少しぐらいならわかりますけど……」
店員は周りに聞こえないように声のボリュームを抑えて八尋たちに一歩近づく。
「ここよりもう少し下の方に住んでいる人で、歳は三十代。奥さんがいるはずです」
「恨まれるようなことは?」
「いえ、その人が亡くなってみんな悲しんでましたし、警察は怨恨ではないって言っていましたよ」
「そうですか……」
「公園の方はそれくらいですけど、喫茶店の前で起きた事件の方は亡くなったのが常連さんなので詳しいですよ」
きょろきょろと他の客が見ていないか確かめてから、さっきとは違い少し沈んだ声で話し始めた。
「二十六歳の女性です。毎朝ここで朝食を食べてから出勤しているそうで、十七日もここに食べに来るところだったんです。私と同じ大学に通ってたからすごく優しくしてくれて、好きだったので亡くなったのがショックでした……」
「亡くなってすぐに発見されたんですか?」
「はい、いつの時間になってもいらっしゃらないから変だなーって思って外を見たら倒れていて……」
「それは何時ごろですか?」
「七時です」
「不審な人は?」
「見ましたよ」
あっけらかんと言う店員に三人は虚をつかれた。
「え?」
「ど、どんな人ですか?」
驚いて桃太は食い気味に聞いたが、店員が答える前にガシャンとガラスが割れる音がした。店内にいた人たちが一斉に音のした方を向く。
さっき入ってきた男性客の足元に散らばるガラスと水たまりができている。男性客はわたわたと、びしょ濡れのテーブルを布きんで拭くが吸収しきれない水がどんどんと床に落ちていく。
その様子を見た店員は、とっさに男性客の方へ駆けだそうとしたが八尋たちと会話の途中だったことを思い出して足踏みした。意識は完全に男性客の方にあるが、早口で自分が見た不審な人のことを八尋たちに伝える。
「中年の男性です。走り去っていく姿だったのでどんな人かはわからないんですけど、他の事件でも同じような男性の姿があったらしいです」
「いえいえ、色々とありがとうございました」
「あ、これ、事件のことが載っている新聞です。よかったらどうぞ」
マガジンラックから新聞を抜き取り八尋に手渡してから、足早に八尋たちの元から去っていった。
八尋は受け取った新聞を開き、事件の記事を探す。
奏と桃太はようやくフロートに手をつけた。ストローをソフトクリームに突き刺し、一口飲む。二口めはソフトクリームを少し混ぜて。どこで飲んでも同じような味だが、どこで飲んでも変わらず美味しい。
フロートを飲んで少しさっぱりした桃太はだらりと背もたれに寄りかかる。
「目撃者がいるのに見つからないものなんですね」
特に返事を求めないひとり言のつもりだったが、その呟きに八尋が答えた。
「鬼だからね。……でもわかったことはある」
「え! なんですか?」
「あまり賢くない鬼ってことだよ」
「賢くない?」
「どうしてわかるんですか?」
「っていうか、賢くないからなに?」
桃太と奏の頭の上にクエスチョンマークが飛び散る。
「説明するついでに鬼の種類の話もしようか。前は途中までだったからね。本庄君、大丈夫かい?」
「大丈夫です。……たぶん」
「桃太郎君のことはほっといても大丈夫ですよ、八尋さん! わからないようなら私が後で解説しますから」
任せてくださいと胸を張る奏。
「はは、じゃあ本庄君への解説は梅崎さんに任せようか」
「はい!」
「まず、鬼には生まれつき鬼のものと、鬼になったものがいる。生まれつき鬼というのは君たちが思い浮かべる角のはえた鬼や体の大きな鬼だ。この鬼は地獄にいる」
二人はふむふむと頷いた。
「もう一種類の鬼になったものというのは、死んで鬼になったり、怨みが強すぎて鬼になったものだよ。前の生き霊やがしゃどくろがそうだ。つまり元は人間なんだ」
これは実際に見たからわかる。
この二種類の鬼の区分は、俗にいう妖怪とお化けの違いだろう。人が死んだらお化けになる。妖怪は生まれたときから妖怪のイメージが強い。
「両方とも人間を襲うが、襲う理由が違う。元人間の鬼は憎悪で殺すが、生まれつきの鬼は娯楽や捕食が理由だ」
八尋ができるだけ簡単な説明を心掛けたおかげで桃太でも話についてくることができた。
本当は様々な例外や詳しく説明をしたい部分もあるが、話を長くすると聞いている方はわけがわからなくなるので割愛した。
八尋は新聞を二人に読めるように半回転させた。
「ここで今回の事件のことを当てはめよう。襲われた理由だけど被害者に接点はない。それは新聞に書かれている。一人目の被害者は他県から来た旅行者で盃山市に住んでいない。そして年齢もバラバラ」
「この事件は、生まれつきの鬼の仕業なんですね」
接点がないのなら怨恨の線は消える。
奏の言葉に八尋は頷いた。
「娯楽か捕食かだけど、僕は捕食じゃないかと思っているんだ」
「どうしてですか?」
「食べるって言ったって、抉られてるのは三人目だけじゃないですか」
桃太は捕食なら四人とも無残な姿で発見されているはずだと考えた。
「この鬼はおそらく肉を食べるんじゃなくて、魂を食べているんだ」
生きたまま魂を抜かれ程度ではすぐには死なないが、その魂が食べられてしまうと肉体も死んでしまう。
魂を抜くのに傷はつかない。
「娯楽なら、被害者の悲鳴を楽しむか事件に怯える人間を見て楽しむだろうけど、悲鳴は上げていないみたいだし、この事件で猟奇的なのは三件目だけ。もし三件目も外傷がなければおそらく問題になっていなかっただろう?」
「そうですね」
鬼は人間の体に腕を突き入れ魂を抜くが、肉体には傷がなく意識障害によるショック死として取り扱われる。
鬼の目的が娯楽ならば、もっと人間の恐怖心を煽る殺し方をするだろう。
八尋の言っていることはわかるが、桃太にはその鬼の説明がどうして鬼が賢くないという結論に繋がるのかわからなかった。
桃太は八尋の説明の邪魔にならないか心配しつつも、こっそりと手を挙げた。
「それが今回の鬼が賢くないっていうのと何か関係が?」
「捕食ならもっと人目につかず犯行を行える。それに鬼なら人間に傷をつけずに魂だけ抜くことができる。それなのに三人目で腹部を抉り、それに逃げる姿を見られている。賢い鬼はこんなずさんな計画は立てない」
「なるほど。……それで、鬼が賢くないからなんなんですか? それで鬼の種類がわかるんですか?」
八尋は首を横に振った。
賢くない鬼なんて無数に存在している。
八尋は握った手を二人に向けた。
「指には一本一本に意味がある。貪欲、嫉妬、愚痴、知性、慈愛の五つ」
言いながら、一本ずつ指を伸ばしていく。
「生まれつきの鬼は、三本か四本しかない。まず共通してないのが慈愛だ」
開いた五本の指から、まず親指を折り曲げた。
「そして三本の鬼は知性もない」
人差し指も折り曲げた。残った指は三本。
「なるほど! つまり今回の鬼が賢くないってことは三本指の鬼ってことですね」
「そう。だけど鬼のほとんどは三本指なんだ。知性のある四本指の鬼は烏天狗、河童、茨木童子の三種類だけだからね」
「ええー、それじゃあ知性がないってわかったところで意味がないじゃないですか」
「いや、そうでもない。知性がないってことは必ずどこかに証拠や手がかりを残しているはずなんだ。それを糸口に鬼を見つけられる」
喫茶シェーヌの店員に逃げる姿を見られたように、知性のない鬼はボロを出す。
鬼の説明が終わったので、二人はまたフロートを食べた。八尋もアイスコーヒーを一口飲む。
店内に流れる曲はピアノからサックスに変った。重厚なメロディーを楽しみながら八尋は新聞と地図とを見比べる。
奏は残ったコーヒーとソフトクリームを完全に混ぜきって一度に飲んだ。
「このあと鬼の手がかりを探しますか?」
まだ外は明るい。今からなら他の場所で聞き込みもできるだろう。そう思って奏は聞いたが、八尋は首を横に振った。
「いや、それは明日にするよ」
「明日、って月曜?」
「ああ。君たちが学校に行っている昼間に調べるよ」
「え!」
「俺たちを置いていくんですか!」
「八尋さん、ひどいです!」
私たちを見捨てるんですか! と二人は八尋に詰め寄る。
まさかこんなに必死になるとは思っていなかった八尋は困惑しつつも意見を曲げない。
「だけど相手は今までよりも攻撃的だ。君たちを連れていって何かあったら……」
「じゃ、じゃあ八尋さんは昼間に調べていてください。でも俺たちも学校が終わったら相談所へ行きます。もし俺らが合流するまでに解決していなかったら一緒に探します!」
「桃太郎君、ナイスアイデア」
「でしょ」
本当は桃太のアイデアも拒否したいところだが、あまり強固な態度を見せると今日この後調査に行くことになるか、それか明日学校を休んででもついて来かねない。
二人を巻き込みたくないという気持ちに変わりわない。しかし二人が放課後から合流すると言うのなら、その案に乗って放課後までにこの事件を解決してしまえばいい。
八尋はそう考えて渋々頷く。
「それでもいいけど……」
「けど?」
「いや、電話番号を交換しておこうかと思ってね」
「八尋さんの電話番号!」
奏は興奮した様子で叫んだ。
八尋は紙ナプキンにさらさらと電話番号を書くとそれを桃太に渡そうとした。
「本庄君に教えておけばいいかな?」
「だ、だめです! えっと、桃太郎君は筆不精なので連絡つかないことが多いんです。八尋さん、私に教えてください!」
「えっ」と驚いて桃太は奏を見た。別に桃太は筆不精ではない。八尋の連絡先を知りたいからといってまさか勝手に筆不精ということにされるなんて、と桃太は奏の勢いに固まった。
勢いに押されたのは八尋も同じ。桃太の様子から、奏の言っていることが事実ではないことはわかったが、その勢いに飲まれて紙ナプキンを奏に渡した。
なにがなんだかわからないが、紙ナプキンを受け取った奏がとても嬉しそうに笑うので、八尋は考えることをやめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます